週末つれづれ草子(2009年9月27日)
先週は敬老会の準備で綴れませんでした。
21日敬老の日、開催。
懸念した新型インフルエンザの影響は受けませんでした。
我が地区も高齢地域です。
80歳以上が290名で1割ほどです。
65歳以上なら3割前後でしょう。
ここ数年祝賀者対象者の名簿を作っていて気が付いたことがあります。
80歳 85歳 90歳 95歳 100歳
2006年 33名 17名 13名 2名 3名
2007年 34 20 15 2 2
2008年 30 20 12 8 4
2009年 32 24 13 5 4
80歳から90歳まではなだらかに減少しています。
90歳から95歳の間に激減しています。
95歳まで生きるということは大変なことなのですね。
95歳まで生きると100歳までも生を伸ばすようです。
お釈迦様の掌
前回の訂正をしておきます。
お徳→お得
前々回にも確か2箇所おかしなところがありました。
変換にミスが頻発しだしました。
齢を重ねたからでしょうか。
鳩山内閣が離陸しました。
そして鳩山首相の外交デビュー。
新大臣のそれぞれの存在感。
政治が変ったなー、と感じます。
どこまでやりぬけるか。
なによりも組閣後の新大臣の会見には驚きでした。
今までは全閣僚の会見を聞いたことはありませんでした。
聞くのに忍耐が着いていきませんでした。
今回は夜通し全閣僚の会見を聞きました。
いや聞かされました。
それほど新鮮だったのです。
それぞれの言葉は、生きていました。
自分の言葉で語った証拠でしょう。
キーワードは、「政治主導」「マニフェスト」「国民」・・・。
各大臣の明確さ・潔さ。
<沖縄返還密約調査><郵政社長交代>などなど。
こんな中で法務大臣の歯切れの悪さがひときわ耳に残りました。
「死刑命令書に判を押すか」の記者の質問に対してです。
「むにゃむにゃ・・」
押すのか押さないのか意味不明。
やっぱり。
新法相は死刑廃止論者。
週末つれづれ草子(2007年1月14日)
お釈迦様の掌
~因果・予定・天命 その6~
で次のことを言いました。
ご隠居、いい元日でしたか?
これは、はっつぁン、変わりのないいい元日だったよ。
それはよござんした。
早速ですが、去年の続きをお願いします。気になってしょうがないのですよ。
昨年末に死刑執行の報道があったのをしっているかい?
それが民主主義とか法治主義とか資本主義とかに関係あるのですか?
ある、と思うのだが・・・
2006年12月25日、4人の死刑が執行された、とのこと。
1年3ヶ月振り。
杉浦正健前法相が在任中は死刑執行命令書に署名しなかったわけです。
杉浦前法相は就任直後死刑批判の発言をし、その後これを打ち消しましたね。
でも、任期中に死刑命令書には署名せず、
表明した信念を行動で示したのです。
昨年の死刑確定は21人。
死刑執行は毎年数人。
死刑囚は増えるばかりです。
昨年末94人とか。
<刑事訴訟法>
第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
これって、日本の法律なのです。
法務大臣は法律の番人の長ですよね。
ところが、上の数字は、示していますよね。
法律の番人の長が法律を破っているということを。
ということだよ、はっつぁン。
ご隠居、日本は、本当に<法治国家>なのですか?
みんなそう思っているからそうなのだろう。
政府の大臣が法律を破っていて、法治国家を標榜している国。
これが、美しい国・・・日本の一面なのだな。
思想信念は拘束されない。しかし、思想信念に合わないからといって
法律を破っては法治国家ひいては民主国家は成り立たないだろう。
法相は法律に従って命令書に署名すべきで、
それが信条にあわないのなら法務大臣を引き受けるべきではなかった、
と思うよ。
法律軽視、国民愚弄といわざるをえないだろうな。
これになんとも言わない総理大臣をはじめとした閣僚、それにメディア。
どうなっているのだろう。
安部首相がヨーロッパ諸国を訪問して例の枕詞「価値や主義を共有する・・・・」を連発していたね。日本は法治でも民主でもないのに。
この次にその辺の話をおねがいしますよ。
「週末つれづれ草子(2007年1月14日)」 おわり。
新法相が死刑廃止の信念をお持ちなのは自由です。
でも、誰よりも法遵守が大臣には課せられましょう。
さもないと社会の秩序を保つ根幹である法治主義が成り立たないでしょう。
大臣が法を守らないでは世の中を無法社会にするということになるでしょう。
民主主義の土台を崩すことになります。
もし、新法相が死刑執行命令を発せず法令に背いたら、
鳩山首相はどう対応するのでしょうか。
誰でも死刑執行命令を下したくはないでしょう。
そんな中、法に遵い粛々と死刑執行命令を下した(判を押した)
首相の弟の鳩山邦夫元法務大臣は立派でした。
先日「たけしのTVタックル」で口腔泡を飛ばさんばかりに、
このことを指摘した討論者がいました。
すると一人が、
自分のインテリさと度量の大きさを誇示するかのような言いっぷりで反論していました。
「そんなのはたいしたことではない」と。
あきれました。
法務大臣が法律に違反することがたいしたことではないとは・・・。
口腔泡を飛ばした発言者もこの反論に再反論しませんでした。
両者とも上掲の刑事訴訟法の条項を知らなかったのでしょう。
電波に乗せて全国に意見を発するのであるから、
もっと勉強してしっかりした意見・見解を発してね。
週末つれづれ草子(2009年9月27日) おわり。
<追補>
週末つれづれ草子(2005年3月20日)
天安門事件(8)
1989年7月はじめ。
北京に戻る。
街は平穏だ。
ただ、事件の名残がいくつかある。
道路の要所要所に兵士が直立不動で銃を掲げて立っている。
暑い中大変だな、と同情が走る。
その後注視していたが、どうも2時間ぐらいで交代していたようだ。
天安門前に近づくと、
車がバイブレーションを起こし、ブーンとくぐもり音を発する。
運転手に訊く。
「路面についたキャタビラーの跡のためだ」。
このバイブレーションはしばらくつづいた。
天安門広場には、写真を貼ったパネルが立てられている。
事件のとき学生に火をつけられ燃えている兵士の写真。
学生側の非道を喧伝する写真であるが、当局がよく撮影したものである。
燃えているのがはたして兵士か?
1990年1月11日。
北京に布かれた戒厳令解除。
当局発表。
「犠牲者:319人」
外国メディアは多数の犠牲者を報じたのであったが。
湾岸戦争のときもそうであったが、
天安門事件もTVメディアがリアルタイムで情況を全世界に伝えました。
世界の多くの人が、ブラウン管に映し出される学生・民衆・兵士・軍用車の入り乱れる情景にひきつけられたのでした。
欧米諸国は、一斉に中国を非難しました。
「人権」という御旗のもとでの制裁を課しました。
そのひとつ、中国への<武器禁輸>措置。
天安門を長期占拠し、国家行事の遂行を妨げた学生・民衆の民主化要求運動は、党・政府にとっては<反党・反国家活動>なのです。
中国共産党にとっては、体制(=中国共産党の一党独裁)維持が至上命題です。
中国共産党・政府にとって、
<反党・反国家活動>を鎮圧粉砕することは、
至上命題を遂行したに過ぎないということになるのでしょう。
今回の行為に対するいかなる各国の非難・制裁措置も覚悟の上、
今風に言えば、<想定の範囲内>ということなのでしょう。
党は事件を総括しました。
1989年6月23~24日、<第13期中国共産党全体会議>開催。
民主化要求運動を、「反革命暴乱」と規定。
運動に理解を示した趙紫陽総書記を解任しました。
江沢民総書記の誕生でした。
11月。
小平氏、党中央軍事委主席を辞任。
江沢民総書記がこれを継ぎました。
胡耀邦-趙紫陽と途中下車した末に、
小平氏がたどり着いた後継者の終着駅でした。
報道管制を布いたとはいえ、天安門事件はつとに中国巷間に流布しました。
新指導者:江沢民総書記のもと、党と政府は人心の掌握に腐心しました。
キーワードは<経済発展>と(愛党心・愛国心)。
つづく。
先週は敬老会の準備で綴れませんでした。
21日敬老の日、開催。
懸念した新型インフルエンザの影響は受けませんでした。
我が地区も高齢地域です。
80歳以上が290名で1割ほどです。
65歳以上なら3割前後でしょう。
ここ数年祝賀者対象者の名簿を作っていて気が付いたことがあります。
80歳 85歳 90歳 95歳 100歳
2006年 33名 17名 13名 2名 3名
2007年 34 20 15 2 2
2008年 30 20 12 8 4
2009年 32 24 13 5 4
80歳から90歳まではなだらかに減少しています。
90歳から95歳の間に激減しています。
95歳まで生きるということは大変なことなのですね。
95歳まで生きると100歳までも生を伸ばすようです。
お釈迦様の掌
前回の訂正をしておきます。
お徳→お得
前々回にも確か2箇所おかしなところがありました。
変換にミスが頻発しだしました。
齢を重ねたからでしょうか。
鳩山内閣が離陸しました。
そして鳩山首相の外交デビュー。
新大臣のそれぞれの存在感。
政治が変ったなー、と感じます。
どこまでやりぬけるか。
なによりも組閣後の新大臣の会見には驚きでした。
今までは全閣僚の会見を聞いたことはありませんでした。
聞くのに忍耐が着いていきませんでした。
今回は夜通し全閣僚の会見を聞きました。
いや聞かされました。
それほど新鮮だったのです。
それぞれの言葉は、生きていました。
自分の言葉で語った証拠でしょう。
キーワードは、「政治主導」「マニフェスト」「国民」・・・。
各大臣の明確さ・潔さ。
<沖縄返還密約調査><郵政社長交代>などなど。
こんな中で法務大臣の歯切れの悪さがひときわ耳に残りました。
「死刑命令書に判を押すか」の記者の質問に対してです。
「むにゃむにゃ・・」
押すのか押さないのか意味不明。
やっぱり。
新法相は死刑廃止論者。
週末つれづれ草子(2007年1月14日)
お釈迦様の掌
~因果・予定・天命 その6~
で次のことを言いました。
ご隠居、いい元日でしたか?
これは、はっつぁン、変わりのないいい元日だったよ。
それはよござんした。
早速ですが、去年の続きをお願いします。気になってしょうがないのですよ。
昨年末に死刑執行の報道があったのをしっているかい?
それが民主主義とか法治主義とか資本主義とかに関係あるのですか?
ある、と思うのだが・・・
2006年12月25日、4人の死刑が執行された、とのこと。
1年3ヶ月振り。
杉浦正健前法相が在任中は死刑執行命令書に署名しなかったわけです。
杉浦前法相は就任直後死刑批判の発言をし、その後これを打ち消しましたね。
でも、任期中に死刑命令書には署名せず、
表明した信念を行動で示したのです。
昨年の死刑確定は21人。
死刑執行は毎年数人。
死刑囚は増えるばかりです。
昨年末94人とか。
<刑事訴訟法>
第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
これって、日本の法律なのです。
法務大臣は法律の番人の長ですよね。
ところが、上の数字は、示していますよね。
法律の番人の長が法律を破っているということを。
ということだよ、はっつぁン。
ご隠居、日本は、本当に<法治国家>なのですか?
みんなそう思っているからそうなのだろう。
政府の大臣が法律を破っていて、法治国家を標榜している国。
これが、美しい国・・・日本の一面なのだな。
思想信念は拘束されない。しかし、思想信念に合わないからといって
法律を破っては法治国家ひいては民主国家は成り立たないだろう。
法相は法律に従って命令書に署名すべきで、
それが信条にあわないのなら法務大臣を引き受けるべきではなかった、
と思うよ。
法律軽視、国民愚弄といわざるをえないだろうな。
これになんとも言わない総理大臣をはじめとした閣僚、それにメディア。
どうなっているのだろう。
安部首相がヨーロッパ諸国を訪問して例の枕詞「価値や主義を共有する・・・・」を連発していたね。日本は法治でも民主でもないのに。
この次にその辺の話をおねがいしますよ。
「週末つれづれ草子(2007年1月14日)」 おわり。
新法相が死刑廃止の信念をお持ちなのは自由です。
でも、誰よりも法遵守が大臣には課せられましょう。
さもないと社会の秩序を保つ根幹である法治主義が成り立たないでしょう。
大臣が法を守らないでは世の中を無法社会にするということになるでしょう。
民主主義の土台を崩すことになります。
もし、新法相が死刑執行命令を発せず法令に背いたら、
鳩山首相はどう対応するのでしょうか。
誰でも死刑執行命令を下したくはないでしょう。
そんな中、法に遵い粛々と死刑執行命令を下した(判を押した)
首相の弟の鳩山邦夫元法務大臣は立派でした。
先日「たけしのTVタックル」で口腔泡を飛ばさんばかりに、
このことを指摘した討論者がいました。
すると一人が、
自分のインテリさと度量の大きさを誇示するかのような言いっぷりで反論していました。
「そんなのはたいしたことではない」と。
あきれました。
法務大臣が法律に違反することがたいしたことではないとは・・・。
口腔泡を飛ばした発言者もこの反論に再反論しませんでした。
両者とも上掲の刑事訴訟法の条項を知らなかったのでしょう。
電波に乗せて全国に意見を発するのであるから、
もっと勉強してしっかりした意見・見解を発してね。
週末つれづれ草子(2009年9月27日) おわり。
<追補>
週末つれづれ草子(2005年3月20日)
天安門事件(8)
1989年7月はじめ。
北京に戻る。
街は平穏だ。
ただ、事件の名残がいくつかある。
道路の要所要所に兵士が直立不動で銃を掲げて立っている。
暑い中大変だな、と同情が走る。
その後注視していたが、どうも2時間ぐらいで交代していたようだ。
天安門前に近づくと、
車がバイブレーションを起こし、ブーンとくぐもり音を発する。
運転手に訊く。
「路面についたキャタビラーの跡のためだ」。
このバイブレーションはしばらくつづいた。
天安門広場には、写真を貼ったパネルが立てられている。
事件のとき学生に火をつけられ燃えている兵士の写真。
学生側の非道を喧伝する写真であるが、当局がよく撮影したものである。
燃えているのがはたして兵士か?
1990年1月11日。
北京に布かれた戒厳令解除。
当局発表。
「犠牲者:319人」
外国メディアは多数の犠牲者を報じたのであったが。
湾岸戦争のときもそうであったが、
天安門事件もTVメディアがリアルタイムで情況を全世界に伝えました。
世界の多くの人が、ブラウン管に映し出される学生・民衆・兵士・軍用車の入り乱れる情景にひきつけられたのでした。
欧米諸国は、一斉に中国を非難しました。
「人権」という御旗のもとでの制裁を課しました。
そのひとつ、中国への<武器禁輸>措置。
天安門を長期占拠し、国家行事の遂行を妨げた学生・民衆の民主化要求運動は、党・政府にとっては<反党・反国家活動>なのです。
中国共産党にとっては、体制(=中国共産党の一党独裁)維持が至上命題です。
中国共産党・政府にとって、
<反党・反国家活動>を鎮圧粉砕することは、
至上命題を遂行したに過ぎないということになるのでしょう。
今回の行為に対するいかなる各国の非難・制裁措置も覚悟の上、
今風に言えば、<想定の範囲内>ということなのでしょう。
党は事件を総括しました。
1989年6月23~24日、<第13期中国共産党全体会議>開催。
民主化要求運動を、「反革命暴乱」と規定。
運動に理解を示した趙紫陽総書記を解任しました。
江沢民総書記の誕生でした。
11月。
小平氏、党中央軍事委主席を辞任。
江沢民総書記がこれを継ぎました。
胡耀邦-趙紫陽と途中下車した末に、
小平氏がたどり着いた後継者の終着駅でした。
報道管制を布いたとはいえ、天安門事件はつとに中国巷間に流布しました。
新指導者:江沢民総書記のもと、党と政府は人心の掌握に腐心しました。
キーワードは<経済発展>と(愛党心・愛国心)。
つづく。