55年前、園芸高校の国語の先生に森戸先生という方がいらした
勉強をしない生徒に、バカだバカだと、今なら問題になりそうな言葉だったけれど
普通科目の先生としたら勉強をしない生徒がさぞ残念だっただろうと思う
1年の時だけ文学部に入った時の、顧問だった
その先生が、学校のある深沢、駅で言うと等々力だけれど
そこからご自宅まで、植木鉢を買われて持って帰っていた
私がそこに居たときは花菖蒲の鉢だった
大きな花を咲かせている草丈も1メートルはないと思うけれど
大きな鉢には、粘土質の土が入っていてさぞ重かったと思う
湯尾先生が新聞紙で鉢を覆い、花も葉も茎も傷まないように、丁寧にきれいに包んで
鉢を抱きかかえることができるようにしてくれていたけれど
結婚して最初に住んだのは、溝の口の菅生というところ
なんという偶然か、少し高台になっていた所に、先生のご自宅があった
私は遠くから眺めただけで、声をかけることも出来なかった
こんな遠くまで、重い鉢を持って帰られたのかと
その頃の年齢はわからないけれど、六十ぐらいだったかどうか
今思えば、その時に声をかければ良かったと思いながら
花菖蒲のことと同時に、森戸先生のことが思い出される
勉強をしない生徒に、バカだバカだと、今なら問題になりそうな言葉だったけれど
普通科目の先生としたら勉強をしない生徒がさぞ残念だっただろうと思う
1年の時だけ文学部に入った時の、顧問だった
その先生が、学校のある深沢、駅で言うと等々力だけれど
そこからご自宅まで、植木鉢を買われて持って帰っていた
私がそこに居たときは花菖蒲の鉢だった
大きな花を咲かせている草丈も1メートルはないと思うけれど
大きな鉢には、粘土質の土が入っていてさぞ重かったと思う
湯尾先生が新聞紙で鉢を覆い、花も葉も茎も傷まないように、丁寧にきれいに包んで
鉢を抱きかかえることができるようにしてくれていたけれど
結婚して最初に住んだのは、溝の口の菅生というところ
なんという偶然か、少し高台になっていた所に、先生のご自宅があった
私は遠くから眺めただけで、声をかけることも出来なかった
こんな遠くまで、重い鉢を持って帰られたのかと
その頃の年齢はわからないけれど、六十ぐらいだったかどうか
今思えば、その時に声をかければ良かったと思いながら
花菖蒲のことと同時に、森戸先生のことが思い出される