こもれび日記

TVのこと、孫のこと、ボランティア活動など日常のことを書く

「希望の缶詰」石巻市、木の屋石巻水産さん、支えたVOさん達あ、えらい。(備蓄)食料では「缶詰」、

2012-02-24 16:17:31 | Weblog
     「希望の缶詰」石巻市、木の屋石巻水産
2012年2月21日久し振りで横浜駅西口へ行った。  ダイヤモンド街へ下る階段の右手で、大震災後掘り出したという、石巻市、木の屋さんの「希望の缶詰」を販売中!!・・・・このことは報道番組TV等でも見るが、実際この目で、販売状況を発見・経験したやはり感動だ。「よく頑張ったね、出てきたね!」とおもう。(みんなが元気に販売している様子の写真が無く残念!!)
かなりのお客さんが「あら、アラ」と感心しながら、店舗内で買っていた。

写真リーフレット
           (1)(老眼で)を読むと、大変な状況と、苦労と支援の様子がしのばれる。
リーフレットの一部分引用≪缶詰倉庫の床や壁が、震災後約4ヶ月ぶりに見えたときには本肖に感無量でした。≫

≪当初は、たとえ途中でも.6月一杯で
終わらせようと考えていた缶詰の発掘
でしたが、「希望の缶詰」をご購入いただいた皆様からの心温まる声援の数々に支えられ、最後の一缶まで、
全てを掘り出そうと決めました。≫と・・

店舗を囲って:震災、約2ヶ月後の様子(2011.7.21)のパネルからも、凄さを今更のように感じた。・震災、約4ヶ月後の様子(2011.7.21)

・YOUTUBEでも2011年11月1日 ... 7月に明治学院東村山高校有志ボランティアチームがお世話になりました木の屋さんの 、3ヶ月後の様子です。・・・とあった。皆の支援は続く・・・
(2)最近は(備蓄)食料では「缶詰」、その他も報道されている。備えることはよいことだ。
どうもここには書きにくいが、約17年前、大変古い話になるが、勤めが霞が関ビル内にあった頃、防災訓練を毎年行った。しかし幸運なことに災害は無く、当時は、階段の上下で【運動】訓練後に缶ビールと期限のきた缶を開けて「かんパン」をおつまみに・・・と優雅なものだった?(危機意識に欠ける!と声が!)
(3)更に昔々終戦の翌年(1946年)、疎開から横浜へ帰って来たころ、幸い戦災から免れた家の防空壕の隅に1ヶ「缶詰」を発見した時の喜びは今も、胸にじんとくる。


雪と豆:今全国「天災」ともいえる大雪。節分:豆撒き:恵方巻:商戦が盛ん。中谷宇吉郎。立春

2012-02-04 11:29:33 | Weblog
雪と豆:今全国「天災」ともいえる大雪。節分:豆撒き:恵方巻:商戦が盛ん。

(1)雪
 戦時中:疎開地S県で大雪を経験し(9歳?)大変だった。
 今:TVニュースやY県の縁者から大雪の便りがあり、雪かきとう大変の様である。
(2)豆:戦時中疎開地S県でお祖母ちゃんが「お豆さん」といい、当時大変貴重蛋白源でだった(ことことと煮ていたなァ)。  と今思う。
 今は、厄除招福・といい、3日:(ア)節分:豆撒き:TVでは成田山(大いににぎわい大量にまくいた:イベントとしても楽  しい)。
我々二人では「1日にママが市川で、例年の通り「節分での豆撒き用に」を頂いてきた。「子鬼の子袋」(写真)を開いて「ゆっくりと???・・・・・」
(イ)恵方巻:関西に始まったが、今や色々な関連商品もあり、商戦が盛ん(恵方大福餅。恵方ロールケーキまで)今年の恵方は「北北西」で、その間は話をしないで食べるよいと言う。6時20分から約6分夫婦は無言で食べた。エええ・・とわらい話だが

(3)4日(立春)というが、全国「天災」ともいえる大雪であり、被災者には心からお見舞いを申し上げます。
 
・そんな時に不適切なことですが、ふと、中谷宇吉郎が雪を「天から送られた手紙」にたとえていましたが、現状をどういうでし ょう??