撮り鉄ブログ

https://www.zc.ztv.ne.jp/toritetsu/ 撮り鉄ギャラリー姉妹館です 

港、宮古、釜石、気仙沼・・・ 三陸縦断列車旅 ー その4

2023年06月07日 | 乗り鉄
右手に見えているのはGoogleMapによると
日本製鉄(株) 北日本製鉄所釜石地区 釜石火力発電所とある


4日目:釜石から気仙沼、大船渡線、石巻線で女川へ
この日は前日撮影した三陸鉄道の旧南リアス線区間の列車からスタートします。
この列車、上写真の釜石着7:33の列車が折り返しが7:41発の盛行となるのですが、釜石では10人程度の下車客があったものの、7:41発の列車の乗客は私と地元のお客さんの二人。またまた寂しい出発となりました。3日目の記事に書いたように三陸鉄道には並行して高規格の三陸沿岸道路と良く整備された一般国道の45号線があります。ドア to ドアで便利な車とどう共存していくのか、この地方の鉄道全般にとって非常に重い課題であると思われます。

盛駅南側の歩道橋から南側を見たところ
右端の道路が気仙沼に向かう大船渡線BRTの専用道路、その隣が釜石からの三陸鉄道線
三陸鉄道の車庫・留置線を挟んで左にカーブするのは岩手開発鉄道(赤崎方面)

石灰石を満載したホキをけん引した岩手開発鉄道の貨物列車

盛駅には8:28到着、三陸鉄道は旅客だけなのにホッパ車が並んでいる線路が隣にあるのは何だろう・・・と思っていたら何やら列車の物音が。慌ててカメラを構えたのが上の写真で、調べてみると岩手開発鉄道という第三セクター鉄道で、同社HPによると岩手岩橋駅から赤崎駅まで11.4km、赤崎にある太平洋セメントの工場に石灰石を運搬する鉄道とのことでした。僅か40分程の待ち時間の間に貨物列車を撮影できたのは神様のご加護そのものですが、探せばネット上に運転ダイヤもあったようで、少し予習不足を反省します。

さて盛駅からは大船渡線BRT(Bus Rapid Transit)に乗車します。
BRTは東日本大震災からの復旧に際し、大船渡線の気仙沼~盛間、気仙沼線の柳津(やないづ)~気仙沼間については鉄道とせず、旧線路跡を利用した専用道と一般道の走行を組み合わせたバス路線とし早期復旧を目指したもので、乗り換えの便や乗車券などの扱いは一応鉄道同等ということになっています。BRTをJR完全乗車の対象に含めるかどうか(基本はバスですから・・・)多少迷ったのですが、大船渡線や気仙沼線の追体験という意味もあり、折角なので今回乗車しておくことにしました。
先ずは9:10発の大船渡線BRTで盛から気仙沼に向かいます。

盛駅の気仙沼行きBRT乗り場 三陸鉄道と同一ホームの対面で乗り換えできる
ハイブリッド式の大型バスで、車内は一般の低床式乗合バスと変わらない

専用道との交叉箇所には一般車が進入できない様に専用道側に「踏切」が設置されている
感応式になっていてバスが接近すると自動的に開くようだ

細浦(ほそうら)付近の絶景区間の鉄道車窓の追体験もできる
列車からのんびり眺められたら最高だったが・・・

交通結節点ともなっている陸前高田駅のBRT駅 鉄道の駅があった場所とは200m程離れている

前述の様にBRTのルートには線路跡を利用した専用道と一般道とが混在しますが、陸前高田の様に被災の程度が大きく、町がすっかり作り直されて旧線路跡を辿ることに意味が無いような場所や、旧線路跡を復旧するのが著しく困難な場所、さらには病院や役所、観光スポットなど、一般道を経由した方が乗客の利便性が上がる場合には一般道を走るようなルートとなっているようです。また、時刻表には鉄道との相互接続はしない旨明記されていますが、今回の運行時刻は概ね正確で、大船渡線BRTは予定時刻通りに気仙沼に到着しました。

気仙沼駅前 港町ブルース歌碑のあった港付近とは1.5km程離れている


大船渡線列車もキハ110(画面奥が一ノ関)
左側は柳津からの気仙沼線BRTの降り場になっている

気仙沼からは再び「鉄道の」大船渡線に戻り、10:46発の一ノ関行に乗車します。
今の大船渡線は一ノ関~気仙沼の62.0kmですが、この線区は陸中門崎(りくちゅうかんざき)から千厩(せんまや)の間が猊鼻渓(げいびけい)や摺沢(すりさわ)経由の凸状に遠回りになっていて我田引鉄の典型の一つと言われています。建設当初は一ノ関から千厩さらには気仙沼まで真っすぐに東進する予定だったものが、摺沢出身の政権党である政友会出身の政治家の影響で1925年の最初の開業時点で北方に迂回した一ノ関~摺沢間となり、その後憲政会が政権を取ると再び南に下って1927年には千厩まで伸延、その後東進して今の様な線形で1929年に気仙沼まで到達しました。当初の予定通り陸中門崎から千厩まで真っ直ぐ東進していれば20kmぐらいは短く済んだかもしれませんね。

一ノ関南北で東北本線の運転系統は分かれており、同じ701系だが南側小牛田方面は仙台カラー
北側花巻方面は写真右に見えている盛岡カラー

一ノ関で東北本線に乗り換え、緑と橙の仙台カラーの701系電車で小牛田に向かい、小牛田で再び乗り換えて13:36発の石巻線で女川(おながわ)に向かいます。
石巻線は1912年に仙北軽便鉄道として一気に小牛田~石巻間を開業した古い路線で、1919年に国有化、大分遅れて1939年に石巻から東、女川までの開業しています。

沢田~浦宿(うらしゅく)間では風光明媚な万石浦に沿って走る
ポリカーボネートフィルムのせいでくっきり見えないのが残念

女川駅 前方に見えるのが温浴施設なども入る新駅舎

駅舎3階の展望デッキから見た女川の町
新しい商業施設シーパルピア女川の向こうに女川漁港が見える
鉄道の乗客ではなかったが観光客もそこそこ居て安心する

津波で基礎からなぎ倒された旧女川交番

この日は快晴で、真新しい商業施設の先の女川漁港の前には穏やかな青い海が広がっていましたが、その手前に保存されている旧女川交番や、その周囲に展示された復旧までの道のりを表したパネルを見ると、他の地域同様に震災が如何に甚大な被害をもたらしたのか、地域の人たちがどのように復興を成し遂げようとしたのかなど、ほんの一端ですが知ることが出来ました。
ただ、この旧女川交番を見て思ったのは、人の使わなくなった施設を保存することの難しさです。この交番の建物も樹木が茂りつつあり、少しずつ自然に戻りつつありました。地元の方と我々とではもちろん意識が違うでしょうが、他の震災遺構施設でも費用を掛けて維持することの是非が問われる日が来るのではないか・・・そんな気がしました。
この記事についてブログを書く
« 港、宮古、釜石、気仙沼・・・ ... | トップ | 港、宮古、釜石、気仙沼・・・ ... »

乗り鉄」カテゴリの最新記事