週末つれづれ草子:お釈迦様の掌

2003年4月以来週末(日曜日)に、身辺事象・時事などについての観察・感想・見解をつづっているエッセイ。

週末つれづれ草子(2009年9月27日)

2009-09-27 17:34:55 | 感想・見解
週末つれづれ草子(2009年9月27日)


先週は敬老会の準備で綴れませんでした。
21日敬老の日、開催。
懸念した新型インフルエンザの影響は受けませんでした。

我が地区も高齢地域です。
80歳以上が290名で1割ほどです。
65歳以上なら3割前後でしょう。
ここ数年祝賀者対象者の名簿を作っていて気が付いたことがあります。
        80歳  85歳  90歳  95歳  100歳 
2006年   33名  17名  13名   2名    3名
2007年    34   20   15    2     2
2008年    30   20   12    8     4
2009年    32   24   13    5     4

80歳から90歳まではなだらかに減少しています。
90歳から95歳の間に激減しています。
95歳まで生きるということは大変なことなのですね。
95歳まで生きると100歳までも生を伸ばすようです。


お釈迦様の掌

前回の訂正をしておきます。
お徳→お得
前々回にも確か2箇所おかしなところがありました。
変換にミスが頻発しだしました。
齢を重ねたからでしょうか。

鳩山内閣が離陸しました。
そして鳩山首相の外交デビュー。
新大臣のそれぞれの存在感。
政治が変ったなー、と感じます。
どこまでやりぬけるか。

なによりも組閣後の新大臣の会見には驚きでした。
今までは全閣僚の会見を聞いたことはありませんでした。
聞くのに忍耐が着いていきませんでした。
今回は夜通し全閣僚の会見を聞きました。
いや聞かされました。
それほど新鮮だったのです。
それぞれの言葉は、生きていました。
自分の言葉で語った証拠でしょう。
キーワードは、「政治主導」「マニフェスト」「国民」・・・。
各大臣の明確さ・潔さ。
<沖縄返還密約調査><郵政社長交代>などなど。

こんな中で法務大臣の歯切れの悪さがひときわ耳に残りました。
「死刑命令書に判を押すか」の記者の質問に対してです。
「むにゃむにゃ・・」
押すのか押さないのか意味不明。
やっぱり。
新法相は死刑廃止論者。

週末つれづれ草子(2007年1月14日)
お釈迦様の掌
~因果・予定・天命 その6~
で次のことを言いました。

ご隠居、いい元日でしたか?
これは、はっつぁン、変わりのないいい元日だったよ。
それはよござんした。
早速ですが、去年の続きをお願いします。気になってしょうがないのですよ。
昨年末に死刑執行の報道があったのをしっているかい?
それが民主主義とか法治主義とか資本主義とかに関係あるのですか?
ある、と思うのだが・・・

2006年12月25日、4人の死刑が執行された、とのこと。
1年3ヶ月振り。
杉浦正健前法相が在任中は死刑執行命令書に署名しなかったわけです。
杉浦前法相は就任直後死刑批判の発言をし、その後これを打ち消しましたね。
でも、任期中に死刑命令書には署名せず、
表明した信念を行動で示したのです。

昨年の死刑確定は21人。
死刑執行は毎年数人。
死刑囚は増えるばかりです。
昨年末94人とか。

<刑事訴訟法>
第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

これって、日本の法律なのです。
法務大臣は法律の番人の長ですよね。
ところが、上の数字は、示していますよね。
法律の番人の長が法律を破っているということを。

ということだよ、はっつぁン。
ご隠居、日本は、本当に<法治国家>なのですか?
みんなそう思っているからそうなのだろう。
政府の大臣が法律を破っていて、法治国家を標榜している国。
これが、美しい国・・・日本の一面なのだな。
思想信念は拘束されない。しかし、思想信念に合わないからといって
法律を破っては法治国家ひいては民主国家は成り立たないだろう。
法相は法律に従って命令書に署名すべきで、
それが信条にあわないのなら法務大臣を引き受けるべきではなかった、
と思うよ。
法律軽視、国民愚弄といわざるをえないだろうな。
これになんとも言わない総理大臣をはじめとした閣僚、それにメディア。
どうなっているのだろう。
安部首相がヨーロッパ諸国を訪問して例の枕詞「価値や主義を共有する・・・・」を連発していたね。日本は法治でも民主でもないのに。
この次にその辺の話をおねがいしますよ。
「週末つれづれ草子(2007年1月14日)」 おわり。

新法相が死刑廃止の信念をお持ちなのは自由です。
でも、誰よりも法遵守が大臣には課せられましょう。
さもないと社会の秩序を保つ根幹である法治主義が成り立たないでしょう。
大臣が法を守らないでは世の中を無法社会にするということになるでしょう。
民主主義の土台を崩すことになります。
もし、新法相が死刑執行命令を発せず法令に背いたら、
鳩山首相はどう対応するのでしょうか。

誰でも死刑執行命令を下したくはないでしょう。
そんな中、法に遵い粛々と死刑執行命令を下した(判を押した)
首相の弟の鳩山邦夫元法務大臣は立派でした。

先日「たけしのTVタックル」で口腔泡を飛ばさんばかりに、
このことを指摘した討論者がいました。
すると一人が、
自分のインテリさと度量の大きさを誇示するかのような言いっぷりで反論していました。
「そんなのはたいしたことではない」と。
あきれました。
法務大臣が法律に違反することがたいしたことではないとは・・・。
口腔泡を飛ばした発言者もこの反論に再反論しませんでした。
両者とも上掲の刑事訴訟法の条項を知らなかったのでしょう。
電波に乗せて全国に意見を発するのであるから、
もっと勉強してしっかりした意見・見解を発してね。

週末つれづれ草子(2009年9月27日) おわり。


<追補>
週末つれづれ草子(2005年3月20日)
天安門事件(8)

1989年7月はじめ。
北京に戻る。
街は平穏だ。
ただ、事件の名残がいくつかある。
道路の要所要所に兵士が直立不動で銃を掲げて立っている。
暑い中大変だな、と同情が走る。
その後注視していたが、どうも2時間ぐらいで交代していたようだ。
天安門前に近づくと、
車がバイブレーションを起こし、ブーンとくぐもり音を発する。
運転手に訊く。
「路面についたキャタビラーの跡のためだ」。
このバイブレーションはしばらくつづいた。
天安門広場には、写真を貼ったパネルが立てられている。
事件のとき学生に火をつけられ燃えている兵士の写真。
学生側の非道を喧伝する写真であるが、当局がよく撮影したものである。
燃えているのがはたして兵士か?
1990年1月11日。
北京に布かれた戒厳令解除。
当局発表。
「犠牲者:319人」
外国メディアは多数の犠牲者を報じたのであったが。

湾岸戦争のときもそうであったが、
天安門事件もTVメディアがリアルタイムで情況を全世界に伝えました。
世界の多くの人が、ブラウン管に映し出される学生・民衆・兵士・軍用車の入り乱れる情景にひきつけられたのでした。
欧米諸国は、一斉に中国を非難しました。
「人権」という御旗のもとでの制裁を課しました。
そのひとつ、中国への<武器禁輸>措置。
天安門を長期占拠し、国家行事の遂行を妨げた学生・民衆の民主化要求運動は、党・政府にとっては<反党・反国家活動>なのです。
中国共産党にとっては、体制(=中国共産党の一党独裁)維持が至上命題です。
中国共産党・政府にとって、
<反党・反国家活動>を鎮圧粉砕することは、
至上命題を遂行したに過ぎないということになるのでしょう。
今回の行為に対するいかなる各国の非難・制裁措置も覚悟の上、
今風に言えば、<想定の範囲内>ということなのでしょう。

党は事件を総括しました。
1989年6月23~24日、<第13期中国共産党全体会議>開催。
民主化要求運動を、「反革命暴乱」と規定。
運動に理解を示した趙紫陽総書記を解任しました。
江沢民総書記の誕生でした。
11月。
小平氏、党中央軍事委主席を辞任。
江沢民総書記がこれを継ぎました。
胡耀邦-趙紫陽と途中下車した末に、
小平氏がたどり着いた後継者の終着駅でした。

報道管制を布いたとはいえ、天安門事件はつとに中国巷間に流布しました。
新指導者:江沢民総書記のもと、党と政府は人心の掌握に腐心しました。
キーワードは<経済発展>と(愛党心・愛国心)。

つづく。

週末つれづれ草子(2009年9月13日)

2009-09-13 18:07:28 | 感想・見解
週末つれづれ草子(2009年9月13日)


敬老会を中止するところが増えています。
そうさせているのが新型インフルエンザです。
わが地区では今のところ挙行する予定です。
ウイルスは隣の町まで押し寄せている、と言うことです。
開催まであと1週間。
開催できるでしょうか?
ウイルスはどこまで迫るのでしょうか?
9月末には小学校の運動会も行われます。
中止ということにならないことを祈るだけです。


お釈迦様の掌

前回こう言いました。
有り余る預貯金や保険年金などの金融資産の運用先として国債が欠かせない。
国債でこれらの資金を吸収しないと預けた国民も預かった金融機関も困るから。
借金には金利を払う必要がある。
国債も借金だから金利を払う必要がある。
したがい、多額の国債を引き受ける前提条件として、
金利を低くすることは欠かせない。
さもないと、
国家予算は金利支払いが大きな部分を占めることになり国が動けなくなってしまう。
そこで、国債によって巨額の金融資金を吸収するのに当たっては、
低金利という前提条件が欠かせなかった。

このような事態に陥ったのは、国民に預貯金志向が強いからです。
これの打開策が考えられました。
思い当たりましょう。
1)金融機関倒産時の預貯金への補償額上限1000万円の設定。
2)株投資や個人国債などへの預貯金から直接投資へのシフト促進。

1)は、金融倒産が進んだ中でとられた措置ですが、
裏には多額の預貯金から金融機関を救済することもあった、と見ます。
「1000万円を超える分は補償がでません。
超過分は<利息なし>でも補償のある当座預金に移されたらいいですよ」
金融機関としては、1000万円超過分を<無利息>の口座に移せば、
この分は利息を払わないで済むのだから無理して運用しないでもいいわけです。
2)の直接投資へのシフト促進策は、1)の動きに合わせて行われました。
個人の投資ブームを煽ったのです。
それに乗って少なからぬ人が株に手を出しましたね。
つれづれほうしの周辺でも大勢居ました。
妻も「友人がやりだしたのでやろうか」と言い出すほどでした。
証券会社の営業マンがいい話をしたようです。
「悪い話をしたのでは商売にならないからいい話しかしないよ。
損しても彼等は補償しないからね。しばらく様子を見てご覧」と言いました。
しばらくして、「よかった。友人は大損した」ということでした。
研究して購入銘柄を自分で決めて買った人でも、
結局は損をした人が多かったのではないでしょうか。
大金をもって操作するプロに太刀打ちするには、
並大抵のことではかなわないでしょう。
政府はこの時期に多彩な個人国債を発行し、
個人国債購入キャンペーンを張りました。
金融機関の店舗に個人国債のポスターが貼られているのを見たものです。
金融機関は盛んに預貯金者に国債購入を促していました。
同じ頃、金融店舗内にもうひとつのポスターが貼られていたのを見たものです。
外国債への投資を勧めるポスターで、高金利を謳って誘っていました。
こんなことがありました。
銀行員が訪ねてきました。
「外国債購入をお勧めに来ました」と言う。
「超低金利の預金を金利の多い外国債の購入にまわされた方がお徳ですよ」
外国債購入がいかに徳かという説明をしてくれました。
「購入手数料と兌換手数料はいくら?」
「○パーセント」
「往復(購入時と利息受け取りや売却時のドル・円兌換)で
その兌換手数料が取られますよね」
「・・・・・」
「外国債の金利が高いと言っても、
売買手数料と兌換手数料に取られてしまうことになるね」
「・・・・」
「要は銀行さんのために外国債を購入するようなものですね。
投資家の損得は関知しない。
銀行には確実に手数料が入ればいい、ということですね」

個人の預貯金を少なくしようと、このような諸策が展開されたのです。
でも、このような諸策をもってしても家計の貯蓄志向は換えられませんでした。
一時は策になびいたのですが、すぐに元に戻りました。
そして、1400兆円の家計資産の半分を占める預貯金は健在なのです。

次の首相:鳩山民主党代表は、「国債は増やさない」と言いました。
減らすとは言いませんでした。
減らすにはどうすればいいのでしょうか?

週末つれづれ草子(2009年9月13日) おわり。


<追補>
週末つれづれ草子(2005年3月13日)
天安門事件(7)

前回指摘したいくつかのなぞについて語ります。
これらのなぞについて考えをめぐらしいるうちに、
中国指導部の意図が浮かび上がってきました。
「一気に壊滅する」
これを実現するために、綿密に計画を練り、実行に移したのです。

「一気に壊滅する」には。
・ 兵士の広場集結と広場(の学生民衆)包囲を外部とくに広場の学生民衆に気づかれずに行うこと。
・ 一般市民がかかわりをもたないようにすること。

<そのための計画と行動>
1:広場に集まった学生民衆の中に少しずつ混じりこませていく。
2:広場の両脇にある人民大会堂と歴史博物館に毎日少人数ずつ平服で忍び込ませ、待機させる。装備なども毎日少しずつ運び込む。
(人民大会堂=総面積は17.18万㎡で内部には1万人を収容し、全国人民代表大会が行われる「万人大礼堂」を始め、広さ3,600㎡の「中央大庁」、北側に位置する「大宴会庁」等の大会議場や、「人大常務委員会弁公楼」等があり、その他、全国の各省・市・自治区の名を冠し、各地の地方色を豊かに取り入れ華やかに装飾された色とりどりの小会議室もある。)
3:包囲は暗闇のなかでおこなう。
4:一般市民の外出が少ない日時に実行する。

<Xデーの与件>
1:土曜日から日曜日にかけて。
2:兵士集結が十分な人数に達するまでの期間をとる。
3:真っ暗闇=月明かりのない夜=新月の夜。

かくてXデーが決まったのでしょう。
6月3日(土曜日)から6月4日(日曜日)。

<Xデーの行動>
6月3日(土曜日)。
<陽動作戦行動=学生が感づき広場から逃げだすことにならいようにする>
「軍の市街侵入の動きを一般民衆が阻止した」ことを演出して、
広場の学生民衆には行動を開始した軍は一般市民に押し返されたと思わせた。
広場の学生民衆に気づかせないようにするため、情報操作(変化なしの噂流布)を行った。
<広場包囲と掃討>
広場の照明を全開にした(効果的な闇を作り出すため)。
全照明を一斉に消灯した=漆黒の闇にする(新月の夜で月明かりもなし)。
包囲網を張った(兵士は待機していた建物から出て、広場を包囲する。真っ暗闇で広場の学生民衆には覚られなかった)。
全照明を一斉に点灯した(兵士に包囲されていることに気づき、学生民衆はパニックに)。
掃討を開始した。

かくして、作戦通り短期間での掃討を果たした。

敵の目の前にある人民大会堂への兵力の蓄積。
Xデーの決め方。
陽動作戦など。
なにやらすごさを感じますね。

中国の言動には緻密に練られた意図があるのですね。
日本は、中国の言動をよく読んで付き合っていくことが肝要でしょう。
原潜の領海侵犯という行動の意味するものは?とか。
大マーケットに目がくらみ、中国へ中国へと草木も靡いていますが、
体制の違う国であることをリスクに織り込んだ上で展開しているのでしょうね。
「社会主義・市場経済」
つづく。

週末つれづれ草子(2009年9月6日)

2009-09-06 21:22:03 | 感想・見解
週末つれづれ草子(2009年9月6日)


5000トン級の護衛艦に乗船しました。
鉄の塊。
でも浮かぶんですね。
館内は狭く鉄と機具の中にかろうじて空間がありました。
その狭い空間が人の行動に供されているのです。
海の自衛官はそういう閉ざされたなかで行動し生活しているのですね。
潜水艦ならもっと閉ざされた状態でしょう。
任務に出れば一ヶ月いや数ヶ月をこのような状態で過ごすのですね。
自衛艦派遣に賛成反対を抜きにして、
遠くの海域に給油や海賊対策に赴いた艦艇の自衛官たちの苦労がしのばれます。
艦艇勤務の自衛官に精神を病むものが出ると聞いたことがあったが、
さもありなむ、と合点した次第です。

 
お釈迦様の掌

前回、800兆円もの国債を懸念するのは、
1000兆円もの家計金融資産があるので杞憂だ、
といいました。
正確には、次のとおりです。

2008年12月末
国債           682兆円(内 普通国債545兆円)
借入金・政府短期証券など 165兆円
合計           847兆円

国債を800兆円とかいう人もおれば、600兆円とか言う人もいます。
上のどの部分を切り取ったかということでしょう。
国の借金が847兆円、ということです。

上の国債約680兆円の保有者(債権者)は大雑把に次のとおりです。
1)郵便貯金    149兆円(22パーセント)
2)民間金融機関   97兆円(14)
3)民間保険年金   92兆円(13)
4)公的年金     72兆円(11)
5)日銀       66兆円(10)
6)簡易保険     63兆円(9)
7)海外投資家    44兆円(6)
8)家計(個人)   36兆円(5)
9)投信       23兆円(3)
10)その他     38兆円(6)

日本の家計金融資産から運用されているのは上の
1)・2)・3)・4)・6)・8)・9)
となりましょう。

家計金融資産をざっくり見てみた上、
上の国債保有機関を当てはめて見ます。

   家計金融資産       国債保有機関
預金    750兆円  246兆円・・1)郵貯、2)民間金融機関
有価証券  200兆円   59兆円・・8)家計、9)投信
保険年金  400兆円  227兆円・・3)民間、4)公的、6)簡保
現金その他 100兆円
合計   1450兆円  532兆円
負債    400兆円
ネット  1050兆円

上のことから、
ざっくり家計金融資産の1400兆円の内500兆円が国債に回っている、
と言えるのではないでしょうか。
これは、ネット1000兆円の半分に当たります。
残りは、現金で保有されたり民間や海外への投融資で運用されたりしている、
ということになりましょう。

預金保険年金1100兆円も預かった金融機関は、
これを民間向けだけでは運用しきれないのですね。
金融機関にとっての正義の味方=国債。
国債こそが膨らんだ<預貯金保険年金=家計金融資産>の運用先として
必要とされたということでしょう。

国債は借金なので金利を払う必要があります。
高い金利で多額の借金を抱えるのでは利払いで参ってしまいます。
そこで、金利を低く抑えることが必要条件になったのです。
金融機関の有り余る資金に国債という運用先を提供する条件として
低金利は絶対欠かせなかったのです。
ゼロ金利とかいう低金利策がとられたのです。

低金利で国民に多大の損害を与えた、
という非難があったが的外れの気がします。
低金利にしたのは、
国民が余りにも多くのお金を溜め込んだ結果ではないのでしょうか。
やはりお金は使うことによって健全な役目を果すのですね。
<お足>です。
ウォーキング(使うことによって)で健康を保ちましょう。
お足を使わないと健康を害しますよ。

週末つれづれ草子(2009年9月6日) おわり。


<追補>
週末つれづれ草子(2005年3月6日)
天安門事件(6)

1989年6月4日(日曜日)。
早朝目覚めてからのことは、天安門事件(1)で語ったとおりです。
今回は、
6月3日から6月4日にかけ、眠っていたときに起こったことにつき語ります。
眠っていたときのことは、夢以外語れないことはじゅうじゅう承知です。
そのとき、現場にいた人たちの話をもとに再現してみるのです。

6月3日、日暮れときから、天安門およびその周辺は人がごったがえしてきた。
20時、北京市民に外出禁止令。
時間が経つにつれ騒然さが増していった。
いろいろな情報が飛び交っていった。
6月4日0時を前にして、
<天安門>の対面にある「前門」に沿った通りを、
1台の軍用車がかなりの速度で通過した。
それが合図かのように、広場を煌々と照らしていた灯りすべてが消えた。
一帯は漆黒の闇に包まれた。
その闇は10~20分続いた。
突然、照明が点灯した。
ざわめきというより悲鳴とも言える異様な声が学生・民衆から湧き起こった。
天安門を兵士が囲んでいたのだ。
これらの兵士は、10~20分間の闇に乗じて忽然と現れ広場を包囲したのだ。
兵士は、学生・民衆に襲い掛かった。
広場は阿鼻叫喚に包まれていった。
集まっていた学生・民衆はなすすべもなく、ただ逃げ惑うだけだった。
逃げる学生・民衆を追って、掃討は広場から周辺に広がっていった。

6月4日朝、
情況を把握するために、市内の四方八方の知人に電話を掛けたということは、
天安門事件(1)で言いました。
そのひとり、天安門のすぐそばに住んでいた中国の知己にかけたときの内容。
「怖い。人の行きかう足音が絶えない。あ、聞こえるでしょう。銃声。アパートの前を人が行き来している。タンクの走る音も聞こえる。とにかく怖い」
返す言葉もなく、電話を切ったものです。
かくして、党・政府はXデー:6月3日・6月4日を決行したのです。

なぞは多い。
・ 短い消灯・漆黒の闇の間に広場の学生・民衆を包囲した兵士は、いったいどこから現れたのであろうか?
・ 広場の電灯が全部消され後、はたして漆黒の闇となったのか?月明かりは?
・ 6月3日にあちこちで民衆に止められていた市街地に向かう軍の車が、どうしていつのまにか民衆と何の衝突もなく雲散霧消したのか?
・ なぜ、6月3日・4日をXデーと決めたのか。
・ などなど。

謎解きは、次回に。

つづく。

危機管理(その4)
・ ジャーナリストとのパイプを繋ぐこと。情勢判断の情報交換に不可欠。
・ 短波ラジオを必帯すること。現地の情報管制・操作への対応として不可欠。