言幸 燕 日記

日々感じたことなどを絵やマンガで表現しています。
マンガでくすっと笑って頂けたら幸いです。

「私の嫌いな10の人びと」という本を読んで

2010年09月15日 | 読んだ本

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今回は読書感想文です。
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中島義道さんの「私の嫌いな10の人びと」という本を読みました。
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【中島義道さんのプロフィール】
1946年生まれ。哲学博士。
東京大学 大学院 人文科学研究科 修士課程修了。
ウィーン大学哲学博士。
元電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。
風貌はこんな方です。
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この著者に関しては好き嫌いがハッキリ分かれると思いますが、
私はそれほど嫌いではありません。でも、全面的に肯定できる訳でもないので、
自分なりに様子を見ながら、興味を持っている人の1人です。
 

           

・・・で、どんな人が嫌いかと言うと
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●笑顔の絶えない人
●常に感謝の気持ちを忘れない人
●みんなの喜ぶ顔が見たい人
●いつも前向きに生きてる人
●自分の仕事に「誇り」を持っている人
●「けじめ」を大切にする人
●喧嘩が起こるとすぐに止めようとする人
●物事をはっきり言わない人
●「おれ、バカだから」と言う人
●「わが人生に悔いはない」と思っている人
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だそうです・・・。


一見、『え、なんで?』と思うのですが、詳しく読んでみると
『なるほど、一理ある』と思わされる点も事実でした。
つまり、思考を停止したまま、世間の慣習に盲目的に従って生きてる人や、
それに対して暴力的なまでに無感覚な人が嫌いだということみたいです。

この人の嫌いな言葉が
「タテマエ」 「妥協」 「まやかし」 「欺瞞」 「無感覚」 「如才ない」
「根回し」 「無難」 「お互い様」 「なぁなぁ」 「会社」 「世間」 「家族」
「平穏無事」 「和気あいあい」 「穏便」 「しかたない」 「恩」 「がんばる」

ということからも分るように、普段からも一切の儀礼を断固拒否。

例えば、勤める大学の入学式や卒業式に出席しない。
自分の父や母の死を、知人・周辺の近しい人に報告しない。
姪の結婚式に呼ばれても出席しない。
パーティー・飲み会にも出ない。
年賀状も出さない・送らない。

当然、周囲と摩擦・軋轢が生じますが、むしろ望むところで、
孤独を覚悟で徹底的に実践されています。
ある意味清々しいですが、普通の人はきっと真似できないでしょう。
<人生半分降りる>というスタンスだからこそ出来るのかもしれません。


最後に、私が印象に残ったところを抜粋しておきます。
(私もその通りだと思った点です)

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私は、ある人が右翼でも、左翼でも、テロリストでも、独我論者でも、
「みんななかよし論者」でも、ちっともかまわない。
そのことによって、その人を嫌いになることはまずないと思います。

どんな思想を持っていてもいいのですが、
当人がその思想をどれだけ自分の固有の感受性に基づいて考え抜き、
鍛え抜いているかが決め手となる。つまり、その労力に手を抜いている人は
嫌いなのです。


いちばん手抜きがしやすい方法は、しかも安全な方法は何か?
大多数と同じ言葉を使い、同じ感受性に留まっていることです。
それからずれるものを自分の中に見つけるや、用心深く隠し通すことです。
あとは知らぬ存ぜぬで、見ないよう、聞かないよう、気がつかないように
していればいい。人生は平穏無事に過ぎていくことでしょう。

ヘーゲルの思想ですが、
あることが真の言葉が否かは、その言葉の表面的な正しさによってではなく、
その言葉を発するに至るその人が、いかに血の滲むような「経験」をしてきたか
によって決まる。


私の言葉で言いかえると、その人がいかに勤勉に「からだで考える」
ことを実践し続けてきたかで決まる。
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この言葉を読んで、私自身はどうだろうか?と思いました。
ちゃんと自分の考えで、深く物事を考え「抜いて」いるか?
自分の信念を正確に表現する労力を惜しんでないか?
というか、そもそも私に信念はあるのか?
絵を描く者として、自分の感受性を信じているか?
また、それを鍛える努力を怠ってないか?

そういう反省を込めて読んだのでした。

中島さんの本にしては、とっつきやすい仕様になってるため
論理が浅い、肩すかしのような感じも否めなくないようですが、
上の箇所だけは心に残りました。






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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
中島義道さんのプロフィール (通りすがり)
2010-09-15 21:22:09
やはり「学歴」が物を言ってますね
返信する
自分なりに補足 (つばめ)
2010-09-17 02:49:14
●通りすがりさん

以前にも1度コメントしてくださいましたか?
別の「通りすがり」さんだったらごめんなさい。

さて、あまりにも簡潔なコメントなので、よく分からないのですが、
東大卒という学歴(権威)のおかげで、実際にはたいしたことない内容でも、
必要以上に価値が底上げされている・・・という意味でしょうか。
それとも、そんなに深い意味はないのかな・・・。

私自身は中島さんが東大出てるから、内容が素晴らしいとは思いません。
少なくとも、彼自身の信じるところを追求してきた結果、
出てきた言葉と受け取りました。かなりクセのある人ですが、
共感できるところもありました。(突っ込みどころも満載でしたが。)

文章は独特のキレがあり、ピリッとしたところがあります。
この人自身が放つ「厭世ムード」「虚無感」「どうせみんな死ぬから」という
絶望感に何故か惹かれます。
この虚無感の出処はこの人の専門であるカントからきているのでしょうか。
私はカントを読んだことがないので分りません。

私の中には『この人みたいに、スパッと生きれたら・・・』という思いがあります。
世の中は「しがらみ」や「きれいごと」で一杯です。

組織の中では言ってはいけないこと。
やりたくないことでも、立場上、円滑にまわさなればならないこと。
周囲と(表面的に)同調を余儀なくされること。
その場合、本心は上手く隠しておかなければならないこと・・・

これらを全部拒否すれば、相当な風当たりと過酷な状況が待っています。
だから私を含め、多くの人は「なぁなぁ」の世界でなんなく留まっているんだと思います。
もっとひどくなると、そんな疑問さえどこかへ忘れて、不感症になってしまうのかもしれません。

しかし、少なくともこの著者には、それと戦う姿勢、または拒否する「強さ」が
あるように見えました。もう少し他の著書も読んでみたいと思います。
返信する
世の中 (通りすがり)
2010-09-17 02:50:18
と一言に言いますが一言で言える世の中なんてどこにも無いと思いますが
返信する
世の中 (つばめ)
2010-09-17 02:51:17
そこまで厳密に言う場合、その通りですね。
返信する
感受性の問題 (通りすがり)
2010-09-17 09:09:20
この引用されておられる哲学者の方は、何か自分の嫌いな人を十波一絡げにして述べているような感じがします。実際に本を読まないで言うのは良くないと言われるのでしょうが。哲学者は往々にしてそう言った傾向にあります。上段に構えて決めつける。述べられている「感受性」についても感受性と言う物を比較することが果たしてどうなのかと思います。何でもありのこの時代一定の価値観を持つのが果たしてよいのかどうか、私は一言で語れないのではないかと思うのです。絵画や美術も然りであることは燕さん良くご存知でしょう?
返信する
いろんな受け取り方 (つばめ)
2010-09-17 15:41:42
通りすがりさま

この著者については私も全肯定できるという感じではない、
ということは先に触れた通りです。
だけれども、私はそういう所は読み流して、自分がいいと思った
エッセンスだけを取り込むようにしているのです。

確かに、自分の嫌いな人の定義は、少々乱暴な感じがしますが、
それはあえて「狙った」ことだと思います。
上段に構えている感はあるかもしれませんし、
鼻につく感じもあるでしょう。

この著書が述べている10の項目は、みんなに共感してもらおうとか、
一般的にあてはまるだろうとか、そういう思いで書いてるのではない
と思いました。
ただ「偏屈なひねくれオヤジ」がマイノリティとして感じたことだけを、
頑迷に述べているだけなので、気に入らないとか、納得できない人は
「変な奴」でスルーしてもいいと思います。

「感受性」という言葉についてですが、
何か違和感を感じた時に見逃さない「直観力」、
ひっかかりや、ざらつきを簡単に受け流さない姿勢、
そんな意味に取りました。まぁ、それも個人差はあるでしょうが、
決して、一定の価値観を持つのがいいという主張ではないし、
また、芸術的感受性とかいう意味での使われ方でもない気がしました。

ただ、何度もいいますが、私はそういう本であることを承知で、
それでも尚且つ、自分が納得した部分だけを受け入れたらいいのでは、
というスタンスです。

いずれにしても、好き嫌いが分かれる著者ですし、
読まないで著者に反論もフェアではない気がします。
読んでやっぱりムカついた、でもいいのではないでしょうか。
1冊の本で、全ての人が共感できる訳でもないのですから、
反論や異論もあって当然です。こんな考え方する奴もいるんだ、
くらいの気持ちで読んだらいいのではないでしょうか。
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おっしゃる通りです (通りすがり)
2010-09-17 21:58:15
通りすがりに書き込みしまして申し訳ありませんでした
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