スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

【出発点に戻って】死は終わりではない⑦(終)

2012-04-12 00:05:36 | 高森光季>死は終わりではない
 「人間の個性は死後も存続する」ということが真実なら、なぜそれを示す事件が頻繁に起こらないのか、誰もが納得するようなはっきりした証明がなされないのか、と否定論の人たちは言います。それは、「死後存続」を受け入れた人たちも、同じように考えています。 これについては、「わかりません」と言うしかありません。はっきりしたことは何も言えないのです。 ただ、いくつか推察できます。もっともこれは物質的な基盤がある . . . 本文を読む

【出発点に戻って】死は終わりではない⑥

2012-04-11 00:05:18 | 高森光季>死は終わりではない
 「人間の個性は死後も存続する」というと、「じゃあ、どうなるの?」という問いが当然出てくるわけです。 実はこれ、「はっきりとしたことは不明」としか言いようがないのです。おおまかなこと、標準的と思われることはありますが、「こういう仕組みがあって、こういう場合には必ずこうなる」というようなことは確定できない。 というのも、人間の魂というのは、千差万別だからです。成長度合い、嗜好、課題(解決・学習すべき . . . 本文を読む

【出発点に戻って】死は終わりではない⑤

2012-04-10 00:05:26 | 高森光季>死は終わりではない
 人間は霊魂だ、つまり肉体とは別の“私”が存在する、ということが、どうしてそんなに忌むべき考え方とされるのでしょうかね。 今まで、宗教がそういうことを言って、脅したり金を巻き上げたり人を殺したりしてきたからだ、という意見もあります。それは否定できません。今も、「霊の祟りが」と言って壺を買わせたり財産を巻き上げたりする輩がいるのも確かです。(もっとも「この株、儲かりまっせ」と . . . 本文を読む

【出発点に戻って】死は終わりではない④

2012-04-09 00:05:12 | 高森光季>死は終わりではない
 私は唯物論的な世界観を捨ててから結構時間が経っていますので、その世界観がどんなようなものだったか、よくわからなくなっています。で、前にも、唯物論に対する疑問を書いたことがあります。(「純粋な唯物論者は多いのか」) そこにも書いたのですが、唯物論者でも、まったく「価値」を設定していないわけではないだろう、と。例えば科学者たちは、次のように思っていないでしょうか。 ――人間は、物質が偶然生み出した生 . . . 本文を読む

【出発点に戻って】死は終わりではない③

2012-04-05 00:05:54 | 高森光季>死は終わりではない
 「“私”は死後も存続するのか」 この問いは空理空論ではなく、すべての人に関わりのある問いだと言えるでしょう。 この問いに「イエス」なのか「ノー」なのか。それが「霊魂説」と「唯物論」の対立です。 どちらですか? こういう問いかけを無化しようとする人もいます。「この二者択一自体がおかしい」とか「“私”は存在しない。生も死もない」とか。 ぶっちゃけて言え . . . 本文を読む

【出発点に戻って】死は終わりではない②

2012-04-04 00:03:04 | 高森光季>死は終わりではない
 「死ねばおしまいではない」ということを示す事例はかなりたくさんあります。 ここでいちいちその代表例を挙げて、検証や論争を紹介するのはしんどいのでやめます。 一つだけ、最近の日本での事例を挙げておきます。 それは、稲垣勝巳氏という催眠療法家が、「過去世退行」を施術した際に出現したケースです。 難病を患っている里沙さんという女性(岐阜県在住)に、「過去世に戻りましょう」という暗示をかけたところ、里沙 . . . 本文を読む

【出発点に戻って】死は終わりではない①

2012-04-03 00:02:42 | 高森光季>死は終わりではない
 スピリチュアリズムの紹介・解説をずいぶん逸脱して、少し暴挙かなと思えるようなこともしてきましたが、そろそろこのブログも一段落という感じになってきました。 このあたりで、改めて出発点に戻って、現時点で思っていることを書いてみます。      *      *      * 私が言いたいことは、ごくごく単純なことです。 それは、人間は単なる物質の集合体なのか、それともそうではないのか。 もっと単純に . . . 本文を読む