私と次男は偶然誕生日が30日生まれ。なんだかきりが良くて気に入っている。帝王切開だったので選べたようだけど、緊急だったから神様が決めたと思ってる。
で、今日は祖父の命日。今の家には仏壇はないが、千葉の方角を見て祈ろうと思う。両親は墓参を済ませたらしい。
前日が祝日だったのに、あのときなぜ面会に行かなかったのだろう、とGWのカレンダーで昭和の日をみるたびに悔やむ。まあ、行ったところで意識混濁の、あれ?そういえば意識は当日の朝もはっきりしていて歌ってたらしい・・・やはり行けばよかったなぁ・・。まあ天国に行ったら訊いてみよう、そうしよう。
若い人は考えないかもしれないけど、最近、死んだときのことを考えることがある。1年に1回自分の誕生日がある。これは選べなかった。なくなる日はどうなんだろうか。自分にとってすごく大事なのに自分は知らない(はず)の命日。きゃあ。どこになるんだろうか。
1ついえることは、誰かにとって大事な日でも、ほかの人は当事者じゃないからそう大事でもなかったりする。でも大事にしてる人がいるなら尊重したい、っていう感じかなぁ。日本の祝日がただの「仕事から解放されるただの休みの日」になるのは寂しいな。いみもっていこう。