京都御所と二条城辺りの散策も今日で最後。入院を挟んでポツポツと断片的に投稿してきたが、だらけた感が強くて気力の低下をひしひしと実感している。退院後一ヶ月の診断では胸水もかなり少なくなり、回復も順調とのこと。運動も体力と相談しながらやって良いとの言葉をもらい、その気が出てきた。
本丸御殿のお濠
本丸御殿の全景。
天主台跡の高台から見たお濠。
石垣と水と緑。二条城の濠は風情豊かである。
緑の園の桜も満開であった。月日の移り変わりは早い。
二条城の内部は、二の丸御殿の地区と本丸御殿の地区に分かれており、本丸御殿には本丸櫓門を渡って入る。本丸御殿は生活の空間であり、政治を司り、謁見をする二の丸御殿と比べると地味な空間である。
本丸御殿
二の丸御殿の西側の濠に架かる橋を渡り、櫓門を潜ると本丸御殿のエリアである。
内堀の光景。
内側から観た櫓門。
本丸御殿。ここは内部にも入れない。
本丸御殿のある高台にある天守台の跡。
二条城の一番の見どころは二の丸御殿。日本の歴史の舞台そのものである。桃山文化の贅をつくした建築と家康から慶喜に至る徳川の繁栄を欲しいままにした豪華絢爛の大広間や障壁画に目を見張る一方、幕府の終焉の場になった御殿。いまは歴史の舞台としての主役を演じている。目を見張るような内部であるが、撮影は一切不可で己の目に一生懸命焼きつけながら歩いた。
二条城
外部からの二の丸御殿。
二の丸御殿を囲むように造園された二の丸庭園。
作庭は二条城築城の際に造営されたもので、小堀遠州によって改修が行われている。
三つの島を置き四つの橋を架け滝を落し、変化に富んでいる。
現存する歴史的庭園の中でも最も優れた作品の一つである。
京都御所を出て地下鉄今出川から二駅目の烏丸御池で乗り換え、一駅目に二条城前駅がある。天皇の住いであった京都御所と大政奉還の場である二条城は大変近い。二条城が造られたのは慶長6年(1601)であり、徳川家康が造営して以来、大政奉還のなされた1867年までの約270年の間してきた訳である。
二条城
東南隅櫓。堀川通りの南東の角にあり、二条城の目印となっている。
国宝・唐門。京都三大唐門の一つ。
唐獅子や龍虎、蝶、花などの彩色された緻密な彫刻が施されている。
国宝・二の丸御殿。
大政奉還がなされた二の丸御殿の大広間はこの中にあり、見学も許されているが残念ながら撮影は禁止である。歴史の一ページを体感できて良かった。
現在の京都御所は光厳天皇が即位されて以後、明治天皇が東京に遷られるまで皇居とされた場所である。その間焼失と再建が繰り返されてきており、現在の建物はその殆どが安政2年(1855)に再建されたものである。歴史的建造物だけではなく、日本の歴史そのもののが開放され、史書で学んだ事象を自らの目で確認できた喜びを感じ取ることが出来たひとときであった。
御常御殿と御内庭
御常御殿。
天皇の日常の住いとして使われていた。
内部は15室からなる入母屋檜皮葺の書院造。壮麗な襖絵が目に入る。
御池庭。
御内庭。
この清所門から御所の外に出て京都御苑に戻る。
退院後2週間振りの外来診察を受診した。大分、胸水も減り肺の映像も以前よりはましにはなっているが、今後も結核胸水炎の治療薬を飲み続かなければならない。嘔吐、食欲不振、かゆみなど副作用が多くて辟易するが、これも致し方ないと諦め気味に服用し続けている。引き続いて京都御所の優雅な内部で気持ちを和らげたいと思う。
紫宸殿・清涼殿・小御所
紫宸殿。
清涼殿。平安時代、天皇が日常の生活の場として使用された御殿。
その様子が人形で現されている。
小御所。諸々の儀式が行われた場所。慶應3年王政復古が発せられた夜、「小御所会議」がここで行われた。