週末つれづれ草子:お釈迦様の掌

2003年4月以来週末(日曜日)に、身辺事象・時事などについての観察・感想・見解をつづっているエッセイ。

週末つれづれ草子(2008年5月18日)

2008-05-18 17:05:02 | 感想・見解
週末つれづれ草子(2008年5月18日)


1ヶ月ほど前のことです、竹炭小屋の近くに狸が出てきました。何人かが竹炭焼きの作業しているのに、一向構わずみなの周囲を徘徊していました。全くわれわれを恐れませんでした。なんとなれなれしいタヌキであることよ!それほどわれわれを信頼してくれているのか、と勝手に思い、カメラを向けました。それでも平気でした。

イチゴなど農作物が熟れ明日は採ろうとしたその翌朝採り出向くと、決まってタヌキに失敬されていたものです。テキも採り頃を計っていているのです。
憎き仇なれど、こう無警戒に周りを這われると、奇妙な感情が生じるものです。
ま、末長く無事に過ごすことを!


お釈迦様の掌
~1868年(慶応4年明治元年)その31~

以下メールをうけました。
<伊藤博文がサンフランシスコで行った演説で「ヨーロッパでは封建制を打ち壊すのに長期間の戦争を必要としたが、わが国では弾丸を放たず血も流さずに成し遂げた」というのは明治政府設立の前後に行われた親幕派と討幕派との戦い鳥羽伏見の戦い、会津戦争、五稜郭戦争、西南の役などで多くの血が流れたこととどう結びつけて考えたらいいのでしょう。
日本の封建制度崩壊はヨーロッパのそれに比べると確かに短い期間で成し遂げられたと思いますがそれにいたるまでは小規模内戦の連続であったような気がします。伊藤博文の演説は「勝てば官軍」のいいサンプルなのでしょうか?>

ご指摘のとおり、明治維新にかけ徳川幕府側と討幕派との間で戦いが行われました。そして、徳川幕府側の敗北に終わりましたね。
討幕派が明治の新政府を樹立しました。
このときは、封建制は維持されていたのです。
徳川氏の幕府は倒れたが、封建諸侯は健在だったのです。徳川幕府も封建諸侯のひとつであったわけです。ただ、他の封建諸侯の恭順を得て、天皇から征夷大将軍の称号を得た強大な諸侯だったわけです。
すなわち、薩長土肥などの討幕派諸侯が徳川氏と会津藩など徳川派の諸侯をやぶったわけで、封建制内の諸侯間の戦いだったわけです。
そして、反徳川派の明治政府が樹立された後、版籍奉還(封建諸侯が支配人民と土地を新政府に差し出した)と廃藩置県(諸侯が封建制のもとである支配する土地(藩籍)を消滅させ、新たに政府の支配する県にした)によって、封建制が消滅したのです。すなわち封建制は一滴の血も流すことなく消滅したのです。当時の在日欧米人が「無血で封建制を打破した」と驚異のリポートを送った所以です。そして、サンフランシスコでの伊藤博文の件の演説となったわけです。

週末つれづれ草子(2008年5月18日) おわり。


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