「あまりにも異常な日本の論文数のカーブ」に対しては、皆さんから貴重なコメントをたくさんいただいていますが、「学術文献データベースの読み方」についてお話をしているので、なかなか、本論に入っていけませんね。でも、“論文数”なるもののデータの解釈について、ある程度の共通理解がないと、妥当な原因の分析や対策の考察までたどり着けませんので、もう少しだけご辛抱をお願いいたします。
エルゼビア社のデータベースによる「あまりにも異常な日本の論文数のカーブ」をめぐって、学術文献データバースの読み方についてお話してきましたが、今までの考察を簡単にまとめておきます。
1)データそのものに何らかのミスや間違いのある可能性(今回のエルゼビアのカーブについては「基礎研究・人材育成部会」の担当者に再確認をしていただく)
2)実際の論文数とデータベースの論文数には乖離があること。
(ア) 収載する学術誌(特に新興国の学術誌)を急激に増加させること等がデータベース論文数に影響する可能性を念頭におくこと(データベースの“くせ”の問題)
(イ) データベースの1年ごとの論文数は“くせ”等によってけっこう変動することがあるので、中期的なトレンドを読み取る方が適切
(ウ) 1つのデータベースだけではなく、複数のデータベースによる分析を併用することが大切
3)国際共著論文の比率が、論文数の分析に際し無視できない程度に増えつつあること
(ア) 整数カウント法と分数カウント法があること。(分数カウント法は専門の研究者でないと困難)
(イ) 国際共著論文の方が、被引用数が多くなる傾向があること
4)研究力を判断する際には、論文数だけではなく、質(?)も加味できる指標の方が望ましいこと、
5)研究力の国際競争力を判断する際には、国際シェアで表現する方が望ましいこと
4)と5)については、あまり詳しくご説明をしなかったので、きょう若干追加させていただくことにします。
質(?)も加味した論文数の指標としては、たとえば、「Top10%論文数」と呼ばれている指標があります。これは、被引用数が上から数えて10%以内に入る論文の数、つまり注目度の高い論文がいくつあるか、ということを示しています。先のブログでご紹介した文科省科学技術政策研究所の阪さんのレポート(調査資料204など)では、「Top10%論文数」の分析も行われています。
注目度(被引用数)の高い論文の方が、イノベーションとのリンケージが良いことは、先のブログでもお話しましたね。
もし、学術論文をイノベーションと関連づけて、日本が海外にイノベーション(またはイノベーションから生まれた製品やサービス)を売って、海外から資源などを買うということを研究活動の重要な意義の一つと仮定するならば、海外との相対的な競争力が問題となります。つまり、日本が質の高い学術論文(そのうちの一部がイノベーションにつながる)を多少増やしたとしても、海外諸国が日本よりも質の高い学術論文をさらに多く増やして、イノベーションにつなげた場合、日本のイノベーションを海外で売ることは困難となります。
このような考えからは、論文数の指標としては論文の絶対数というよりも、海外に比較して、何パーセントのシェアを占めているか、という指標、あるいは相対的なランクの方が重要になります。しかも、イノベーションとのリンケージの良好な、注目度(質?)の高い論文数のシェアが大切ということですね。
阪さんたちの調査資料204から、トムソン・ロイター社のデータベースを用いて分析した、論文数の国際シェアのグラフを下に引用します。http://www.nistep.go.jp/achiev/results01.html
このグラフを見ると、中国などの新興国の論文数の急増により、先進国の国際シェアは当然のことながら下がることになりますが、日本の下がり方のカーブが、他の先進国に比較して、あまりにも急峻ですね。しかも、英、独、仏の欧州諸国は、Top10%補正論文数の方は維持をするか、むしろシェアを増やしているのに対して、日本はどんどんと低下しています。
日本の論文数が減っても“質”が維持できればいいではないか、というご意見もあったと思いますが、ほんとうに残念ながら、日本の現状は“数”についても”質“についても、国際シェアを急速に低下させていると考えられます。
なお、各分野の中でも、化学、工学、臨床医学、基礎生命科学などの分野が、論文数やTop10%論文数の停滞または減少を示しており、苦戦をしているようです。また、研究機関別では、最も大きく論文産生に貢献している国立大学が停滞しているとの結果です。
エルゼビア社のデータベースの論文数のカーブは“あまりにも異常”を感じさせるものでしたが、トムソン・ロイター社のデータベースによる国際シェアのカーブも、それに負けず劣らず、“異常”を感じさせるものではないでしょうか?
さて、それでは、日本はどれくらいの国際シェアを維持すればいいのでしょうか?
中国などの人口の多い国が学術論文数を増やしてくれば、国当たりの論文数あるいは質?の高い論文数が抜かれることは当然であり、また、日本のシェアが小さくなっても当然なのですが、やはり、1億2千万人(将来は8000万人くらいになると言われていますが)の日本人を食べさせていけるだけのイノベーションに結びつく論文数を維持したいですよね。
そのためには、資源の少ない国は、人口あたりのイノベーション数を資源国よりも何倍か多く保つ必要があると思います。といっても何倍あればいいのか、ということまではよくわからないのですが・・・。
とりあえずは、たとえばドイツという国と同レベルの生活がしたいということであれば、ドイツをベンチマークして、目標にするということが一つの方法かもしれません。ドイツは人口が約8千万人と日本の将来の規模と同じくらいであり、また、技術立国としての伝統も良く似ているので、日本としてはベンチマークしやすい国ではないかと思います。
「人口あたりのイノベーション数」に対応する学術論文の指標としては「人口あたりのTop10%論文数」などが候補になりうるのではないかと思います。そして、先進国の人口あたりのTop10%論文数を計算したのが、以前のブログでもお示しした下の図です。
日本は実に21番目です。ドイツに追いつこうと思ったら、今の3倍も質?の高い論文を増やさねばなりません。シンガポールなんて夢のまた夢。19番目の台湾でさえ、人口あたりにすると日本の1.5倍の質?の高い論文を産生していますからね。
日本がまずベンチマークするべき相手はドイツはとても手が届かず、台湾かもしれません。でも、台湾を目指すとはいっても、今の日本の研究力を1.5倍にすることは、大学の予算を削り続けている現在の日本の政策では至難のわざですね。そして、仮に日本が1.5倍にした頃には、台湾はもっと上にいっていると思います。
今のままの政策が続けば、ドイツや台湾に追いつくどころが、さらに順位が下がっていることでしょう。
台湾のことが出てきたので、台湾にいらっしゃるPI(研究室主宰者)の方からのコメントをご紹介しておきましょう。
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論文数を大学内でちゃんと評価すべきでは (台湾の大学のPIです(日本人))
2012-06-29 07:05:05
台湾では国立大学も私立大学も研究中心の大学では、大学ごとにさだめる一定の質のジャーナルに論文を掲載すると、ボーナスがでます。また、大学内の研究所やセクションごとに論文業績や獲得外部資金を毎年集計して、大学内の予算配分に反映していると思います。このような仕組みも有効かもしれません。この仕組みによって、ひとりひとりは、テニュア審査や昇進に必要最低限の論文数を超えて、論文を書き続けるモチベーションを持ちやすいのではないでしょうか。
ところで、日本国内に職がなく、海外でPIやポスドクをする日本人の業績は、上の集計では日本には反映されていないですよね。
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私も3月に台湾の大学にいってきましたが、大学によってやり方に差があるとは思いますが、”台湾の大学のPI”さんがおっしゃる通りのインセンティブシステムを実行している大学がありました。
以前のブログでお示ししましたように、台湾は、人口あたりにすると日本の政府支出研究費の1.5倍投資しており、それにぴったり一致する1.5倍の質の高い論文数を産生しており、なお急速に増加しています。
日本は、台湾の研究費だけではなく、このような、質の高い論文を産生するシステムも学ぶべきではないかと思います。
”台湾の大学のPI"さんへ。もし、よろしければ直接ご連絡をとりたいので、よろしくお願いします。
なお、「日本国内に職がなく、海外でPIやポスドクをする日本人の業績は、上の集計では日本には反映されていないですよね。」というご質問ですが、論文の所属にJapanの記載がなければ、残念ながら日本には反映されませんね。
(このブログは豊田個人の感想を述べたものであり、豊田が所属する機関の見解ではない。)
日本の空前のバブルのピーク(日経平均株価でいえば1991年末)を挟んでも、極端な上昇もなければ、「失われた○年」での極端な下降もありません。
中国で見られるような好景気とあわせたアカデミックでの存在感の拡大とは大違いです。
つまり、日本では、金回りを良くしても、それがアカデミックに回ってこない&アカデミックで活用する仕組みがそもそも作られていないのです。
もともと、国策がなかったところに、近年の不景気で、『化学、工学、臨床医学、基礎生命科学』分野を『国立大学』がひっぱれない状況が生まれるのは必然です。
本当に、地方大学が苦しんでいるのは、金で解決するのでしょうか?人件費でポストを設けて、研究費を付けることで改善するのでしょうか?
島津の田中さんのような企業研究者がノーベル賞を取れるようになった現在の日本では、化学分野については、タンパク質分析法への執念とか、クラゲの発光物質への執念とか、導電性高分子への執念とか、クロスカップリング触媒への執念のように、「とにかくそれに執着する執念」を持った研究者がどれだけいるか、心配です。
湯川秀樹先生が梅原猛・ 桑原武夫・末川博先生たちとの対談された『現代の対話』をご覧になった研究者はどれだけいるでしょうか?
湯川先生の仏教も含めた日本文化への広い見識を見れば、理論バカがノーベル賞を取れると考えるのも早計です。あくまでも、深い思索をさまざまな観点から日常生活の中でずっと頭の片隅に置きつつは引き出して考えてみる、というストイックな生活が理論物理には必要なのです。
アカデミアが、研究者への金の使い方も知らず、研究者にムダな時間の使わせ方をしているのは、もう私がいた1995年ごろからの悪習です。
しかし、戦時中・終戦直後に限られた情報や資材で独自に理論や物質を生み出した先人のストイックさを、今の人材は本当に持っていますでしょうか?そこが、民間にも政府にも人材を輩出できない日本のポスドクの現状の裏側にないか、自省も必要かと考えます。
『…、1980 年代世界第4 位であった日本は2000 年にかけて上昇し、世界第2 位にまで上った。その後中国の論文数シェアの増加に米・英・独・日・仏とシェアを食われ、下降基調となっている。…』(p.28)
と、単に中国の論文数の爆発で、相対的に先進国の論文数シェアが下がって見えるだけ、ではありませんか?
『図表 11 主要国の論文数の変化(件)』(p.10)を見れば、日本も含めて、論文数は単調増加しています。その上昇率が、中国があまりに大きいために、シェアが相対的に下がっているだけで、それは、日本に限らない、ということです。
『図表 57 特定ジャーナル分析_SCIENCE』(p.54)や『図表 60 特定ジャーナル分析_CELL』(p.57)では、日本のシェアの減少は食い止められ微増傾向を維持できています。
『図表 64 各分野の主要国の相対被引用度の推移』(p.61)でも、微小な増減があるのみで、1985年から2010年での大きな変動はみられません。
以上は、『5.まとめ』の『(3) 個 別指標に見る主要国の研究活動の状況』の○3○4にある分析の通りです。
失礼ながら、我田引水のための恣意的な特定データのみの引用提示であれば、「結論ありきのストーリー」であり、論に耐えません。フェアなレポートの価値を貶めることのないようお願いいたします。
バブルのころには順位が低く、失われた10年20年といわれた時代に順位を上げていたということは、論文数を増やしても日本の経済になんらプラスにならないとうことですね。
それならば、空前の経済危機にある日本で、論文増産のためにお金をかける必要はなくなってしまいますね。
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