野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 2023年3月5日 沢山峠の探索とみちさと峠・十二曲峠

2023年03月13日 | 奥武蔵へようこそ
(十二曲峠)

注意! 深沢から沢山峠までの間に道はありません。道の無い山を歩いた経験の無い人の入山は当ブログとしては禁止します。

西武池袋線東吾野駅のやや東に深沢という集落がある。深沢という名は集落内を流れる沢に由来しており、文字通り日和田山と丸山を結ぶ長大な尾根の近くまで深く切り込んでいる沢である。かつてはこの深沢集落から沢山峠を登って土山集落へと出る道があったのだが、「奥武蔵登山詳細図」(吉備人出版)の著者である池田和峰さんのブログ「奥武蔵 登山詳細図踏査日記」によると現在では倒木だらけの廃道状態であるという。奥武蔵登山詳細図には深沢からのルートとして、西光院から滝坂を登って深沢山と沢山峠との間の尾根に出るルートと深沢を遡ってユガテに登るルートが紹介されている。2017年にユガテから深沢へと下りたのだが草深く分かりにくい道であり、深沢周辺のルート自体がもはや登山ルートとして認識されていないのではないかと感じたものだった。

今回はその深沢探索第一弾として沢山峠の峠道を探ってみることにしたい。現在地理院地図に描かれている現峠道(飯能市と毛呂山町との境にあるもの)が廃道状態なのは前述のとおりだが、古い地形図を見ると旧峠道は沢沿いではなく、現峠道の北にある尾根を登っているように見える。そこで一先ず廃道状態と言われる現峠道の状態を確かめるとともに、旧峠道の可能性も探ってみたい。めでたく土山集落へ出られた場合にはまだ歩いたことが無いみちさと峠から鎌北を経て十二曲峠の道を歩く予定だ。

深沢から沢山峠への道を探る
3月に入り厳しい寒さもようやく緩んできた。2022年のまとめでも記したように今年から厳冬期の山歩きは休むことにしたので、今日が今年初めての山歩きである。スタート地点である東吾野駅に着くと駅員が常駐しなくなったという張り紙があり、自動券売機などが使えなくなっていた。駅員さんに挨拶できなくなったのは寂しい限りであるが、人口も利用者も減っている中で路線を維持してくれているだけでも有難く思わなければならない。ホームの前には蝋梅の木が花を付けており、良い香りが漂ってくる。駐輪場を過ぎて右に曲がり、高麗川を渡ると国道299号に出る。目の前には駐在所と医療センターがある。この辺りは平戸と呼ばれる地区で国道沿いの大きな集落という印象が強い。国道を東に進むとすぐに吾那神社が見えてくる。飛脚道の入口でもあり、ユガテに向かう登山者の多くがここから登っている。

(ホーム前の蝋梅 香りが良い)


(吾那神社を示す道標 すぐ脇に石段があり、上に見えている神社へ行ける)

吾那神社を過ぎると少々退屈な車道歩きが続く。国道沿いに人家が少なくなってきたなと思うと工事中の看板が見えてくる。その先に人家があり、そこが深沢集落への入口となっている。人家の前には手書きの看板らしきものがあるのだが、管理する人がいなくなったのか字が薄れて読むことは難しい。一方入口の西側には石造の古い道標があり、これから向かう上流方面には「土山 山根 毛呂」という字が彫られているのがわかる。土山は前述した沢山峠を越えた先の集落で、山根と毛呂は現在の毛呂山町が合併する前の山根村・毛呂村を指しているものと思われる。集落に入ると深沢沿いの開けた土地が続き、クルマが停められた民家が多い。それだけ現役で使われているものが多いということだろう。車道を登っていくと道が二手に分かれる。右手は西光院へと通じており、寺裏から滝坂を登っていくことができるという。ここは次の機会に挑戦したい。一先ずは深沢を更に遡る。

(古い石造の道標 滝坂が現役なので土山方面へ出られるという記載は間違いではない)


(深沢集落 沢沿いに作られていて人の住んでいる家が多い)


(西光院分岐 右の道に入れば西光院・滝坂へと出られる)

民家が少なくなってくると再び道が分かれる。一旦左の道を上がってみると沢を大きく外れて西に上がっていく。これは橋本山の南にある沢を遡る道のようだ。道を戻り、今度は右の道に入る。すると緩やかな砂利の登り坂が林の中に続いている。道は沢沿いに付けられているが崩れている所は無く、状態は良い。草を被る所も無く、轍が付いているところを見ると林業の車両が頻繁に入っているのではないかと思う。良い道が続くが今は花粉の季節。杉花粉が林内を飛び始めていて、花粉症がそれほど酷くない自分でも喉鼻に息苦しさを感じる。杉林に入ってから10分ほど経つと右手に明瞭な沢地形が見えてくる。目印のテープが括り付けられているところを見るとここが沢山峠の現在の峠道の入口であるらしい。沢を覗くと右岸(上流から見て右、下流から見ると左)に道らしきものがあるようだが倒木だらけだ。しかも沢を渡るのに渡渉も必要である。池田さんが廃道と看做したのは当然であり、ここを辿るのは別の機会にしたい。

(ここは右の広い道を進む)


(沢山峠の現峠道の入口 ザックの置いてある辺りを右に入っていけるが渡渉が必要)


(沢山峠周辺図 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

現峠道のある沢を見送ると深沢の左岸には急な斜面が続く。古い地形図を見ると現峠道のある沢には東吾野村(現在の飯能市)と山根村(現在の毛呂山町)との境が描かれているだけで、峠道はその先の谷から尾根へと上がっているように描かれている。今回はこれを探るのが目的だ。道を大きく塞ぐ大木を越えるとユガテを示す道標が見えてくる。その先で沢が東から流れ込んでおり、その沢にも右岸に道らしきものがある。とりあえず沢床の浅い所を渡渉し、右岸の道に上がる。思ったより確りとした道だ。現在の地理院地図にも途中まで道形が描かれており、これを上流奥深くまで辿れれば土山とユガテを結ぶ道にも出られそうではある。登り始めはあまり深くない沢で傾斜も緩い。問題は左岸から尾根に上がれそうな所が無い点だ。1950年代の地形図では峠道は市町境に移っており、古い地形図に描かれていた旧峠道は疾うに消滅していたのだろう。沢を遡っていくと谷が段々と深くなり、伐採された木々に行く手を遮られる。一旦歩きやすそうな左岸に移ると明瞭な沢が右から合流してくる。さて峠道を探るのであればこの左岸から尾根へと出られるルートを探るべきだったのだが、地形図で見るとなんとなく傾斜が緩いように感じたため、この支流を遡ってみることにした。

(現峠道の分岐を過ぎると倒木で塞がれる 下草は無い道なので整備は入っているようなのだが…)


(道標が見える右奥から西漆久保と呼ばれる沢に入る)


(西漆久保の右岸に踏み跡がある)


(一段傾斜が増すと右手から沢が合流する)

支流には踏み跡らしきものはなく、伐木が行く手を遮ることも多い。それでも歩きやすい所を進んでいくと左岸に岩が突き出ている所に差し掛かる。岩の上に出ると意外と尾根が近い。沢を遡れなくなったらここを登ろうと決め、更に遡行していく。しかし傾斜が急になり、沢床を進むのも難しくなったため、先ほど見かけた岩の上へと戻る。尾根を改めて見上げるとかなりの急斜面だ。踏み跡は全くないのでジグザグを切りながらじりじりと高度を上げていく。辛さとしては昨年歩いた天覚山表参道近くの沢を歩いた時とほぼ同等だろうか。やがて右手に見える尾根が低くなってきたので、斜面を横切るように進んで尾根に出る。沢から登り始めて10分ほど掛かった。

(支流を登り始める 傾斜は然程でもないのだが伐木を越えるのに一苦労)


(右に見える岩を越えていく 結局この岩から延びる尾根を使った)


(写真で見る限りは大したことない沢だが、どんどん傾斜が増しているのでここで引き返した)


(尾根を目指して急斜面を登る 何とか立っていられる程度の斜度だ)


(右から登って来る尾根が低くなってきたのでトラバースしていくことに)

尾根には全く下草が無く、人の手が入った林であるようだ。明瞭な尾根が西に向かって延びていて旧峠道として使われていたとしても不思議ではないと感じる。東へ延びる登りの尾根も明瞭で傾斜もそれほど急ではないので疲れた身体には有難い。途中尾根が左にカーブする手前で赤テープが付けられた小ピークがある。目印が付けられていることから沢山峠からこちら側へやってきた登山者もいたらしい。小ピークを越えてフラットな鞍部を過ぎると正面は急斜面が立ちはだかる。地理院地図だとこの辺りで尾根を東へ外れて現峠道に合流するはずだ。周囲を観察すると右手にちょっとした平場がある。ここでスマホの地図ロイドを使って現在位置を確認すると下から登ってきた峠道とちょうど合流する地点であった。ただ上から見る限りでは峠道が付いているはずの谷には踏み跡らしきものが全くなかった。

(尾根に出る 下草類はほとんどなく整備されている林であることは間違いないようだ)


(赤テープの付けられた小ピーク 地形図を見ているとピークっぽくないので少々戸惑う)

平場から山腹を横切るように進むのだが、ここも踏み跡っぽいものは何もない。結構傾斜も急なので慎重に進む。一頻り進むと下の方に中腹道らしきものが見える。どうやらこれが峠道だったらしい。ということはあの平場では少し合流位置が高すぎたのだろう。中腹道を進むと尾根が見えてきて、小さな撓みのある沢山峠に着く。ここは2017年に関ノ入尾根を歩いた時以来の再訪だ。沢山峠から土山集落へはその際にも歩いているのだが、峠道はどんな状態だろうか。一旦休憩を取った後、土山への道に入る。歩き始めは奥武蔵によくある細い中腹道といった感じでそれなりに明瞭な道が続く。この良い道が続くのかと思っていると踏み跡を右に分けた辺りで下草が被り、倒木に行く手を阻まれる。2017年に歩いた時も踏み幅の細いトラバース道が続き、やや歩きにくさを感じることもあったが、これほど厳しいという感じはしなかった。状態を見た感想として土山集落から沢山峠へと歩く人はもういないのだろうと思った。住居跡らしき平場が見えてくると現在も使われているらしい民家脇に出る。その先には林道土山線の看板が立ち、舗装路が延びている。正確な峠道を辿れたとは言い難いものの、これで最初の目標は達成したということにする。

(尾根を東に外れるとこのやや不自然な平場がある 地図ロイドだとここから破線が峠へ延びているのだが…)


(道の無い山腹を進むと下に現峠道が見えてくる 地理院地図の破線よりも東に寄っているようだ)


(沢山峠に到着)


(利用する人がいないのか道標は無く、手製の看板だけがある)


(こちらが深沢方面の道 峠に近い部分は明瞭)


(土山方面の峠道はこの分岐までは良い道が続く なおここは左の道に入る)


(倒木と草藪で埋まった道 この先も崩落しかけた道があり、状態は悪い)


(民家が見えてきた所で土山集落に出る この辺りも入口以外はわかりにくくなっている)

ユガテからみちさと峠を越えて鎌北へ
土山集落からみちさと峠へは北向地蔵へ出てグリーンラインを進むか、土山・北向地蔵からユガテへの中腹道を経てエビガ坂から向かうルートがある。今回は深沢周辺の様子をもう少し観察したいので、ユガテへの道を選ぶ。舗装路を進み、毛呂山町の立てた道標から山道に入る。近年だと2021年に歩いたばかりなので道の様子に変化は無い。地蔵堂の前で少し休憩を取りつつ山道を登る。地元住民のための墓地があるためか良く整備されていて歩きやすい。北向地蔵とユガテとを結ぶ中腹道に出たところでトレランの男性二人組と出会う。土山より先は一般ルートであるが、登山者にあったのは彼らが初めてだ。これより先かなりの人とすれ違いことになりそうだ。道標に従いユガテ方面に入ると西大峰・沢山峠・深沢山へと続く尾根に出る。真新しい立派な道標が立ち、ユガテへは尾根を越えていくことを指示している。道標の注意書きを見ると間違えて西大峰方面へと入ってしまう登山者が多かったらしい。

(ここからユガテ・北向地蔵方面への道に入る よく整備された道だ)






(地蔵堂の脇に石仏や道標がある 墓地の上ではあるが地蔵堂前はちょっとした広場になっている)


(ユガテ・北向地蔵分岐)


(ユガテ方面に入るとすぐにこの尾根を越える 立派な私製の道標がある)

尾根を越えてユガテへと向かう中腹道は2021年の記事にも書いているとおり、アップダウンが多く、奥武蔵の中腹道の中では歩きにくい部類に入る。九十九折に下り、丸太橋を渡るとトラバース道になる。奥武蔵登山詳細図によると丸太橋の架かる沢は西漆久保と呼ばれ、ここは朝遡った沢の上流部に当たる。丸太橋から眺める分には比較的緩やかな地形に見えるが、伐木だらけなので実際にここまで遡るのはかなりの困難を伴うだろう。明瞭なトラバース道を進み、西ユガテと81号鉄塔との間の鞍部を越えると急坂があり、晴れた日が続いても滑りやすい。下りきった先に沢があり、ここが深沢の上流に当たる。地理院地図を見ると道形が描かれていて下部でユガテからの道と合流しているようだ。そこでここを下って探索してみる。左岸から草藪の河原に入り、涸れ沢を渡渉して右岸を進む。最初のうちはこのまま右岸を下れそうだったが、やがて谷が深くなり、沢床へ下りる必要が出てきた。しかし沢床は伐木だらけで進むのが難しい。残念だが2017年にユガテから深沢へと下った地点まで到達することはできなかった。沢を戻り、中腹道に復帰してユガテに着く。広い農地の広がるユガテには蝋梅と紅梅が花を付けていたが、登山者の姿はまだ少ない。トイレのあるベンチで休もうとすると周辺に伐採が入り、ベンチとテーブルが増設されていた。人が多い時は休憩を諦めていたので有難い。

(西大峰へと延びる尾根を越えるとまずはこの九十九折を下る)


(左に見えるのが西漆久保 支流に入らなければここまで出られたかもしれないがそれは最早沢登りの範疇だろう)


(明瞭なトラバース道 こんな道ばかりだと良いんだけどねぇ)




(西ユガテと81号鉄塔ピークとの鞍部から鉄塔方面へ少し入ればユガテが見下ろせる)


(ここが深沢と中腹道との合流点 左岸の藪を下ってみる)


(伐木が多く、傾斜も急になってきたのでここで引き返す 破線路は使えないと考えていい)


(ユガテに着く 普段の賑わいはまだない)


(伐採されてベンチが増設されていた なお左のトイレ脇から深沢へ下れる)


(私有地ではあるが観光地化が進み、よく整備されている)


(ユガテの蝋梅)

ユガテの民家を抜けて尾根に出ると林の中を明瞭で緩やかな道が延びる。この道は古い地形図にも載っている歴史ある生活道で流石に歩きやすい。登り切った先がエビガ坂(海老ヶ坂)で写真を撮っていると男性の登山者が通過していく。なお古い地形図では北向地蔵から十二曲峠までの間の尾根に道形は描かれていないのだが、土山峠(北向地蔵)・みちさと峠・十二曲峠と峠の連続する所なので短絡路としての尾根道はあったのかもしれない。エビガ坂から尾根道を少し歩くとすぐにみちさと峠に着く。古い地形図だとエビガ坂と同一のものとして描かれているのだが、地理院地図ではしっかりと描き分けられている。小さな峠には道標が置かれ、スカリ山・グリーンラインとの分岐にもなっている。

(民家裏からユガテを見下ろす)


(ここから尾根道に入る)


(良い道がエビガ坂へ続く 写真にはないが途中掘割もあって古道の雰囲気有り)


(エビガ坂)


(みちさと峠)


(みちさと峠・十二曲峠周辺図 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

みちさと峠から鎌北集落へは初めて歩く。手持ちの紙の地形図には鎌北へ向かって直線的に道形が描かれているが、実際は九十九折の急坂となっていて、地理院地図には確りと反映されている。急坂といっても道はよく整備されていて歩きやすい。良い気分で下っていると小学生くらいの子供たちを連れたグループとすれ違う。鎌北周辺のルートとしてはマイナーな部類に入ると思っていたのだが、結構利用する人は多いようだ。九十九折が終わると沢の左岸を下っていく。終始杉林の中だが、この落ち着いた雰囲気は悪くない。峠から10分少々下ると道標が見えてきて簡易舗装された林道に出る。更に5分ちょっと舗装路を下ると明るく開けた鎌北集落に着く。民家の多くは集落の中を延びる道路から少し高い所に家がある。古い地形図を見ると現在の鎌北湖がある辺りには建物が描かれておらず、この辺りが集落の中心だったようだ。

(まずは九十九折を下る 明瞭でよく整備された道が続く)


(九十九折が終わると左岸を下る 古くからあるためかここも良い道)


(林道に出る 鎌北へは道なりに下る)


(鎌北集落 十二曲峠方面への分岐に着く)


(集落の上のほうに巨大な岩のある御宅がある)

十二曲峠を経て諏訪神社から東吾野駅
鎌北から獅子ヶ滝へ向かうルートは過去に何度か歩いている。一番古い記録だと2011年に歩いていて、その頃はまだ砂利道だったと記している。紙の地形図にも山道を示す破線で描かれていて、ここ10年くらいの間で整備されたことがわかる。柚子畑の脇を通る舗装路は硬く、また傾斜も急なので登山靴を履いた足へのダメージは大きい。ただ登山姿のカップルとすれ違ったりして歩く人は少なくない。この辺りはトレランシューズで歩くのが良いのだろう。送電鉄塔が間近に見える所まで登って来れば尾根を越えて道は下っていく。カーブの手前にクルマ一台通れるほどの広さの道があり、地形図を見た限りではグリーンラインまで山道が延びているようだ。歩いたことの無い道は沢山あるのだが、昔からの道ではない所はどうしても後回しになってしまう。コンクリートで擁壁を固めた真新しい道路を下っていくと大沢と呼ばれる広い谷の左岸に十二曲峠への細道が付けられている。

(まずは全面舗装が完了した林道を登る 途中茅葺の御宅もある)


(柚子の木 棘だらけだ)


(右手に送電鉄塔があり、ここから道は下り坂に入る)


(ここからもグリーンラインへの道が延びる 山と高原地図を見ると五六峠へと出られるようだ)


(舗装された新しい道路を下る)


(ここから十二曲峠を目指す)

十二曲峠への峠道は古い地形図にも載っているほど歴史のあるものであり、道の状態は良い方だ。それでも沢沿いの道なので、大水が出て通行止めになっていた時期もある。沢を九十九折に高巻くと尾根に出る。紙の地形図では尾根に上がらずに急斜面を九十九折に登るよう描かれているのでこの傾斜の緩やかな尾根に出た時は少々驚いた。緩やかだった尾根もすぐに急斜面となり、厳しい九十九折の道が続く。歩きやすい道ではあるが、体力的にはかなりきつい所だ。ここを登り切ると送電鉄塔が見えてくる。地理院地図には何も描かれていないが、奥武蔵登山詳細図を見ると225号と書かれている。鉄塔を回り込んで上がると「西上武幹線225」と書かれた看板が付けられている。こういった地理院地図に反映されていない送電鉄塔もあるので、人工物に頼りきりになるのも危険である。鉄塔を過ぎるとようやく道も緩やかとなり、立ち止まることなく歩けるようになる。北側斜面をトラバースするようになるとグリーンライン沿いの縦走路に出る。縦走路をそのまま横切ると人の手で堀割ったらしい切通があり、グリーンラインが見える。古い地形図では尾根上の縦走路は描かれておらず、現在のグリーンライン上にあったと思われる巻き道が昔の街道であった。せっかくなのでほんの少しの距離だがグリーンラインを歩いて昔の街道を辿ることにする。

(まずは沢沿いを行く ジグザグに高巻く道になっている)


(緩やかな尾根に出る この先急坂が続くので息を整えておきたいところ)


(西上武幹線225号鉄塔を振り返る 地理院地図には描かれていない送電線だ)


(トラバース道になればグリーンラインは近い)


(十二曲峠の切通 奥に見えるグリーンラインを行くことにする)

黒山からの車道が合流する現在の一本杉峠まで来たので、ここからは再び山道に入る。車道上の一本杉峠から諏訪神社にかけてが昔ながらの道であり、よく整備された中腹道が延びている。当ブログでも何度なく紹介している道であり、深沢探索で疲れた身体でも快適に歩ける。越上山(おがみやま)の分岐である尾根を越える所だけはやや急な坂だが、ここを越えてしまえばもう体力的に厳しい所はない。東京スカイツリーが見える展望スポットを過ぎるとすぐに諏訪神社に着く。境内には中高年の女性二人組が休憩を取っているだけで行楽シーズンにしては静かだ。ベンチが無く休憩しづらいのも一因なのだろう。

(諏訪神社への道 ここも古くからある道だ)


(越上山分岐 尾根を越す形で道は続く)


(諏訪神社)

境内で少し長めの休憩を取り、いよいよ下山に取り掛かる。昨年12月に歩いた諏訪神社参道がなかなか歩きやすかったので、今日もそれを使って一先ず中峰集落まで下ることにする。神社まで延びている車道を下っていくと伐採地があり、眺めが良い。手前に宝山から虎秀山にかけての尾根が立ちはだかり、その背後に天覚山と大高山が山頂を覗かせている。大高山の左背後には大岳山があるはずだが、花粉だらけの空に辛うじて見えているに過ぎない。むしろ大高山の右に聳える川苔山辺りのほうがまだ明瞭でわかりやすい。神社から車道を下りきると阿寺集落に着く。古い地形図では諏訪神社からこの阿寺の集落を経て顔振峠・風影集落へと道が延びており、ここもグリーンラインに沿ったルートがかつての街道だったようだ。

(車道沿いにある伐採地からの眺め)

諏訪神社参道へ向けて集落内を抜ける車道を歩いていると個人宅の梅林がある。以前訪れた時も偶々梅の花を観賞できたのだが、今日も白い花が満開であった。梅林を過ぎると虎秀山ルート・諏訪神社参道が延びる民家がある。今日は更にその先の東吾野駅と書かれた道標がある砂利道を下る。砂利道は伐採地の先で民家からの道に合流するので、疲れている時は砂利道を進んだ方が楽だ。これより先は昨年12月に歩いていて、特に変化は無い。ただ中峰集落へ出る手前の九十九折を下っている途中、大きな岩があり、それが石仏を彫り込んだように見えて、自然の造形美に感心させられる。明るく開けた中峰集落へ出て、大高山を見上げながら下っていく。前回は途中で車道を右に下っていったのだが、奥武蔵登山詳細図によると道標がある所から下平橋へと出られる近道があるようだ。道なりに進み、前回曲がった分岐を無視して更に行くと確かに道標があり、「この先細道を下へ」と書かれている。どういうことかと考えていると梅の木の向かいに確かに細道が下っている。道標に指示がなければこの道を下る勇気はない。細道は畑の間を通っていて、また土の道なので、車道を歩いていくよりも遥かに歩きやすい。







(阿寺集落にある民家の梅林)


(今回は砂利道を下った 民家からの道より歩きやすい)


(中峰への道は相変わらず歩きやすい)


(中峰集落に出る手前の九十九折から大岩が見える)


(このアングルだと石仏っぽくも見える)


(中峰集落からの大高山)


(集落には梅が咲く)


(前回はこの道標を見つけられなかった)




(梅の木の向かいから細道を下る)


(気持ちの良い道だが、道標が無かったら入る勇気はなかっただろう)

白いガードレールが見えてくると車道に出る。その後も道標がいくつかあり、集落内をクネクネと曲がりながら下平橋の向かいへと出る。ここまで来たら鎌倉橋へと抜けて東吾野駅まで歩いてしまおう。下平集落内の遊歩道を進み、再び国道へ出て後は道なりに行く。大きな左カーブを歩き終えると左手にかつて歩いた虎秀山が見えてくる。鎌倉橋から15分弱で虎秀山の登山口が近くにある興徳寺までやってくる。でもここからが更に長い。結局興徳寺から15分以上かけて東吾野駅に着いた。

(細道はここで終点)


(道標に従って集落内の小道を更に進む)


(途中小さな神社がある)


(蝋梅の花)


(下平橋の向かいに出る)


(鎌倉橋へ向かって遊歩道を行く)


(鎌倉橋)


(背後の山が虎秀山)


(興徳寺が見えてきた ここから駅までが更に長い)


(梅林も結構多い)


(東吾野駅へ戻ってきた)

今回は深沢探索第一弾として沢山峠の旧峠道を探ってみたが、もう少し尾根道の可能性を探るべきだったと思う。現峠道は池田さんが探査済みだったので、興味を持っていなかった。しかし峠からの踏み跡自体はあったので、いずれ挑戦してみるつもりだ。今回はやや消化不良の感はあったものの、滝坂や沢山峠の現峠道など挑戦し甲斐のあるルートはまだ残っている。今後しばらくは深沢へ通うことになりそうだ。

DATA:
東吾野駅6:59→7:05吾那神社→7:16深沢入口→7:23西光院分岐→7:37沢山峠現峠道入口→8:23沢山峠→8:39土山集落→8:52ユガテ・北向地蔵分岐→9:27ユガテ9:35→9:49エビガ坂→9:51みちさと峠→10:08鎌北集落→10:57十二曲峠→11:01一本杉峠(車道)→11:18越上山分岐→11:36諏訪神社11:42→11:50阿寺集落→12:05大ダナツチ→12:29中峰集落→12:43下平橋→12:48鎌倉橋→13:17東吾野駅

地形図 飯能 越生 原市場

トイレ 吾那神社 ユガテ 諏訪神社

交通機関 
西武池袋・秩父線 小手指~東吾野 346円

関連記事:
 平成23年11月12日 鎌北湖と滝巡り
 平成29年1月29日 関ノ入尾根から黒尾根(訂正版)
 平成29年3月12日 山王峠から鎌北湖を経てユガテ
 平成29年9月30日 日向尾根から虎秀山
 2021年3月14日 高麗川左岸の山上集落を結ぶ道 駒高から高山

深沢から沢山峠の間に関しては冒頭に挙げた注意書きの通り、道の無い山を歩いた経験の無い人は入山しないで下さい。沢山峠から土山の間については道がありますが、途中倒木草藪で荒れ放題なので多少の藪は気にしない人向けです。みちさと峠~鎌北~十二曲峠のルートは一般向けで良く整備されていて、問題なく歩けます。東吾野駅は駅員が常駐しなくなり、自動券売機もありません。Suica・PASMOによる乗降はできるのでできるだけそれらの利用をおすすめします。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自然に触れていくらか信心深... | トップ | 奥武蔵へようこそ 2023年4月... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

奥武蔵へようこそ」カテゴリの最新記事