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【出発点に戻って】死は終わりではない⑤

2012-04-10 00:05:26 | 高森光季>死は終わりではない

 人間は霊魂だ、つまり肉体とは別の“私”が存在する、ということが、どうしてそんなに忌むべき考え方とされるのでしょうかね。
 今まで、宗教がそういうことを言って、脅したり金を巻き上げたり人を殺したりしてきたからだ、という意見もあります。それは否定できません。今も、「霊の祟りが」と言って壺を買わせたり財産を巻き上げたりする輩がいるのも確かです。(もっとも「この株、儲かりまっせ」と言って詐欺を働く輩の方が数千倍いるでしょう。どういうわけか株取引は叩かれませんね。)
 けれども、穏当な「霊魂観」(というのは自己抑制であって、こちらからすると「正しい霊的真理」と言いたいところなのですが)があれば、そんなものに引っ掛かるわけがない。むしろ大概の「宗教的圧迫」なぞは簡単にはねのけることができるはずなのです。

 かつて、オウム真理教が犯罪を犯した時、世間は「なぜ東大卒のようなエリートがそんなものに」とびっくりしたわけですが、それは東大出であろうと何であろうと、そういう方面に関する基礎的な知識・常識がなかったからだと思いました。あれは、唯物論の焼け野原に突然増殖した異常種だと。焼け野原だったがゆえに生まれたセイタカアワダチソウのようなものだと。
 私の記憶が正しければ(たぶん正しいと思っていますが)、麻原の裁判の時、吉本隆明氏がこう言いました。「麻原が被告席で空中浮揚を見せれば、裁判は一変する」と。
 唖然としましたね。知識人とやらのレベルはこんなものか、と。空中浮揚という超常現象は、別に何千年に一度しか起こらない現象ではありません。19世紀の欧州では、何人かが起こしています。それを起こしたからといって、何が変わるというのでしょう。被告の主張が真実性を帯びるということなのでしょうか。犯罪も軽減されるということなのでしょうか。
 あほかと。物理的心霊現象は起こる時には起こりますし、それが起こったからといって、動作主体の言説の真実性が保証されるわけでもありません。むしろ低級霊、いたずら霊の方が、そういうことを起こすことが多い。
 同様なことはあちこちで見られます。透視や予知が当たったからといって、その霊能者の道徳的優秀性が証明されたことにはならない。憑霊としか思えないことが起こったからといって、その霊の言葉が正しいものか、善意のものかはわからない。けれども、普段そういうものに対する基礎知識や情報がないから、驚嘆して何でも受け入れてしまう。この人は神かと思ってしまう。
 別にスピリチュアリズムを知らなくても、伝統的・常識的な宗教言説を知っていれば、そういうものを簡単に信じてはいかんということはわかるはずです。そういうものに触れていないから、焼け野原だから、変な化け物が生まれる。今さかんになっている新興宗教も同じで、「私(教祖)は誰の生まれ変わりだ」とか「誰々の守護霊と対話している」とか言っているのは、そもそもが宗教的節操(霊的謙遜)を欠いたものであることはすぐわかるはずです。

 いささか宣伝めきますけれども、スピリチュアリズムというのは、基本的には「人間の個性は死後も存続する」ということを言っているだけであって、宗教のように「何を信じなさい、誰を崇拝しなさい、何を毎日しなさい、何に所属してお金を払いなさい」というようなことは一切ありません。むしろそういったことを否定する傾向すらあります。
 だから、「悪霊が憑いているから壺を買いなさい」などと言われても、スピリチュアリズムを知っていれば騙されることはありません。最後の審判や地獄墜ちといった脅しも、通用しません。個人崇拝や教条主義、宗教組織や権力や集金システムなどは一切否定することができます。宗教者や霊能者が法外な金額を要求してきたら、「霊(神)はただで働いているのにどうしてあなたはお金を取るのか」と言えばいいだけです。「宗教(組織)のために働け」と言われたら、「私の責務は自己の霊的成長だけです」と言えばいいのです。(まあ、だから、スピリチュアリズムは大衆流行しにくいのだと思いますが。)
 ちなみに言っておきますが、スピリチュアリズムと昨今日本で流行している「スピリチュアル」とは、混同しないでいただきたいものです。「超越的なもの(霊や神秘法則)をコントロールして現世利益を得ようとする」ものは、オカルトであって、スピリチュアリズムではありません。中にはスピリチュアリズムを部分的にパクって「自己宣伝」「自己神化」をしようとしている人もいますが、まあ、僭越ながら、そういう人の後生が心配です。

 「人間は肉体とは別の存在だ」という考え方が多くの人に忌避感を起こさせるのは、ほかにもいろいろと原因があるようです。そのことはここでは省略します。
 ただ、そういう考え方も可能だよ、一定の信憑性はあるよ、それだからといって宗教を認める必要はないよ、とは言い続けたいと思います。


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