週末つれづれ草子:お釈迦様の掌

2003年4月以来週末(日曜日)に、身辺事象・時事などについての観察・感想・見解をつづっているエッセイ。

週末つれづれ草子(2003年11月30日)

2005-11-30 23:07:09 | 感想・見解
ある錦鯉愛好家からひょんな事を聞きました。
「コイヘルペス」
昨年日本に侵入したと。
また震源地は中国。
その後ヨーロッパを経由して東南アジアに拡散したので、
愛好家のあいだで警戒していたが、昨年ついに日本に上陸した。
このことは錦鯉愛好家間では周知の由。

またこの話の中で錦鯉の発生地が日本であることを知りました。
新潟で、あの田中角栄先生の出身地とのこと。
約200年前。
ちょっと赤みがかった鯉をみつけた村民が、
これを元に交配を重ねてつくりあげてきたとのこと。



お釈迦様の掌~第2部
いつかきたみち いずれいくみち(15)

農業が計画経済化を強めていくには背景があります。
まえにも言ったように、
高度経済成長期における価値観や生活様式などの激変が食を多様化し、
米離れを促しました。
米の需要が減ったのに反して、生産は品種改良・肥料や農薬の洪水・新田開発などで増えていきました。
出来た米は国が予定価格で買い上げねばならないという食糧管理法(食管)で、
米の買い上げ予算は増大の一路。
限界がきて、一転農家に減反を課しだしたというのがその背景でしょう。

最近まで干潟埋め立てでの新田作りが生きていた。
あっちこっちで反対がおき、あきらめたという奇妙なことが起きていますね。新田開発という目的は大儀名文であり、
本当の目的は金(予算)をその筋にばら撒くということであることをはっきり示しています。
だから減反をしている最近まで、一方で新田開発の埋め立てが進行していたという奇天烈なことがまかり通っていたのですね。
法衣のしたの鎧、
というより当初は純粋に新田開発のためであったのでしょうが、
開発に時間を要しているうちに、世の中は米あまりになりだしてしまった。
だが中止もままならぬ。
これに取り掛かっているものたちにとって、中止は死活にかかわらずとも、
一大事であることは間違いありません。ということで続けてきたのでしょう。それで、一方減反:他方新田開発の埋め立て、
という矛盾が行われていたのですね。

さて、国民の米離れは年々大きくなっていきました。
それに逆比例して輸入食料は増えてきました。
食料自給率は当然これに比例して下がってきました。
前に長く継続する国の条件は農業国=食糧自給率の高いことといいました。

食料自給率
       1970年   1999年   増減
ドイツ     68%     97%    +29%
フランス   104     136     +32
イギリス    46      71     +25
日本      60      40     -20

この数字をどう感じますか。
30年間でヨーロッパの先進各国が食料自給率をあげているのに、
日本のみ大幅マイナス。
国家国民の安定・安全における食料にたいする各国の評価の違いが、
この数字に表されています。
日本は今「国家保護法制」に浮かれていますが、
劣らず大切なのが食料問題です。
マスコミも派手な「国家保護法制」に跳びつき、
例の「食料・農業・農村政策推進本部」の3年7ヶ月ぶり開かれた、
第2回開催の取り上げを軽くしたのでしょう。
しかし、国家安全に対する本質的重要性は勝るとも劣らないのですがね。

どうしたらよいのでしょう。
これまで語ってきたことからやるべきことが浮かんできていると思います。

まずやることは、国民の啓蒙啓発です。
食を考えさせ、自給率の大切さを考えさせ、
少々価格が高くとも地産地消・国産国消をしよう、無駄をなくそう、
美食を控えようという、国の全機能を総動員してのキャンペーンです。
そういうマインド・社会通念の涵養・浸透をはかることでしょう。
米離れは学校給食にも一因があるとの意見があります。
そのとおりでしょう。
残飯の山。
都会にカラスを繁殖させ困り果て、
ホームレスを糖尿病や心臓血圧病に罹らせるという喜劇。
だが、最大の原因はマスメディアの、
ファストフード・パンや麺の賛美と思われる、
グルメ番組やコマーシャルの洪水によるのではないでしょうか。
これはまさしく米離れ「洗脳」です。
この逆を国をあげておこなうことが解決に繋がりましょう。
ただし、昔の米消費量まで戻らないのは確かでしょう。
飽食病防止の「米百表」ならぬ「腹八分」運動、「美食一回減」運動。
イギリスの食事が質素だと、蔑みのニュアンスを込めた感嘆をよく聞きます。そうではなく、
上のようなことが国民によく浸透しているということではないのでしょうか。
ドイツもしかりでは。
それが、これらの国が
しっかりと食料自給率をあげてこられた背景に違いないと思うのです。
日本のマスメディアにはもっと国益、国の百年先の繁栄を見据えた観点から、その公器としての役割と機能を発揮してもらいたいものです。
そうすればスポンサーの採用優先や制作番組の内容も、
おのずと決まってくるのではないでしょうか。
今のマスメディアは公器の立場を横において、
あまりに商業主義に走りすぎていませんか。
視聴率事件もその線上での出来事でしょう。
こんなことをいうと、
「言論・表現の自由」への冒涜だ、と大声で言われそうです。
しかし、何でもよいのが「言論・表現の自由」であるはずがありません。
当然マスメディアは報道や表現に対し規範をもうけていることでしょう。
しかし、国家百年の観点にたった規範はもうけられていないとしか思えません。
長期視野と公益の観点よりの、
国の百年先を見据えた報道や番組やコマーシャルの採用を期待したいものです。

「報道・表現の自由」から連想されるのは、
日本ほど自由権利を履き違えている国は珍しいのではないかということです。
それを当たり前にしているわれわれが相当ズレている、
ということになるのでしょうが。
公と個のアンバランス。
教育のありかたが問題でしょう。
義務・公共性の大切さを徹底的に教え込んだ後、
個の権利を教えるという順序をふんでいない。
日教組も権利のみを主張するデモをして、
個の権利主張を生徒に実演して教えてきたのですからあたりまえのことですね。
履き違いを直すには、
個の権利を教える前に義務や公共性の大切さを徹底的に教えることでしょう。
教育内容をこのように変えることが大切です。
また、この面においても国をあげてのキャンペーンが欠かせないでしょう。
生徒にいくら教えても、
おとながそうなっていないと元の木阿弥になりますからね。
おっと。
また「言論・表現の自由」を脅かすことを言うとの声を浴びせられそうですね。

脱線しましたが、要は消費者に対する国民啓蒙キャンペーンによる食に対する通念の改変が不可欠です。

そして、生産サイド。
前回語ったような集落法人化を進めていくことは効率化のため必要でしょう。
そして、需要にあわせた米と麦その他の穀物との、
バランスをとった生産活動の展開を図っていく。
ぜひ成功するようみんなが力を合わせていきたいものです。
前回で指摘したように、問題は後継者とオペレーターです。

農業
1:個人・家族事業。
2:自然相手。自然条件の制約・影響大。
3:生産には決められた一定の時期・期間が必要(例:米なら5ヶ月)。
4:飛躍的に伸ばせぬ生産性(土地の生産性の限界)。

自然任せで、土地の生産性に限界があり(1反の土地からせいぜい4石ぐらいの収穫。7石や8石にはできない)、その上減反を強制されているのであるから、若者が都市の産業化とともに農業を離れてきたのは当然のことです。
農業をやっていてはビル・ゲーツや孫正義になるチャンスはまずないのです。

農業は上述のように特異で飛躍的な発展は望めない地味な産業です。
したがい、若者壮年には魅力的ではないので、
若壮年の就業者はさほど期待できないでしょう。
でも望みはあるのです。
熟年(60~70歳?)に活躍してもらうのです。
退職後農村に居を構える人が結構います。
この人たちの多くは、高齢者の放棄田畑を借りて、農作を楽しんでいます。
今の農作業は機械化もあり、
退職後5~10年(60~70歳)はまだまだ余裕を持って農作業ができます。
退職後我が家周辺の団地や一戸建てに居を構えた人にも、
このような人が多くいます。
この人たちは研究熱心で、作付けその他いろいろ教えてもらうことがあります。
集落法人化してもオペレーター不足に悩む場合は、
このような熟年の人にオペレーターになってもらう手がありましょう。
また、このような人に放棄畑を活用してもらうのです。
後継者の悩みは、このような熟年を呼び込み、
参加してもらうことで解消できましょう。

つづく

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週末てれづれ草子(2005年11月27日)

2005-11-27 21:19:40 | 感想・見解
22日朝、小学校に30名ほどの熟年が集まり、全学児童に紹介されました。
学校・PTAなどが募った学校安全ガードボランティアに応じた人たちです。
こともあろうに、まさにその日に、
あの痛ましい事件がここからそう離れていないところで発生しました。
連日報道されている下校途中の小学1年生女児の殺害事件です。
この事件をうけ、ボランティアの人たちは、
きめ細かに活動することの必要性をひしひしと感じているようです。
今、各ブロックのリーダーが練っている行動計画は、まもなくできあがり、
ブロックごとのガード活動が開始されます。
幼いいのち・少子社会の貴いいのちをひとつでも守るために。
しかし、
こんなボランティアが必要とされるなんて、なんて世の中なのでしょうかねー。
世も末?


お釈迦様の掌

人口減=縮小社会と先週の「週末つれづれ草子」でいいました。
一方、
2003年の5月11日と6月22日の「週末つれづれ草子」でいいました。

日本の人口は6000~8000万人になる。
これを縮小社会と見ずに、安定社会と見るべきだ。

これまでの人口増拡大社会の視点から見れば、
縮小社会となるでしょう。
そうではなく、
安定社会になると見るべきなのです。
したがい、これまでの右肩上がりの拡大成長社会の視点や価値観はもはや捨て去るべきなのです。
経済が縮小する・労働力が縮小するといった議論は、
拡大成長路線の延長線上の見方・価値観から出ているといえますね。
2003年5月11日の「週末つれづれ草子」でいったように、
経済成長(GDP成長)が横ばいとなっても、
人口が減るのであるから一人当たりのGNPは増えるのですよね。
しかし、企業の論理はいうでしょう。

停滞縮小では、企業は生き残れない。
マーケットの縮小や労働力の不足は致命傷になる。

まともな経営者ならそんなことは言わないでしょう。
現に多くの企業がすでに対応していますよね。
開発や生産やマーケッティングの海外移転。
どしどし行っていますね。
まともな経営者の企業は、拡大成長するように、
マーケットのあるところへ、労働力のあるところへ進出していますよね。
わが国の人口減によるマーケットの縮小や労働力不足に、
このような企業は、はや対応しているか、対応しつつあるのです。
労働力の確保のための移民受け入れ論議は、
的外れの論議といえるのではないでしょうか。
わが国は人口が減っていくが、地球規模では人口は増加していくのです。
企業は人口が増加するところへでていけばいいわけです。
マーケットはあるし、豊富な労働力もあります。
その国の経済発展にも寄与します。

EUの先進国が人口減に見舞われたときに、
労働力不足を解消するために、
労働移民を受け入れました。
そして、昨今のフランスをはじめとする騒乱を招来しましたね。
宗教や文化的摩擦は絶対におこります。
異宗教や異文化異慣習の人の数が少なければ、
摩擦はマグマのままで噴火まではいかないが、
その数が臨界を越えれば、
摩擦が噴火するであろうことは、
誰もが想像できましょう。
古来、戦争の引き金には、
資源や領土の獲得だけではなく、
宗教文化の違いがなっていることも多いですよね。
EU先進国は、労働力不足を移民導入によって解消せずに、
積極的に人口増加を続ける途上国に、
生産やマーケティングの拠点を展開することによって、
解消すればよかったのですね。

わが国の企業は人口増加国・発展途上国に積極的に出て解消しているが、
中小企業のなかには人的資金的にもそれができず、
日系外国人や不法滞在外国人を雇ってしのいでいる企業が少なくないのも事実でしょう。
最近、不法滞在外国人による犯罪が増加していることから、
不法滞在外国人の取締りを強化しようとしています。
それはそれで良いでしょう。
しかし、そうすることによって不法労働力に頼らねばならない企業を窮地に陥れることになることも考慮すべきでしょう。
そういう企業が人口増加国・発展途上国へ拠点展開ができるように、
人的資金的に支援する仕組み・組織を構築すべきでしょう。
人はいくらでもいるでしょう。
現役のときに海外プロジェクトを手がけた退職者。
国は資金とこういう人材を活用し、中小の企業の途上国進出=労働力不足解消を図る仕組みをつくるべきではないでしょうか。
これは、経済面での人口減対策の優れたひとつと言えないでしょうか。
労働力を入れるのではなく、労働力のあるところにでてゆけばいいのです。
このための費用はいくら大判振る舞いしても、
移民を受け入れた場合のインフラ整備・さらに将来避けられないであろう異文化異宗教摩擦の解消にかける費用と比べれば、
わずかなものでしょう。

発想・思考の転換を!

(減るので、あるところから入れることによって補う)、
から
<減るので、あるところに出て行くことによって賄う>、
へ。

つづく。

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週末つれづれ草子(2003年11月23日)

2005-11-23 20:37:17 | 感想・見解
隣の空き地に聳えるイチョウの大木の葉がすっかり色づき、散り始めました。
銀杏をたくさんつけています。
銀杏は地上にもたくさん落ちています。
多くの人がそれを拾いに来ます。
近くの保育園の園児も毎年拾いに来ます。
拾い易いように、一ヶ月半前に空き地の草刈をしておきました。
園児さん、もういつ拾いに来てもいいですよ。

イチョウには雄雌があり、実をつけるのは雌です。
雌雄の見分けは簡単です。
葉の末広がりの広がった半円の真中に深い切り込みがあるのが雄。
切り込みがないか、あってもごく浅いのが雌。
要は、葉が、切り込みが深くズボンとなっているか、
切り込みがなくスカートになっているかで、雌雄を見分けられるわけです。

雌雄のある木は太古から生きのびている木に多いようですね。
裸子植物とか。
サンショウも実のなる木とならない木があります。
前に我が家に実のなる山椒があったのですが、
石垣をなおしてから見なくなりました。
垣を直したときに切られたのかしら。
いまは、実のならない山椒が二本となりました。
でも初夏には木の芽和えをたのしませてくれます。


お釈迦様の掌~第2部
いつかきたみち いずれいくみち(14)

とりあえず安堵しました。
21日、小泉首相が二回目の「食料・農業・農村政策推進本部」会合を開催し、
農業の構造改革に真剣に取り組むよう指示したと。
この本部があったなんて!
あなたはご存知でしたか?
第一回目の会合は、なんと!3年7ヶ月も前に開催されたと。
これでは知っている国民はほとんどいないでしょうね。
推進本部の当事者達も忘れていたのではと疑いたくなりますね。
飽食の時代にいるため、
食料・農業という最重要問題に対し感度が鈍くなっているのですね。
これは報道機関にもいえます。
21日ないし22日に、第二回目の開催の報道をみたか、聞きましたか。
報道しないか、してもほんの少しの報道であったので、
聞き過ごしたか見過ごした人が多いのでしょう。

根本は、
国民の感度の鈍さこそ問題なのです。
国民が国の将来にとって、
食料・農業の問題はもっとも大変な問題であることを認識し、
高い関心を寄せていれば、
政府も政党も報道機関ももっと感度が高くなっていたでしょう。
そうすれば、3年7ヶ月もの開店休業はなかったでしょう。
最近のFTAでの行き詰まりの原因が食料・農業にあるということで、
やっとこの問題の重要さを認識したのですね。
ただ選挙前は農家票の手前、農家が痛みを伴うことは言い出せなかったわけで、
選挙がおわったいま日本の興廃に重くかかわる農業問題に真剣に取り組もうということでしょう。
選挙前には何も言っていないのであるから、
いま農家への痛みを伴うであろう農業改革を言い出しても、
公約に背いたことにはならないわけですよね。
でも、農家としては割り切れない気持ちになるのは免れないでしょうが。

とはいうものの農政の方向は舵をきり始めています。
来年から新たな政策が動きだします。

新たな農政の概要
来年からこれまでの米の「減反政策」を「生産割当て」に変え、
その割り当てを民間(といっても地方と農協が調整:指導を行うことになりましょう)に任す、減反に対する補助金は見直す、というもののようです。

対応
各地で実施し始めた動きは、集落単位での集団法人(集落法人)を設立して、
生産の効率化、廃田の防止と後継者の育成を図り、
もって国土(農村・山間部=ふるさと)の保全を確保しようというもの。
これまで進めている圃場整備(機械の農作業をやり易いように各戸の小刻みに分かれている田を纏めたり、農道を拡張したりすること)が前提。

このような対策を打ち出した背景には次のような現実があるのです。

米消費量(人・年)
2002年度     62.7KG
1965年度    111.7KG
37年間で     -48.0KG(-42%)

2003(平成15)年度
稲作耕作面積    167HA(62%)
調整(休耕)面積  102HA(38%)
なんと休耕田面積は38%にも。

             1970年   2000年
農業就業人口       697万人   389万人  -44%
うち65歳以上の割合   24.5%   52.9%

販売農家(他に販売農家でない、いわゆる自給農というのがあります)のうち、
準主業農家と副業的農家・・・175.3万戸・・・約80%。
販売金額500万円未満の農家・・・・・・・・・・約80%。
販売金額であり、儲けではありません。
我が家の地域では稲作一反あたり85,000円の赤字とか。
平均4反ぐらいの田で、
各戸100万円を超えるトラクターや田植機などの農機を持っている。
稼働日は年に数日でしょう。
一方で趨勢として米価は下がってきている。
これでは赤字は当然の帰結でしょう。

新農政下でのこのような対応が実現できるのか懸念大です。
集落全戸の同意が前提になりますが、
先祖伝来の田を出す(出資する)ことへの抵抗感、
脱退・名義変更に対する制約などが全戸同意を難しくすると思われます。
この実現は地方政府や農協の指導、(労組の言葉を借りれば)教宣あるいは啓蒙によるところが大きいでしょう。

実現できたとしても、
若者(後継者)を呼び込むことだけは果たせないのではないでしょうか。
これまでとってきた減反政策や、
来年からの生産量割当て政策に問題があるからです。
ん!減反!生産割当て!
この政策からなにかに思い当たりませんか?
計画経済!
そうです。
これはその手本以外のなにものでもありませんよね。
計画経済では発展がないと、
計画経済の本家争いをしたソ連(ロシアにCIS)と中国はとっくに計画経済とおさらばし、いまの発展成長をとげているのです。
なぜ計画経済が駄目なのでしょうか?
割り当てられた量(収入)しかできない仕事に誰が魅力を感じましょうか?
とくに将来を見ている若者が。
従事者に意欲がわかず、若者が敬遠するのは当然ですよね。
発展など望むべくもないわけです。

中国では農業での生産販売の自由化をすすめてきています。
これに対し日本は農業の計画経済を強化してきているのです。
日本の農業に今日の状態をもたらした一因です。
あきれたことに、さらに計画経済を強化しようとしているのです。
これでは農業に今日も将来もないのは明らかです。
そうなると、国土の荒廃を待つのみです。
田んぼや畑が山や森林と協調して国土を守ってくれているのです。
これが荒廃したり、失われたりするということは、
温度やその他風土の変化を招来することにつながることでしょう。

国土荒廃。関係ないんじゃない。
食料。輸入すればいいじゃん。
ケセラセラ。
つづく

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週末てれづれ草子(2005年11月20日)

2005-11-20 19:49:39 | 感想・見解
畑を耕運機で耕していて、
冬眠にはいっていた蛙を数匹掘り起こしてしまいました。
そのなかの1匹が後肢を傷めていました。
他の蛙は一目散に逃げていったが、
その蛙はもがくだけで移動ができないでいました。
そのままにしておくほか手はありませんでした。
すまない。
志賀直哉が蹴った石に当たり絶命したというイモリを思い出しました。
「城之崎にて」に載っている文章だと記憶しています。
生死の分れ。
生きている自分と不意に死に追いやられたイモリを対比しています。
そういえば、蜂の死骸を見つけた話もしていました。
いまごろ、我が家の軒下で蜂の死骸を目にすることが多くあります。
体を「く」の字に曲げて横たわっているのです。
尻から針を伸ばして。
この針が体の長さにしては長いのです。
1センチはゆうにあるでしょう。
刺されたら堪らないはずです。
蜂は今頃命を終えるのでしょうか。
この死は、
寿命。


お釈迦様の掌

人口減が問題にされるとき、出生数とか出生率がクローズアップされます。
昨年の合計特殊出生率が1.2を割ったといって騒動になったのは記憶に新しいところです。

寿司食いねえー。酒飲みねー。
そーかい、神田の生まれだってねー。
出生率の低下はそんなに大変かい。

大変も何も、なにせ人口が減っていく原因なのだからね。

ふーん、そんなに大変かい。
ところで、出生率減の他にも人口減に一役買っているものがあるでしょう。

他に?

胸に手を当てて考えてみてよ。

・・・・・・。
ないね。

落ち着いてよーく考えてよ。
ほら・・・。

????
やっぱりないね。

やいやい、人の寿司を食ったり、酒を飲んだりして・・・・。
もうないとは何事だい。

食え、飲めっていうから、食ったり飲んだりしているのに・・・。
やめますよ。

すまない、わるかった。
なー、後生だから思い出してよ。
ほら、他にもあるでしょう。

そういわれても。
・・・・。
あっ! 客人すまない。
肝心なのを忘れていたよ。

寿司食いねー、酒もっと飲みねー。
神田の生まれだってね。
で、その肝心なのってーのは?

死亡数。
これを忘れていたねー。

        1965年  1980年  1995年  2003年 
出生数(万人)  182    158    119    112
死亡数(万人)   70     72     92    101

出生数が減っています。
方や、
死亡数は増えています。
その数が近くなっています。
今年あたりは死亡数が出生数を上回ることが予想されます。
人口が減るのは当たり前ということです。

        1965年  1980年  1995年  2003年
平均余命 女  72.9   78.8   82.9   85.3
     男  67.7   73.4   76.4   78.4

1965年から1980年の15年間で、6年ほど平均余命が伸びています。
1980年から1995年の15年間では3~4年に伸びが縮小しています。
寿命の延びが限界に達しつつあるということでしょう。
ということは、
今後、日本の人口減は加速度的に進むということを示していますね。
人口減少社会・縮小社会はものすごい勢いでやってくるのです。
大変なことです。
少子化対策だ、移民受け入れだ、などなど対策が叫ばれています。
どうしましょう。

つづく。

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週末つれづれ草子(2003年11月16日)

2005-11-16 21:37:15 | 感想・見解
赤や白の山茶花が知らぬ間に咲いていました。
いつもより早いように思うのですが・・・。
椿との見分けが難しい。
花びらがひとひらづつ散るのがサザンカ。
花が花のねもとから咲いた形のまま散るのがツバキ。
首から落ちるのだから、ツバキは霊前には供えるなと。

菊が盛りです。
各戸の周辺に黄や白の菊が鮮やかです。
先週末農業祭があり、好事家の丹精こめた菊が展示されていました。
好事家といえば、近辺に錦鯉を飼っているひとが結構います。
例の「鯉ヘルペス」が近辺に忍び寄らねばよいのですが。
鯉といえば、3~4日前土手を歩いていて、
大きい緋鯉が川の中にじっとしているのを見つけました。
川の流れがあるのにじっとしていられるのは、
大きな石の下流際に身を寄せて、流れを避けているからです。
この緋鯉がどうして川にいるのでしょうか?

農業祭で栗の苗を一本買って、植えました。
昨年の農業祭で二本買って植えたのですが、
そのうちの一本を枯らしてしまいました。
夏に草刈機で草を刈っていて、誤ってビニールの紐(草刈り機の刃)で、
その苗木をたたいてしまったのです。
苗木の皮が剥けたのですが、大丈夫だろうと思っていました。
だが、3~4日後に見事に萌えだしていた芽が枯れはじめました。
残念。
その枯れた苗木の横に植えました。
桃栗三年とか、三年後に実がなるのを楽しみに。
でも実がなったらなったで、苦労するでしょう。
好物を食べにくるイノシシ対策で。

桃栗三年。早くていいですね。
ユズが十年目にして結実しました。
昨年初めて2~3個なったのですが、今年は23個の実をつけています。
緑の葉の中に黄色に色づいてきました。
この柚子を植える前に柚子の木が一本あったのですが、
たしかマイナス10度以下になった日が数日あった寒さ厳しき冬の、
その年に枯れました。
柑橘類は寒さに弱いことをこの目で確認したのでした。


お釈迦様の掌~第2部
いつかきたみち いずれいくみち(13)

日中ないしは中国を語ることは、とりもなおさず日本を語ることになります。
そして日本はいま農業をどうするのかが問われてしかるべきと思うのです。
がんばれ! 日本!!

食料自給率(エネルギーベース)米消費量(人・年)
2002年度    40%           62.7KG
1965年度    73%          111.7KG
37年間で    -33%          -48.0KG(-42%)
(農水省)
まさに米離れが食料自給率の低下なのです。

前回で語ったように、
都市部の産業化が推し進めた農村部からの大量人口移動が、
あらゆる面で大量消費を生み、
明治以降の国策・輸出促進の実現とあいまって、
日本に驚異の経済成長を遂げさせました。
国民は豊かになりました。
生活様式・価値観などに変化多様化をきたしたのは当然の成り行きでした。
核家族・共稼ぎ・ウーマンリヴ・高学歴・ファッション・教養とうとう。
冷蔵庫・オーヴン・炊飯器とうの商品化が女性の社会進出とあいまって、
食の面でも大変化をおこしました。
洋風化・外食・インスタントファスト食品・・・
そして、金満家日本の美食への飽くなき欲求。
これらに呼応した流通業界の世界中からの食材輸入。
これらが上のデータの推移をもたらした背景でしょう。

いま日本は衰退没落の坂を下り始めたようです。
しかし、前回言ったようにどの政党も、マスコミも、
いやわれわれ国民こそが極楽トンボを決めているのです。
飽食・酒池肉林こそ亡国の元なのは、歴史が教えています。
ローマ。
かっては農業によったが、栄華を謳歌しだすと、
美食への欲求を満たすため食材を外地に求めて農業を捨てて衰退しました。
飽食が、退廃や怠惰を生み成人病を誘発していったのです。
糖尿病患者とその予備軍2000万人超(糖尿病が強く疑われる人690万人、
可能性が否定できない人1370万人・・・平成9年厚生労働省調査推計)といわれるように、
飽食・美食が遠因の成人病・生活病患者が蔓延しだした日本。
飽食をしたり美食を貪って、成人病やその予備軍になって、
病院の門をたたき、医療費の膨張に貢献している日本人。
なにやら滅びた都市に似た症状を呈しだしているのではないでしょうか。

古来続いてきている国は農業・・高い食料自給率を確保している国です。
ヨーロッパの国ぐに、たとえばフランス、工業国であるが農業国でもあります。
重商主義にかたよった国は繁栄するのも早いが、
衰退するのも早いのが世の常です。
たとえば、カルタゴ100年(200年だったかしら)の興亡。

さて、日本どうする。
農業を守ろうとすれば、通商に差し障り、輸出にたよる経済が重症に罹る。
農業を捨てるのか。

やはり前回いったように、
30年50年先の国のデザインを決めることが先決です。
マスコミも議論を喚起してほしいものです。
皆さんも国のデザインをしてみてください。
また、チャットやホームページで広く呼びかけてみてください。

国の興廃、この問題克服にあり。

つづく

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