オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

ピラミッドの建設費はいくら?

2023年12月28日 | Weblog
答えはゼロ円である。

 当時は貨幣がないので、使ったお金はゼロ円である。ゼロ円でもピラミッドを建設することができたのである。なぜできたのかを考えると、当時の王様の権力によるものである。王様が建設しろと命じたからピラミッドはできたのである。そのためには、国中のたくさんの人達が献身的に労働力を提供して完成したのである。建築に携わった人達だけではなく、その周囲の人達も糧食や衣服や建築材料や道具や様々なものを提供することによって可能になったのである。

ピラミッドを現代の技術で建設すると1200億円くらいでできるらしい。

 しかし、当時はほとんどが人力であり、当時の方法で建設すると4兆円ほどの金が必要になるそうである。当時の王様は現代で言うと、4兆円のお金を個人で動かすほどの権力を持っていたことになる。これだけの偉業を成すことができる人物は確かに偉大な人物であり、ピラミッドが権力の大きさを示すものであることに納得ができる。だからこそ国民はその権力のもとにひれ伏して王様を尊敬して忠誠を誓ったのだろう。これほどのことができることこそがピラミッドが絶大な権力の象徴たる所以でもある。

お金そのものの正体は労働力である。

 貨幣のない時代は全ての価値を生み出すのは労働力のみである。原材料は大自然から採取するだけであり、これを掘り出して、加工して、運搬して、組み立てたのであり、これは人間の労働力で成し得たものである。現代でも複雑化はしているが、このことに変わりはない。お金は労働の対価として存在しているし、物を購入する時はその物にかかっている労働力に応じた金を支払っているのであり、サービスを受ける時も同じである。

ピラミッドの時代と現代と何が違うのだろう。

 我々は昔の生活とは比べ物にならないくらい文明的で豊かな生活を享受している。これは、人間が開発した技術による効率化によって可能になっているのである。昔4兆円かかっていた建築費用が現在では1200億円でできてしまうのである。34分の1のお金でピラミッドが建設できるのである。反対に言うと、効率化により昔よりも34倍の労働力資源を得ることができることになる。これにより豊かな生活が成り立っていると言えるのではないだろうか。

労働者を一人雇うとして、

 昔の人に比べて34倍の人を雇うことができる。34人の労働力を使うことができるのである。製造できるものは34倍である。これにより豊かな社会生活を送ることができている。そして、効率化はさらに進んでいる。例えば、現在のコンピューター1台は昔の労働力に換算できないし、換算しても完成するのは不可能であろう。我々はそのような世の中に存在している。大いに感謝すべきだと思うし、祖先の多大な功績を讃えて我々もさらに努力していかなければならない。

お金そのものが労働力であるとすると、

 我々がお金を使うことは、労働力を買っていることになる。我々は物を買っている感覚があるが、本当は労働力を買っているのである。物の価値とはこれにかかった労働力を金換算し足し合わせた最終的な価格である。考えてみると、もともとの原材料は大自然から得たタダのものである。人間の手間がどれほどかかっているかで価格が決まるのである。そして出来上がったものの価値を判断するのは買う人である。どんなに手間をかけた高価なものでも価値を見出さないものは買わないだけである。

お金を節約することは、労働力を節約することである。

 自分でやればタダで済む。家族にやってもらってもタダで済む。友人にやってもらってもタダで済むかもしれない。赤の他人にやってもらうにはお金を払わなければならない。個別に交渉すればお金を払わなくても済むかもしれないが、交渉を省こうとすれば手っ取り早くはお金を払えばいい。そういう意味でお金は便利である。そしてそのお金は次々と流通して伝達されてゆく。これがお金の機能ではないかと思う。みんなが献身的に他人のためにタダで働いてくれればお金は必要なくなる。

労働力が高くなるのはなぜだろう?

 みんなが率先して積極的に働くような環境であれば、安い賃金で労働力を得ることができる。働きたくない人を働かせるには高い賃金を出さないと働いてくれない。人件費が高い国の人達は働きたくない人達がたくさんいることになる。お金のためにいやいや働いている人にはたくさんのお金を与えないと働いてくれないし、能力と関係なく高い賃金の職場を目指すことになる。こんな人ばっかりになったら国は滅びてしまう。

無駄なお金は使わないようにしなければならない。

 お金は使っても効用のあるものに使わなければならない。その効用を判断するのは個人個人である。効用を認められないものにお金を使うのは無駄以外の何者でもない。個人個人が無駄をなくせば、世の中全体の無駄がなくなる。無駄がなくなった部分は労働力を減らすことができる。これによりみんなが無駄な労働をしなくて済むようになる。この無駄な部分はもっと有効なものに労働力を発揮すれば文明はもっと発展するだろう。

今の日本を見てみると、

 働きたくない人ばかりがいる気がする。そのために人件費だけが高騰している。そして、個人個人が無駄なことばかりに金を使っている。そのことにより労働力は無駄なことに使われ続けている。そして、政府は流通するお金の量を増やすことしかしない。ますます無駄が生じ、国民はより多くの労働を強いられ、新しいことへの挑戦をする気力も萎えている。働きたい人を育てるのも、個人個人の無駄な浪費を抑えるのも教育であり、国家予算の放漫経営を止めさせるのは国民である。今こそ国民の真意が問われている。

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