まちと表現、そして劇場  Town, expression, and theater

横浜を拠点に演劇公演を見て回るとともに、地域の芸術文化、まちづくり、ビジネス、歴史など幅広く取材する中で……山田ちよ

授業の様子が見えるような

2009年09月24日 23時49分55秒 | OFF演劇時評
T・R・P『rebirth リバース-傷・林・檎-』/STスポット/9月22日(火・休)昼観劇
30歳ぐらいの女が、入院中の元彼を見舞いに来て「私、もう死んでもいいかな」を連発する。具体的な理由はほとんど出てこない。ただ、生きにくさを感じていることだけが察せられる。病床の元彼は、その気持ちを優しく受け止め、自身は、妻に逃げられたりして挫折したが、やはり生きたいと話す。だが、女に「死ぬなよ」と言い残して、病死する。
次の場面は天国。死んだ元彼と、死なずに99歳まで生きた女が対面して、女があの後、どう生きたか、語る。いったんはあきらめた女優で成功して、賞を取りまくったと明るく語る。
その次は、女と元彼とその妻が生まれ変わった話。と言っても、生まれ変わった時代は過去、昭和30年代。また夫婦になった元彼とその妻が突然、自分たちが携帯電話のある時代に生きていたことを思い出す。なぜか過去に戻って生まれ変わった夫妻の会話から、観客に、女と元彼とその妻の、少しややこしい関係が伝えられる。
一度は「死にたい」という思いに取りつかれた女が、強く生き続けた。その明るい展開のままで終わらず、過去に生まれ変わり、もう一度、人生をたどる場面を加え、元彼は生まれ変わっても33歳で病死する、という陰影のあるラストで締めた。
T・R・Pは、多摩美術大学の演劇専攻出身で、舞踊家として活動する小島美菜子が書いた作品のために集まったグループで「タマビーズ・リバース・プロジェクト」の略らしい。
当日パンフによると、小島が最初に書いたのは、四百字詰め原稿用紙17枚の対話形式の作品。31歳の誕生日の夜に書いたもので、「もう死んでしまいたい」が繰り返される。それを受け取った、大学の恩師で俳優、演出家の庄山晃が「続きを書かないと上演できない」と返事をしたところ、半月後に送られてきた続きには、死にたいと言った女性がその後、したたかに生きたことが面白おかしく書かれていた。
そこで、庄山が小島の作品に手を入れて、小島と同期の面々に声をかけて俳優やスタッフを集め、上演を実現させた。
STスポットの大平勝弘館長が、小島の在学時代、教育スタッフ(アシスタント)だったことから、会場としてSTスポットが選ばれた。病室や茶の間などでの対話でつづられるドラマだから、小空間のSTスポットは、都合のよいことに、この作品に合っていた。
この舞台化までの経緯を、芝居を見た後に読むと、なぜ、暗い内容の対話がリアルな演技で続けられた後、天国での対話という幻想的な設定の明るい場面が来て、続いて生まれ変わりの話が来たのか、何となく納得できた。
さらに、このような舞台を実現させた庄山が、多摩美の演劇専攻の授業で学生とどう接しているのか、どういうことを指導しているのか、ということも想像させられた。学生の感性をくみ取りつつ、演劇で観客に何を伝えるべきか、という基本は押さえているのではないか。
出演者3人のうち、一人は小島(妻役)。病気降板の女優の代わりだった。残り2人、女役の中澤佳子と男役の菊口富雅は、ふだんも俳優として活動していて、どちらも、スタニスラフスキー・システムなどの基礎を大切にする姿勢が伺えた。このことも、庄山の指導姿勢と関係があるように思えた。
(写真はタイトルのイメージ。モデルのリンゴは、舞台上に置かれていたリンゴ箱に入っていたもので、千秋楽公演後、観客に配られたものの一つ)

巨大グモが横浜をかっ歩した日

2009年09月17日 18時20分44秒 | OFF演劇時評
ミズノオト・シアターカンパニーPLUS『枝わかれの青い庭で』/横浜美術館レクチャーホール/4月19日(日)昼観劇

5カ月前の4月19日夕方、横浜中区の関内駅近くの日本大通りから、みなとみらい新港地区にかけて、フランス・ナントのスペクタクルアート集団ラ・マシンが巨大グモのロボット2体(写真)を数時間、行進させた。ロボットの行進には、バイオリンや管楽器などの演奏者を3人ぐらい載せて、このクモの上の方まで高く掲げた演奏台(遊園地の乗り物のようなもの)を運ぶ車も付き添った。ジャズ風の音楽の生演奏を従えて動くところが、フランスらしいなと思った。
「ラ・マシン」のことを「劇団」と紹介するものが多いが、巨大なロボットをまちに歩かせるだけで「劇」を演ずる集団と表現するのはどうか、と思っていた。しかし、巨大グモの日々の動きに「上陸」「散歩」などと名付けて物語性を添えたり、この日の行進のラストで、新港ふ頭では、海に面した港湾施設に15分ぐらいとどまって、水をふいたり、足を動かしたり、やがて船に乗って海上を動いたりして、ダンスのような後味を感じさせた。それで「劇団でもいいか」という気がしてきた。
これは、開国・開港Y+150(横浜開港150周年記念テーマイベント)の呼び物の一つで、一躍、全国的な話題をさらったが、Y+150でこの巨大グモ以上の反響を呼んだものはないのでは。あと10日ほど、9月27日で閉幕するのだが…。

この巨大グモのかっ歩した日、そのスタート地点から歩いて20分ほどのところにある横浜美術館で、マチネの舞台を見た。それが冒頭の劇だ。アルゼンチン生まれで1986年に亡くなったホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』をモチーフにした、現代・横浜の話だ。
香りの研究所で働く人々、その研究員の話に関心を抱いた男などが登場する。誰も知らない国なのに、なぜか百科事典の一部の版に書かれていることから、人々の認識が混乱していく、というボルヘスの書いた不思議な話や、研究所にいる、ちょっと変わった人々の世界などが絡み合う。
印象的だったのが、なぞの国を巡るシンポジウムの場面。パネリストの発言が少し脱線したり、ほかのパネリストが的外れな受け答えをする、といった実際のシンポジウムで起きるイレギュラーで、少しこっけいな展開が、うまくせりふ化されていて、リアリティーが感じられた。しかも、演じられた空間は演劇用でなく、レクチャーホール、つまり講堂で、シンポジウムがよく行われそうな構造なので、よけい、リアリティーを強めた。劇の始まりも、シンポジウム会場の雰囲気を生かして、何気なく始まり、徐々に幻想的な世界へと誘い込んでいった。
作・演出の平松れい子の話では、当初は、美術館の展示スペースの入り口付近の空間で上演、という話だったが、実現せずにこちらになったという。この作品なら、レクチャーホールでよかったと言える。