THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

「ラシャメンと混血児」

2005-12-26 | Weblog
「日本残酷物語 第四部 保障なき社会」

第1章 過渡期の混乱  開化のかげに ラシャメンと混血児


「開化のかげに」の最後は、異人外人相手の娼婦であるラシャメンと異人との間に生まれた混血児の話。

開港とともに横浜には遊郭ができた。
開港条例で開港が指定された神奈川は交通の要所であり、異人と武士との間に衝突が懸念され、幕府は横浜を開港した。
異国の機嫌を伺っているおりに遊郭の申請がなされ、幕府は喜んでこれを向かえ、土地を提供し奨励金を賜る。
そこにできた遊郭は立派なものであり、多くのラシャメン(洋妾)働く事になる。

その頃のラシャメンに対する人々の偏見は相当なものであった。

もともとラシャメンというのはラシャ(raxa)、すなわち「緬羊」という意味のポル トガル語から転化した俗語なのである。それがなぜ「洋妾」を意味することとして使われるようになったかは分明でないが、辞書には、「西洋の水夫が緬羊を船 中に飼育して犯すという俗説による」と説明している。・・・・中略・・・・、道ゆく洋妾の姿を緬羊のイメージになぞられた、当時の庶民の毒ふかい軽蔑のま なざしがまざまざと想像される言葉である。

ラシャメンに対する偏見がこのようなものである以上、異人との子に対する偏見は大変なものであった。

その頃、横浜の暗闇坂のあたりに、西戸部監獄監獄があった。そこの囚人の中にも混血児の姿が時おりみられるようになる。

明治六年八月、本町六丁目の大岡川に弁天橋が竣工したとき、この西戸部監獄から混血児 四人がつれて出された。四人の少年が手をしばられ橋の工事現場にいくと、大きな深い穴が掘られてある。なんだろう、と思っていると、中に入れという。気味 悪く感じて尻ごみすると、いきなりどんと背を押されて突き落とされてしまった。と思うや否や、上からどっと土や石が降りかかってきた。泣き叫ぶ声をよそに 土はどんどんかぶせられ、たちまち四人の少年を生き埋めにしてしまったのである。橋供養の人柱として。
アイノコを侮辱し、爪はじきすることは、当時の横浜では幼児にいたるまで一般化した風潮であったが、その侮辱のはてに、わたしたち日本人はこうした殺し方までしたのである。

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「FIGARO JAPON」 フランスの田舎町へ。
  No.310 2006 1/5・20 阪急コニュニケーションズ 590 円



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2 コメント

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Unknown (ラム)
2005-12-29 22:14:06
もう、スキーへお出かけになって、楽しい時間をお過ごしでしょうか?



それにしても、このお話・・・いつもに増して残酷ですねぇ~(T_T)



日本人って・・・島人だからか『種類』とか『血』とか、そういう・・・何ていうんだろう?『自分達と違う』ってトコに恐ろしい程攻撃するなぁ~って悲しくなります。
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帰ってきました~ (ツクジー)
2006-01-02 01:14:49
ラムさん



帰ってきました~

スキーは、結局 一日しか滑りませんでした。



急に開国したから、外国の人への偏見は大変だったみたいですね~。

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