カラノキタイ

天竺 蜜柑

ひらり、煌け。

2008-01-26 05:30:23 | 音楽

ひらり、煌け。
と宝石箱の呼び名高い僕は、舞い散る着物の中、変貌を遂げよう。

これはメガマソ涼平の「めのう」の冒頭の歌詞であるが、始めてこの曲を聴いたとき、三島由紀夫の小説を連想した。それは「仮面の告白」にある子供のときに、松旭斎天勝のきらびやかな衣装にあこがれて母のタンスからきれいな帯や着物を身にまとって喜んでいた(おそらく三島由紀夫自身の)思い出話や、あるいはさらにはその小説集に収められていた岩田専太郎のきらびやかな挿絵が連想させたものと思う。

岩田専太郎は美人画の得意な流行挿絵画家で、新聞小説などにおびただしい量の挿絵を供給したが、やはり、オーブリー・ビアズリーに触発され、自分なりにその官能的なイメージを取り込んで魅力的な絵をたくさん残している。ここまで多作でなく芸術的なところをもっと深く掘り下げ完成度の高い作品を残したらよかったのにと思うのは素人の考えか。


2008-01-23 22:09:13 | 音楽

図書館で借りてきたミヒャエル・ハネケ監督のフランツ・カフカ未完の傑作「城」のDVDを見る。原作にかなり忠実に作られているとのことで、見たかったものだ。舞台は雪に閉ざされた村で終始する。

外来者に入り込みにくい村、正体を見せない城の住人。そもそも「城」の依頼で招聘されてきたはずの主人公の測量技師Kは、なかなか雇い主に会うことができない。Kの訴えや伝言は雇い主に伝わらない替わりに裏からの悪意を持った情報は容易に伝わっていく。ロッカーに雑然と保管された役場の文書は整理されないまま山積みされている。その書類の山を床にばら撒き、乱暴に目的の文書を探そうとする様は年金問題を思い起こさせる。当然見つからないが誰もが責任を取らない。そして再び書類はロッカーの中へ押し込まれる。中傷や噂はすいすい伝わり、それでみんなが動いていく。その不条理な世界の中で本人が疲弊していく。と同時にそんな世界をしだいに当たり前と考えるようになる。

「塔は高揚する」を連想させる。領民あこがれの塔。領民たちはお互い小さな領地争いに明け暮れる。その戦いで儲けをたくらむ武器商人。領主たる塔の住人はしかしこの争いを制止しようとするわけではない。それどころか武器商人と新たなビジネスチャンスを探す儲け主義のねずみに過ぎない。


冬駆ける眼窩

2008-01-23 05:40:46 | 音楽

冬駆ける眼窩

我輩の机の上に幅2.5cm長さ32.5cmのアルミ箔が1枚あるが、これはもちろん昨年末のメガマソAXライブの時の収穫物である。家に持って帰っても意味無いものである。レーダーのついた追尾ミサイルに追われたときにこれを投げればチャフ(chaff)として軌道をそらせることが出来るかもしれないが、1枚じゃね。だいいち日常生活の中でそんな状況になるわけが無いか。

 たしか涙猫の途中で発射されたが、あのときに携帯を見てみたら、アンテナの本数が減ったかもしれないな、などとくだらないことを考える。

ところでこのツアーのタイトル「冬駆ける眼窩」について。眼窩は頭蓋骨の眼球の入る穴のこと。イメージとしては冬の空に大きな頭蓋骨(ちょうどコラボアクセのキュービックジルコニアが外れたようなもの。)が浮かび自分を見つめている。逃れようとしてもどこまでも追いかけてくる。

「鉄の島」では他人の目とそれを過剰に意識する強い自意識。それから逃れようとするには仮面をかぶればよかったのだが。ここでは他人の目と思っていた視線が、それはぽっかり開いた眼窩であり、こちらからはその目の正体が何であるかがつかめない。自分に恐怖感を起こさせるのは、それはもしかしたら自分の目かもしれない。これから逃れるには、「ブルーブイネック」のように運命を受け入れながらも夢を持つか、「芋虫の主」のように運命に対し徹底抗戦をするか。