2011年1月28日(金)
毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第4回「阿見周辺(烏山・小岩田)」を散策するウォーキングに参加した。
この日の集合場所は、土浦市六中地区公民館。
殆ど毎回欠かさず参加していたK子さんは、ここに来る途中車がパンクして参加断念を余儀なくされてしまった。
秘かに皆勤賞を狙っていたのに、残念である。
会長も急に都合が悪くなり、参加できなくなってしまったが、出発前に駆けつけて参加確認をするとはさすがだ。
股関節を痛めて長らく参加を見合わせていたY男さんだが、本人推薦のコースということもあり、途中まで一緒に歩きたい、と言う。
全快していないのであまり無理をして欲しくはないが、本人の強い意思は感動ものである。
結局、17名が参加した。
この日不参加の会長に代わって音頭をとったため、準備体操の写真は撮れなかった。
カメラ片手に体操、という訳にはいかない。
(準備体操の写真がないと、何となく物足りない)
いつもの準備体操も何とかこなし、9時40分に出発。
この日は気温も下がり、朝方から西風が吹き、厳しい寒さである。
しかし、皆さん元気が良い。
この程度の寒さはあまり気にはならない?
土浦市立第六中学校
今は教室での授業なのだろう、校庭に人影は見えない。
木々に囲まれた静かな散歩道、といった感じである。
軽快なペースで颯爽と歩く。
国道125号線バイパスを跨ぐ。
広々とした敷地の家が多い。烏山5丁目付近。
住宅地から一転、手入れがされていない茂みの中を進む。
今度は国道125号バイパスのトンネルをくぐると、目の前に谷津田の風景が広がる。
この日のコースを紹介してくれたY男さんが最も気に入っている景色である。
さきほど通り過ぎた土浦市立第六中学校が見えてきた。
今度は、花室川に向かって進む。
ここまで一緒に歩いてきたY男さんは、大事をとって一足先に帰路についた。
『Y男さん、お疲れ様でしたっ』
後ろは大岩田小学校
できるだけ車の通らない道を選んで進む。
しばらく行くと、石の道標があった。
正面は青宿、木原、掛馬方面と記されている。
昔は主要な道だった、そうだ。
愛宕神社へは砂利道を進む。
何の案内標識もないので、気が付きにくい。
こんもりとした森の中を進むと、愛宕神社の参道があった。
木々に囲まれた森の中にポツンと小さな社が祀られていた。
愛宕神社だ。
出発して約1時間ほど経っていたので、ここで小休止。
お菓子やキャンティが配られる。
愛宕神社から5分ほどで、法泉寺に到着した。
真言宗豊山派の寺院で山号は聖天山、院号は無量寿院。
開創は、正平年間(1346~69年)の由緒ある寺である。
小田城を守護するために定められた小田領四ヶ寺の一つに数えられている。
しっかりとした仁王門である。
今の門は建て替えられて新しいが、初期の仁王門は江戸初期の作で日暮門とも呼ばれていた。
屋根には、菊の印が見える。
鐘楼と本堂。
建て替えられて間がないようだ。
本堂
寺仏の薬師如来坐像と日光・月光菩薩は南北朝時代の作と考えられ、県の指定文化財になっている。
本堂の額には龍の彫刻が・・・
本堂前の藤棚。
花の時期に訪れてみたい。
昭和20年6月10日に土浦海軍航空隊がB29爆撃機を含む艦載機群の爆撃を受け、
その爆撃で散った281名の予科練隊員や教官らを供養した碑が建てられていた。
土浦第三高等学校を過ぎると視界が開け、霞ヶ浦が見えてきた。
霞ヶ浦総合公園の体育館が見える。
住宅地の中を進む。
住宅地を抜けると、一転閑静な道になる。
昔懐かしい古里を思い起こさせる道ではある。
さきほど通った愛宕神社と法泉寺の中間辺り。
昔の主要道路だが、今は車もほとんど通らない。
道一杯に広がって歩くのは本当に気持ちが良いものだ。
大岩田付近。ちょうどこの道が阿見町との境になる。
この辺りになると、横からの西風をまともに受けるが、マスクは強力な武器だ。
花室川を渡って右折すると、ゴールの六中公民館はもう直ぐ。
11時30分、出発地の六中公民館に到着だ。
この日は平坦で距離もそれほどではなかったため、予定より30分近く早く着いた。
皆さん、余裕の笑顔である。
この後、整理体操をして解散に。
(やはり体操の写真がないと何だか締りがない感じ)
『皆さん、お疲れ様でしたっ!』
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”
毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキングの会」が主催する、
本年第4回「阿見周辺(烏山・小岩田)」を散策するウォーキングに参加した。
この日の集合場所は、土浦市六中地区公民館。
殆ど毎回欠かさず参加していたK子さんは、ここに来る途中車がパンクして参加断念を余儀なくされてしまった。
秘かに皆勤賞を狙っていたのに、残念である。
会長も急に都合が悪くなり、参加できなくなってしまったが、出発前に駆けつけて参加確認をするとはさすがだ。
股関節を痛めて長らく参加を見合わせていたY男さんだが、本人推薦のコースということもあり、途中まで一緒に歩きたい、と言う。
全快していないのであまり無理をして欲しくはないが、本人の強い意思は感動ものである。
結局、17名が参加した。
この日不参加の会長に代わって音頭をとったため、準備体操の写真は撮れなかった。
カメラ片手に体操、という訳にはいかない。
(準備体操の写真がないと、何となく物足りない)
いつもの準備体操も何とかこなし、9時40分に出発。
この日は気温も下がり、朝方から西風が吹き、厳しい寒さである。
しかし、皆さん元気が良い。
この程度の寒さはあまり気にはならない?
土浦市立第六中学校
今は教室での授業なのだろう、校庭に人影は見えない。
木々に囲まれた静かな散歩道、といった感じである。
軽快なペースで颯爽と歩く。
国道125号線バイパスを跨ぐ。
広々とした敷地の家が多い。烏山5丁目付近。
住宅地から一転、手入れがされていない茂みの中を進む。
今度は国道125号バイパスのトンネルをくぐると、目の前に谷津田の風景が広がる。
この日のコースを紹介してくれたY男さんが最も気に入っている景色である。
さきほど通り過ぎた土浦市立第六中学校が見えてきた。
今度は、花室川に向かって進む。
ここまで一緒に歩いてきたY男さんは、大事をとって一足先に帰路についた。
『Y男さん、お疲れ様でしたっ』
後ろは大岩田小学校
できるだけ車の通らない道を選んで進む。
しばらく行くと、石の道標があった。
正面は青宿、木原、掛馬方面と記されている。
昔は主要な道だった、そうだ。
愛宕神社へは砂利道を進む。
何の案内標識もないので、気が付きにくい。
こんもりとした森の中を進むと、愛宕神社の参道があった。
木々に囲まれた森の中にポツンと小さな社が祀られていた。
愛宕神社だ。
出発して約1時間ほど経っていたので、ここで小休止。
お菓子やキャンティが配られる。
愛宕神社から5分ほどで、法泉寺に到着した。
真言宗豊山派の寺院で山号は聖天山、院号は無量寿院。
開創は、正平年間(1346~69年)の由緒ある寺である。
小田城を守護するために定められた小田領四ヶ寺の一つに数えられている。
しっかりとした仁王門である。
今の門は建て替えられて新しいが、初期の仁王門は江戸初期の作で日暮門とも呼ばれていた。
屋根には、菊の印が見える。
鐘楼と本堂。
建て替えられて間がないようだ。
本堂
寺仏の薬師如来坐像と日光・月光菩薩は南北朝時代の作と考えられ、県の指定文化財になっている。
本堂の額には龍の彫刻が・・・
本堂前の藤棚。
花の時期に訪れてみたい。
昭和20年6月10日に土浦海軍航空隊がB29爆撃機を含む艦載機群の爆撃を受け、
その爆撃で散った281名の予科練隊員や教官らを供養した碑が建てられていた。
土浦第三高等学校を過ぎると視界が開け、霞ヶ浦が見えてきた。
霞ヶ浦総合公園の体育館が見える。
住宅地の中を進む。
住宅地を抜けると、一転閑静な道になる。
昔懐かしい古里を思い起こさせる道ではある。
さきほど通った愛宕神社と法泉寺の中間辺り。
昔の主要道路だが、今は車もほとんど通らない。
道一杯に広がって歩くのは本当に気持ちが良いものだ。
大岩田付近。ちょうどこの道が阿見町との境になる。
この辺りになると、横からの西風をまともに受けるが、マスクは強力な武器だ。
花室川を渡って右折すると、ゴールの六中公民館はもう直ぐ。
11時30分、出発地の六中公民館に到着だ。
この日は平坦で距離もそれほどではなかったため、予定より30分近く早く着いた。
皆さん、余裕の笑顔である。
この後、整理体操をして解散に。
(やはり体操の写真がないと何だか締りがない感じ)
『皆さん、お疲れ様でしたっ!』
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