tonton

tontonの日常

安全基地

2019-08-30 17:53:38 | 日記
本は読み終わった^^
でも、何と言うか内容をまとめることも出来ない^^;

やはり、愛着障害は伴侶に同じ様な人を選ぶことがあること
学校や社会に生きにくい思いをしても
親に愛されたとか、周りの人に助けて貰える環境にあった人には、思い方を変えることで、例えば職場に行けないとか、学校に行けないとか言うことから抜け出すことが出来たりすると言うことだった・・・

親がこどもを愛さない関係の中のこともずいぶんと書いてあったけれど、親が愛していたから立ち直れたというのも、ずいぶんあった

まだ若い人がこれからどう生きるかという事かもしれなかったけれど、60歳をこしたような人がどう生きるかという事でもないような気がした

親でも先生でも、安全基地があることが家を出たり社会を生きることに必要なことだという事もあった

情報過多の時代に、ネットという、いつでもやめる事が出来る関係ではなく、リアルに、目を見て話すことが出来る人を求めることが大切だとも書いてあった

もう、読んだそばから忘れていく^^;

私には、リアル友だちで、もう40年の長い友だちという人が居る
途中、10数年連絡を取っていなかった空白の時間が有るけど、家族ぐるみの友だち

その人が私の安全基地だ
怒らないことが信条だという
怒らないという事があっての話しは、何か言っても怒られたりしないという安心感があって
ぉぃぉぃと言いながら笑い合うことが出来る

思うこと、言うこと、行動するときのことが、とても良い人
うんうんと聞いてくれて、でも違うときにはそれは違うよと言ってくれる
話をしていて、気持ちが温かくなる人だ

私はこの人がいるから、今まで来れたと思う

夫との生活で、愛着障害の傷をどうすることも出来ず、更に傷つく中で、そんな心配はしなくて良いと、言ってくれる人が居ることにどんなに安らぐかと

この人が普通に、親に愛されて育った人なのだなあと思う
愛されて育つ、愛する人と生活する
その当たり前と思うようなことが、きちんと過ごしてきた人の安定感を思うと、あまりにも自分と違うことにがっかりもするし、羨ましくも思う
イヤミなことを言わない人と、一緒にいるという事の安心感は大きい

ずるいことはしない
他の人に連絡するときでもその言葉の優しさ
普通に善人という人と居るときの安らぎ

この人と話をすることで私は元気にしていられる
いつもありがとうって思っている

本を読む

2019-08-30 12:13:06 | 日記
次男が脳室内出血と、その後の脳梗塞で
知的レベルが下がったことと同時に集中力が無くなったことに、これからどうしようと思った・・・30年も昔

それまで、みんな持ってると聞かされていたゲームを、買わずに居たのに
入院して最初に買ったものは、ゲームボーイだった
右手のマヒしている次男の手に、両手で持つ訓練になるからと・・・親指はなんとかゲームボーイを支えることが出来るようになった、ボタンもなんとか押していた

けれど、集中力の無さは、小さいゲームのカセットを5分とか、3分とかでカチャカチャ替える
もちろんクリアできないからつまらないのだろうけど

退院してきて、言葉が入院しているときから、です、ます、口調になった次男・・・どうなっちゃったんだ?
それでも時間は進む

私が時計も見ずに、お風呂に入っちゃいなさいよと、声を掛ければ、観ているはずのテレビの、もうじき終わるという、一番見たいような場面でも
はーい、お風呂入りまーすと、お風呂場に行く

ちょっとちょっと、あともう少しでテレビが終わるんじゃないの?見てからで良いわよ・・・

と言っても、別に良いのだ・・・集中力の他に理解力も無かったのかもしれないその頃

そんなことを思いだしながら

この愛着障害の本を、私はなぜ一冊を読むのにこんなに時間が掛かるのか?と思っている
一番今の私の関心事なのに、先を読みたいとか、これからどうなるとか、本当はそういう所なんじゃないかと思うのに・・・

本を読まなくなってずいぶんになる長姉にバカにされて嫌われた
老眼になってますます読みたくなくなった、本はいつも積ん読ばかりだ

ある人に言われた
愛着障害なら、感動した本とか無いでしょ
この本は何回も読みたいとか、この一節が好きだとか、人に勧めるときに説明が出来るとか
そういう本が無いでしょ、って

映画とか、何回も見たくなるような、感動したとか言うのも無いでしょ

そう言われたとき、嘘って思った
読むのが楽しくてもう終わってしまうのがもったいないと思った本だって有った
映画を観て感激して泣いたことだって、有った・・・

その時には反論したけど、今わかる気がする
人はもっとみんなこの本とかを感動して読むんだ
映画も良かったと思う思い方が私よりしっかりしているんだ、きっと

歌を読んで、感動したという人居るけど
歌で感動するって・・・好きとか、苦手とかの歌はあるけど、感動・・・わからない

だから、この歌が良かったと言われても
へ?どこが良かったの?普通なんだけど、って思う私がいる

じゃあ、自分で良いと思わないような歌をなぜ詠んでいるのか・・・詠みたいからだけど

良いとか良くないとかがわからない
想いは込めたつもりだけど、それが良いのかどうかは

そう、まるで味覚音痴の人がお料理作って居るみたいな
お砂糖もお醤油も、塩も本に書いて有る通り入れたからきっと美味しいはずと、言うような料理

何だかそんな気がしてきた

集中して読めば良いのに、本が読み終わらない
長姉の本は、付箋がいっぱい、マーカーで塗りつぶすから古本にも売れない、そういう本の読み方をしたことが無い、汚すのが嫌だから
だから線を引くなんてありえない、その分読んで良かったと思うことも、もう一度見直すなんて探すことも出来ない

愛着障害は、自分を見直すために、今までのことを言葉にすると良い、嫌なことでも避けずにその中に飛び込んでいくことで自分の思いに気がつくと書いてある

何度も何度もくり返し書きながら
その思いをどうするという所まで行かない私

もう少しで、克服するにはと言うことが書いてあるのに,どうしてそれを急いで読まずに、こんなふうにカチャカチャ書いているのか・・・自分でもおかしな奴だと思う・・・

でも、今日中には読もう、きっと読もう^^