Toshizoh's Bar

大阪を愛する編集者トシゾーのほろ酔いメッセージ。

応神仁徳天皇の河内王朝の宮は百舌八幡?

2015-08-28 00:57:44 | Weblog
応神仁徳天皇のどでかい古墳は堺にある。ゆえに河内王朝の存在を唱える学者もいる。

しかし、その王朝の宮がどこか、断言する人は少ない。

普通に考えたら、墓のそば。というと、百舌八幡か? たしかに八幡さんは応神天皇を祭神とするから、矛盾しない。

聖徳太子という男

2015-08-28 00:07:31 | Weblog
聖徳太子はただの善人ではない。実在したかどうかも、わからない。誰かの虚像だという見方もある。
蘇我馬子の虚像だ、という説もある。

伝わるキャラクター。

仏教徒。日本で最初に焚書をした。唐の舞楽を強要した。

どうも、ヤマトだな。

蘇我馬子も、熱心な仏教徒だった。

倭国は基本的に仏教徒ではない。
道教もしくは神道。

つながりの深い寺は、法隆寺。
法隆寺は天武天皇がジンシンの乱で勝った時に筑紫から移築したのでは?

天智天皇再考

2015-08-27 12:31:01 | Weblog
日本、という呼称を使い始めたのは、天智天皇だ。誰かが持統天皇と書いていたが、間違いだろう。この人は百人一首に収められたら和歌も普通に読み誤っていた。持統天皇は高市皇子である。
で、天智天皇は成人までは葛城皇子と呼ばれていた。葛城は、奈良の葛城だろうなあ。そして葛城は秦氏の土地でもあった。
天智天皇、まさに、ヤマト=日本の本流の人であるか。

天智天皇再考

2015-08-27 12:29:48 | Weblog
古墳は全国各地にいろいろあるが、天皇陵とされる古墳のなかで、埋葬者が確実なのは、実は2つだけ。天智天皇陵と天武天皇陵だ。天智天皇陵は山科にある。あまり話題にならないが、天智天皇と秦氏はつながりがあったのでは?

道教と仏教

2015-08-17 23:07:34 | Weblog
魏史倭人伝に卑弥呼の記述がある。鬼道をよくする、という記述がある。シャーマニズムという説があれば仏教だ、という説もある。
しかし、隋書タイコク伝にある、タリシホコが倭人であるとして、彼のやり方は道教的だ。
卑弥呼の鏡好きは有名な話だが、それってどうしてもヤマトなイメージなんだが、刷り込みの怖さか。

神武とニギハヤヒがまたわからなくなる。

神武天皇と天智天皇がつながっているというが、それも見えにくい。

ただ、近江に目を向けると見えてくる気がする。多賀大社が神武天皇の都の跡だとすると、だ。
そうすると、仏教だろうなあ。

話は飛ぶが、吉野に目をつけたのは道教集団だろう。水銀目当てだ。

一方、ヤマトは山人だという説があるが、山師が浮かぶ。

山師、鉱山技術者は朝鮮半島経由で日本にきた連中だ。
彼らの宗教は中近東的で、原始キリスト教もかなり濃かったのではないか。

神武東遷は沖縄から北九州かもしれない?
北東すぎるか。
では、中国大陸のどこか、か?

倭国と日本、だけじゃない

2015-08-15 00:06:21 | Weblog
『あざむかれた王朝交代 日本建国の謎』斎藤忠を一気に読んだ。
倭国と日本の関係の論理の展開は目を見張るものがある。

しかし、応神・仁徳天皇の謎が一向にとけない。

日本の宗主国となったのは、倭国である。日本のほぼ全域に加え、朝鮮半島の半分を治めることを周に認めさせていることは動かしがたい事実だ。

日本書紀によると、日本をまとめたのは、ヤマト=日本だが、正しくは倭国であろう。(日本書紀は倭国について記事なし)

ということは、鏡と太陽信仰と前方後円墳も倭国なのかね。

倭人は海人である。ということは基本的に月神信仰のはずだ。なぜなら、潮の満ち欠けと月が関連しているからである。

稲作をもたらし、太陽信仰で青銅器を聖器とした民族がいたはずで、斎藤理論ではその民族が、まったく視野から抜けている。それをここでは出雲とする。

また、斎藤理論では倭国と日本は本家と分家の関係とされるが、本家と分家で宗派が違うということもありえないのではないか。

日本は継体天皇--天智天皇のラインで宗教的には仏教なのではないか。大津京は滋賀県にあり、琵琶湖周辺は古代仏教の聖地密度が非常に高い。

一方、倭国は道教国家であった。アメノタリシホコ、卑弥呼、そして天武天皇。

それにしても、仁徳天皇がわからん・・・・・・