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うぐいすの丘日記

趣味の家庭菜園や、草花、旅の様子をお伝えします。

ブログ終了の御挨拶

2018年12月16日 13時42分10秒 | Weblog

2008年5月から始めた「うぐいすの丘日記」は、10年を経過し、皆様方にご愛顧をいただいていました。昨年二度にわたって病気をし、その後新しい投稿をずっと休んでおりました。

その間に、投稿した2093の記事から約400を抜粋し、写真のような冊子にまとめました。一部の方にはご送付いたしましたが、多くの方には何もご案内することなく、現在に至っております。

長年のお立ち寄りに感謝いたしますとともに、終了の御挨拶をさせていただきます。ありがとうございました。

「うぐいすの丘日記」主

 


阿倍野ハルカス天空の眺め

2017年04月25日 08時29分48秒 | Weblog

大阪天王寺・阿倍野に二本一高いビル阿倍野ハルカスがある。学生時代の友人S君との待ち合わせでそこに出掛けた。天王寺界隈は秀吉の時代から知られており、大坂の陣では茶臼山には家康が陣を張った場所でもあり、真田幸村が活躍した場所でもある。近年では大阪みなみの繁華街として、なんばと共に栄え新世界・通天閣・天王寺動物園があり観光客で賑やかである。また聖徳太子が建立した四天王寺もある。折角のチャンスでもあり、S君とハルカスの展望台に上り天空からの景色を楽しんだ。

ハルカスからの眺め

新世界界隈。その中央部に通天閣が聳えているが、高さは100m程である。


天王寺公園と動物園。北端に茶臼山がある。


四天王寺。


北側からの展望。大阪駅・梅田方向。


西方向。大阪湾・淡路島が遠望できる。


夙川公園の桜をめでる

2017年04月10日 11時50分41秒 | Weblog
桜のシーズンになりながら、天候不順で満開の桜を訪ねるチャンスがなかなかやって来ない日が続いていた。「桜便り」を見ながら曇り空の中、西宮「夙川公園」の桜見学に出掛けた。阪神間では古くから知られた桜の名所でもあり、日曜日の昼下がりの土手は家族連れや若者で溢れていたが、連れ合いと束の間の桜を楽しんだ。

夙川土手の桜












  

  

  

春は名のみの・・箕面の滝に遊ぶ

2017年02月09日 11時36分07秒 | Weblog
先日、この爺さんにも誕生日がやってきた。齢77歳喜寿である。長女から“お祝いの食事をしよう”との誘いを受けてわが連れ合いと出かけた。昨年以来、肺炎での入院治療、今年になってから、平衡感覚の違和感・しゃべり難さの発症に伴う脳検査など正に高齢化現象が起きたが、最近、「一過性で全く異常なし」とのお墨付きを貰った。久し振りのゆっくりした一時を楽しむことが出来た。その時の付近の映像を投稿したもの。

立春の箕面滝

我が家から1時間ほどで行ける箕面国定公園にある箕面の滝。春になると近隣の人々の人気スポットであるが、まだ、春の気配も無く閑散としていた。


滝の高さは33m幅5mあり、大して大きな滝ではないが自然豊かな地でもある。また、東海自然歩道の西の起点がここである。


滝壺。寒さで見学の人も少ない。


近くにあった頼山陽の碑文。


食事処から見下ろした大阪の中心部。梅田やアベノハルカスなどのビルが遠望できる。大阪平野の北端からの風景。

新年のご挨拶

2017年01月03日 14時01分11秒 | Weblog
                    明けまして
                 おめでとうございます

穏やかな初春を迎えのんびりとしています。今年は喜寿を迎える歳ですが、この歳になると健康で過ごせること自体が人生そのものでしょう。昨年は人生初めての入院生活を経験し、健康であることの幸せさを痛感した年でした。「鶏口となるも牛後となるなかれ」と云いますが、それも現役の皆様に当てはまる言葉。小生に当てはまる言葉は「歳相応に生きよう、無理をしないで・・」でしょうか。ブログも無理をしないで細々と続けたいと思っています。本年もよろしくおねがいします。

多田神社の初詣

拙宅の近くには、源氏の始祖、清和源氏の発祥の地である源萬仲・頼光を祭神とする多田神社があり参拝した。


本殿。





拝殿。


随神門。


猪名川に架かる朱色の橋も鮮やかである。

倉吉の町と三朝温泉(5)

2016年12月14日 11時15分14秒 | Weblog
三朝温泉の町中を流れている川を三徳川という。三徳川は天神川の主要な主流の一つで、その上流にあるのが三徳山である。川が侵食して出来た洞窟に三徳山三仏寺の奥ノ院である「投入堂」と云うのがあるそうだが、かなり離れており訪ねることは諦めた。出発までの一時を「かじか橋」の周辺を散策してみた。

三徳川に架かる橋

かじか橋の遠景。


かじか橋。この付近では初夏のホタルやカジカガエルが風物詩として知られている。




「三徳川のせせらぎとカジカル」は「日本の音風景100選」にも選ばれているそうだ。


橋の中央には足湯がある。


この辺りの散歩道は「美しい日本を歩きたくなるみち500選」にも選ばれている。

倉吉の町と三朝温泉(4)

2016年12月11日 15時44分46秒 | Weblog
翌朝、三朝温泉町を流れる三徳川の畔を散歩していると、良く知られた歌人の歌碑を見つけた。碑自体は長年の風雪にさらされて文字も読めないものが殆どであったが、それだけに歳月を感じさせるものであった。

歌人の歌碑

与謝野晶子歌碑。「川波が 雨の裾をば 白くする 三朝の橋を こえてこしかな」昭和5年に訪れた際のもの。


与謝野鉄幹歌碑。「水と灯の 作る夜色の めでたきを 見んと都と渓 あびの湯場」


野口雨情の歌碑。「三朝よいとこ 日本の名湯 四百四病も みな治る」


木下利玄の歌碑「仕事をへ つかれたはる 百姓と 頭をならべ 外湯に入るも」


触発された爺さんの駄作「三朝の湯 宿から見ゆる 屋根の上 地震のいたみ 残す青なり」

倉吉の町と三朝温泉(3)

2016年12月08日 15時47分03秒 | Weblog
三朝温泉はラジウムが分解して生じる高濃度のラドンを含む屈指の放射能線である。身体に浴びると新陳代謝が活発になり、免疫力や自然治癒力が高まるのだそうだ。これをホルミシスと云うらしいが、この爺さんの肺炎も免疫力が低下したために発病したものである。精一杯ラドンを浴びて帰るとしよう。

温泉街の風景

今回宿泊した依山楼岩崎。地震の爪痕も無くサービスも良かった。




小さな温泉街には土産物屋も見当たらず、純粋に温泉を楽しむ客が殆どのようだ。町を散策していたら、NHKのスタッフにインタビューされた。地震後の三朝温泉の印象を聞かれ、二度キャンセルをした後三度目に実現した旨を伝えた。さらに、地元の頑張りに敬意を表していると話したが、帰宅日の夕方にオンエアされるそうだ・・どうだったかな。

  
ホテルから見た町並み。まだ屋根には青いシートも見られる。橋の袂には名物の河原露天風呂が遠望できる。






近くから観たその露天風呂。誰でも無料で入れるが、この時期は寒くて誰もいない。

倉吉の町と三朝温泉(2)

2016年12月06日 10時25分50秒 | Weblog
倉吉のまちは白い漆喰壁に黒の焼き杉板、屋根には赤い石州瓦、そしてゆるやかな反りを持つ一枚石の石橋が多摩川沿いに架かる独特の景観である。詩情豊かな町並みの筈であるが、雨も激しくなり数枚の写真を撮るのが精いっぱいであった。

倉吉の町並み

軒下のふくろう。


レトロなポストも現役。



  
雨の通りは人っ子の姿も無い。

 

  
倉吉は明治から大正にかけては賑わったそうだが、現在では寂しい街並みの佇まいが当時を偲ばせているだけ。

倉吉の町と三朝温泉(1)

2016年12月04日 13時14分28秒 | Weblog
鳥取の三朝温泉に行こうと計画していたが、春には入院騒ぎでキャンセルし、二回目は鳥取地震で予約を変更し、三度目の正直でやっと実現したのが半年後の11月の初めであった。最近は車での遠出は控えて、今回もJRでの旅である。その拠点が倉吉駅であり、白壁土蔵のまちからスタートした。

白壁の街・倉吉

大阪から倉吉へはJR山陽線・智頭急行と走り、鳥取経由になる。現役の頃も含めて倉吉の街を歩くのは今回が初めてである。


着いた日は生憎の雨で散策ルートも大幅に変更した。駅前には童話・「打吹童子の昔話」の碑があるが残念ながら内容は知らない。


駅からタクシーで15分程の所に「白壁土蔵群」があり被写体を求めて雨の中を歩いた。「打吹流しびな」の碑。


白壁土蔵まち。古代には伯耆の国の中心として栄え、南北朝時代には城下町、陣屋町として発展したのだそうだ。

「赤瓦」14の蔵めぐりがウリであり、また、長谷寺、大蓮寺、大岳院などのお寺や倉吉淀屋、豊田家住宅、など見るべき所も数多くあるが、かなりの雨もあって温泉に向かった。

京都国立博物館と周辺の散策(2)

2016年11月30日 13時51分24秒 | Weblog
京都博物館から数分の所に豊国神社・方広寺がある。豊国神社は63歳で亡くなった豊臣秀吉を祀る神社で当初は阿弥陀ヶ峯にあったが、明治時代になってこの地に再建されたものである。

豊国神社と方広寺の境内

豊国神社の正面。


豊国神社の唐門は西本願寺・大徳寺の唐門と共に国宝唐門とされている。


神社の裏手にある方広寺。本堂は何の変哲もない。


ここの鐘楼は有名で刻まれている文字を見に来る人は多い。


方広寺は秀吉が東大寺を模して建立したもので、高さ18mの大仏があったそうだ。現在では大坂の陣のきっかけになった鐘楼が有名である。


遠くて読みにくいが鐘に刻まれた文字は「国家安康・君臣豊楽」とあり、秀吉の名前は続けて書き、自分の名前は分けたことに家康は怒り、やがて大坂の陣に繋がって行ったと伝えられている。

京都国立博物館と周辺の散策(2)

2016年11月30日 13時51分24秒 | Weblog
京都博物館から数分の所に豊国神社・方広寺がある。豊国神社は63歳で亡くなった豊臣秀吉を祀る神社で当初は阿弥陀ヶ峯にあったが、明治時代になってこの地に再建されたものである。

豊国神社と方広寺の境内











京都国立博物館と周辺の散策(1)

2016年11月28日 13時28分02秒 | Weblog
今月の初め、社寺歩きの友人Eさんからのお誘いで京都国立博物館で開催されている坂本龍馬展を見学に行った。坂本龍馬は歴史上の中で最も人気のある人物で展示場に入るまで、祭日とも重なり一時間強の行列であった。

京都国立博物館の景色

正門。


龍馬展が開催されている知新館。平成26年に完成したもの。


当然ながら展示物の撮影は禁止である。書簡・遺品が中心の展示であるが、自由な発想・先見性・行動力・交友の広さ・家族への愛などを体感できるものであった。それにしても若い女性のお客の多さにびっくり。


前庭に展示されていロダンの「考える人」像。「考える人」像はかなり数多く造られ、当館のもの早い時期の1880年のものだそうだ。


明治古都館。


博物館から約30分の場所にある坂本龍馬が暗殺された近江屋の跡碑

高野山の散策(11)

2016年11月26日 11時56分30秒 | Weblog
高野山の散策は初めてのことであり、広大な山内の様子もよく分からずおまけに祭日でもあって効率の悪いものになってしまった。山内からケーブル乗り場までもバス移動になるし、大坂へ向かう特急列車にも時間的制約があり早め早めの行動をせざるを得なかった。尻切れトンボになった散策ではあったが、ポイントの所は見学できて満足しながら帰途についた。次回訪ねることがあったらし残したことを遂げたいものだ。

高野山ケーブル

高野山駅と下の極楽橋駅を結ぶケーブルカー。


山の上に向かう程、斜度はきつく30度を超える急斜面で日本一の急勾配である。


大河ドラマ真田丸も終わりに近づいているが真田昌幸・幸村親子が家康より蟄居を命じられた九度山の村もこの近くである。


九度山で下車し、真田親子ゆかりの場所も散策できるのだが、とても時間的には無理があり、今回はそれも断念した。

*今回で「高野山の散策」を終了します。

高野山の散策(10)

2016年11月24日 04時51分05秒 | そぞろ歩き社寺

檀上伽藍の北側には徳川家霊台があり、初代将軍・家康と二代将軍・秀忠の霊が祀られている。1643年三代将軍・家光によって建立された江戸時代江戸時代前期を代表する建築である。

徳川家霊台

霊台への入り口。


家康公の霊屋。夫々三間四面宝形造で鋼瓦で葺き頂上に露盤を乗せている。家康公の霊台には鳥居が設けられている。


一辺の長さが6~7mの小さな堂ではあるが、彫刻・彩色・蒔絵・飾金具
など善美をつくしている。





秀忠公の霊屋。


霊屋の正面。煌びやかな扉から様子を伺える雰囲気である。