オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

保険について思う

2008年07月31日 | Weblog
私は昔から保険が大嫌いだった。  今現在も掛け捨ての生命保険しかかけていない。保険金額は、私が死んでも家族が次の生活を確保できるまでの期間の生活費を基準としている。私が死んだら家族は大金持ちになり遊んで暮らせるなんてとんでもないと思っている。子供が小さい内は養育費も学費もあり、残された家族が大変だろうと大きめの保険をかけていたが、子供も大きくなりそろそろ自立する時期になって身分相応に見直したば . . . 本文を読む
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バブル崩壊の責任者は誰だ

2008年07月28日 | Weblog
あちこちで銀行が不良債権を抱え経営が行き詰まっている話が取り沙汰された。  その時に決まって、経営が行き詰まった理由は「バブル崩壊」であるという。さも「バブル崩壊」が誰かが仕掛けた罠による人災か突然発生した自然災害であるかのような言い方であるが、よく考えると、バブルを創出したのはこれに貢献した程度の差こそあれ日本国民全体である。国も地方自治体も企業も国民も国全体がバブルに酔ったのである。そして . . . 本文を読む
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「脳死」を「人の死」とすることへの疑問

2008年07月25日 | Weblog
私の中では「脳死」は「人の死」ではないと思っている。 こんなことを言うとあちこちから叱責を受けそうだが、私に専門知識はなく、医学とか哲学とか宗教とか倫理とかの観点から言っているわけではない。「人の死」は死んだ人にしか解らないと言いたいだけである。生きている側の人が「人の死」の定義をいくらしてもそれは生きている人が考えた「人の死」でしかない。生きている人達のための「人の死」の定義である。本当に自分が . . . 本文を読む
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やりすぎの無駄

2008年07月23日 | Weblog
日本が突き進んできた、  「品質の向上」や「生産性の向上」に対する「改善」は時と場合によっては「やりすぎ」をもたらす。「品質」も「生産性」も限度がある。闇雲に突っ走っても本来の需要とかけ離れたものになってしまう。品質については、生活の場で使う物であれば、そこそこの性能を果たせばいいし、芸術品や工芸品のような一流の最高級品である必要はない。最高級を目指せばきりがないし、製品価格も天井知らずになる . . . 本文を読む
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偏差値に基づく成績管理は悪くない

2008年07月19日 | Weblog
「標準偏差」は悪くない。  標準偏差を悪者扱いにして、「偏差値教育は悪だ」という論議があったが、標準偏差の考え方は何も悪くない。自然界の現象を統計に取ってみるとみんな山型の標準分布曲線になる。この標準分布に基づいて出されたのが標準偏差である。山型の真ん中が平均的な集団で大部分を占める。そして裾野が高い方と低い方の個性的な集団で少数部分を占める。自然界の現象はすべてこうなるという事実に基づいて考 . . . 本文を読む
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猫騒動から国際紛争への突飛な発想

2008年07月15日 | Weblog
我が家には4匹の猫がいる。  仮に4匹を年齢順にA、B、C、Dとすると、Aは最年長の雌猫で昔は母親代わりに一番上に君臨していたが、2番目の雌猫Bが成長するにつれ、ボスの座を譲ることになる。3番目のCは雄猫であるが、この頃は2番目 . . . 本文を読む
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えこひいきの分析

2008年07月12日 | Weblog
A、B二人の人がいて、  同じ条件、同じ環境、同じ立場で同じ厄災にあって困っている場合、Aに対しては面倒を見てくれる人がいて周囲に呼びかけて援助を要請し手厚い援助を得られたが、Bには面倒を見てくれる人(発起人)がいなくて何も援助を受けられなかった場合、これを不平等と言えるだろうか?B . . . 本文を読む
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思いつくままに電車の中で

2008年07月09日 | Weblog
モバイルのノートブックを活用している。  パソコンとのつきあいは長い。もう25年以上になる。パソコンの走りのNECPC8800の時代を思い起こせば隔世の感がする。A5サイズで何でもできる。電子ブック閲覧については、 . . . 本文を読む
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運について考えてみる。

2008年07月05日 | Weblog
自分の今までの人生を振り返ってみると、運に振り回されたことが思い起こされる。  成功した人達の話を聞いていると、口をそろえて「運が良かった」と言うし、その時に素晴らしい恩人に巡り会えて、その人に感謝していると言う。そして、今でも大切なのは人間関係で、人間関係を良好にしておくこと、大切な親友をたくさん持つこと、反対に言うと敵を作らないことでもある。「運」とは、人知では計り知れない身の上の成り行き . . . 本文を読む
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出る杭は打ってはならない。

2008年07月02日 | Weblog
日本で言われる「出る杭は打たれる」ということわざは、  欧米では理解してもらえない。欧米では出る杭は尊重されこれを大切に育てるのが教育だと思っている。反対に「出ない杭は捨てられる」と言った方が理解されやすい。出る杭が目立ちすぎてじゃまになるのではなく、まわりの杭が出てこないのが悪いという論法である。まわりの杭も努力して出てくれば何も問題ないのである。欧米ではみんなと同じことをする「人真似」は罪 . . . 本文を読む
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