才助の滝を案内してあったパンフレットに潮岬の『潮騒の森』の紹介がありました。出雲の港を超えれば高台に登っていく坂道があり、登りきると海側に青少年の家があるのですが、逆の山側にその潮騒の森があるというのです。今に至るまでその『潮騒の森』なるものに行ったことがありませんでした。それまで“潮騒の”と付いているので、青少年の家側にあると思っていたくらいです。パンフレットには戦争禍の跡やB29爆撃機の墜落跡があると記してあったので、その辺りを興味深く感じて、16日に行ってみることに決めていました。
『潮騒の森』までどのような道が付いているのか判らないので、周環道路である41号線から少し入ったところに車を停めて、歩いていきます。でも道は結構広く、所々に車を停めるスペースもあり、なんと『潮騒の森』の入り口にも駐車場はあったのです。
でも歩いてなければ、最初の写真のように潮岬観光タワーが望める場所があるなんて、分からなかっただろうと思います。
ここが『潮騒の森』の入り口、森の中にはいろんな樹が植えられていて、殆んどの木に名札が付いていたのですが、この正面の樹には名札がありません。
入り口に植えてあった“ヒメツゲ”という名のツゲ、略して“ヒゲ”だ?なんて、今家のある紀伊姫とも因んで、私と何らかの因果関係でもあるんですかね?
これも入り口付近の“ヤマモモ”、随分大きい樹です。夏前に実をつけるそうですが、採ったら怒られるのでしょうね。
入り口にある案内表示ですが、これを見てもどのように歩いていくのか、何処に戦争遺跡があるのか、さっぱり解りません。
この樹はタブノキという名らしい。用途は昆虫採集と書かれていました。
私はメインのコンクリートの道を歩いているのですが、脇道へとそれる階段が上り・下りを問わずたくさんありました。
和歌山県には『紀の国づくり税』なる課税があるのでしょうか?それとも集めた税金を使う際に付けた名前なのか。私なら、余計な手を入れずに自然の森を守ってやればよいのにと思うのですが、この辺りの森が荒れ果てていたと言うのでしょうか。感じたのは住民がこの森に憩いのためにやって来ているという風には受け止められなかったこと、出会ったのは2~3人でした。
歩き始めてから5分ぐらいで、この遺跡を見つけました。柵の左から3番目の柱に“戦争遺跡 地下壕”と書いてあります。柵が無ければただ単なる穴、ホンマかいな?と思ってしまいそうです。
どんなものなのか中を見たいのですが、柱の間隔が狭くてあまりよく見えません。奥がどの位深いのか分からないし、入り口も狭いので、あまり多くの人が隠れることは出来なかったんだろうと思います。この串本の地にアメリカ軍が上陸したわけでもありません、ただ戦闘機からの機銃掃射はあったように聞いています。だから沖縄のような悲惨で生々しい地下壕では無いことは確かです。
があることを敵は知ってたんです。潮岬に小さな飛行場はがあったのです。
この壕が貫通しているなんて信じられませんね。危ないから柵をしたのでしょうね。
アメリカ軍はなんでも知ってたんですね。こんな小さな村にまで襲ってくるなんて・・・でも元々悪いのは日本国だったんで、アメリカが悪いとは言えないと思っています。