琉球新報コラム 「未来へいっぽ にほ」  2011年8月

2011年08月15日 | 掲示板
④ 双方の視点で考える

 アメラジアンスクールは英語教育の場所と勘違いされることがある。確かにアメラジアンの子どもたちが自分らしく生きるために、日米両方の言語を習得することは必要だ。だが、それだけでいいのか分からなかった。
 答えが少し見えたのは、数年間前に始めた「ジョイントクラス」を通してだった。このクラスは、それまで別々に授業をしていた日米の教員が協力して行う授業だ。
 小学校低学年クラスでは、日米の教員が豚になるところから授業が始まる。
「ブーブー」「オインクオインク」。
子どもも大喜びで声に出す。そしてつぶやく。「先生。何で動物の声は同じなのに日本とアメリカで言い方が違うの?」
 中学生クラスでは、日米の教員がそれぞれの歴史教科書を使って太平洋戦争について説明した後、生徒が両方の教科書を見比べて話し合う。
 生徒「原爆で亡くなった人の数が日米の教科書で違っているよ」
 私「本当だね。同じ出来事でも説明が違うね。アメリカの教科書では、沖縄戦の犠牲者数は硫黄島の犠牲者数と一緒に書かれているよ。ちょっとひどいんじゃない?」
 生徒「だけど日本の教科書には真珠湾攻撃でどれだけのアメリカ人が亡くなったか一言も書いていないよ。もっとひどいんじゃない?」
 日米両方の視点で学ぶ子どもたちの口からは、簡単に答えが出ない問いが飛び出てくる。それを一緒に考えていこうとする場所を作ること、それこそが、子どもたちの将来にとって必要だと思う。
 設備や予算は十分にあるとは言えないが、他にはない豊かさがある。そう信じられるから、ここでの仕事はやめられない。 (2011年 8月12日)