うぐいすの丘日記

趣味の家庭菜園や、草花、旅の様子をお伝えします。

京都国立博物館と周辺の散策(2)

2016年11月30日 13時51分24秒 | Weblog
京都博物館から数分の所に豊国神社・方広寺がある。豊国神社は63歳で亡くなった豊臣秀吉を祀る神社で当初は阿弥陀ヶ峯にあったが、明治時代になってこの地に再建されたものである。

豊国神社と方広寺の境内

豊国神社の正面。


豊国神社の唐門は西本願寺・大徳寺の唐門と共に国宝唐門とされている。


神社の裏手にある方広寺。本堂は何の変哲もない。


ここの鐘楼は有名で刻まれている文字を見に来る人は多い。


方広寺は秀吉が東大寺を模して建立したもので、高さ18mの大仏があったそうだ。現在では大坂の陣のきっかけになった鐘楼が有名である。


遠くて読みにくいが鐘に刻まれた文字は「国家安康・君臣豊楽」とあり、秀吉の名前は続けて書き、自分の名前は分けたことに家康は怒り、やがて大坂の陣に繋がって行ったと伝えられている。

京都国立博物館と周辺の散策(2)

2016年11月30日 13時51分24秒 | Weblog
京都博物館から数分の所に豊国神社・方広寺がある。豊国神社は63歳で亡くなった豊臣秀吉を祀る神社で当初は阿弥陀ヶ峯にあったが、明治時代になってこの地に再建されたものである。

豊国神社と方広寺の境内











京都国立博物館と周辺の散策(1)

2016年11月28日 13時28分02秒 | Weblog
今月の初め、社寺歩きの友人Eさんからのお誘いで京都国立博物館で開催されている坂本龍馬展を見学に行った。坂本龍馬は歴史上の中で最も人気のある人物で展示場に入るまで、祭日とも重なり一時間強の行列であった。

京都国立博物館の景色

正門。


龍馬展が開催されている知新館。平成26年に完成したもの。


当然ながら展示物の撮影は禁止である。書簡・遺品が中心の展示であるが、自由な発想・先見性・行動力・交友の広さ・家族への愛などを体感できるものであった。それにしても若い女性のお客の多さにびっくり。


前庭に展示されていロダンの「考える人」像。「考える人」像はかなり数多く造られ、当館のもの早い時期の1880年のものだそうだ。


明治古都館。


博物館から約30分の場所にある坂本龍馬が暗殺された近江屋の跡碑

高野山の散策(11)

2016年11月26日 11時56分30秒 | Weblog
高野山の散策は初めてのことであり、広大な山内の様子もよく分からずおまけに祭日でもあって効率の悪いものになってしまった。山内からケーブル乗り場までもバス移動になるし、大坂へ向かう特急列車にも時間的制約があり早め早めの行動をせざるを得なかった。尻切れトンボになった散策ではあったが、ポイントの所は見学できて満足しながら帰途についた。次回訪ねることがあったらし残したことを遂げたいものだ。

高野山ケーブル

高野山駅と下の極楽橋駅を結ぶケーブルカー。


山の上に向かう程、斜度はきつく30度を超える急斜面で日本一の急勾配である。


大河ドラマ真田丸も終わりに近づいているが真田昌幸・幸村親子が家康より蟄居を命じられた九度山の村もこの近くである。


九度山で下車し、真田親子ゆかりの場所も散策できるのだが、とても時間的には無理があり、今回はそれも断念した。

*今回で「高野山の散策」を終了します。

高野山の散策(10)

2016年11月24日 04時51分05秒 | そぞろ歩き社寺

檀上伽藍の北側には徳川家霊台があり、初代将軍・家康と二代将軍・秀忠の霊が祀られている。1643年三代将軍・家光によって建立された江戸時代江戸時代前期を代表する建築である。

徳川家霊台

霊台への入り口。


家康公の霊屋。夫々三間四面宝形造で鋼瓦で葺き頂上に露盤を乗せている。家康公の霊台には鳥居が設けられている。


一辺の長さが6~7mの小さな堂ではあるが、彫刻・彩色・蒔絵・飾金具
など善美をつくしている。





秀忠公の霊屋。


霊屋の正面。煌びやかな扉から様子を伺える雰囲気である。


高野山の散策(9)

2016年11月22日 10時49分19秒 | そぞろ歩き社寺

高野山真言宗の総本山。豊臣秀吉が亡き母公の菩提を弔う為に建立された金剛峯寺に足を延ばした。当初、大伝法院として建立されたのは1131年のことであるが、金剛峯寺として改号されたのは明治になってからのことだそうだ。石庭や襖絵も見どころである。

金剛峯寺の境内

参道の正面より。


山門。


山門の内側。金剛峯寺の中で一番古く、この門を正面から出入り出来るのは天皇や皇族に限られていた。


大玄関。高野山の本堂は檀上伽藍の金堂を云い、この境内にある本堂のような建物は大玄関と呼ぶらしい。信者からみれば無知そのものの爺さんである。


小玄関。


鐘楼。


高野山の散策(8)

2016年11月18日 10時26分14秒 | そぞろ歩き社寺

檀上伽藍の門は中門と呼ばれている。焼失と再建を繰り返しながら、5間二階の楼門となった。江戸時代に三回焼失したが、その後再建されず高野山開創1200年記念大法会の特別事業として平成27年172年ぶりに再建されたものである。

中門と天像

中門。


多聞天像。


持国転造。


増長天像。


広目天像。


高野山の散策(7)

2016年11月15日 15時14分03秒 | Weblog
金堂などがある一帯を檀上伽藍と云うが、あまり聞いたことがない表現である。伽藍とは僧侶が修行する場所と云う意味だが、つまり、檀上にある伽藍のことの様で、地面から少し高い位置にある伽藍のことのようである。弘法大師空海が最初に伽藍建立の手を入れた地でもあるそうだ。

檀上伽藍の景色

御影堂。


御影堂と根本大塔。


不動堂。


愛染堂。


准すい堂。


大会堂。


三昧堂。

高野山の散策(6)

2016年11月13日 14時29分09秒 | そぞろ歩き社寺

檀上伽藍・金堂の隣には高野山のシンボルである根本大塔がある。山内の建造物としては最大級の高さで16丈(48.5m)あり、完成するまでに40年の歳月が掛かったそうである。落雷などの火災で5回の焼失に遭い、現在のものは昭和12年に再興されたものである。

根本大塔の風景

根本大塔の全景。




朱塗りが青空に映えて美しい。




高野四郎と呼ばれている名鐘。天文16年に再興されたもの。


高野山の散策(5)

2016年11月09日 15時22分30秒 | そぞろ歩き社寺

奥之院前からバスに乗り、大上伽藍・金剛峰寺などがある、高野山の中心部に戻り散策を続けた。高野山は、1200年前の平安時代に弘法大師・空海によって開かれた真言密教の根本道場である。現在では熊野古道と共に世界文化遺産として登録され国内外から訪れる人も多い。

大上伽藍・金堂の光景

金堂。一山の総本堂で薬師如来像が祀られている。




金堂の側面。


本堂の前で修行僧の一団にであった。


寺巡りの友人Eさんによれば、四国八十八ヶ所巡りを成就した際には、大願成就のお礼参りとして高野山に詣でるのだそうだ。


高野山の散策(4)

2016年11月07日 16時48分12秒 | Weblog
奥之院の山内にある大名の墓標を探しながら歩いてはみたものの、その広い地にある目標の墓標にはなかなか行き当たらない。主目的の檀上伽藍に向かうバスの時間も迫り、事前の調べ不足を痛感しながら墓標の散策を終えた。武田信玄や伊達正宗、浅井長政などの武将の墓標に面談できなかったのは失敗。

山内の墓標と句碑

松尾芭蕉の句碑「父母の しきりに恋し 雉子の声」


浅野内匠頭墓所。


法然上人墓所。


親鸞聖人墓所案内碑。墓所自体はこの上の方にあるようだ。


墓標普賢院。


肥前島原松平家墓所。


結城秀康(徳川家康の次男)石廟。

高野山の散策(3)

2016年11月05日 11時36分34秒 | Weblog
高野山の参道には約20万基の墓や供養塔があるようで、参道の木立の中の群は壮観ですらある。戦国大名の6割以上の墓があるそうだが、きちんと下調べもしないまま歩いていたので所在を確認出来ないものも多々あり時間をロスしたのはもったいないことであった。豊臣秀吉、織田信長、徳川家康、石田三成、明智光秀、伊達正宗、武田信玄、柴田勝頼、前田家、島津家など歴代の僧正方々の努力によるものであろう。

天下人や大名の墓

豊臣家の墓所。


墓所の正面には秀吉公とその母公、弟の秀永と夫人など豊臣家一族の墓。


大量の大名の墓をどのように集中して建立したものか不思議な想いもする。


それほど離れていない所には信長公の墓所もある。


すぐ隣にある筒井順慶の墓石。不思議な組み合わせである。

高野山の散策(2)

2016年11月03日 03時54分36秒 | Weblog
高野山の山内は海抜約千メートルの高地にあり、紙上の紅葉報道でも「始まり」と書かれている。参道は針葉樹の大木が多く緑が鬱蒼としているが、それでも一部には紅葉を見ることが出来た。20万基と云われる墓や供養塔と針葉樹の緑とちらちら見受けられる紅葉と黄葉のコントラストが美しい。

御廟付近の紅葉

奥之院付近の参道は杉などの大木で囲まれ、紅葉の風景はあまり無いが護摩堂から少し南側は下界よりは半月は早い見事な紅葉である。


この夫婦は参拝者で我々夫婦ではありません。

御廟近くの御供所。


護摩堂。


奥之院は檀上伽藍と並ぶ高野山の2大聖地であり、多くの人が訪れている。

高野山の散策(1)

2016年11月01日 12時09分16秒 | そぞろ歩き社寺

この春、肺炎を患い入院と治療に専念していましたが、やっと治療から解放される日が近づいてきました。人生、喜寿を目前にしてこの様なことになるとは思いもせず、この半年間はわが人生で初めての難行でした。体力の回復と共に気力も戻り始め宙ぶらりんになっていたブログの投稿も再開したいと思い取組始めたのですが、何せ半年以上のブランクもあり四苦八苦の連続です。これも歳の所為か・・
高野山奥の院の景色

高野山へは電車やケーブルを乗り継いで3時間近く掛かり、ここを訪ねるのは30年振り位のことで細部の記憶はない。現在、大河ドラマ「真田丸」の舞台九度山も高野山の一部であるが、一日では回りきれないので先ず訪ねたのが奥之院である。


ケーブルの終点からバスに乗り、奥之院前で下車。バスの時間も限られており、効率を考えて一番奥まった奥の院からスタートした。ここが参道入り口になる。


高野山は海抜約千メートルの地にあり、下界より5~6度気温も低い。この日は晴天で13度程度であるが、それ程寒さは感じない。


奥乃院の参道周辺には戦国大名の6割以上の墓があるそうで、その様子を見るのも楽しみの一つである。ここは弘法大空海師 の御廟に繋がる御廟橋で、ここから奥は撮影も禁止である。


遠方に見える奥之院御廟。