ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

有間皇子史跡

2012-03-01 05:00:00 | 

漸く3月になりました。私の労働者としての生活も残すところ後1ヶ月となりました。出勤日数で言えば6日、年休を取る日が15日、10月からあった80日の休みも余すことなく取りきりました。退職金を貰っておさらばです。

さて、藤白神社の南の鳥居から一旦神社を出て、有間皇子神社の案内板にあった有間皇子の墓とやらを見学です。

京を出た熊野詣での一行はここ藤白まで来て、初めて海を見たと言います。

             

今でこそ海南の海辺は重工業地帯になっていますが、平安当時はこの近辺まで白砂の海辺だったようで、山また山を超え、やっとのことで海を見た一行はさぞかし爽快だったことでしょう。

今は民家の向こうに製鉄所や発電所の煙突が見えるだけ、風情が無くなったもんですね。

             

この写真ではっきり読めるのでことさらの説明は不要だと思いますが、詠んだとされる二首の歌は南部の岩代で詠んだのだそうです。

                       

墓の周囲はこんな感じ、12月の中旬だったのに紅葉が真っ盛りでした。今年の冬は寒いと言われますが、12月は案外暖かかったので、紅葉がこんなにきれいだったのです。

             

歌碑の前、万葉仮名で書かれているので、案内板にある歌のように読めますか?
右の石柱には有間皇子の墓と書かれています。

             

藤白坂の丁石地蔵と呼ばれるお地蔵さん、元禄期に全長上人という海南・名高にあった専念寺住職が旅の安全を願って17体造ったと言います。250余年の間にその丁石地蔵も谷に落ちたり地に埋もれたりして、昭和56年に確認したところ僅か4体残っているのみだったそうです。その後新しい地蔵も含めて17体復元されていると言います。この1丁地蔵は当時のものらしく、丁石地蔵としては全国的にも珍しいものだそうです。

この先を進めばもっと丁石地蔵も見られのでしょうし、筆捨松遺跡というものがあるそうなのですが、行きませんでした。

             

ここにも歌曲碑がありました。作曲は万葉集に曲を付けた人と同じ、作詞は現代人です。この歌も♭が二つついています。この♭が2つある記号を何というのか忘れてしまいましたが、ハ調が♭や♯の付いてない調子だとすれば♭2つは2音階下げるので、イ調ということになります、合ってますかね。作曲者はこの音階で歌うのが好きなんですね。

             

早々に戻って来ています。ガードレールがある向こう側は紫川という川です。その由来は川の上流に紫色の石があるからとか、村崎にあるからとも言われているようです、万葉集にも紫とこの地の名高を詠った歌が3首あるそうです。右上は阪和道。

             

ガードレールの対面にあるお店、笹ふじという名前が付いています。対面なので当然阪和道が左上を走っています。

             

何を売ってるのかと思い入ってみると、笹の葉寿司あるいは柿の葉寿司のような早なれ寿司でした。3個入を買ったのですが、美味しかったのでもっとたくさん買えば良かったと思っています。

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