まちと表現、そして劇場  Town, expression, and theater

横浜を拠点に演劇公演を見て回るとともに、地域の芸術文化、まちづくり、ビジネス、歴史など幅広く取材する中で……山田ちよ

妖怪は人形劇の見せどころ

2009年01月23日 01時12分10秒 | OFF演劇時評
人形劇団ひとみ座『弥次さん喜多さん道中記 七度狐の巻』/相鉄本多劇場/1月7日昼観劇
久しぶりに相鉄本多劇場の新年が、ひとみ座公演で始まった。
人形劇だから子供連れが中心だが、時代劇で新春らしさも感じさせた。最後には、観客と一緒に手締めもやった。(写真は終演後、幕を閉じた舞台)
この劇に登場する人形は、一人で1体を遣うタイプ。一方の手で胴体を支え、もう一方の手で、手を操るための棒を操作する。せりふは、遣い手が同時に言う。ただ、マイクを使うので、スピーカーから声が聞こえてきて「もしかしたら録音か」と疑った。録音かと思うほど、かまずにしっかり話していた、とも言えるが、自然に聞こえるように、もう少し、マイクの調整も必要だと感じた。
「弥次さん喜多さん」のタイトルを見て、『東海道中膝栗毛』の中から、どこかの宿場のエピソードを抜き出して見せるのかと思ったが、具体的な宿場の名は出てこない。古典落語から採った物語で、「七度狐」と呼ばれる、一度、怒らせたら7回、仕返しをする(いたずらする)という執念深い狐の化け物に取り付かれた二人が、それを江戸に連れ帰って、見せ物小屋に出演させてしまう、という話だ。
その狐は、二人を驚かそうと、骸骨の姿をして現れる。それを狐の仕業と気づいた二人は、骸骨が「かっぽれ」を踊れば客に受ける、と思い付く。この舞台でも、骸骨人形の「かっぽれ」の場は特にユーモラスで面白かった。
そこから、なぜ、「弥次喜多」と題しながら、東海道とも宿場とも関係ない、狐の話をやるのか、何となく理解できた。人形劇は、人以外の動くものが見せどころになる。人の動きなら、本物の人間がやった方がよい場合も多いだろうが、動物は違う。飛んだり跳ねたり、四つ足なのにダンスをしたり、といったことが簡単にでき、観客を楽しませる力は各段に上。一瞬で変身するのも、人形を取り替えればよいから、演出的なアレンジなども付けやすい。だから、動物とか妖怪とかが登場する物語をよく取り上げるのではないか、と。
ちなみに、ひとみ座の次回公演はシェイクスピアの「マクベス」。これにも、魔女という、人間ではない存在が出てくる。
以前、台湾の伝統的な人形劇団が来日したのを見たことがある。演目は『西遊記』で、片手を覆うような人形で、妖怪が一瞬にして姿を変えるのを、手首を動かして人形を投げ上げ、別の人形と差し替える、という片手だけの早わざで表現するのが売りものだった。変幻自在な妖怪がぞろぞろ出てくる『西遊記』が人気レパートリーというのもうなずける。
1時間足らずの劇だったが、あれこれ気付かされた。