カラノキタイ

天竺 蜜柑

ロマンサー

2006-08-31 22:16:37 | 音楽

ロマンサー


作詞 作曲/涼平

とうとう「アヤビエ涼平」と呼べなくなってしまったので、このブログのサブタイトルも「アヤビエ涼平」と微修正を実施。

ロマンサーはromancerでそのまま「空想家」あるいは「ロマンチスト」を指しているのだろう。(ちなみに日本語のロマンチストは英語には無く、英語で言うとromantiistまたはdreamy personになる。)いずれにしろ、「夢ばかり見ている頼りない人」的な感じがする。

アヤビエは045月に「変態最終頁」とこの「ロマンサー」を引っさげてビジュアル界に参入したわけだがこの2曲、それなりの強いインパクトを持った曲だった。そのインパクトは変態最終頁が歌詞だったのに対し、ロマンサーは歌詞というよりもメロディーが注目された。とにかくユニークできれいなメロディーである。上がって上がってそろそろ下がるだろうと思っていると、もう一段上がるメロディーラインになっている。涼平の多くの曲の中でも類似の曲はなく、特異な存在になっている。


夜泳ぐ君がね 泣きじゃくり願ってた     
あの時なぜわからなかったのか アイシテル 

11月に初雪がまつげにのってふと気付きました

突然の詩的な出来事だけで感傷的になれるあたしがいるよ

セリフがシャリシャリと高音で回りだします

突然な詩的な出来事だけで感傷的になれるあたしがいるよ

夜泳ぐ君がね 泣きじゃくり願ってた 
あの時なぜわからなかったのか 愛してる
冬火照る君がねふるふると祈ってた
今なら手にとるようにわかるのにキスをして

突然な詩的な出来事だけで感情的になれる僕はまだいる

落ち着いて読んでみると、ずいぶん勝手な男である。いつもは自分のことに夢中で、相手の細かなしぐさにも気づかず、無視しているのに、ちょっとしたことで感傷的な気分に落ちると、急に相手のしぐさや、過去の思い出が繊細に思い出され、後悔する。

(君がいなくなった)今頃になって君に語るべきセリフが溶け始め、シャリシャリいい出す。君が雪が降るようにと祈っていたのも、自分が感傷的になるのを知ってのことか。

  冷たい手で缶詰を開けた オレンジがこぼれて
  両の目の蛇口はまたゆるんだ 潰れた実を見て

こういう男、一度感傷的になると底を知らない。缶詰のオレンジのつぶれた実を見てさえ(何を思い出したのか)涙が出てくる。

(細かいことだけどオレンジの缶詰ってあまり見たこと無いからミカンの缶詰の実を想像してしまう。まあ良いか。)

夜泳ぐ君がね 泣きじゃくり願ってた 
あの時なぜわからなかったのか 愛してる
冬火照る君がねふるふると祈ってた
今なら手にとるようにわかるのにキスをして

涼平は次のバンドでどんな曲を打ち出してくるのだろうか。わずか2年あまりで、これだけ個性的な曲を次々出して来た男である。楽しみではある。




しこさほこ

2006-08-22 22:32:25 | 音楽

しこさほこ


作詞 作曲/涼平


 漢字で四股叉鉾とでも書けばまるで古代人が使った「鉾(ホコ)」の名前のような題だが、本人も言っているように、これは「新婚さん香港」の「ん」を外したものらしい。でも歌詞は「香港の」というより「純和風の」祭りの夜的雰囲気。内容は難しくないが表現が美しい。非常に軽快な曲で人気も高いし、ライブにも合う。


春の 夜に 燈る 電球は 周りに綺麗ににじむよ 僕は気にしない  
赤に 藍と 君の 言葉は 感情を色に持っている とても映えているさ

まるで夜店の裸電球にまぶしく映る彼女のさまを描いているようだ。君の話す言葉は一つ一つが美しい色を伴って自分の耳に快く響く。

このフレーズ。フランスの天才詩人アルチュール・ランボオの『母音』の

A(アー)は黒、E(ウー)は白、I(イー)は赤、U(ユー)は緑、O(オー)は青、母音たちよ、俺はいつかお前たちの秘められた誕生を語ろう、

を連想させる。赤と藍は涼平の歌に良く出てくる色である。


「君の身体燈る電球は、周りに綺麗になじむよ。」 僕は口にした


反応は 僕の虹彩に 赤の意識が焼け付くほどの

このフレーズは最初のフレーズと韻を踏ませて軽快さを持たせている。(にじむとなじむ等)

君の姿がまぶしくて目の奥に焼きついてしまった。(まぶしいものを見ると目を閉じても目の奥に赤緑の模様が焼け付くが、そのことを言っているのか)

一段飛び 恥じ入りつつ 真似る君
平べたい声さえ 可愛らしすぎるさ
振り向きざま 紅潮した 頬にキス
派手な記憶ほど 出来事は薄れ 君の事ばかり思い出す


君の喉も耳も本物じゃない だけど 囁きあうんだ そっと

ここでこれまでの内容が思い出であることが語られる。思い出には出来事としてでなく、彼女の一瞬一瞬の姿、場面が強烈な映像として記憶され、思い出される。まるで今そこにいるようにのどや耳が思い出され、自分はささやく。

解けた帯 恥じ入りつつ 直す君
少ないパタンさえ いとおしすぎるのさ
離すもんか 約束だね 君に帰す
淡い記憶でも 誰に笑われても 君の事だけが 大切で…

単純なしぐさがいとおしく心に残る。この思い出はいつまでも忘れない。


デジタルロリータデモンストレーション

2006-08-17 22:39:52 | 音楽

タルロリータデモンストレーション

作詞 作曲/涼平

題名は digital Lolita demonstration で「仮想ロリータ実演舞台」とでも訳したら良いのだろうか。曲はまるで人形浄瑠璃の舞台音楽のよう。結構ライブでも取り上げられていて、聴くとライブのフリを思い出す。

歌詞はさらに奇天烈(キテレツ)で難解である。難しく考えずにリラックスして読んでみよう。1983年は涼平の生まれた年。ではその300年前の1684年は?とネットで調べてみると、○ニュートンが「プリンキピア」を著した。 ○土星の衛星「テティス」がカッシーニにより発見された。 ○日本では松尾芭蕉が伊賀上野に向けて出発した。(その紀行文は後に「野ざらし紀行」にまとめられた。) ○フランスではルイ14世の絶頂期でベルサイユ宮殿の鏡の回廊が完成した。(ここら辺が曲にあっている。ゴシックロリータの世界。)


1684
━━━━━━━━
くるくる回るぼくらの情景 ぎゃう! 今でもまだ
これほどまでの切迫感情 ぎゃう! これから先
集まるほどに「食欲増すの君」 (人名) ぎゃう! 今でもまだ
しもべの僕は何をすれば良い ぎゃう! のだろうか?

舞台はベルサイユ宮殿の鏡の間。舞踏会が開かれている。みんなロンド(輪舞)を踊っている。僕は公爵の令嬢「食欲増すの君(Miss Hearty Appetite ミス ハーティ アペタイト )」に恋してしまっている。令嬢もロンドを踊っている。僕は見ているだけで胸が苦しくなってくる。


迷うのは 道がぎざぎざに 見え ぎゃう! ているだけ
こんな言葉の切り方はとても ぎゃう! おかしい?

君たちは 拳を上げて ついて来い

告白できないのは目の錯覚。ぎざぎざに見えるが行ってみれば真っ直ぐな道。こぶしを上げて進んで行こう。(言葉の切り方がおかしいのはこの歌のこと)


1983
━━━━━━━━
どれほど 恋模様 あたしに 映し出され
 あたしは 今何をすべきか わかっているけど・・・切ないよ
何も言わないのは 結果も知っているから・・・切ないよ

それから300年経っても相変わらずの恋模様。何をすべきかわかっているけど、結果もわかっている。


古い歌詩を読みながら あたしは自分を奮い立たせよう

でもこれじゃいけない。昔自分の作った歌詞を見て、奮い立たせよう。こぶしを上げて進んで行こう。


ミザリィインザダスク

2006-08-16 12:08:11 | 音楽

ミザリィインザダスク


作詞 作曲/涼平

 題名は misery in the dusk で、「夕暮れ時の悲惨」、「薄暮の部屋の悲劇」といったところか。この曲、内容はフラれてしまった寂しい話だが、メロディーはまるで西部劇に出てくる騎兵隊のマーチのような軽快なリズムで、シンプルな構成でありヒットする要素を持っている涼平初期の名曲である。


あなたがかたるの好きじゃないのはしってるけど
みじめは陰惨、震えが止まるはずもない

あなたは自分が不器用だと言うずるい人
みじめは陰惨、震えが止まるはずもない

なぜあなたは「さよなら」を言うのか、あなたは口下手なのを理由に多くを語ろうとしない、ずるい人。

真四角の部屋の中にて、真四角のテーブルの上で、
真四角のメモを開いて、前衛絵画の表情。

 このフレーズはこの曲の中でも特に目立つフレーズ。前衛絵画のひとつの流れにピカソやブラックに代表されるキュビスム(立体主義)というのがあるが、対象となるフォルムを単純な立体の組み合わせに分解して表現することを特徴とする。まさにその表現。

 部屋→テーブル→メモと四角いフォルムがズームアップされていく。「前衛絵画の表情。」ではなぜかいつもピカソの名作「泣く女」を思い出す。身も世もなくひたすら泣く女の表情。

あなたはテーブルの上にメモを置いたまま出て行ってしまった。

胸に手を当ててまだ苦しさの残るのは
そこら辺のラブソングが表す
口に指を入れて、ほら焦燥感通うのは
そこら辺がうまいだけのあなただったしね

ありふれたラブソングが上手な(だけの)あなたが歌ったように苦しみ焦る私。

真四角の部屋の中にて、真四角のテーブルの上で、
真四角のメモを開いて、前衛絵画の表情。

でも「もう一度逢いたいよ。」それでいいよね?
それじゃダメかな?

胸に手を当ててまだ苦しさの残るのは
そこら辺のラブソングが表す
口に指を入れて、ほら焦燥感通うのは
そこら辺がうまいだけのあなただったしね

わたしに何か言葉を
  わたしに何か言葉を・・

せめて一言やさしい言葉をかけて欲しい。


みみずく

2006-08-15 22:27:08 | 音楽

みみずく

作詞 作曲/涼平

この曲名はどこから来たか。曲の出だし「耳を劈く」から「耳ざく」となって「みみずく」となったのでは。それ以外、鳥の「みみずく」との関係は無いように思えるのだが。曲は始めからライブのときに聴衆の耳を劈くことを目的として作られていて、実際ライブで「あおり曲」として有効に使われている。


耳を劈くほどの轟音が飛び始めてる。
この閉塞感がなくなるなら、 どこへでも行けるのか。

指を見つめるほどに焦点がぼやけ始めている。
この倦怠感を支持するのは、自分の存在の薄さか。

理想とかけ離れた自分の存在の薄さ。それがこれまで頑張ってきた向上心に倦怠感を起こさせる。耳を劈く轟音だけが唯一、この閉塞感を破ってくれるものか。唯一、忘れさせてくれるものか。


 交わる 藍と
 呪え  肖像
 交わる 淦と
 呪え  切断

純色でなく藍と交わり、赤と交わり、どす黒くなって偶像を崇拝しろ。過去のすべてを断ち切れ。すべて既存の価値観の破壊によってこの行き詰まり感(閉塞感)を打ち破ろうという意志。

ここにある珍しい漢字「淦」は「あか」と読むが,手漕ぎボートのような木造の船の底に少しずつ漏れて溜まる水のことを言う。「藍」と対照させて「赤」色の意味を持たせると同時に、理想通りに物事が進まないとしても現実を許容しようということを表す。「水圧」の「澱」に似ている。


この歌詞自身が笑う。
「あなたの世界はこんなものか?」
否定さえ出来なくて、 打ちのめされてしまう。

この歌詞自身が謗る。
「あなたの限界、しかと見たり。」
一筋の光明さえ見えず、 しかし、もがいてやろう。

 このフレーズは「ダウナービューティフルソング」の

いつでも、追い続けていた、理想の形。

いやでも、見てしまうんだ、才能の限り。

のフレーズを思い起こさせる。そして、ここでも涼平はあきらめない。とにかく「もがけるだけもがいてやろう。」そこには作戦も計画も無い、とにかく熱意を傾けてもがいてみるだけ。ただそれだからこそ打ち破る可能性が見えるのだが。