台湾の領土は台湾本島と、澎湖・金門・馬祖といった島嶼部ですが、その正式な国名は、「中華民國」ということになっております。
二月に旅行した際、「中華民國」の四文字を目にしたのは、紙幣とパスポートに押される判子くらいのもので、すっかり拍子抜けしてしまったのですが、その「中華民國」が、私が三食(?)ミルクを愛飲していた頃までは〝中国全土の代表〟として国連の常任理事国の地位にあり、70年の大阪万博でも堂々とパビリオンを開いていた訳です。
「調べてみたところ、台湾の首都は南京で、台北は〝臨時首都〟なんだよ。そして、モンゴル・チベット・尖閣諸島・沖縄も実は台湾なんだ・・・・」
と知人に申しますと、100%
「冗談でしょ?」
という反応が返ってきますが、建前上は冗談でも何でもないようです。
沖縄を例に取りますと、ビザ取得のためには、沖縄県在住者だけ写真三枚が必要(沖縄以外は二枚)であり、大使館・領事館にあたる施設も、「中流文化経済協会駐琉球弁事処」という名称(他地域は「台北駐日経済文化代表処」)だったりします。実際、帰国の折中正國際機場で〝那覇〟ではなく、〝琉球〟の行き先表示を見た時は、
「帰国する沖縄県民の方にどう思うか聞いてみたいものだ・・・・」
と正直仰天いたしました。
もっとも、在日米軍と自衛隊が、〝人民〟が付かない〝中華〟の侵略に備えて訓練した何て話は寡聞にして存じませんし、台北の街を歩いていて、
「琉球は我が領土!」
と日の丸や自分の身体に火を放って喚いたりする人を見かけた訳でもございません。中華民國憲法が有名無実化しているということの傍証ともいえましょう。
とはいえ、1948年に中華民國憲法に基づいて中華民國政府が発足した際の首都は、冗談でなく実際に南京にありました。しかしながら、國府軍は国共内戦において劣勢に次ぐ劣勢で、翌年には首都・南京を中共軍に奪われ、広州、重慶、成都と転戦し、遂には台湾海峡を渡って、12月7日に台北に〝臨時首都〟を移転して今日に至っているのです。そういう歴史を顧みますと、
「中国版平家物語と言うか、中華民國って〝移動サーカス国家〟かいな?」
という気もいたします。
その延長戦上に、いわゆる「一つの中国」問題があり、あれこれ揉めている訳ですが、去る14日に、憲法改正案を承認する非常設機関、国民大会の代表選挙(定数300)の投開票が14日行われ、与党である民主進歩党(民進党)が127議席を獲得し第一党となりました。
連戦主席の中国訪問が内外で大変注目された対抗馬の最大野党、國民党は117議席と民進党の後塵を拝しました。先の福岡の参議院補選もびっくりの、23.9%という低投票率という中、いかにも「組織票」が固そうで、時流的にもイケイケ気配だった國民党が敗北を喫した訳です。新聞記事によりますと、選挙の内容は、
「昨年8月、立法院で可決された憲法改正案には、立法委員について(1)定数を225から113に半減(2)小選挙区制を導入(3)任期を3年から4年に延長-などのほか、今回で国民大会を廃止し、今後は住民投票で憲法改正案を承認することが盛り込まれた」
とありますが、小選挙区制よりも何よりも、このへんてこりんな、虚構の〝大中華民國〟体制を何とかして欲しいものです。
台北駐日経済文化代表処の許世楷代表は16日、都内で講演し、台湾に対する防衛支援をうたう米国の「台湾関係法」にならった法律を日本も制定すべきだとの考えを示したようですが、日本の現憲法下では、米国の台湾関係法と同様の施策が取れる余地がないのは明らかなことです。それ以前に、実態の如何に関わらず、中華民國憲法下での〝琉球〟や尖閣諸島の領有権主張を取り下げないまま一方的に主張されても、国民感情的には甚だ困惑する次第であります。与那国島上空の半分が中華民國空軍の防空識別圏内にあり、空自がスクランブルをかけられるという実務上の問題も当然クリアーする必要があります。許代表は日本に造詣が深く、日台親善に奔走していらっしゃる方のようですが、それだけに事の順番や日本の事情を考慮しない稚拙な発言だと苦言を呈したく思います。
先にワシントンで行われた日米安全保障協議委員会(2+2)での合意は、50年のいわゆるアチソン・ライン(アリューシャ列島~日本列島~沖縄~フィリピンを結ぶ線が米の防衛ラインという宣言)に基づく日米安保の実質的かつ大胆な改変宣言であり、日本が現憲法下で海峡有事の際に取ることのできる「最大限の誠意」であることに十分理解を示して欲しいものです。
何れにせよ、中華民國憲法修正の優先度をよく勘案するのは、日台関係のみならず、何よりも台湾自身にとって重要なことではないでしょうか。
ブロードウェイのミュージカル宜しく、國民党中華民國の〝台湾巡業公演〟も随分なロングランとなりました。次の巡業地はどこなのでしょうね。
※写真・・・・中国大陸も領土範囲に含めた「中華民國全圖」
2003年1月まで政府機関はこの地図を発行しており、小学校でも「首都は南京」と教えていたそうです。(汗)
二月に旅行した際、「中華民國」の四文字を目にしたのは、紙幣とパスポートに押される判子くらいのもので、すっかり拍子抜けしてしまったのですが、その「中華民國」が、私が三食(?)ミルクを愛飲していた頃までは〝中国全土の代表〟として国連の常任理事国の地位にあり、70年の大阪万博でも堂々とパビリオンを開いていた訳です。
「調べてみたところ、台湾の首都は南京で、台北は〝臨時首都〟なんだよ。そして、モンゴル・チベット・尖閣諸島・沖縄も実は台湾なんだ・・・・」
と知人に申しますと、100%
「冗談でしょ?」
という反応が返ってきますが、建前上は冗談でも何でもないようです。
沖縄を例に取りますと、ビザ取得のためには、沖縄県在住者だけ写真三枚が必要(沖縄以外は二枚)であり、大使館・領事館にあたる施設も、「中流文化経済協会駐琉球弁事処」という名称(他地域は「台北駐日経済文化代表処」)だったりします。実際、帰国の折中正國際機場で〝那覇〟ではなく、〝琉球〟の行き先表示を見た時は、
「帰国する沖縄県民の方にどう思うか聞いてみたいものだ・・・・」
と正直仰天いたしました。
もっとも、在日米軍と自衛隊が、〝人民〟が付かない〝中華〟の侵略に備えて訓練した何て話は寡聞にして存じませんし、台北の街を歩いていて、
「琉球は我が領土!」
と日の丸や自分の身体に火を放って喚いたりする人を見かけた訳でもございません。中華民國憲法が有名無実化しているということの傍証ともいえましょう。
とはいえ、1948年に中華民國憲法に基づいて中華民國政府が発足した際の首都は、冗談でなく実際に南京にありました。しかしながら、國府軍は国共内戦において劣勢に次ぐ劣勢で、翌年には首都・南京を中共軍に奪われ、広州、重慶、成都と転戦し、遂には台湾海峡を渡って、12月7日に台北に〝臨時首都〟を移転して今日に至っているのです。そういう歴史を顧みますと、
「中国版平家物語と言うか、中華民國って〝移動サーカス国家〟かいな?」
という気もいたします。
その延長戦上に、いわゆる「一つの中国」問題があり、あれこれ揉めている訳ですが、去る14日に、憲法改正案を承認する非常設機関、国民大会の代表選挙(定数300)の投開票が14日行われ、与党である民主進歩党(民進党)が127議席を獲得し第一党となりました。
連戦主席の中国訪問が内外で大変注目された対抗馬の最大野党、國民党は117議席と民進党の後塵を拝しました。先の福岡の参議院補選もびっくりの、23.9%という低投票率という中、いかにも「組織票」が固そうで、時流的にもイケイケ気配だった國民党が敗北を喫した訳です。新聞記事によりますと、選挙の内容は、
「昨年8月、立法院で可決された憲法改正案には、立法委員について(1)定数を225から113に半減(2)小選挙区制を導入(3)任期を3年から4年に延長-などのほか、今回で国民大会を廃止し、今後は住民投票で憲法改正案を承認することが盛り込まれた」
とありますが、小選挙区制よりも何よりも、このへんてこりんな、虚構の〝大中華民國〟体制を何とかして欲しいものです。
台北駐日経済文化代表処の許世楷代表は16日、都内で講演し、台湾に対する防衛支援をうたう米国の「台湾関係法」にならった法律を日本も制定すべきだとの考えを示したようですが、日本の現憲法下では、米国の台湾関係法と同様の施策が取れる余地がないのは明らかなことです。それ以前に、実態の如何に関わらず、中華民國憲法下での〝琉球〟や尖閣諸島の領有権主張を取り下げないまま一方的に主張されても、国民感情的には甚だ困惑する次第であります。与那国島上空の半分が中華民國空軍の防空識別圏内にあり、空自がスクランブルをかけられるという実務上の問題も当然クリアーする必要があります。許代表は日本に造詣が深く、日台親善に奔走していらっしゃる方のようですが、それだけに事の順番や日本の事情を考慮しない稚拙な発言だと苦言を呈したく思います。
先にワシントンで行われた日米安全保障協議委員会(2+2)での合意は、50年のいわゆるアチソン・ライン(アリューシャ列島~日本列島~沖縄~フィリピンを結ぶ線が米の防衛ラインという宣言)に基づく日米安保の実質的かつ大胆な改変宣言であり、日本が現憲法下で海峡有事の際に取ることのできる「最大限の誠意」であることに十分理解を示して欲しいものです。
何れにせよ、中華民國憲法修正の優先度をよく勘案するのは、日台関係のみならず、何よりも台湾自身にとって重要なことではないでしょうか。
ブロードウェイのミュージカル宜しく、國民党中華民國の〝台湾巡業公演〟も随分なロングランとなりました。次の巡業地はどこなのでしょうね。
※写真・・・・中国大陸も領土範囲に含めた「中華民國全圖」
2003年1月まで政府機関はこの地図を発行しており、小学校でも「首都は南京」と教えていたそうです。(汗)
先日行政院発行の「静かなる革命」と題した10年くらい前の本をいただいたのですが、
「中華民國台湾地区」
とか、
「中華民国の台湾経験」
という表現がなされていて、何だか苦笑してしまいました。