突然ですが、ここらは先般マスコミで報道された、最近にない考古遺跡発掘のホットニュースをお届けします。
と言いますのも、奈良県明日香村の都塚古墳(6世紀後半)が、石を積んで階段状のピラミッドのようにした国内では例のない方墳とわかったと、関西大が平成26年8月13日、発表したことです。
一帯は飛鳥時代の大豪族・蘇我氏の拠点で、蘇我馬子(?~626年)の墓とされる石舞台古墳(7世紀前半、方墳)を見下ろす丘にあり、被葬者を馬子の父・稲目(いなめ)(?~570年)とする研究者の指摘もあります。
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写真は上から、都塚古墳の全貌遠景、同古墳墳丘の様子、平成26年9月初旬当時の発掘調査中全景及び遺跡裏側のぶどう畑にもシートで覆われた調査中現場光景。
都塚古墳は後世の耕作などで壊され、墳丘の形や規模は不明だったが、昨年度からの発掘調査で1辺が41~42mの大型方墳と判明。
写真は上から、階段状石組みの様子と墳丘イメージ像。
墳丘の東側で、石を積んだ遺構を4段分(1段の高さ30~60cm)確認した。
元々7~8段あったとみられ、高さ4.5m以上に復元でき、方墳としては石舞台古墳(1辺約50m)に次ぐ大きさになると云う。
と言いますのも、奈良県明日香村の都塚古墳(6世紀後半)が、石を積んで階段状のピラミッドのようにした国内では例のない方墳とわかったと、関西大が平成26年8月13日、発表したことです。
一帯は飛鳥時代の大豪族・蘇我氏の拠点で、蘇我馬子(?~626年)の墓とされる石舞台古墳(7世紀前半、方墳)を見下ろす丘にあり、被葬者を馬子の父・稲目(いなめ)(?~570年)とする研究者の指摘もあります。
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写真は上から、都塚古墳の全貌遠景、同古墳墳丘の様子、平成26年9月初旬当時の発掘調査中全景及び遺跡裏側のぶどう畑にもシートで覆われた調査中現場光景。
都塚古墳は後世の耕作などで壊され、墳丘の形や規模は不明だったが、昨年度からの発掘調査で1辺が41~42mの大型方墳と判明。
写真は上から、階段状石組みの様子と墳丘イメージ像。
墳丘の東側で、石を積んだ遺構を4段分(1段の高さ30~60cm)確認した。
元々7~8段あったとみられ、高さ4.5m以上に復元でき、方墳としては石舞台古墳(1辺約50m)に次ぐ大きさになると云う。