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出雲王朝53-神火相続の地・神魂神社

2017年08月14日 | 記紀創世紀

 出雲大社の建造は、出雲国風土記によると大国主命の祖父である八束水臣津野命の国引きの後であるという極めて曖昧な記載がある。また、出雲国造家計譜によると、天照大神と素戔嗚命の誓約で生まれた天穂日命の子孫と称する出雲臣が、意宇平野の大庭にあった根拠地を出雲平野の杵築へ移したという。大庭にあった根拠地とは熊野大社または神魂神社のことである。

 出雲国造は神の御杖代というが、どの神が出雲国造に宿るというのだ。出雲国造は、同じ神の御霊を代々継承してきたから不死身という。だから生まれないし死なないのが原則である。先代の出雲国造が亡くなると、後継者は火を継承する。火を神の御霊になぞらえて神火を継承するから、これを火継ぎという。しかもこの火継ぎは出雲大社ではなく、出雲国造の本宅の意宇にいったん戻り、意宇川の上流の熊野神社で執り行われる。杵築に詰めている出雲国造が危篤になると、すぐに意宇の神魂神社に使者が送られ神火相続の準備があわただしく行われる。一方杵築では国造がみまかってもこれを隠す。普段通りの生活にみせかけて、さりげなく国造の衣冠を整え、正しく座らせて遺骸の前に食膳が供される。出雲国造は死なないのだから当たり前の光景なのだ。嫡子は裏門からでて、不眠不休の体制で意宇に戻ると、国造に代々伝わる火鑽臼と火鑽杵を持ち出して熊野大社に出向いて鑚火殿に火をともすのである。この神火は別火とも言われ、国造館内の斎火殿で守られる。そしてこの火によって調理された斎食を食べてようやく新たな国造の誕生となる。

元々出雲の本拠地は、ここ意宇(東出雲地方)の神魂神社であった

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