tonton

tontonの日常

花菖蒲

2024-05-31 19:39:39 | 日記
55年前、園芸高校の国語の先生に森戸先生という方がいらした
勉強をしない生徒に、バカだバカだと、今なら問題になりそうな言葉だったけれど
普通科目の先生としたら勉強をしない生徒がさぞ残念だっただろうと思う

1年の時だけ文学部に入った時の、顧問だった

その先生が、学校のある深沢、駅で言うと等々力だけれど
そこからご自宅まで、植木鉢を買われて持って帰っていた
私がそこに居たときは花菖蒲の鉢だった
大きな花を咲かせている草丈も1メートルはないと思うけれど
大きな鉢には、粘土質の土が入っていてさぞ重かったと思う

湯尾先生が新聞紙で鉢を覆い、花も葉も茎も傷まないように、丁寧にきれいに包んで
鉢を抱きかかえることができるようにしてくれていたけれど

結婚して最初に住んだのは、溝の口の菅生というところ
なんという偶然か、少し高台になっていた所に、先生のご自宅があった
私は遠くから眺めただけで、声をかけることも出来なかった

こんな遠くまで、重い鉢を持って帰られたのかと
その頃の年齢はわからないけれど、六十ぐらいだったかどうか

今思えば、その時に声をかければ良かったと思いながら

花菖蒲のことと同時に、森戸先生のことが思い出される

左内頚動脈の狭窄

2024-05-24 16:37:49 | 日記
5月の連休の頃から、次男が、頬のあたりが鼻に向かってひっぱられるような、顔面けいれんのような気がするという
それから少しして、曇り空のような所を見ると点々と光るような気がする

それで、月に1度のクリニックを受診した時に、先生に伝えた
1年ぐらい、MRI を撮っていないから見てみようかと
1.5ステラのMRI だと思う、15分ぐらいか、次男がオーロラの画像を選んだから見ながら検査というけど、何となく目をつむっちゃうよねと
子どもの頃のMRIはひたすら寝ていたような

もう一度先生に呼ばれて、出血も、梗塞もありません、と言われたので、ああ良かったと思ったら
左の内頚動脈が細くなっている、と言われた
画像を観ながら、そうかもしれないけど…右の内頚動脈は、途中で途切れたように写っていない

側副血行路ができていたらこのままで良いかもしれないけど、その血管はここには写らないから、血管の造影検査をしないとわからない、と言われた

近くの大学病院か、子どもの時に入院した病院、そのほかにもう1つ、病院名を挙げられたけれど
考えてみましょう、という感じで話が終わった

ベンチに座りながら、参ったなあというのが正直な所

家に帰って、私は多くの相談電話で関東から関西に行くという病院名を伝えてきた
34年も経って、自分の息子の関西行きを考える日が来るとは思わなかった

相談電話で、関西の病院が症例が多いから、と伝えてきたけれど、その時、関東から関西に行くと言うことがきっとあれこれ考えたのだろうなと、自分のことになってから身に染みたりして

次男の頭は、子どもの時に6回も手術をしている、それは脳室内出血を起こしたために脳室の血液をお腹に流すという水頭症のための手術、最初の脳室ドレナージを、自分で抜いてしまったことで、髄膜炎になり、水頭症のためのシャントのやり直しがあって、間接手術の2回という、本当は6回もしなくてすんだことだったけれど

それから、大人になってからの頭痛がもしかしたら改善されるかもしれないという、噂のような話を信じて東北の病院にも行ってみた、そこで頭の後ろの手術

7回も頭をいじっていたら、どこでどんなふうに癒着を起こしているかもわからない
症例が多くて、いろいろな経験がある先生に診て頂きたい
相談電話の内容そのままが自分に帰ってきた

クリニックに受診した翌日、私一人で先生とお話しをしてきた
京都に行きたいのですが、病院の先生からの予約と言うことになっていて
予約をお願いしますと・・・

これを打っていたら、電話が入って、都合の良い時よくない時いつでもいいかどうかと聞いてくださったので、いつでもいいですと答えた

2回もテレビドラマでもやもや病が取り上げられていて、何かどこかで動きがあったのか?なんて思ったら、自分の家に動きがあったことで、ちょっとびっくり、なんじゃこりゃって感じ・・・

気が重かったけど、考えても仕方がない、相談電話を受けた人たちが、行って帰ってきたことを私も動くだけのことだ
以前は、主治医といい関係じゃなく、他の病院に行くと言えないという人も多かった
その時は完全予約になっていたのかどうかわからないけど、どうやって行ったのかも考えていなかった

今はHPで、外来の曜日も出ている、いつの火曜日になるか、動かない私も動かなくちゃ


またテレビでもやもや病

2024-05-19 17:37:00 | 日記
昨日の夜、テレビを見ていたら 花咲舞は黙ってない という銀行系のドラマで
もやもや病と言うことがとり上げられた

27歳の女性がもやもや病がわかって薬学科に進学して、製薬会社で社長の恋人になり、もやもや病の特効薬を作ろうとしていたけれど、ある日倒れて亡くなったという設定だった

昔、有名な脳外科医を講師としてお願いした時、昔はもやもや病は手術をしていたんですねと、言う時代がきっとくる
とお話しされていたけれど…

今もやもや病の登録者数は平成25年度で16086人ということだった
もともと難病と言うか、特定疾病は希少性と言うことが一つの条件になっている
希少性と言うのは、5万人ということが目途になっている

製薬会社で、その特効薬が作られたとしても、2万人という患者に薬が使われたとしても経営が成り立つかどうかという話だ

テレビでもやもや病がとり上げられるとき、有名な人が病気になったり、何か社会で話題になったりすることがあるけれど、患者会を離れてしまってからはそういうことも私は疎くなったから
ユニークな名前というだけで、作家の目にとまることもあるのかもしれない

ただテレビを見ていてその中で、この病名が出てくると、びっくりしてしまう


ドラマの中でもやもや病

2024-05-14 20:33:03 | 日記
アンメット という脳外科医が記憶をなくした女医のテレビドラマがある
記憶が寝た次の日はもう昨日のことがわからないという、ドラマ
ずいぶん前に、ガチ☆ボーイという映画があった 佐藤隆太 という人の主演だった
その話も、1日寝てしまうと、翌日は昨日の記憶がないと言うことだった、だから、好きな女性に何度もプロポーズしたという内容もあったりして

そのアンメットというドラマのなかに
もやもや病が出てきた 住職さんが読経の最中に倒れたというので検査したら、もやもや病だったと

今まで何度もテレビドラマの中で、もやもや病の患者さんが出てきたが、昨日のドラマは見ていて好感が持てた
患者さんに説明するときも、もやもや病という病名の説明から、手術をしたとしても、過換気につながる読経は難しいこととか

手術の内容が、STA-MCA吻合術ということで
普通の血管じゃなくて細くてもろいから手術も難しいと言うこと
そして、その手術のための練習を鳥の手羽先で練習していたけれど
そうやって、脳外科の先生方は顕微鏡の下で、両方の手をまるで両方利き手のように、細い糸で縫うのだという練習

講演の時には、先生がマウスの尻尾の血管を使って練習するという先生もいらした
とにかく、先生方はそうやって訓練して、練習して、手術をしてくださる

有名な歌手が、もやもや病と報じられた後からたぶんその影響と思うのと、病名のことで、テレビを作る人が使いたくなったのかもしれないけど

頭蓋骨に穴をあけるだけとか、間接手術とかある中で、直接バイパス手術としてSTA-MCA吻合術と説明が出てきたことが、なんか嬉しかった

私の次男は、間接手術だけで、直接吻合を受けていないけれど、患者会の中では多くの人が直接手術を望んで病院を動いた

ただただ、手術がうまくいって、普通の生活ができていた人が10年とか、20年とかが過ぎて、大きな出血を起こす人が何人もいて、完治する病気じゃないから、難病だからと言うことが大きく重いのだけれど

脳外科の病気は、しんどい、難病と言われるものはしんどい…

沖縄に行っていた次男が帰ってきた
帰ってきてくれると嬉しい^^