西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

夜のYouTube 24(サリーさんが里井さん)

2010年03月27日 04時02分00秒 | 夜のYouTube
 恐らくご存じないであろう、お若い方々へ。
 里井さんも、サリーと呼ばれていらした頃があったのですよ。
 きっと「ケンミン言うな!」と「レッツゴー!」が同じ声だと気付く筈。


チョット事情があって



 嗚呼、素晴らしい歌声である!

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おとうさんといっしょ

2010年03月24日 19時00分00秒 | ステンショから
 阪急京都本線「茨木市(いばらきし)」駅。




 私は、父と出かけるのが嫌いだった。

 父と外出すると、行きは目的地へ一直線、帰りは家まで一直線。あまり途中で寄り道をすることがなく、下手をすると腹が減ろうが喉が渇こうがお構いなしの飲まず食わずになってしまって、大変な目に遭うのである。

 私が5~6歳の頃だったか、父が「動物園へ連れてってやろう」と言うので、一緒に家を出たことがあった。
 しかしその時私は、てっきり母も一緒に行くのだろうと思っていた。取りあえず父と家を出て、しばらく後ろを振り返り振り返りしながら歩くのだが、一向に母の姿が見えてこない。その内不安で不安で堪らなくなって、家から500メートルぐらい歩いた所で父を振り切り、泣き泣き家まで帰ってしまった。
 その後、父がオカンムリだったのは言うまでもない。

 そんな父と二人で出かけた、唯一楽しい思い出がある。
 1970(昭和45)年に開催された、日本万国博覧会でのこと。
 土曜日に仕事が半ドンで、昼過ぎに帰宅した父が、突然思いついたように言った。

「万博行こか!?」

 当時の私は、万博が大好き。事前に発売された「万博マップ」なるものを隈無く見て、会場の地図を大体暗記していた程。
 既に1度母と二人で行っていたが、また何度でも行きたいと思っていたところに父に誘われたので、もう行くしかないと思った。
 だが父の話に乗ったのは、私だけ。母も兄も急に言われても腰が重いらしく、結局私と父の二人で行くことになった。

 この時、意外や父の直線的行動が活きた。

 自宅からまずバスで四条河原町へ。阪急に乗り「茨木市」駅で降りると、駅前から会場への直通バスが出ていて、11分で会場に到着! あとは父とその場で決めた目的地、アメリカ館へまっしぐら!
 2時間ほど並んだが、お陰で展示物の目玉とも言える、月の石を見ることが出来た。それからはお隣に建つオーストラリア館、西ドイツ館、フランス館と順々に回る。

 迷うことなく即断即決、まっすぐな性格の父なればこそ、ピンポイントで見て回ることが出来たのではなかったかと、あの日の父の行動力には、心底感謝したいと思う。


 今日3月24日は、亡父の19回目の命日である。合掌。

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爆破せず

2010年03月21日 06時29分00秒 | ステンショから
 大阪市営地下鉄谷町線「都島(みやこじま)」駅。




 この駅を利用したのは、1度だけ。19年前の1991(平成3)年の夏頃のこと。

 体調を崩し脇腹辺りに痛みを抱えていた私は、近くの医院で診てもらうもその病名が特定出来ず、病院を変えてセカンドオピニオンを求めても、やはり何の病気か分からず、結局ダイレクトに大きな大学病院まで行ってサードオピニオンを求めて、ようやく腎臓か尿路の結石ではないかとの診断が出た。

 後日超音波やCTスキャンの検査を受けることになったのだが、しかしその頃の大学病院には、まだ多くの患者を検査出来るだけの設備が整っておらず、普通に順番待ちをした場合2~3ヶ月から半年程度掛かってしまうということで、仕方なく大学病院からの紹介で、院外検査を受けることになる。

 その時、生まれて初めてのCTスキャン検査をしたのが、この駅近くの某病院であった。

 しかし……、わざわざ都島まで出向いて検査したものの、結石らしきものは見つからず、その内に脇腹痛も消えた。おそらく小さな結石はあったようだが、いつの間にか小便とともに自然と体外に流れて出ていってくれたらしい。
 幸い、当時はまだ珍しかった「体外衝撃波結石破砕術」を受けることなく、病気は治った。

 体調を崩した原因は、父の死による心労が重なった為かと思われる。


 19年前の3月1日に入院。21日には医者から「あと数日」と言われ、そして父が死んだのは、3月24日の午後だった。

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夜のYouTube 22(ケンミン言うな!)

2010年03月20日 04時43分00秒 | 夜のYouTube
 昨秋スタートのテレビドラマが、軒並み最終回を迎えている。

 これで、近畿商事の里井元副社長とはお別れ。
 警察庁の小野田官房長とも、しばしのお別れとなる。

 寂しいな~、と思っていたら……。


 わ~い、こんなところにいらっしゃいましたよ!


[TVCM]ケンミン焼きビーフン(岸部一徳)-ケンミン食品


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あんたの家

2010年03月19日 04時44分00秒 | 出演情報
 昨年度、大阪芸術大学映像学科3回生「制作Ⅱ」作品。
 (「メッセージV 2008 最優秀賞」「DAIGEI FILM AWARD 2009 in TOKYO」 特別上映)。

 ロッテルダム国際映画祭2010 招待上映。
 第13回水戸短編映像祭 コンペティション部門 準グランプリ。

 『あんたの家』(監督:山川 公平)


あんたの家〈予告〉.flv



 今月27日、28日の両日、富田林市にて上映されます。


■芸大の学生さんたちの撮った映画上映会 2010

■日時:2010(平成22)年3月27日(土)~28日(日) 11:00~(16:40終了予定)

    『あんたの家』は、両日とも15:55~

■会場:富田林市立中央公民館 2階ホール
    (近鉄長野線「富田林」駅下車 南西へ徒歩5分)
    http://www.city.tondabayashi.osaka.jp/public/section/kouminkan/index.html

■入場無料

●主催:富田林市立中央公民館

●協力:大阪芸術大学映像学科
     富田林市立中央公民館クラブ連合会


 『あんたの家』の他にも、ドラマ、ドキュメンタリー、アニメ、特撮……、様々なジャンルから、昨年度今年度の3回生4回生の制作した作品が、多数上映されます。


 お近くのお方は、是非この機会に、学生映画をご体験下さい!



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夜のYouTube 21(あんたのバラード)

2010年03月18日 20時25分00秒 | 夜のYouTube
 針中野と言えば、大学の大先輩、世良公則氏が在学中に住んでいたのがここだと、噂で聞いたことがある。

 私が大阪芸術大学放送学科の受験を決めたのが、1975(昭和50)年。当時の合格倍率は3~4倍というところだった。大学自体の知名度も、まだそれほど高くはなかった。

 そして世良さんがレコードデビューをして、次々に大ヒット曲を世に送り出していた頃の1980(昭和55)年、実際に私が受験したその時の合格倍率は、7倍を超えていた(事実私は1次試験不合格)。


 私もOBなのだから、少しは母校に貢献しなくては……。


あんたのバラード / 世良公則


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お好みの商店街

2010年03月18日 16時47分00秒 | ステンショから
 近鉄南大阪線「針中野(はりなかの)」駅。



 大阪の珍名駅として紹介されることも多いこの駅。
 大正時代の鉄道開業当時「中野小児針」という鍼灸院が、その利用者(患者)の利便性を図り、自らの土地や資材を提供して、この最寄り駅が造られたという。つまり「針中野」というネーミングは、言わば「中野鍼灸院前」みたいなもの。
 ちなみにこの「針中野」、今では地名にもなっているらしく、こちらもまた珍しいケースかもしれない。

 私がこの駅を利用し始めたのは、確か1985(昭和60)年以降と記憶している。目的はこの駅に直結する「駒川商店街」でブラブラ買い物する為。それ以外の目的で、この駅を利用したことがない。

 http://www.komagawa.net/

 駒川商店街は、大阪を代表する商店街のひとつ。
 安くて良い品がなんでもある。初めて行っても、お店の人と友達みたいにお話し出来る、庶民的でとっても親しみやすい商店街である。

 私も結婚するまでは、ほんの数回しか足を運んだことがなかったが、妻を連れていったところ、即この商店街のファンになり、以後は仕事帰りに途中下車したり、休みにはわざわざ電車に乗って行くほど。最近では時々義母も一緒に誘って買い物したりして、皆ですっかりハマってしまっている。

 全店お勧めしたいお店ばかりだが、中でもよく食事をするのが、お好み焼きの「花まる」。





 なんでも近くのお肉屋さんの息子さんがマスターだそうで、やはり良質なお肉のその味は格別!




 美味しいものもいっぱいの、針中野駅界隈である。

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