京都新聞記事 2010.6.28

2010年06月28日 | 掲示板
夏めぐりて ②    京都新聞2010年6月28日

ウチナーのみやこびと

車を運転してたら、飛行機とぶつかりそうになった-。「沖縄(ウチナー)ではこういう言葉をよく使う
んだよ」

参院選公示前日の23日。20万人以上が犠牲になった沖縄戦終結から65年目の「慰霊の日」
を迎えた沖縄・嘉手納基地周辺で、京都出身の平和ガイド、北上田源さん(28)は間近に飛ぶ
米軍機を見ながら、修学旅行に来た高校生に語り始めた。

慰霊式典が行われる直前の平和祈念公園なども回り、米軍が住民から土地を奪った歴史、多額
の税金を米国に贈る「思いやり予算」、沖縄から戦闘機が中東の戦地に飛び立つ現実を説明する。
「何のための基地なのか。抑止どころか生活が脅かされている」

京都市西京区に生まれた。琉球大進学から沖縄に住み10年。学生時代から沖縄戦の研究を続ける。
集団自決で死にきれなかった母親の頭に石をぶつけた老人の話など、むごく悲惨な体験者の証言は
頭から離れない。

本職は、宜野湾市にある米兵と日本人の女性の間に生まれた「アメラジアン」の小中学生が通う
フリースクールの教師。夫がイラクに派兵されて不安な顔を見せる女性や、「日本を守っている」
と無邪気に話す生徒と日々顔を合わせる。卒業後に米国で海兵隊員になった教え子もいる。
米軍基地の危険を初めて体感したのは2004年。普天間飛行場(宜野湾市)近くの沖縄国際大に
米軍ヘリが墜落した。
「あいつ無事か」。友人の顔が浮かんだ。どこかで人ごとだった基地問題は今、暮らしの問題だ。

だから昨年の衆院選で、飛行場移設先を「最低でも県外」と力説した鳩山由紀夫前首相の言葉
に希望をみた。「首相が言うんだから」
裏切られた。自民党政権とほぼ同じ日米合意。

沖縄の痛みは日本の痛み

「沖縄の怒りと失望とあきらめは、こういうことを繰り返し味わされてきたからか」
今も京都にいたら「『ふーん』ぐらいにしか思わなかったろう」。現に鳩山首相が基地問題を契機に
辞任し、菅直人首相に交代した途端、支持率は「Ⅴ字回復」した。「やはり国民にとって重要な問題じゃ
なかったのか」。今選挙の争点にもならない。「悔しい」。日本の安全をどう保障し、米国との関係を
見直すのかという命題は、すべての国民に突きつけられているはずだ。

「最低でも県外」のはず。普天間、しょせん人ごとなのか

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京のウチナーンチュ

慰霊の日の正午。立命館大3年の大城研志郎さん(20)は、京都市北区のマンションで出身地の名護市に向き、黙とうした。
政権交代した昨秋以降、大学のゼミなどで沖縄の人(ウチナーンチュ)の実情を話す機会が増えた。
選挙権を得て初めて臨んだのは基地移設反対派が誕生した1月の名護市長選。「オバマ大統領がチェンジ、鳩山さんがノー、市長も反対。基地が沖縄を出て行く条件はそろった、はずだった」
参院選後も9月の名護市議選、11月の沖縄県知事選で意思表示ができる。「あきらめない。抵抗を続け
る使命感がある」

政府のトップとして基地問題を語り、「対等な日米同盟を目指す」と主張した鳩山前首相。北上田さんは
「基地問題を日本中に広めてくれた意義はあった」と認める。だが、その退陣を受けた菅政権は「沖縄」
に距離を置こうとしていないか。
慰霊式典に訪れ、「痛み」の負担を求めた菅首相の姿をみてつぶやいた。
「もっとこだわってよ」

(今川敢士)

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日米安全保障
1960年に発効した現行の日米安保条約で、「日本と極東の安全」を
理由に米軍の国内基地使用を認めた。95年、海兵隊員の少女暴行事件
を契機に、海兵隊のグアム移転などが決定。昨夏以降、「常時駐留なき安保」
を持論とする鳩山首相は普天間飛行場の県外への移設を主張したが、「抑止力」
の維持を理由に最後は名護市への移設で米国と合意した。現在、沖縄県には国内
の74%の米軍基地が集中する。