2011年11月23日 県民大会声明

2011年11月24日 | 掲示板
育鵬社公民教科書採択を許さず、「9月8日八重山
全教育委員協議」の決定を認めさせる声明


 教科書は授業の主たる教材であり、教育内容の柱であることは言うまでもありません。教科書に関わる編集・検定・採択は、子ども・保護者・教育関係者の願いを当然尊重すべきです。今回の八重山地区教科書採択問題は、八重山の子どもたちや学校は全く蚊帳の外に置かれ、政治的な思惑で終始進行していると言っても過言ではありません。私たちは、このことにより教育行政・学校教育の信頼が大きく揺らいでいることを強く憂慮しています。
 そもそも「育鵬社」は特定の政治集団によってつくられた出版社であり、偏狭なナショナリズムに色濃く染められています。歴史教科書では太平洋戦争を「大東亜戦争」とし、沖縄戦での「集団自決」記述でも、旧日本軍の強制・誘導の事実を完全に否定しています。公民教科書では大日本帝国憲法を高く評価し、現憲法はGHQによる押し付け憲法だとし、憲法改悪を誘導するような内容になっています。また現在の沖縄の抱える米軍基地の記述はほとんどなく、表紙の日本地図から沖縄県だけが消されている屈辱的な写真が掲載されています。このように事実をねじ曲げ偏向した教科書が子どもたちの手に渡ることは、沖縄県民の住民感情としても断じて許せることではありません。
 8月23日の八重山地区採択協議会では「育鵬社」との答申が出され、その後の3市町教育委員会において、石垣市・与那国町は「育鵬社」、竹富町は「東京書籍」と採択決定が分かれました。
 教科書無償措置法において、同一採択区は同一教科書を決定しなければならないとされているため、文部科学省と調整し県教育委員会の指導・助言のもと、3教育委員会が協議を行い、「9月8日全教育委員協議」において、「東京書籍」に決定した経過があります。その後、3市町教育委員会の話し合いは折り合わず、文部科学省の認識と判断のブレもあり現在に至っています。しかし、この間の経過を冷静にみれば、教科書採択の最終的な決定は、「9月8日全教育委員協議」の「東京書籍」にあると言えます。
 文部科学省は沖縄県教育委員会に11月中の報告を求め、一致に至らない場合は、石垣市・与那国町は「育鵬社」で無償、竹富町は「東京書籍」で有償との見解も示しています。地元八重山3市町が一致に向けて努力している段階で、文部科学大臣の発言は不当な介入であり、明らかに憲法26条の「義務教育の無償」の原則に背くものであると考えます。
 私たちは八重山郡民・沖縄県民・子どもたち・保護者・教職員の民意をふまえ、文部科学大臣の「竹富町有償発言」を撤回させ、「9月8日八重山全教育委員協議」決定を認めることを強く求めます。

文部科学省
沖縄県教育委員会
石垣市教育委員会
竹富町教育委員会
与那国町教育委員会 
沖縄県議会      宛

         2011年11月23日
         9月8日八重山全教育委員協議の決定を認めさせる県民集会

琉球新報コラム 「未来へいっぽにほ」 2011年9月

2011年09月17日 | 掲示板

⑤ 支えられて育つ

 アメラジアンスクールは多くの方に支えられて成り立っている。分かりやすいのは生徒と直接かかわるボランティアの方々や、寄付をくださる方々の支援だ。県による日本語教員の派遣や、宜野湾市による建物の貸与をはじめ自治体からの支援にも、本当に感謝している。
 
それに加えて昨年から、生徒が空港で職場体験をする機会にも恵まれている。この取り組みは、ボランティアとしてスクールに関わるJALスカイ那覇の社員の方の提案で始まった。同社は空港の地上業務に関わっており、職場体験では中学生クラスの生徒が国際線乗り継ぎカウンターに入り、荷物を運び、日本語または英語で実際に接客させてもらう。
 
普段、日本語と英語を勉強していても、生徒たちはその両方を用いた仕事をイメージできているわけではない。そもそも、地域で大人と接することが少ない生徒たちにとっては、働くということのイメージすら持ちにくい。そんな生徒たちにとって、この職場体験はとても貴重な機会になる。
 
最初は緊張していた生徒たちも、社員のサポートで徐々に自信を持って日本語と英語を使ってお客さんと話をするようになる。荷物の代わりに自分がベルトコンベアーで流されそうになった生徒は、終わった時には胸を張って荷物の運び方のコツを友逹に話していた。日米両言語を使う仕事の現場を直接体験できたことは生徒にとって具体的な目標を持つきっかけになった。
 
小さな学校の教師である私にできることには限界がある。周囲の大人たちに関わってもらうことで生徒もさまざまな体験ができ、自分の持っている多様な可能性に気付くことができる。これからも、そうやって多くの方々と一緒にアメラジアンスクールの教育をつくっていきたい。 (2011年9月9日)
 

琉球新報コラム 「未来へいっぽ にほ」  2011年8月

2011年08月15日 | 掲示板
④ 双方の視点で考える

 アメラジアンスクールは英語教育の場所と勘違いされることがある。確かにアメラジアンの子どもたちが自分らしく生きるために、日米両方の言語を習得することは必要だ。だが、それだけでいいのか分からなかった。
 答えが少し見えたのは、数年間前に始めた「ジョイントクラス」を通してだった。このクラスは、それまで別々に授業をしていた日米の教員が協力して行う授業だ。
 小学校低学年クラスでは、日米の教員が豚になるところから授業が始まる。
「ブーブー」「オインクオインク」。
子どもも大喜びで声に出す。そしてつぶやく。「先生。何で動物の声は同じなのに日本とアメリカで言い方が違うの?」
 中学生クラスでは、日米の教員がそれぞれの歴史教科書を使って太平洋戦争について説明した後、生徒が両方の教科書を見比べて話し合う。
 生徒「原爆で亡くなった人の数が日米の教科書で違っているよ」
 私「本当だね。同じ出来事でも説明が違うね。アメリカの教科書では、沖縄戦の犠牲者数は硫黄島の犠牲者数と一緒に書かれているよ。ちょっとひどいんじゃない?」
 生徒「だけど日本の教科書には真珠湾攻撃でどれだけのアメリカ人が亡くなったか一言も書いていないよ。もっとひどいんじゃない?」
 日米両方の視点で学ぶ子どもたちの口からは、簡単に答えが出ない問いが飛び出てくる。それを一緒に考えていこうとする場所を作ること、それこそが、子どもたちの将来にとって必要だと思う。
 設備や予算は十分にあるとは言えないが、他にはない豊かさがある。そう信じられるから、ここでの仕事はやめられない。 (2011年 8月12日)

琉球新報コラム「未来へいっぽにほ」 2011年5月・6月・7月

2011年07月15日 | 掲示板
頭の中の4つのスペース      
                 
 「スクールでは、アメラジアンの子どものために日米両方の言語・文化を教える『ダブルの教育』をしています」
 そうやってスクールを紹介すると、たいていは「そんなことできるの?」という反応が返ってくる。確かに、私たち大人の考えや経験からするとそうだろう。
 実際、私もスクールで英語を使うが、今でもうまいとは言えない。「今日の授業は全部英語で説明するぞ・・・」と意気込んでも、最後には「サウンド(音)はエアー(空気)のバイブレーション(振動)でさ・・」となってしまう。生徒からは「先生、ルー大柴みたい」と言われて、苦笑いしてしまう毎日だ。
 だが、子どもたちは普段から相手や状況に応じてスラスラと日本語と英語を使い分けて話している。むしろ、そうやって言語を切り替えるのを楽しんでいるようにも見える。
 先日、ある小学生の子に「頭の中で混乱しないの?」と聞いてみた。すると、その子は「私の頭には4つのスペースがあるの」と答えてくれた。「私の頭の中には、日本語、英語、イギリス英語、そしてウチナーグチのスペースがある」とのこと。そして、聞こえた言葉は瞬間的にそのどこかに入るので、その言葉で反応して話せるのだと言う。
 沖縄に来て11年たってもウチナーグチのスペースができない私の頭では想像もつかないが、自在に言葉を操るその子を見ていると本当のような気もしてくる。子どもは大人の思う「当たり前」だけでは考えられない力を持っているようだ。
 そんな子どもたちと接していると、毎日多くの驚きや発見、そして大変さがある。同時に、何ものにも代えがたい面白さとやりがいがある。次回からはそうしたスクールでの日々の一端を紹介していきたい。
(2011.5.20)

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②  忘れられない失敗 

 アメラジアンスクールで働き始めてからこれまで、数多くの失敗を積み重ねてきた。その中でも忘れられない失敗を一つ紹介したい。
 働き始めた当初、私は生徒に自己紹介をするとき、必ずと言っていいほど「僕はみんなに日本語を教えるから、英語ができるみんなは僕に英語を教えてよ」と軽い気持ちで言っていた。
 だがある日を境に、私はその自己紹介をやめた。それはある中学生に「先生、何で日本の人たちは、私たちハーフの子どもはみんな英語ができると思っているの?」と言われたからである。
 つい最近まで公立学校に通っていたというその生徒は泣きそうになりながらさらに続けた。「他の子とおんなじように学校に行ってるだけで、英語なんてできるはずがないのに・・・。だいたい他の子はそんなこと聞かれないよね。けど私にはそれを聞くのは何で?」
 おそらく、その子に対する周囲の期待は悪意から来るものではない。むしろ「英語ができる=かっこいい」という気持ちから発した期待だろう。
 しかし、いずれにせよ「英語ができそうな」外見のその子は「英語ができる?」と聞かれるたびに「英語ができない自分」と向き合わざるを得なかった。そして、それがきっかけでアメラジアンスクールに通うことになったという。私のような「日本の人」が英語を学ぶことと、アメラジアンである彼らが英語を学ぶこと。それは似ているようだがやっぱり違う意味があるかも・・・と気づかされた失敗だった。
 以来私は「人の外見と使用言語は一致しない」ことを生徒に気づかせるためいろいろな言語で自己紹介をしようとした。だが語学は付け焼き刃ではできない。結果的に、それも失敗の一つとなってしまった。
(2011.6.27)

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③  普通って何? 

スクールでは昨年度、中学生クラスの授業の一環として、生徒が自分たちで映像作品を作る「ビデオプロジェクト」を行った。これまで「撮られる」ことが多かった生徒たちは、プロのカメラマンのサポートやトヨタ財団の助成に支えられながら、自らカメラを回し、生き生きと作品を作っていった。そして、その過程では多くのドラマが生まれた。
 授業の終盤、映像作品を用いて他校との交流を行う準備をしていた時、生徒たちは「この作品を通して、私たちがみんなと同じ普通の人であることを知ってほしい」と書いた。しかし、私も含めたスタッフはそれに違和感を持った。
 翌週の授業で生徒たちに率直に「本当にみんなが目指しているのは普通なの? そもそも普通って何なの?」と聞いてみた。すると次の授業で生徒たちは開口一番「普通じゃダメなの?」と言ってきた。それをきっかけにまた話し合った。
 
 話していて分かったことは二つあった。まず、生徒たちが想像以上に周囲から「違う」存在として見られており、そのことがプレッシャーになっていること。そしてもう一つは教師(私)が彼らの多様性を考慮せず、無意識のうちに「普通」の子と比べて評価しようとしていたことである。
 ある生徒が「地球上に同じ人はいないよね。だからみんな違うのが普通なんだよ」とつぶやいた。「私たちがみんなと同じように普通」ではなく「みんなが私たちと同じように多様であり、それが普通」である。映像作品が持つメッセージが大きく変わった瞬間だった。
 生徒には内緒だが、私は今も時々誰もいない教室で完成した作品を鑑賞している。そして、作る過程のいろいろなドラマを思い出しながら一人でニヤニヤしている。
(2011.7.15)


7.10 集会アピール

2011年07月11日 | 掲示板
            7.10集会アピール

 2011年4月21日,最高裁判所(白木勇裁判長)は、「大江・岩波沖縄戦裁判」の元隊
長による上告および上告受理の申し立てを受理しないとの決定を下しました。これによ
り大江氏と岩波書店の勝訴が確定しました。
 この裁判では,沖縄戦当時に慶良間諸島で起こつた住民の「集団自決」は, 日本軍の
自決を強要する命令によるものか,否かが最大の争点となつていました。
 そして一審判決は,「(軍の命令が出されたという)事実を真実とする相当な理由があ
つた」と判示し,二審判決は,一審判決から更に踏み込み「日本軍の強制ないし命令と
評価する見解もありうる」と判示して,元隊長の主張を退けました。今回,最高裁判所
は,それらの判決を支持する決定を下したのです。
 この裁判を勝利へ導く大きな力となつたのは,命を削るような思いで沖縄戦体験者が
語つた証言,陳述書等であり,体験者の証言の積み重ねによって,その証言の客観性を
高めることを追求してきた沖縄戦研究の成果の反映でもあつたともいえるでしょう。
 またこの裁判は,沖縄戦の真実を歪曲し,「集団自決」を殉国美談に仕立て上げようと
する人々の支援と沖縄戦教科書記述の書き換えを狙う運動と直結した極めて政治的なも
のであり,そのことが2007年の高校歴史教科書の検定意見をめぐる問題によって明らか
になりました。
 2007年3月,この裁判が「係争中」であるとの理由で,高校歴史教科書の「集団自
決」の記述にかかる「軍命」を削除する教科書検定意見が出されたことが大きく報道さ
れました。その後,沖縄県民の検定意見撤回を求める声が高まり,2007年9月29日に
開催された「教科書検定意見撤回」県民大会に見られるように「沖縄戦の実相を歪めて
はならない」と,その体験を継承しようとする意識が多くの県民に広がり,体験者が重
い口を開いて戦争体験を語り,島ぐるみの教科書検定意見の撤回を求める大きな運動ヘ
と発展しました。また,教科書検定意見撤回を求める要請書を採択する県外の自治体も
出る等,検定意見撤回を求める声は全国的な広がりも見せました。
 今回の最高裁判所の決定により,元隊長の全面敗訴が確定し,教科書検定意見の「係
争中」との理由も消滅し,教科書検定意見が誤りであったことがはっきりしました。 し
かし,未だ文部科学省は,「私人の論争なので司法が下した判断についてコメントする立
場にはない」と開き直り,県民の教科書検定意見の撤回を求める声に全く応じようとは
しません。
 わたしたちは,最高裁判所における勝訴判決をうけて、文部科学省に対し,2006年度
教科書検定意見の撤回を求める取り組みを続けます。
 教科書に沖縄戦研究の成果を反映してもらうよう,教科書執筆者,教科書会社への要
請等に積極的に取り組みます。
 今後行われる教科書検定についても,沖縄戦研究の成果が反映されよう働きかけると
同時に,沖縄戦の実相を正しく伝えるためのあらゆる取り組みに積極的に関わることを
決意します。

                        2011年7月10日
               大江岩波書店沖縄戦裁判勝利報告集会参加者一同

林 博史 「沖縄戦が問うもの」 目次

2010年09月18日 | 掲示板
(9月18日)

「沖縄戦が問うもの」 林 博史 (大月書店 2010.6)

目次

はじめに・・今日の日本社会と沖縄戦

第1章 沖縄戦への道
  1 近代の沖縄
    検証1 同化志向と差別への反発
  2 アジア太平洋戦争
    検証2 マニラ戦
  3 沖縄に迫る戦争
    検証3 軍人・部隊の経歴
    検証4 変化する日本軍
    検証5 軍隊への召集・・なぜ14歳の少年まで召集されたのか
    検証6 日本軍慰安所
  4 沖縄の戦時体制
    検証7 疎開
    検証8 戦争を煽るマスメディア
    検証9 『国民抗戦必携』

第2章 米軍の上陸と沖縄戦の展開
  1 慶良間列島
    検証10 なぜ「集団自決」が起きたのか
    検証11 朝鮮人と沖縄戦
  2 米軍の沖縄島上陸
    検証12 特攻
    検証13 ガマと沖縄住民・・宜野湾のケース
  3 本島中部の激戦
    検証14 西原での住民虐殺の背景
    検証15 戦場での住民動員
  4 本島北部の沖縄戦
    検証16 米兵による犯罪
    検証17 ハンセン病患者の沖縄戦
    検証18 障害者の沖縄戦

第3章 沖縄戦の中の人々
  1 日本軍の南部撤退と組織的抵抗の終了
    検証19 傷病兵の殺害
  2 日本軍による残虐行為
    検証20 久米島での住民虐殺
  3 戦場の人々・・生きることを選んだ人々
    検証21 移民と沖縄
    検証22 防衛隊
    検証23 戦場の学徒隊
    検証24 米軍の心理戦

第4章 離島の沖縄戦
  1 宮古八重山諸島
    検証25 波照間島・・飢えとマラリヤ
    検証26 石垣島事件・・沖縄と戦犯裁判
    検証27 イギリス軍と沖縄戦

第5章 戦後の出発
  1 収容所
  2 戦争終結と基地建設へ
    検証28 戦没者への追悼と援護法
    検証29 アイヌと沖縄戦
    検証30 沖縄戦の認識・記憶と戦後沖縄
    検証31 教科書検定問題

第6章 なぜこれほどまでに犠牲が生まれたのか
  1 日本軍の戦争指導と軍人の被害
  2 日本軍の作戦指導と住民被害
    検証32 昭和天皇と沖縄
  3 多くの犠牲を生み出した責任
    検証33 男女の役割と差別
  4 米軍の責任
  5 「非国民」が命を救った・・組織・社会と個人
  6 どうすれば犠牲を避けられたのか

  さいごに

あとがき
読書案内
参考文献一覧
  

朝日新聞記事  2010年8月31日 社会面

2010年09月04日 | 掲示板
普天間 無関心こそ問題

「決めるのは僕や君」

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の代替施設を、同県名護市辺野古に
造るとした日米共同声明から3カ月。政府は31日、米側と合意した滑走路
の位置などについての報告書を公表する。だが、地元同意のない計画に、沖縄
側の反発は必至だ。「日本全体で考えなければならない問題を再び沖縄問題に
してはならない」。そんな思いで沖縄で平和ガイドとして活動する本土出身者の
2人を訪ねた。(武田肇=平和・核問題担当)

 米軍のジェット戦闘機が、金属質の甲高い騒音を響かせて飛び出すと、草野球
をしていた小学生が耳をふさいだ。普天間飛行場を見渡せる嘉数高台公園(沖縄
県宜野湾市)。「これが沖縄の日常です」。京都市出身の北上田源さん(28)は
言った。
「(沖縄出身歌手の)安室奈美恵やDA PUMPのイメージしかなかった」
沖縄に来たのは18歳、琉球大学進学のためだった。国土の0・6%しかない
沖縄に在日米軍専用施設の75%が集中する現状は、住んでみて初めて知った。
在学中、沖縄を訪れる修学旅行生らに沖縄戦の戦跡や米軍基地などを案内する
平和ガイドの活動を始めたのも、好奇心からだった。
 忘れられない記憶がある。沖縄に来て4年が過ぎた2004年8月、沖縄国際
大学(同県宜野湾市)に米軍ヘリが墜落、炎上した。「大丈夫か?」。友人や知人
の顔が次々と浮かんだ。
現場に駆けつけると、校舎の壁に黒くこげた後が帯状に走っていた。「この恐怖感
を沖縄の人たちはずっと背負わされてきたのだ」。初めて実感した。
 昨年秋、「(普天間飛行場の移設先は)最低でも県外」と約束した鳩山由紀夫
氏が首相に就任したときは、沖縄県民と同じように期待した。だが、迷走の末に
辺野古案に戻った。
「ヤマトンチュ(本土の人)とは通じ合えない」という批判を耳にするように
なった。「基地問題に無関心でいる本土の多くの人たちは、かつての自分の姿だ」。
修学旅行生の前に立つ時は努めて「この問題を決めるのは、ぼくや未来の君たち
なんだよ」と問いかけるようになった。

   ********************

「海を壊すのも差別」

「この海を壊すことは自然への冒瀆だけでなく、沖縄への差別です」
普天間の代替施設建設が計画されている沖縄県名護市辺野古。徳島県出身の
平和ガイド、大島和典さん(74)は青い海が見える浜辺に立つ時、こう説明
するようになった。
 四国放送プロデューサーとして数々のドキュメンタリー番組を手がけた。
2004年に沖縄に移り住み、平和ガイドとして約1万数千人を案内するかた
わら、辺野古に300回以上通い、2320日を超える座り込みの記録映像を
撮り続けてきた。05年に編集した映像作品はJCJ(日本ジャーナリスト会議)
市民メディア賞を受賞した。
 沖縄に移住したのは、大島さんが7歳のときに召集された父親が、沖縄戦で
命を落としていたからだ。移住当初、沖縄の人々が口にする「基地集中は差別」
という言葉に違和感を覚えた。だが、沖縄の歴史を学ぶにつれて思いは変化した。
明治政府が琉球王国を解体した琉球処分、日本軍が「本土決戦準備のための時間
稼ぎ」と位置づけた沖縄戦・・。「差別というのは本土との関係で不平等を押し
つけられてきた積年の思いだ」
 今年4月、仲井真弘多・沖縄県知事が県内移設に反対する県民大会に出席し、
沖縄に在日米軍基地の大半がある現状について「差別に近い」と語った。それから
「差別」をガイドで語るようになった。
 メディアにたずさわっていた身として気に懸かるのが、代替施設の建設予定地
が辺野古に戻ってから、本土メディアの報道がぱたっと止まったことだ。
 「基地がなくならない限り沖縄戦は終わらない。父と同じように沖縄の土に
なる覚悟です」

京都新聞記事 2010.6.28

2010年06月28日 | 掲示板
夏めぐりて ②    京都新聞2010年6月28日

ウチナーのみやこびと

車を運転してたら、飛行機とぶつかりそうになった-。「沖縄(ウチナー)ではこういう言葉をよく使う
んだよ」

参院選公示前日の23日。20万人以上が犠牲になった沖縄戦終結から65年目の「慰霊の日」
を迎えた沖縄・嘉手納基地周辺で、京都出身の平和ガイド、北上田源さん(28)は間近に飛ぶ
米軍機を見ながら、修学旅行に来た高校生に語り始めた。

慰霊式典が行われる直前の平和祈念公園なども回り、米軍が住民から土地を奪った歴史、多額
の税金を米国に贈る「思いやり予算」、沖縄から戦闘機が中東の戦地に飛び立つ現実を説明する。
「何のための基地なのか。抑止どころか生活が脅かされている」

京都市西京区に生まれた。琉球大進学から沖縄に住み10年。学生時代から沖縄戦の研究を続ける。
集団自決で死にきれなかった母親の頭に石をぶつけた老人の話など、むごく悲惨な体験者の証言は
頭から離れない。

本職は、宜野湾市にある米兵と日本人の女性の間に生まれた「アメラジアン」の小中学生が通う
フリースクールの教師。夫がイラクに派兵されて不安な顔を見せる女性や、「日本を守っている」
と無邪気に話す生徒と日々顔を合わせる。卒業後に米国で海兵隊員になった教え子もいる。
米軍基地の危険を初めて体感したのは2004年。普天間飛行場(宜野湾市)近くの沖縄国際大に
米軍ヘリが墜落した。
「あいつ無事か」。友人の顔が浮かんだ。どこかで人ごとだった基地問題は今、暮らしの問題だ。

だから昨年の衆院選で、飛行場移設先を「最低でも県外」と力説した鳩山由紀夫前首相の言葉
に希望をみた。「首相が言うんだから」
裏切られた。自民党政権とほぼ同じ日米合意。

沖縄の痛みは日本の痛み

「沖縄の怒りと失望とあきらめは、こういうことを繰り返し味わされてきたからか」
今も京都にいたら「『ふーん』ぐらいにしか思わなかったろう」。現に鳩山首相が基地問題を契機に
辞任し、菅直人首相に交代した途端、支持率は「Ⅴ字回復」した。「やはり国民にとって重要な問題じゃ
なかったのか」。今選挙の争点にもならない。「悔しい」。日本の安全をどう保障し、米国との関係を
見直すのかという命題は、すべての国民に突きつけられているはずだ。

「最低でも県外」のはず。普天間、しょせん人ごとなのか

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京のウチナーンチュ

慰霊の日の正午。立命館大3年の大城研志郎さん(20)は、京都市北区のマンションで出身地の名護市に向き、黙とうした。
政権交代した昨秋以降、大学のゼミなどで沖縄の人(ウチナーンチュ)の実情を話す機会が増えた。
選挙権を得て初めて臨んだのは基地移設反対派が誕生した1月の名護市長選。「オバマ大統領がチェンジ、鳩山さんがノー、市長も反対。基地が沖縄を出て行く条件はそろった、はずだった」
参院選後も9月の名護市議選、11月の沖縄県知事選で意思表示ができる。「あきらめない。抵抗を続け
る使命感がある」

政府のトップとして基地問題を語り、「対等な日米同盟を目指す」と主張した鳩山前首相。北上田さんは
「基地問題を日本中に広めてくれた意義はあった」と認める。だが、その退陣を受けた菅政権は「沖縄」
に距離を置こうとしていないか。
慰霊式典に訪れ、「痛み」の負担を求めた菅首相の姿をみてつぶやいた。
「もっとこだわってよ」

(今川敢士)

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日米安全保障
1960年に発効した現行の日米安保条約で、「日本と極東の安全」を
理由に米軍の国内基地使用を認めた。95年、海兵隊員の少女暴行事件
を契機に、海兵隊のグアム移転などが決定。昨夏以降、「常時駐留なき安保」
を持論とする鳩山首相は普天間飛行場の県外への移設を主張したが、「抑止力」
の維持を理由に最後は名護市への移設で米国と合意した。現在、沖縄県には国内
の74%の米軍基地が集中する。


米海兵隊は撤収を

2010年04月24日 | 掲示板
(2010.4.24)琉球新報

米海兵隊は撤収を 
      ・・普天間基地問題についての第二の声明(全文)


 米海兵隊普天間飛行場は、住宅密集地の中にある世界で最も危険な基地と
して、速やかな閉鎖、撤去が求められてきた。旧自民党政権は、普天間の移
設先として、北部名護市の辺野古(キャンプ・シュワブ沿岸部)に代替基地
を建設することを米国との間で「合意」したが、それは、沖縄の中に新た
な巨大基地を建設することに他ならず、沖縄県民はあらゆる機会にそれに
反対する意思を表明してきた。
 2009年秋の政権交代と、民主党の「国外、最低でも県外(移設)」と
いう選挙での訴えが、沖縄県民に希望を与え、状況を大きく変えた。201
0年1月の名護市長選挙では、辺野古への移設に反対する稲嶺進候補が勝利
した。2月には、これまで移設を容認してきた自民党、公明党を含め、沖縄
沖縄県議会が全会一致で「普天間基地の県外移設」を求める意見書を採択した。
また県内41市町村長全員が県外・国外を主張している。保守が擁立した仲井
真弘多県知事も「県内(移設)は厳しい」と語り始めた。沖縄は、いまや”オール
沖縄”で「県内移設」反対を明確にしたのである。

しかし2010年5月まで「決断」を先送りした鳩山政権は、県外移設の可能
性を真剣に追求することはなく、キャンプ・シュワブ陸上案や勝連半島沖埋め
立て案など、「県内」うぃ軸に決着することを図り、動き始めている。
 私たちはこの政権の動きを深く憂慮し、以下のように声明する。(呼び掛
け人のうち18人は、2010年1月に発表した本土の学者・知識人声明の呼
び掛け人である。沖縄でもすでに学者・知識人による海兵隊撤収要求の共同声
明が出されており、その意味でこれは合同で第二の声明といことになる)

(1)私たちは、辺野古陸上案(キャンプ・シュワブ内)、勝連半島沖案は
もちろん、すべての沖縄県内移設に反対する。これ以上沖縄に過重な負担を
かけてはならない。沖縄の意思を無視してはならない。沖縄の環境を破壊して
はならない。
(2)民主党は、衆議院選挙で「国外、最低でも県外」を訴えた。また名護市長
選では、辺野古移設反対を主張する稲嶺進候補を推薦し、勝利させた。鳩山政権が、
県内移設で決着させるならば、それは明確な公約違反であり、国民・県民への
裏切りと言わなければならない。鳩山政権は、仮に現在の日米安保体制を前提に
するとしても、まず県外移設の可能性を徹底して追求すべきである。
(3)県外でも県内でも移設を受け入れる地域がなかった場合、現在の普天間
飛行場をそのまま継続使用するという案が出ているが、それは許されない。周辺
住民の生命と暮らしを脅かしているこの危険な基地は、速やかに閉鎖されなけれ
ばならない。
(4)県外移設を追求した結果、どの地域も受け入れないということならば、
日本国民には海兵隊の基地を受け入れる意思がないということを意味する。
必然的に米海兵隊は日本から全面的に撤収する以外にない。日本国民には、
米海兵隊の存在なしに、東アジア地域の平和と安定を構築する積極的な役割を
果たす意思があるということである。米国は、日本国民の意思を尊重しなけれ
ばならない。
(5)そもそも政権が奔走し、メディアが関心を集中させたのは、「基地用地」
探しばかりであった。いま考えるべきことは、本当にそのようなことなのだろうか。
むしろ冷戦時代の思考法である「抑止力」とか「敵」とか「同盟」といった
発想そのものを疑い、その呪縛から逃れることが必要なのではないか。国際
社会に「共通の安全保障」や「人間の安全保障」といった考え方が現れ、冷戦
の敵対構造を解体していく大きな力になった。私たちは、米軍基地の代替地を
タライ回しのように探すのではなく、米軍基地を沖縄・本土に存在させ、米軍
に勝手気ままに使用させている構造こそを問わなければならない。日米安保条約
は、冷戦時代の遺物であり、今こそ、日米地位協定、ガイドライン(日米防衛
協力の指針)などを含めて、日米安保体制を根幹から見直していく最大のチャンス
である。その作業を開始することを、日本政府、そして日本国民に訴える。

呼びかけ人

【県外】宇沢弘文東京大名誉教授、遠藤誠治成蹊大教授、岡本厚氏(岩波書店
「世界」編集長)、加茂利男立命館大教授、川瀬光義京都府立大教授、古関彰一
獨協大教授、小林正弥千葉大教授、小森陽一東京大教授、千葉真国際基督教大教授、
寺西俊一一橋大教授、西川潤早稲田大名誉教授、西谷修東京外国語大教授、原科幸彦
東京工業大教授、前田哲男氏(評論家)、水島朝穂早稲田大教授、宮本憲一大阪市立
大・滋賀大名誉教授、山口二郎北海道大教授、和田春樹東京大名誉教授
【県内】新崎盛暉沖縄大名誉教授、大城立裕氏(作家)、大田昌秀元沖縄県知事、
我部政明琉球大教授、桜井国俊沖縄大教授、島袋純琉球大教授、新城郁夫琉球大教授、
高里鈴代氏(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)、高良鉄美琉球大教授、
高良勉氏(詩人、批評家)、照屋寛之沖縄国際大教授、富川盛武沖縄国際大教授、
仲里効氏(メディアエ作者)、仲地博沖縄大教授、比屋根照夫琉球大名誉教授、
三本健氏(ジャーナリスト)、宮里昭也氏(同)、宮里政玄沖縄対外間題研究会代表
山城紀子氏(ジャーナリスト)、由井晶子氏(同)

「関西の会」設立の集い (沖縄タイムス2010.4.5)

2010年04月05日 | 掲示板
沖縄戦や米軍基地のガイド、調査研究などに取り組む
沖縄平和ネットワーク(平和ネット) の「関西の会」
が3日、発足した。県外では首都圏の会(東京)に続く
2カ所目の拠点。大阪や京都を中心に、3カ月に1度
のペースで集まり、講演会や戦跡をめぐるフィールド
ワークなどの開催を目指す。
共同代表にいずれも中学校教諭の竹山幸男さん、平井
美津子さん、本庄豊さんの3人が就いた。
平井さんは「これまで平和ネットの活動は沖縄に限定
されていたこともあり、関西で沖縄の問題を考える受け
皿が必要だった」と話す。関西には、慶良間諸島での沖
縄戦時の軍命の有無をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが
大阪地裁に起こした「大江・岩波裁判」の被告側を支援
する連絡会もあり「関西ならではの活動をしたい。会員
に限らず広く門戸を開き、多くの人に参加してほしい」と
意欲を見せた。
同日、同会の事務局を置く京都市上京区の同志社中学校
で設立の集い=写真=があり、京都や大阪、三重などから
43人が参加。沖縄国際大の石原昌家名誉教授が「有事体制
下・沖縄戦裁判の到達点」と題して講演し、戦傷病者戦没者
援護法と靖国合祀との関係や沖縄戦の実相がねじ曲げられる
背景、米軍普天間飛行場移設問題などを説明した。