高楊枝MIND

『武士は食わねど高楊枝』 そんな気概をもって生きて行きたいです。

親父が死んだ…⑦

2013年06月30日 06時55分41秒 | 
初七日は、家族で行った。

親父が亡くなってから、ばたばたして自分のことは何も手につかなかった。
約束事なんかも、結構すっぽかしていた…

やっぱ、混乱していたんだろうか…



1週間が過ぎ、心身共になんとなく落ち着いてきたような気もするが、母の時と違って、親父の場合は、突然だったので、まだ、どこか信じられない気持ちもある…


さて、今後の手続きがたくさんあるんだよな…


明日からは、正常に仕事に復帰しようと思う。仕事をしながら、実家の整理、親父の手続きをやることになる。






平成18(2006)年12月に、このブログに母が亡くなったことを書いた。

四十九日が過ぎてからだった。

当時の私にとっては、母の死について、振り返ることができなかった。心の整理がついたのが、そのくらいの期間だったのだと思う。でも、もう少し何かしらの形で残しておいてもよかったかなとも思う。当時の、記憶も今では曖昧だ…



今回、親父のことは、死亡した当日からブログに書いて行った。

自分自身を整理するためにも良かったと思う…




親父が死んだ…⑥

2013年06月29日 06時19分15秒 | 
町会長さんとも話し、「町内の人とも最後の挨拶ができるよう場を設けたほうが良い」との助言から、火葬後に実家で2時間ほどご焼香時間を設けることにした。
あらかじめ、回覧板でも回してもらう。また、香典も受け付けない旨、回してもらった。


内心、「そんなに人も来ないと思うが、まあ、体裁もあるから仕方ないかなあ…」と言うのが本音だった。




…・…・…・…・・・・


午前中に火葬が終わり、15:00~17:00で焼香時間を設けた。

15:00前から人が集まりだした。



想定外だった…


実家の玄関に、わらわらと人が集まっていた。


正直、驚いた。


最初に来たおばあさんは、親父のデイサービスの友人だった。
写真で見たことがある。
母の死後、親父が良く外出したり、お茶を飲みに行ったりしていた人だと思う。


その後も、次々と焼香に来てくれた。

実家は、そう広くないので、一人が焼香が終わってその人が出て行かないと次の焼香ができない。


人がたくさん来てしまったので、町会の人が外で人の整理をしてくれていた。





こんなにも沢山の人が来るとは思ってもみなかった。

もしかしたら、今回一番驚いたことかもしれない…部屋の中は、焼香の煙でもくもくしていた…


親父は、私と違って社交的な人なので、友人が多いとは思っていたが、もう、大半は亡くなったり、高齢で動けなくなっている人たちばかりだと思っていた。

勿論、多くは高齢の人ではあった。焼香の際に正座ができない人が多かった。また、実家の玄関は段差が結構あって、一人で登れない人が続出した。でも、中高年の人や20代くらいの若い人も来ていた。若い人は、「いつも挨拶してくれるんですよね。あの日も(亡くなった当日)朝、『気をつけてね』と言われて、夕方帰ってきたら、パトカーがたくさん来て驚いたんですよ…」と話していた。


勿論、近所の手前で来ている人も居るとは思うが、親父の人柄も偲ばれた…


また、私の知らない親父が居た。


当初、暇だろうと思っていたが、焼香の2時間は、あっという間に終わった。


疲れたが、町会長の助言でやって良かったと思った。


実家には、家族だけが残り、外は薄暗くなっていた…



今日も一日あっという間に終わってしまった…



親父が死んだ…⑤

2013年06月28日 07時19分34秒 | 
一日が早い…


1度会社に出たりして、たまっていた案件など処理する。


正直に状況を話したせいか、同僚も私になんて声をかけてよいのか困っている様子。

笑って、話すよう心掛ける。




…・…・…・・・

私は、お通夜や坊さんを呼ぶとかは全くしないで密葬で家族で送ることだけに集中した。勿論、戒名なんてものもいらない。


火葬前日、父の体は包帯でぐるぐる巻きにされていた。顔の化粧もかなり厚かった。
そのおかげで、私が警察署でみたインパクトはなくなっていた。
ただ、よく見ると、顔の一部の皮がはがれていたり、首と顔の色の落差が激しかった。

でも、全体的にはそんなに気にならない程度であった。




…・…・…・・・

火葬当日。
最後のお別れと言うことで、顔を見ると化粧から血がにじみ出ていた。
あれだけ厚く化粧したのにな…
どうも再度化粧をしてくれるが、どうにもならないらいしく、出血のひどい個所を布で覆うことになった。


最後に火葬場へ送る際には、町会長さんが前日に引き続き来てくれた。「今日は個人として来た」と話してくれた。
また、父の知人たちも来た。

家族だけで送ろうとしたものの、最終的には良かったと思っている。

父の昔話に花が咲く。
父の人柄や日常生活が垣間見れた…

父を偲ぶ良い時間だったと思う…



火葬場は、母の時以来だ。

遺体と最後の別れを告げ、焼場に棺が入って行く…



遺体は、1時間ほどで骨になって帰ってきた。

遺体を入れた場所から、父が出てくる。
母の時は、骨が粉々でよくわからなかったが、父は人型に骨が出てきた。
遺骨からは、すごい熱感が伝わってきた。

遺骨は別室に運ばれ家族で骨を拾った。

担当している人が、お決まりの喉仏の話をしていた。

足の骨から拾う。大たい骨がしっかりと残っていた。
父は、骨の量が多いのか骨壺から骨がはみ出ていた。特に大たい骨は、骨壺からはみ出ていたので、担当の人がガリガリとつぶして押し込んでいた。「骨があんなに簡単に砕けるほど高温で焼却するんだなあ…」と妙に感心してしまった。

最後に、喉仏を鎮座させて、頭蓋骨をその上から順番に重ねた。
私は父の眼鏡を持ってきたので、骨壺に一緒に入れてもらった。


…・…・…・・・


父の死から、遺骨になるまで忙しかったが、終わってしまうとあっけなく終わったような気がする…


これから、実家に遺骨を持って行く。実家で、ご焼香の時間を設定する予定だ。

まだ、今日は忙しい…








親父が死んだ…④

2013年06月25日 05時16分52秒 | 
検死も終わり、事件性なしと言うことで、遺体を引き取って良いと言うことになった。

刑事課で、「遺体引き取り書」なるものに押印、サインする。
警察官の淡々とした、でも冷たい感じではなく、憐みでもなく、温かい感じの対応はとても印象に残った。
サイン後、「いつでも遺体は持ち運んで大丈夫ですよ」とのこと。
ただ、「死後の熱傷があり、体が水泡でただれているので、他のご家族が会われる場合は、葬儀屋さんに化粧してもらってからのほうが良いのでは…」との話もある。

確かに、顔の確認の際のインパクトはあった。妻は早く会いたいと言っていたが、葬儀屋さんに化粧をしてもらってからにしようと思う。



葬儀屋さんと相談して、遺体を警察署から搬送してもらう。


葬儀屋さんより、遺体の損傷が割とあるので、他の家族には翌日会うよう段取りすることとした。
どうも、火傷でできた水泡が破れ、体液が結構出ているので、包帯で全身を巻くという。



葬儀は、家族葬…

と言うか、密葬かな…


ただ、自治会の人とも話し、実家で焼香できるようには調整したいと思う…



今日も、あっという間に一日が終わる…

他の調整も同時進行で行っている。
忌引きだけでは、終わらないよなあ…



最近、眠りが浅いなあ…






親父が死んだ…③

2013年06月22日 17時19分46秒 | 
今日も朝から忙しかった…


検死が終わり、ようやく親父と対面することとなった。

親父とは色々あって、母親の死ほどのダメージがないと思ってたし、下手すれば泣かないかなあーとも思っていた。



警察官に検死の場所へ案内される。外の駐車場みたいなところにそれはあった。



顔を見た瞬間に、ぶわっと何かがこみ上げてきた。



俺は、嗚咽していた。



やっぱ、俺も泣くんだなあ…



ここ数年、あまり泣いた記憶がない。

大泣きしてた。




最後に親父に会ったのはいつだろう…



そうだ、半月ほど前かな…実家の畑に、親父が野菜苗が欲しいと言っていたので、買ってきて一緒に植えたのを覚えている。

丁度、親父は、実家の庭の木を切っていたのか、大量にある小枝をまとめていた。

私「何してんの?」

親父「庭の枝を切ったから片付けてんだ」

私「そう…、野菜苗買ってきたけど、どうする?」

親父「今、植えちゃうかあ。まだ、帰んないだろ?」


私は、苗を置いて帰ろうとしていたんで、内心、面倒くせーなあ~なんて思っていたと思う。


やむやむ、枝を畑のわきに寄せ、苗を一つひとつ親父に渡し、親父が植えるのを手伝った。




一通り終わり、私「じゃあ、俺帰るから」


親父「ありがとね。やっぱり、息子の顔みると安心するよ」…・…・…・…・…・…・…・…・…・




親父との会話はそれが最後になった…


いろんな思いが、ぶわっとこみ上げた…




帰り実家に寄る。

小雨が降っている。

実家にある野菜苗をぼーっと見つめた…





親父が死んだ…②

2013年06月21日 18時17分13秒 | 
今日は忌引きで会社を休む。


朝から忙しかった…

疲れた…

このところ風邪気味だったので、少ししんどい…咳も止まらない…




警察に行ったり、葬儀屋に行ったり、町内会の人に説明したり、親父の知りうる知人へ連絡したり…

その間、会社へ電話もした…保険屋にも電話した…など等…





実は、自宅の風呂場で父が亡くなったので、警察に遺体が行っている。

検死というやつが行われている。

昨日は、自宅に4~5台のパトカーが止まっており、現場検証をしていた。

物々しい雰囲気。


到着した私もギョッとした。


先に到着していた妻は、不安げ気にたたずんでいた。



仕事で警察の聞き取りを受けたことは何度もあるが、自分自身が身内として聞き取りされるのは初めてだ。



大柄の警察官たちは、昨日もそうだが、とても穏やかに丁寧に説明をしてくれた。

正直、混乱せずにいられたのは、この警察の人たちのおかげだと思う。



ありがとうございました…






国連がいつも正しいとは限らない…

2013年06月01日 08時16分39秒 | 
残念ながら、国連がいつも正しいとは限らない…

戦勝国という一部の国が拒否権を持っている時点で、おかしな組織ではある。
公平も何もない組織…
ロビー活動で、何とかなる組織…
結構、おかしなことをやってることも多い国連…
でも、まあ、基本的に世界的な問題をまずは話し合おうと言うスタンスは良いとは思うのだが、いかんせ、公平性はいまいち…


武力を持たない日本(正確には、自虐的に武力を行使しないように定めて規範とする日本)は、何事にも自己主張しきれず、最後は、どうしても同盟国のアメリカや国連に、正義を見出したくなる…

未だ、独立国として、毅然とした対応ができないでいる…
または、戦後の精神的ダメージから抜け切れないでいるのか…



今回、『国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は31日、旧日本軍の従軍慰安婦問題について「政府や公人による事実の否定、被害者を傷つけようとする試みに反対する」ことを日本政府に求める勧告をまとめた』
という。

まったく、馬鹿げた勧告がなされた…

まあ、勧告なんで、法的拘束力はないのは、わかっていても、腐っても国連…反日本な勢力は活気づく…



東京裁判もそうだが、当時の価値基準を考慮しないで、現在の価値基準で裁く方法は間違っている。

橋本さんが、いわゆる慰安婦問題について主張したことは、大筋間違っていない。

戦勝国と言われている国々が、戦時中に日本以上のことをしているくせに、したり顔で、日本だけをスケープゴートとして裁くと言うのがどうにも我慢ならない…

橋本さんも、戦時中のことが良かったなんて言っていない。
戦争と言う悲しい時代の事である。
当時、やむを得ずそのような仕事に従事せざるをえなかった人たちに対して、傷つけるような発言はしていない。

傷ついているのは、自身の創作した、または、周りの人たちにそそのかされて創作させられた話しの辻褄が合わなくなることで、被害者でなければいけない自分たちの立ち位置が怪しくなる人たちが居るからだろう…