いわゆる井戸端会議

体が好奇心でできている「雑学の女王」の熱い雑談

飲酒運転やめよう

2005-02-28 14:58:35 | 芸能ネタ
 やっては、だめだよ、飲酒運転。姿勢正して、髪の色戻しても。飲みにいくなら、徒歩で行こう。ね。

 さっきヤフーニュースのバックナンバーを見たらでてた。

 お酒飲んだ人が、数トンある車に乗って酔っ払ってたら、コワい。コワイよー。私は、小学生のときに、大通りの交差点で自転車で信号待ちをしてたら、酔っ払いに私の自転車の荷台に乗ってこられたことがある。小学生女子の後ろに、成人男性よ。怖いでしょう?ああこわい。そして、手が前に伸びてきた。こわーい。ひわいなことも言われたわー。こわいー。別に何もされませんでしたが、(安心してね)白昼車の往来激しい交差点、死角です。誰も助けられない。誰にも見えない。逃げましたよ、おじさんよっぱらいだからもつれて追っかけてこなかったけど。

 飲酒は、ドラッグです。日本では合法的なドラッグ。記憶をなくしたり、飲んでのやんちゃは、それはしゃれにはなりません。ね、私だって30年経つのに、いやな思い出残されてるでしょう?おじさんはいやなことを発散しただけなんだけど、私には一生だもの。

 というわけで。お酒飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。常識です。たぶん、これまでも車でのみに行ってたんでしょうね。習慣の問題。私はほろ酔いは認めるけど、酔っ払い、泥酔は論外です。


2月セミナー終了!

2005-02-27 01:37:38 | ニュース
 10年後の、10年間の一番うれしかったことを語ることから始まった、このセミナー。2月セミナー無事終えましたお集まりのみなさま、ありがとうございました。

 3/19のセミナーは、ズバリ「徹底的に自分のいいトコロを武器にしよう!」をテーマにお送りします。

 セミナーの料金が安いと、なんか逆にかえって怪しいということがささやかれています。2000円ですから。何か売られるんじゃないか、何か引き込まれるんじゃないか・・。値上げをすることは簡単なんです。私が自分と戦えばいいだけ。
 いつも同じ話をして、1箇所あたり10000円以上とる講師を知っています。私とほぼ同じ内容でこの前10倍とってる人を見た。

 人は人。それでいい。

 ただ。私は、毎回テーマを違う内容にして1年以上やってきた。企画・運営・集客・資料作成・しゃべり・進行・管理2次会幹事一人全役という実績があり、それに伴い自信もついた。誇りを得た。参加費用を上げてお金がたくさん手元に残るのもいいけれど、提供内容を甘くみると、自分にはただの消化感しか残らない。

  人は人、それでいい。

 今年度は、少数精鋭の 本気でついてこれらる人対象の 何かを打ち出します。アプローチャビリティ、ライカビリティ、対人能力磨き上げ、こんなところで。ベティ講師からの、率直でストレートで厳しくて愛のある濃密な時間を創出します。管理職、教師、経営者・・・。本気の人としか、やりません。あ、それは、あれだね。あははは。
  


 


飛車角落ち

2005-02-26 02:14:39 | 日記・エッセイ・コラム
 息子が将棋の相手を探してた。私に声がかかるほど、相当やりたかったんだと思う。

 昔、父に教わって、少し没頭したことがあるけど。ああ苦手。1手先しか読めない。さすがゲーム世代。息子はあっという間にお友達から手を覚え、私に教えるまでになった。

 将棋を 父と、自分の息子に教わることになろうとは。

 最初は私がリードしていた。桂馬をとられたあたりからおかしくなった。ママ、歩で王手はだめだよ。金はナナメ後ろにはいけないんだよ、そんなのいいじゃん、あいてるんだから、とだんだんイライラしてきた。

 とったコマを置いては取られ、やがて、彼の圧倒的優勢になった。相当有利でイッキに王手にでれば勝てるのに、息子は続けたかったのか、相手の王将のまわりでうろうろしている私の王将をやわらかく翻弄していた。

 置いては取られ、やがて、コーチング的にいろいろ言われ始めた。そこにおいたらどーなるかなー?何ができるかなー?うううううるさい!ママってかわいい!とまで言ってる。くぅ。くやしい・・。

 長い、沈黙のあと、コマをいじりながら息子。「今度は飛車角落ちでやってあげようか?」
 
 くぅー。遊んでくれてありがとう、ママはうれしかった。

注:将棋における飛車角落ちとは、水戸黄門で助さん格さん抜かして八べえだけ連れて道中するようなもんです。



きちんと躾けろ!その2

2005-02-25 21:21:45 | 受験・学校
 私はゆうべ、ほんとうに疲れ果ててしまった。怒りは人を消耗させるねぇ。

 さて、昨日の悶々は、今日の母親の会さま向けのセミナーでたっぷりチューニングができた。シアワセ。最初はあんなふうにみんな手に抱かれ、いとおしまれ、慈しまれた存在だったと、託児に並ぶ受講者さまとそのお子さんを見て思った。
 私の話を聴いて、よかった、わかった、すっきりした、と言ってくれた人がいた。話している最中に、感極まった方もいた。ちゃんと相手の心に響き、届いていた。それが私に伝わった。私の誇りとしてそれがほしかった。昨日はそれがなかったんだ。私は、真剣に話すのだから、それは報われたいと思う。
 学校の先生も毎日誇りが傷つけられているんだろうな。それは人としてつらすぎるね。
 先生の嗄れ声を、情熱のバロメーターだとすれば、何人の人が、声帯を傷つけられているのだろうか。何人の人が声をつぶしているんだろうか。何で、教室で先生がシャウトし続けなければいけないのか・・・。おかしい・・。

 きちんと躾けろ、は、やはり大事。ちゃんとした人のほうが淘汰されちゃうじゃない。と危惧した。

 それと、躾とは違うけど。最近怖い人たちがいる。若いキャリアウーマンちゃん。何でそんなに強気なんですか?何でそんなに世界をまわしてるんですか?もっと優しくモノをいって。あなたたちは、綺麗で何でもできるんだから、そんなに前へ前へと強く押さなくていいのよー。あなたが正しいことは知ってるから。許してくださいー。こわいよー。ああ、自分も自称若かったちょっと前まではそうだったんだわ。ごめんなさい、あのとき攻撃したみなさん、私は今反省しています。


きちんと躾けろ!

2005-02-24 19:57:35 | 受験・学校
 乱暴だが、叫びたい!子どもはきちんと家庭で躾けろぉー!

 不定期に、登録制の小中高の校外講師授業やってるんです。そこでちょっとした事件がありました。
 生徒の一部が、挨拶ができない。まっすぐ座れない。人の話中に私語を続ける、ひじをつく。敬語が使えない。そこにいたのは、躾を受けていないなんというか、。人としてという言葉があるが・・・。人として大人に挨拶ができない。日直の号令がひどい。つぶやいてるだけ。やり直しを命じたら、「なんで?」だという。 
 校長先生も、担任の先生もいたが、あまり介入しなかった。もう疲れているのだと思う。学校の先生に、基本的な躾を委ねたら、本来学習や発展学習に投入&集中されるべき教師のエネルギーは当然減る、先生も生身の人間だ。

 さて、私はもう帰りたくなった。その時点で全く同じプログラムではもう盛り上がり、私は歓迎された人間だと、誇りを持つことができている、同じ時間の長さだ。

 家に戻って、子ども達にこの話をしたら、二人とも「人間として挨拶ができないのは最低だ」、「初見の人にそれは失礼」、「目上の人には挨拶をするべき」、「注意したのにそれを「何で?」というのはおかしい」、と答えたので二人にそれぞれ100円ずつお小遣いをあげて、よしよしした。授業参観、授業助手をしたからわかるが、少なくとも言行一致しているのを私は見届けている。できなかったら家から出さないでペンペンする。私の手がはれ上がり、ノドが枯れても私の責任だと思う。格好つけるようだけど、親にはそう教えられてきて、それが守られない文化を、私は、知らなかった。

 さて。もしそのとき憤っていて帰ってしまったら、今度は私が社会の大人として無責任だ。放棄することは契約講師として不履行。2秒で自分を立て直した。この状況で自分に何ができるか。もてる技術のすべてを使った。テクニックは、そういう場では焼け石に水だ。これまで経験してきたすべての技術を順番に続けることにした。伊達に私もやってきてない。伊達に研修講師を名刺に刷り込んでいない。私はプロだ。負けてどうする。だんだんなんとかできてきた。終わる頃には、少しはシーンとなり、最後の挨拶は起立して御礼のアタマを下げることに成功した。私の人間としての器を問われた日だった。かなり疲れた。寂しかった。悔しかった。腹が立った。いろいろなことを思った。私の人間としてのあり方が問われ続けた6時間だった。無力感に苛まれた。でもいいたい。

 で、今日のタイトル。子を持った親は、悪いけど、子どものしつけに目をつぶってみないふりして仕事してる場合じゃない。もちろん仕事をしなくてはいけない。でも家庭をきちんと見て、少なくとも集団で自分の子がどういうパフォーマンスを出しているのか見届けなくてはいけない。授業参観に毎度来る親は決まっている。せっかく授業参観の機会を与えられているのに、だ。
 さて、仕事は当然してもいいけど、躾を他人に外注してはいけない。意図的に任せてはいないだろうけど、結果的に親が関与していないのであれば、同じこと。保育園の先生も学校の先生も、本来は個人をしつけるために存在しているのではない。親が家庭できちんと躾けた人格のある人間を学校という集団に送り出さなくては、学校は荒れる。 だらけた態度のエクススキューズは、受験後だから、だと。ふざけてはいけない。受験がそんなに偉いかい?受験なら何でも許されるのかな?ふ・ざ・け・ん・なー!シャウト。なんかおかしいよ。

 父親にガツンといわれたことのある子、母親に十分に愛情を受けた子は、少なくても社会でやってイケるだけの動物として基本ができあがると思う。親と子の接する生活時間、生活体験が積みあがらないことには、親は子に何も伝承できない。1時間2時間では絶対に足りない。子を持つ親を従業員として抱える企業は、5時以降の大人の拘束をナンだと思ってるのか?人の時間は家庭を回すためにももっと使われるべきだ、と私は主張したい。
 仕事、そんなに大切か。大切だけど、お金を得なければどうしようもないけど、自分の子を知る、見る、関与する、教える、授ける、はぐくむ、諭す、それは十分にできているの?世の中に、不完全な人間を送りだすリスクとどう折り合いをつけるのか?会社で残業している間に、今日も子どもはまた一歩一歩挨拶のできない人間に仕上がっていく。極論&暴論だけどね。あのときであった子の親達はあの日のあの姿を知るすべもなければ、知ろうともしていないんだろう。誰の子なんですか?

 うちだってだめだ。全然だめだ。実際、子どものしつけなんて、やはり、よくわかんない。でも、やれることはやろうとしている。家庭で子どもが大事にされなくて、仕事ができても、ライフ的にはだめじゃん。子育てを軽く見すぎた私は、自分の子の現状はどうであれ、猛省の日々だ。

 と、いうわけで。ただ。彼らの名誉のために補足するけど、何もこれらの話は前述のお子さん達だけではない。じゃあずっと6時間全員がとんでもなかったかというと別にそうでもない。私もやるだけやった。結果的には、ほぼ仕事としてはそこそこに終わったから。
 ここ以外の少年スポーツや、塾、教室でいろいろなお子さんのお子さんの昼間の生活をリアルな姿を今見続けていて、社会の現場も両方知っている私は、伝える言葉を持っているんだと、理解した。だから、私は、言う。関与している教育関係の別の仕事でこれらの話はメルマガライターとして熱く語らせていただく。

 あ、お父さん、お母さんも疲れてるだろうけど、なんでみんなそんな企業活動に大事な時間と体をささげるの?子どもがいてもいなくても、社会の大人は、本気で考える時期にきてるんじゃないのかな。戦後高度経済成長の時代を過ぎてリセットのチャンスもなく、妙な社会秩序が出来上がっている、閉塞感強すぎ。簡単なことから始めよう、ちゃんと対話しよう、家族と、身の回りの人と。

 ようし、修行の続きだ。

⇒初版から一部表現を変えました。怒りに任せて書くと恥ずかしいですね。