週末つれづれ草子(2011年6月26日)
下のねこの<チャトラン>が早くも夏ばてです。
熱中症ですかね。
気温が上がった3日前から食べなくなりました。
何も食べていないので、透明な液だけをチョイチョイ吐くようになりました。
昨日の朝、水を飲んだのでやれやれ、と思ったのも束の間、
それを全部吐き出しました。
これはいかん、と思い病院に連れて行きました。
「いまから暑さ負けでは先が思いやられますなー」
ということで、回復まで入院させました。
昨年も1週間入院させたのです。
今日、見舞いに行くといくらか元気を取り戻していました。
上の猫の<ミー>こそ、この夏を越せようか、と心配していたのですが、
案に相違してこちらの方が頑張っています。
<ミー>は14年プラスアルファー歳。
<チャトラン>は12歳。
年下(といっても12歳)の<チャトラン>が夏に弱いのは、
立派な毛皮をまとっているからに違いありません。
やわらかくふさふさした毛です。
<ミー>のはこわめの毛で、<チャトラン>のようにふさふさしていません。
身にやわらかくふさふさした毛の衣装をまとった猫を飼っておられる方は、
注意してやってください。
お釈迦様の掌
平井憲夫さんの話。
原発とか放射線とかに直接関連した話には本当に考えさせられます。
それ以外のこともいろいろ考えさせられました。
その中で、大いに考えさせられ、肯いたことがあります。
平井さんの話<その1>で語られた作業の「マニュアル化」のことです。
20年ぐらい前からでしょうか、
多くの企業が、ものづくりはじめその他の作業に関して、
マニュアル・手順書を作成することに取り掛かりました。
マニュアルがあれば、
誰にでも作業ができるということからその導入を促進したのでしょう。
臨時の人、派遣の人でも作業ができる。
さらに、マニュアルどおりの作業により手違いのないアウトプットが得られる。
労賃を下げ、品質を確保することができる。
一石二鳥である、ということだったのでしょう。
つれづれほうしも、マニュアル・手順書づくりをした(させられた)ものです。
その延長線上に、いまあちこちの企業が高らかに謳っていることがあります。
<ISOxxxxxx>企業。
マニュアルを作り、それにしたがい作業を進めれば、手違いはなくせましょう。
それが品質を保つことになることには疑いがありません。
しかし、表面的な品質の確保ですね。
本当の品質の織込みは、マニュアルでは伝わりませんよね。
長年の作業で体得したことを通して本物の品質が埋め込まれるのです。
それは、目で見たり、音で聞いたり、触ってみたりといった
長年培われた感覚やコツがつくるのに間違いありません。
このことは、マニュアルでは伝えられないでしょう。
ベテランに習い実際に行いつつ、長年の積み重ねから体得できるものでしょう。
マニュアル化は奥深い品質の放棄に繋がったのです。
高く評価された日本製品や日本の仕事ぶりの品質は、
マニュアル化の導入によって各国並みに落としたのです。
ISOという規格並みに落としたのです。
これは、欧米の軍門に降ったことを意味します。
欧米はその雇用形態から、
手違いのない(品質の初歩の)ものづくりや作業をするためには、
マニュアル化が必要だったのです。
そんなマニュアル化を導入することが進歩的と思ったか、
わが国の多くの経営者がマニュアルづくりに走り、
挙句の果てにISOだと騒ぎだしました。
まんまと欧米の策に嵌ったのです。
わが国の奥深い品質を欧米並みの表面上の品質にまで落としたのです。
欧米企業は、日本の品質をわがレベルにまで落としたのですから
笑いが止まらないことでしょう。
かつて日本企業は品質の向上を図るのに熱心に<QC活動>を展開しました。
この<QC>は品質向上におおいに効果があったと評価します。
それを捨てて、うわべだけの品質を求めるISOに走ったことは、
残念でなりません。
以上は、
「マニュアル」作業が品質の劣悪な構築物や作業アウトプットを生んでいる、
という平井さんの話から、
はた、と思いあったことです。
週末つれづれ草子(2011年6月26日) おわり
下のねこの<チャトラン>が早くも夏ばてです。
熱中症ですかね。
気温が上がった3日前から食べなくなりました。
何も食べていないので、透明な液だけをチョイチョイ吐くようになりました。
昨日の朝、水を飲んだのでやれやれ、と思ったのも束の間、
それを全部吐き出しました。
これはいかん、と思い病院に連れて行きました。
「いまから暑さ負けでは先が思いやられますなー」
ということで、回復まで入院させました。
昨年も1週間入院させたのです。
今日、見舞いに行くといくらか元気を取り戻していました。
上の猫の<ミー>こそ、この夏を越せようか、と心配していたのですが、
案に相違してこちらの方が頑張っています。
<ミー>は14年プラスアルファー歳。
<チャトラン>は12歳。
年下(といっても12歳)の<チャトラン>が夏に弱いのは、
立派な毛皮をまとっているからに違いありません。
やわらかくふさふさした毛です。
<ミー>のはこわめの毛で、<チャトラン>のようにふさふさしていません。
身にやわらかくふさふさした毛の衣装をまとった猫を飼っておられる方は、
注意してやってください。
お釈迦様の掌
平井憲夫さんの話。
原発とか放射線とかに直接関連した話には本当に考えさせられます。
それ以外のこともいろいろ考えさせられました。
その中で、大いに考えさせられ、肯いたことがあります。
平井さんの話<その1>で語られた作業の「マニュアル化」のことです。
20年ぐらい前からでしょうか、
多くの企業が、ものづくりはじめその他の作業に関して、
マニュアル・手順書を作成することに取り掛かりました。
マニュアルがあれば、
誰にでも作業ができるということからその導入を促進したのでしょう。
臨時の人、派遣の人でも作業ができる。
さらに、マニュアルどおりの作業により手違いのないアウトプットが得られる。
労賃を下げ、品質を確保することができる。
一石二鳥である、ということだったのでしょう。
つれづれほうしも、マニュアル・手順書づくりをした(させられた)ものです。
その延長線上に、いまあちこちの企業が高らかに謳っていることがあります。
<ISOxxxxxx>企業。
マニュアルを作り、それにしたがい作業を進めれば、手違いはなくせましょう。
それが品質を保つことになることには疑いがありません。
しかし、表面的な品質の確保ですね。
本当の品質の織込みは、マニュアルでは伝わりませんよね。
長年の作業で体得したことを通して本物の品質が埋め込まれるのです。
それは、目で見たり、音で聞いたり、触ってみたりといった
長年培われた感覚やコツがつくるのに間違いありません。
このことは、マニュアルでは伝えられないでしょう。
ベテランに習い実際に行いつつ、長年の積み重ねから体得できるものでしょう。
マニュアル化は奥深い品質の放棄に繋がったのです。
高く評価された日本製品や日本の仕事ぶりの品質は、
マニュアル化の導入によって各国並みに落としたのです。
ISOという規格並みに落としたのです。
これは、欧米の軍門に降ったことを意味します。
欧米はその雇用形態から、
手違いのない(品質の初歩の)ものづくりや作業をするためには、
マニュアル化が必要だったのです。
そんなマニュアル化を導入することが進歩的と思ったか、
わが国の多くの経営者がマニュアルづくりに走り、
挙句の果てにISOだと騒ぎだしました。
まんまと欧米の策に嵌ったのです。
わが国の奥深い品質を欧米並みの表面上の品質にまで落としたのです。
欧米企業は、日本の品質をわがレベルにまで落としたのですから
笑いが止まらないことでしょう。
かつて日本企業は品質の向上を図るのに熱心に<QC活動>を展開しました。
この<QC>は品質向上におおいに効果があったと評価します。
それを捨てて、うわべだけの品質を求めるISOに走ったことは、
残念でなりません。
以上は、
「マニュアル」作業が品質の劣悪な構築物や作業アウトプットを生んでいる、
という平井さんの話から、
はた、と思いあったことです。
週末つれづれ草子(2011年6月26日) おわり