野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 2021年10月16日 周助山から吉田山

2021年10月19日 | 奥武蔵へようこそ
(八幡坂峠付近)

ブログを始めて10年が経ち、「奥武蔵へようこそ」という記事も100本目となった。じっくり見返してみると一度行ったきりで久しく歩いていない所も多い。それは実際に歩いてみて、あまり印象に残らなかったり、あるいは再訪するのに手間がかかるような所が多いためなのだが、中には良いルートだと感じつつもなかなか再訪せずにいた所もある。今回歩く周助山から吉田山のルートもその一つだ。当時周助山から竹寺はバリエーションルートにしてはアップダウンが少なく歩きやすいと感じたルートで、また歩いてみたいと思いながら10年以上が経ってしまっていた。山歩きを4ヶ月以上休んでいたため、今回はすべて一度歩いたことのある所を歩くこととした。

周助山から竹寺
久しぶりに飯能駅でバスを待つ。今日は一日曇りの予報で、空はどんよりと薄暗い。緊急事態宣言は解除されたが、曇天のためかバスに乗り込む登山者は多くない。バスが出発する頃、曇天から小雨が降り始めた。あまり雨が強いようなら山歩きをせずに名栗の里歩きでもしようかと思っていたのだが、原市場中学校バス停に着いた頃にはすっかり上がっていた。ここで降りたのはボク一人で、他の登山者はもっと奥へと行くらしい。いつもの光景である。

バス停のベンチで準備を済ませ、いざ出発。まずはバス通りを少し戻り、信号機のある交差点を左に入る。するとすぐに分岐だ。左は妻沢集落、右は倉掛峠・周助山方面だ。右に入ると正面に周助山が見える。原市場地区から見るとなかなか目立つ山だ。宮ノ脇橋で妻沢川を渡り、野原を過ぎた最初の民家脇に周助山の登山口がある。民家を回り込むように進むと山裾と民家の間に道が延びる。綺麗に草が刈られていて、住民の方が整備してくれているのだろう。民家の裏手を行くと山に向かって細い舗装路が延びており、周助山を示す道標が立っている。舗装路を上っていくと墓地の手前に道標があり、そこから先は山道が延びる。

(宮ノ脇橋から周助山)


(民家脇にこの道標がある)


(民家裏手に道がある 私有地を好意で歩かせてもらっているという感じなのだろう)


(墓地に続く舗装路を上る)


(舗装路から振り返ったところ)


(ちょっと見難いが舗装路左に道標がある)

山道は沢地形を登っていく。途中お茶の木が群生している所があり、暗い杉林に白い花が目立つ。次第に傾斜はきつくなっていき、林床には羊歯が多くなる。右手に大岩が見えてくると道は九十九折になる。朝一番の登りとしては結構きつい。早くも汗だくになって登っていると尾根の上に出る。道標が立つが、下りだと今登ってきた道が若干わかりにくい感じがする。ここから頂上までは大した登りはないだろうと高を括っていたら山頂手前で急坂に苦しめられる。それでも5分ほど登ると平場に出て、緩やかに登れば周助山(しゅうずけやま)の山頂(383)に着く。麓から眺めたときの印象と異なり、意外と広い山頂だが、ベンチの類は無い。10年前に歩いたときにも見かけた山頂標識はだいぶ古びていた。それ以上に気になったのが、奥武蔵ロングトレイル105Kという標柱が立っていたことだ。ネットなどの情報によると飯能市が計画し、地元などのボランティアが整備したものだという。

(沢地形を登るとお茶の群生がある)


(ちょうどお茶の花が咲いていた)


(羊歯の下草が多い 右に見える大岩辺りから九十九折が始まる)


(ここで尾根に出る 道標の裏手に登山口への道が延びている)


(山頂直下の急な登り坂)


(周助山)


(奥武蔵ロングトレイルの標識 これのおかげで迷うことは無くなった)

周助山から登戸へは緩やかなアップダウンの歩きやすい道が続く。標柱が整備されたにしては下生えが若干煩い感じもするが、踏み跡は明瞭で迷うことなく山頂(435.7)に着く。なお地理院地図だとノポットと書かれているが、登戸つまりノボットが正しい。以前は登戸を周助山と表記したりと地理院地図は地名については間違いが多い。山頂は下生えが繁茂しているせいか以前より狭苦しく感じる。ただ登戸からは北に尾根が延びているが、ちょうど下生えで道が隠される形になり、迷いにくくなってはいる。



(歩きやすい道が続く 蜘蛛の巣が多いのが悩み)




(登戸の山頂の様子)

登戸から林道原市場名栗線までについても緩やかなアップダウンの道が続く。踏み跡は整備が入ったせいかかなり明瞭で迷う要素はない。ただこの尾根は特段生活道になっていたわけではないようで、広い尾根にしては道が狭い。当然蜘蛛の巣が張られやすく、ストックを振りながら歩くほかない。奥武蔵登山詳細図(吉備人出版)によると途中根藤というピークがあるようだ。地形図を見ると山頂から南に尾根が張り出しているのが一応特徴的といえる。ただ実際に歩いてみると同じような景色に見えてわかりにくい。根藤(404)らしきピークに着くと南の尾根は枝で塞がれている。スマホの地図ロイドで確認すると確かに根藤のピークで間違いないようだ。



(登戸を越えた後も良い道が続く)


(根藤)

根藤のすぐ先にある赤倉の鞍部から登り返すと名無しのピーク付近が広く伐採地となっている。ちょうど休憩に良さそうな切り株がいくつかあるので一休みしていく。周助山・登戸はあまりのんびりできるピークではなかったのだ。伐採地からは林道の奥に延びる尾根が頭を覗かせ、その前を霧が移動していく。これまではあまり気にしなかったが、尾根上は結構風が強いのかもしれない。なおこの伐採地付近より先の尾根は旧原市場村と旧吾野村との境になっていた。伐採地から林に入ると林道のような広い道が延びている。これも10年前にはなかったものだ。林道に上がる尾根道が残っているものの、傾斜がかなり急なので、この林道を使う。左手にガードレールが見えてくると原市場名栗線に出る。少し上ると高谷方面への踏み跡があり、またカーブミラーの側には奥武蔵ロングトレイルの標識もある。

(赤倉と名付けられた鞍部)


(広い伐採地に出る 切り株が多いので休憩に良い)


(林道 これを進めば原市場名栗線に出られる)


(周助山から林道原市場名栗線まで 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

高谷への取り付きは最初こそ急坂だが、すぐにトラバースしながら登り、5分ほどで小広い山頂に出る。501m峰、その次の小ピークを越え、鞍部から細い尾根を登り返すと送電鉄塔管理用の黄色いポストの立つ名無しのピークに出る。一応コンパスで確認してみるとどうもコンパスの指す先とこれから向かうべき尾根の方向が違うように感じる。奥秩父線47号と書かれたほうに入るとこちらも小広いピークで、再びコンパスで確認すると今度は間違いなく次の嶺を指している。周助山から竹寺の間で唯一迷いやすい所だ。

(高谷への取り付き)


(高谷)


(この辺りも踏み跡は明瞭)


(送電鉄塔管理用ポストの立つピーク)


(黄色いポストの立つピークから右に入ると道が続いている ここだけが迷いやすい)

黄色いポストの立つピークから先もわかりやすい道が続く。やがて尾根が細くなり、正面が明るく木々が薄くなってきたのがわかる。道は二筋に分かれ、中腹を進むほうが踏み跡は濃い。中腹道に入ると大きな伐採地の上を通る。かなり急傾斜な所で下を向くと目が眩む。下を見ないようにしつつ進むと奥秩父線47号鉄塔の下に着く。10年前に訪れた時は暗い所でその雰囲気も悪くなかったのだが、現在は伐採地から大展望が広がっている。今日は展望を期待するルートと思っていなかったので、こんな曇天であることを残念に思った。鉄塔下には奥武蔵ロングトレイルの標識が経ち、ここが嶺(548)であることを示していた。ただ厳密に言えば今巻いてきたピークが嶺の山頂である。藪が綺麗に刈払われた鉄塔下は休憩に適しているが、思った以上に風が強く冷たい。まだお腹の具合が本調子でないので、竹寺まで行ってしまうことにした。

(相変わらず良い道 終始こんな具合で続く)


(嶺の山頂 この山頂の先に47号鉄塔がある)


(嶺の山頂を巻く 転落に注意)


(47号鉄塔下)


(ここが47号鉄塔であることがわかる)


(47号鉄塔下からの眺め)

奥武蔵ロングトレイルの標識脇から竹寺方面への道が下っている。10年前に歩いた時は尾根が曲がるため少し道が分かりにくく感じた所だが、標識のおかげで大分わかりやすくなった。次の名無しのピークは山頂部だけ伐採されている。ここも記憶に無いなぁ。名無しのピークを越え、緩やかに登り返すと急坂になり、途中に奥秩父線46号鉄塔が立つ。斜面に立つ鉄塔ということもあり、周辺が伐採されて鳥居観音や金比羅山などが見える。ここの景色には見覚えがある。鉄塔の上のピークを越えると尾根を縦断する伐採地が広がる。嶺と同じくここも伐採地だった記憶が全くない。10年の間にだいぶ変化があったようだ。伐採地の中に立つ奥秩父線45号鉄塔の下には滝ノ入山(560)と書かれた奥武蔵ロングトレイルの標柱が立っている。

(47号鉄塔下にある嶺の標識 右手に竹寺への道が下っている)


(またも伐採地 10年間で随分伐採が入った)


(46号鉄塔)


(46号鉄塔上から鳥居観音と金比羅山)


(鳥居観音の仏像など こんな距離感だったのか…)


(45号鉄塔周辺の伐採地)


(鉄塔脇に滝ノ入山と書かれた標識がある)

道は伐採地の中を抜けており、滝ノ入山の最高点は通っていない。尾根を外しているため道が傾き、やや歩きにくい感じはある。灌木滞を抜けて檜の林に入る。正面がまたしても伐採地で明るい光が差し込んでくる。林を抜けると奥秩父線44号鉄塔がある。44号鉄塔からはその先々の鉄塔まで伐採地が続いている。ここも記憶に無いが、10年前の記録を見ると元々伐採地だったようだ。伐採地には間伐材が散らばっており、どこが踏み跡なのか今一つわからない。一先ず伐採地を下ってみると電線を横切るように尾根が延びている。薄原で尾根が隠されてわかりづらくなっていたのだ。伐採地からは当然のことながら眺めが良い。ちょうど小殿バス停辺りが見えているらしく、下るにつれて鳥居観音の白亜の像も見えてくる。林に入る手前には八幡坂峠と書かれた奥武蔵ロングトレイルの標識がある。奥武蔵登山詳細図には小殿バス停と竹寺を結ぶ峠道を八幡坂としているのだが、ここが峠で良いのだろうか?

(伐採地を行く 奥に見える鉄塔が44号鉄塔)


(44号鉄塔)


(薄が生えている辺りが八幡坂峠)




(八幡坂峠から小殿バス停辺りを見下ろす)


(八幡坂峠の標識 後ろに鳥居観音の大観音像が見える)


(嶺・八幡坂峠周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

林内に入ると尾根はぐっと細くなる。奥武蔵登山詳細図にある八幡坂ノ頭を東から巻くと小殿バス停と竹寺を結ぶ峠に着く。ちょうど高齢者のパーティが峠で道の確認をしているところであった。周助山からこの峠まで出会ったのはトレランの女性一人だけだったので、一般ルートであるこれから先のルートはかなりの人に出会いそうだ。峠からは峠道のほかに鐘楼台のある金比羅山へ延びる尾根道と巻き道がある。高齢者パーティが巻き道に入ったので、ボクも後ろから付いていくことにする。巻き道は流石に歩きやすく、すぐに前を行くパーティに追いついてしまう。のんびり付いていくつもりだったのだが、道を譲られたので、一足先に金比羅山の山頂(581)に着く。ここも小殿バス停方面の眺めが得られる所だが、この曇天では冴えない。これからパーティが上がってくることを考え、ベンチではなく鐘楼台の下で休憩を取る。すると件のパーティがやってくるが休憩していく様子はない。どうやら尾根伝いに行くようなので、竹寺へ下りたほうが良さそうだ。

(小殿バス停と竹寺を結ぶ峠 左へ下る道を八幡坂という 正面に尾根道があるが左の巻き道のほうが楽)


(こんな具合で歩きやすい)


(金比羅山)


(金比羅山からの眺め 天気が良ければここも眺めが良かった記憶がある)

山頂から東に延びる道を下ると木造の祠が立つ小広い平場に着く。金比羅権現という標識が立ち、金比羅山という山名はこの金比羅様を祀っていることによるのだろう。この平場を過ぎるとロープ柵で仕切られた急坂が続く。登りに使ったときかなりきつかった記憶があるが、下りに使ってもそれなりにしんどい。ただ九十九折に道は切ってあるので、急な割には歩きやすい。竹寺の周囲は椛の木が多くあるが、まだ紅葉は進んでいない。この辺りだと見頃まではあと一ヶ月くらいかかるだろう。竹寺には最上部にある本殿裏手から入る。ここは神仏習合の寺で本殿には本尊である牛頭天王が祀られている。クルマで来ることもできるので参拝客が多い。汗だくの自分はちょっと場違い感もあり、写真だけ撮って子ノ権現へと向かう。

(金比羅権現)


(ロープの張られた急坂 道は所々ジグザグに切ってある)


(竹寺裏の椛 まだ紅葉には早い)


(竹寺が見えてきた)


(竹寺の本殿 牛頭天王を祀っている)

子ノ権現から吉田山を経て吾野駅
竹寺から豆口峠までは古い地形図にも描かれている歴史のある道である。竹寺の東を流れる沢を高巻く道は歩きやすく、竹寺と子ノ権現を結ぶ道として長いこと使われてきたことが窺える。風木クボと豆口山との鞍部を越え、豆口山の西側斜面の中腹を進む。杉林の中を抜ける道は木で補強され、ここもよく整備されていて歩きやすい。気分良く歩いていると先行者が見えてきた。先ほど金比羅山で出会ったパーティだ。中腹道では追い抜ける所がないので、豆口峠で追い抜くこととしよう。竹寺を出て25分経った頃、朽ちた小屋掛けのある豆口峠に着く。昔の主要路はここから並沢集落へ下りて子ノ権現へと登り返すルートで、かつて歩いたことがある。ただ今日はこのまま尾根伝いに先を急ぐ。

(竹寺の東を流れていく沢を高巻く)


(風木クボと豆口山との鞍部)


(丸太で補強された道 竹寺から豆口峠までは古い道だ)


(豆口峠 かつてここから並沢へ下りたことがある)

峠でパーティに先へ行かせてもらい、617m峰の登りに取り掛かる。傾斜が急というわけではないが、木の根が張り出した坂道はやや歩きにくい。平たい617m峰を下ると道の両脇がスズタケに覆われる。鹿の食害の影響もあって奥武蔵でスズタケに覆われるような所は少なくなった。そういえばさっきから鹿の鳴き声がしているな。土留めの木段が設けられた急坂を下りきれば、特段厳しいアップダウンはない。ただ竹寺の辺りから右足の踵に靴擦れができてしまい、ペースが上がらなくなってきた。でも子ノ権現まで行ってしまえば残り行程は3分の1程度。何とかゴールまで行けるだろう。穴沢集落への道が分岐する穴沢峠を過ぎ、愛宕山の中腹を東から回り込んでいくと子ノ権現の境内に入る。北の展望台へ行くと霧に覆われて真っ白だ。そのせいかベンチも空いていたので、ここで昼食休憩を取っていく。

(617m峰への登り 木の根が張り出して歩きにくい)


(617m峰を越えるとスズタケが生い茂る道となる)


(土留めの木段がある急坂 なお迂回路もある)


(霧が濃くなってきたせいか正午前なのに夕刻のように暗い)


(杉檜の多い道だが、広葉樹が生える所もある)


(穴沢峠)


(子ノ権現の展望台 真っ白…)

昼食を終え、本堂へと向かう。曇天のせいもあるのか、思ったよりも参拝客は多くない。仁王像の下にある売店へと下るが、ここも店主は手持無沙汰のご様子。舗装路に入り、しばらく下る。途中降魔橋への道を分ける。靴擦れを考えるとここから下っても良いのだが、舗装路歩きが大分長い。それなら小床へ下って西吾野駅まで歩くほうが舗装路歩きは短い。降魔橋への道を見送り、ヘアピンカーブに差し掛かる辺りで小床集落への道に入る。傾斜が意外と急で、地理院地図で描かれる以上に九十九折の道を歩いているように感じる。下っていると段々記憶も蘇ってきて、途中にプラスチック製の標識があったことを思い出す。東へ張り出す尾根が見えてくると杉の木に木製の道標が掛けられている。プラ製の標識は跡形もない。

(本堂と大わらじ)


(庫裏 茅葺の屋根が見事)


(仁王像 暗いのは逆光だからというだけでなく実際に暗い)


(小床集落・吉田山方面への分岐)


(九十九折のようにトラバースしていく 急だが歩きやすい)


(ここが小床峠・吉田山分岐)

吉田山に続く尾根は昨年小床峠を越えた際に一部歩いており、一番迷いやすい所は問題なく通過できそうだ。尾根上の踏み跡は周助山から竹寺までと比べるとかなり薄い。それでも昨年訪れた時は尾根伝いに歩いている人を見かけたので、歩く人が全くいないというわけでもないようだ。分岐となりそうな尾根も踏み跡が明瞭なほうを進めばいい。465m峰は周囲が切り立ったヤセ尾根の突端といった感じだ。ここだけは踏み跡も急傾斜に付けられているので慎重に下る。次の緩やかな小ピークを越えると昨年訪れた浅見茶屋方面からの道と合流する。小床峠から青場戸集落へ下る道は私有地で通行止めとなっており、この浅見茶屋へ下る道が現在の峠道となっている。元々は465m峰と今越えた小ピークとの鞍部を越えて峠ノ前(天寺十二丁石のある所)へと通じており、奥武蔵登山詳細図によると現在でも道が残っているという。

(465m峰)


(浅見茶屋からの道が右から合流している 小床峠へは左に 正面の道は行き止まり)

合流地点から小床峠へは東向きの斜面をトラバースしながら下っていく。道標があるので迷うことは無いのだが、地図を読む人ほど現在地がわかりにくい。合流地点は465m峰北東にあるピークから南東に張り出した尾根上にあり、そこから北東へ張り出した細長い尾根へと移ろうとしているのだ。トラバースが終わると尾根上を進む。道が東寄りを下るようになると広場となった小床峠に着く。ベンチ代わりの丸太置き場に座り暫し休憩。ここまで意外とアップダウンがきつく、また靴擦れの痛みもあって脂汗が流れ落ちる。

(トラバース道 この先で北東に張り出した細長い尾根に乗る)


(北東尾根を外れて小床峠へ下る辺り しっかり道標もある)


(小床峠)


(現在はこんな具合 通行止めの道が多い)

小床峠から吉田山への道は10年ぶりに歩くが、迷うような所は無かったはずだ。木段を上がると苔生した岩のある尾根に出る。南側に張り出す尾根には下生えが密生する一方、吉田山方面へは明瞭な踏み跡が延びる。これなら道を間違いようがない。尾根上を進むと再び分岐となる小ピークだ。南東へ下る尾根には枝で通せんぼしてあり、ここもわかりやすい。広い鞍部へ下り、やや急な尾根を登り返すと緩やかな登り坂となる。奥に見える一段高い所が吉田山だ。山頂(445)は遠くから見た印象よりは狭く、奥武蔵登山詳細図に城跡と書かれている方向には枝でバリケードがしてある。余裕があればザックを置いて往復していきたいところだが、靴擦れが痛くてとにかく先へと急ぐ。

(苔生したピーク 南へ一段下がった所に平場があり、本来は大きな山頂である)


(周助山から竹寺の間に比べると踏み跡は薄く感じる)


(奥に見えるのが吉田山 10年前もこんなアングルで撮っている)


(吉田山)


(吉田山周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

山頂の道標に従い東郷公園方面へ下る。途中通行止とペンキ書きされた立木があるが、下生えが煩いのでわざわざ歩く人はいないのではないだろうか。踏み跡は明瞭で特に迷いそうな所はないが、やや急な所もあり、木に掛けられたトラロープもある。細く緩やかな尾根を下っていくと休暇村奥武蔵と秩父御嶽神社との分岐である御岳山(370)に着く。道標を兼ねた標識があるが、あまり山頂っぽい雰囲気ではない。

(通行止とペンキ書きされている)


(御岳山へ向かっては大きく下る所もあり、トラロープが掛けられている)


(御岳山)

曇天で暗い林を抜けると大きな建物が立つ秩父御嶽神社本殿に着く。紅葉が進むとここまで神職さんが常駐しているのだが、今日は本殿前のベンチに観光客の男性がいるだけだ。もう一つのベンチに腰掛け、家に連絡を入れておく。スマホで吾野駅の時刻表を調べると14:09発の電車があるが、この靴擦れではとても間に合いそうにない。その次は14:36発なのでこれには何とか間に合わせたい。本殿からは急な石段が断続的に延びる。うへぇ、これは一体どこまで続いているんだ?途中巻き道らしきものが何度も横切るが、確認するのも面倒なので手すりに掴まりながら石段を下りていく(10年前の記録を見ると巻き道も使えたようだ)。石段を下りきると看板があり、368段もあると記してある。下りなのに10分弱掛かってしまった。

(秩父御嶽神社本殿裏手に出た 相変わらず暗い)


(本殿はかなり立派な建物で、人が常駐しているときは内部に電灯も点く)


(本殿の案内板)






(延々と続く石段 下りるだけで汗びっしょり)

石段の下は紅葉の名所として有名な東郷公園がある。疲労が激しいので、公園上の東屋で休憩を取っているといつの間にかウトウトと寝てしまった。気が付くとまだ14時を回ったばかり。何とか36分発には間に合いそうだ。東郷元帥の像などを眺めつつ公園を出て芳延集落に出る。高麗川と青場戸川との合流地点に出来た集落で今でも人の住む民家が多い。高麗川沿いに付けられた舗装路を進み、民家の水場で顔を洗う。ギリギリのタイミングでもこれなら電車には乗れる。道なりに行くと西武秩父線を高巻く山道となる。普段なら西武線をのんびりと見下ろせるビュースポットなのだが、靴擦れができた足では登りが鬱陶しいだけだ。西武建材の鉱業所を横切り、踏切に差し掛かる。道標は踏切を渡るよう示しているが、線路沿いにそのまま行けた記憶もある。だが時間が無いので踏切を渡って線路沿いを進む。線路の向こう側を見ると道標がある。ということは線路沿いに行けたんじゃないか(怒)。頭がぶつかりそうなほどの小さなトンネルを潜り、石段を上がると吾野駅に着く。何とか5分前に着いた。ホームのベンチで電車を待つ間に汗は引かず、汗だくのまま電車に乗り込むことになってしまった。4か月ぶりの山歩きにしては少々長過ぎたルートだったようだ。次回の山歩きは2回目のワクチン接種後だ。その際にはもう少し余裕を持った行程にする必要がありそうだ。

(東郷元帥が乗艦していた三笠の甲板)


(東郷元帥の像 珍しく生前に完成したものである)


(東郷公園の紅葉はまだ早い)


(西武秩父線を見下ろす 左に見える山は龍崖山で、その右奥に見えるのが大高山らしい)

DATA:
飯能駅→(国際興業バス)→7:39原市場中学校バス停→8:15周助山→8:40登戸→9;00根藤→9:23高谷→9:53嶺→10:07奥秩父線46号鉄塔→10:14滝ノ入山→10:19八幡坂峠→10:36金比羅山(竹寺鐘楼台)→10:46竹寺→11:13豆口峠→11:40穴沢峠→11:49子ノ権現12:07→12:52小床峠→13:19吉田山→13:35御岳山→13:38秩父御嶽神社・東郷公園14:05→14:31吾野駅

地形図 原市場

トイレ 竹寺 子ノ権現 秩父御嶽神社

交通機関 
西武池袋・秩父線 小手指~飯能 242円 吾野~小手指 377円
国際興業バス 飯能駅~原市場中学校 451円

周助山から竹寺の間は標識が整備され、ほぼ一般ルートとなっています。黄色いポストの立つピークさえ注意すれば一般ルートと変わりありません。子ノ権現から吉田山ルートはややバリエーション然としています。道標完備で踏み跡も明瞭ですが、不安なら地形図・コンパスを活用しましょう。周助山から吉田山を通しで歩かずに、竹寺辺りで分割すると更に歩きやすくなります。

関連記事:
 平成23年1月3日 周助山から子ノ権現と吉田山
 平成24年12月9日 伊豆ヶ岳から子の権現と本陣山
 平成26年1月13日 吾野駅南側周回コースを歩く
 平成29年5月3日 花桐から伊豆ヶ岳を経て子ノ権現
 2020年6月6日 原市場中学校から西吾野駅 峠道をつないで歩く

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2 コメント

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周助山から吉田山 (好日奥武蔵(奥武蔵の山人))
2021-12-06 21:37:34
こんばんは
 周助山の見出しを懐かしく拝見しました。
じつはこの近くの中学校に通っていました。しかし家は2km程名栗寄りでしたので、中学生の頃にはここに登ったことはありません。それで数年前に登ってみました。入り口はtokoroさんと同じ位置からで、周助山~登戸までは同じ道でした。ところがどこで間違えたのか、よく分からず(地図も忘れて)ひたすら進んで林道原市場名栗線を這い上がり、仁田山峠の表示を見ました。それで止むを得ず帰りは妻沢を目指したのですが、これもよく分からず赤沢に出てしまいました。tokoroさんとは大違いの出鱈目な行動でした。しっかりと竹寺から秩父御嶽神社まで行かれているのですね。素晴らしい!!
コメントありがとうございます (tokoro)
2021-12-07 08:15:23
山人さん、こんにちは。

>ところがどこで間違えたのか、よく分からず
仁田山峠や天神峠なども歩いたことがあるのですが、地元の人さえ勝手がわかっていればよいという感じで、この周辺は迷いやすそうな所に道標がありません。私もよく間違えているので、予定通り歩くには難しい所だという印象です。

>しっかりと竹寺から秩父御嶽神社まで行かれているのですね。
10年前に歩いた時は道標が少なくてもっとわかりにくい道でした。今は分岐になりそうな所には道標があるので、地図を見ずに歩き通してしまえる人も多いかもしれません。

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