ヘタレ創作ヤログ~人生これでいいのだ!!

原点に立ち返った、創作ヤロウのブログ!
「負け組プータログ!!」からタイトル再変更。でも、今まで通り幅広くいきます~

W杯と物語作成

2006年06月24日 18時52分11秒 | シナリオライティング
今一番ホットな(というか触れちゃいけない話題か?)話題といえば「W杯」。
ブラジルに完敗した日本。
でも、これといい以前のWBCといい、ストーリー作りの基礎となる展開だったので、ドラマティストになろうという皆様は、分析してみましょう。
何も、映画やテレビドラマ見るだけが勉強ではないんです。

例えば、ハリウッドメソッドにのっとってW杯を分析してみると。。。

Catalyst(きっかけ): アジア予選突破
Big Event(上記から発生する、その後の内容に影響するイベント): ドイツとの親善試合=微妙な結果。
Pinch(つかみ): 初戦で、日本中が盛り上がる。
Crisis(危機): オーストラリアにまさかの敗退、クロアチアと引き分け。
Showdown(決着): ブラジルに完敗
Relization(認識): 「日本の実力はこんなものなのか…?」4年後に備えて―

というように分析することが可能。
更にハリウッドでは物語を3幕に分けるんだけど、きっかけとイベントは最初の10~15ページ(シナリオの場合)のACT1で描き、つかみ~決着までは16~80ページくらいのACT2、そして最後の認識については最後のACT3(10~20ページ)くらいで描くと効果的というメソッドになっている。
まあ、この基本構成に加えて、人物の練りこみが重要になってくるんだけど、そこらへんは、オンラインシナリオ講座でお教えします。

まあ、某掲示板などで色々揶揄されているけど、自分はまったく意に介してません。
本気でシナリオを含む、物語を必要とするメディアで活躍したいと思う人は、そういったネットの悪評に左右されないもんね。
そういった人達のためにトライアルコースも用意してあるわけだし、利用してください。

ということで、事件、事故、スポーツなど、様々なところにドラマはあるんだ、ということを知っておくと、作劇に非常に有利です。

W杯はゲームで

2006年06月20日 00時30分49秒 | ゲームという娯楽
今「ワールドサッカーウイニングイレブン10」をプレイしてる人って結構多いんじゃない?
ああいうのって、もう完全なゲームだよね。
次世代機で最も売れるのは、やはりああいったソフトだと思うよ。

サッカーW杯に、夏季・冬季オリンピック、PRIDE、WBCなど、スポーツはそれ自体「ゲーム」といわれるほどだから、これくらいゲームに向いてる素材はないはず。

これからゲーム業界を目指す人は、興味がなくても一本くらいは買ってプレイしてみることをオススメします。
まっとうな会社に入ったら、好きなことなんてほとんど出来ないんだから、売れるものをちゃんとプランニングできるようにならないと、これもプロとして通用しない。
ゲームはテレビと違って、販売してなんぼだからシビアよ。

W杯の予想を「ウイニングイレブン10」でシミュレートしてたニュース番組結構あったけど、みんな2-0とか3-0で日本の勝利。
でも実際は…。

だって、ゲームはあくまでゲームだよ。
勝った負けたの結果よりも、内容を楽しむべきだよね。

まあ、敢て言うなら実際のW杯もそういう楽しみ方が一番ストレスたまんなくていいと思うけど

ジム・キャリー

2006年06月16日 19時29分49秒 | 俺的映画人列伝
え~と、このカテゴリって何回目だっけ?

まあいいや。
今回は、いまやハリウッドを代表するコメディ俳優「ジム・キャリー」。

実は俺、最初はすごく苦手だったんよね、ジム・キャリーって。
特に「ケーブルガイ」とかあまり面白いとは当時思わなかったな。
演技もオーバーだと思ったし、役柄が極端なキャラだったから、いい印象を持たなかった。
しかし、ここ十年くらいで彼の演技力は上がったし、あの鼻につく形態模写的なギャグも彼の持ち味のひとつになった。

ジム・キャリーの本当の魅力が出るのは、ケーブルガイのようなベタなコメディよりむしろドラマチックなハートワームコメディだと思う。
小品感がぬぐえないが「ブルース・オールマイティ」のジムは、モーガン・フリーマンのサポートもあってか、コミカル且つ人間性豊かなブルースを好演している。
そういった演技は「トゥルーマン・ショー」や「マジェスティック」のようなドラマでも、その魅力を全開している。

数々のコメディアンが、現在はヒューマンドラマ俳優になってしまったハリウッドにおいて、ドラマに出ながらもベタなコメディ映画も出演し続けるジム・キャリーの存在はハリウッドに欠かせない俳優と言えるのではないだろうか?

これからも生涯コメディアンであり続けて欲しい。

色々書いてきたけど

2006年06月15日 00時23分08秒 | コラム
日本の映画業界・テレビ業界の現状は、組合幹部の人達にしても危惧していて、Pや若手批判好きな老齢の方についてもかなりキツイことを書いたし、元々喧嘩っ早いから、去年から今年上半期にかけては色々な人とやりあったけど、決して「アンタ嫌い」ってことじゃないんで、そこのところはわかっていただければと思う。

大体ここは個人ブログだし、俺有名人じゃないし、侮辱罪に当たらない程度に腹の底を書きまくった。

誰だって、上から物言われれば状況によってはカチンとくるし、それを直接その場で返せないのが日本文化だから、この場でストレス発散していたわけだが、当人にとっては許せんことだよな。「俺のこと言ってるな」と思う人は。
でも、悪口を言うときは絶対名前は出さないし、それは何故かっていうと、その人に対して悪いからとか、侮辱罪になっちゃうとか、そういうことじゃなくて、思い当たる節のある人を引き合いに出しつつ、「これじゃいけないんじゃないか」って自分なりの業界に対する問題提起だったわけ。
願わくはその人にもわかってもらえたら、て気が全くなかったわけではないんだ。

上記に記したPの人や元ライターの御仁についても、彼らだけの問題じゃないんだよね。
業界に上昇志向がまるでない、若手のセンスを伸ばそうとしない、という業界の姿勢が問題だと思った。

なんて、今だから総括的なことが言えるけど、当時は確かに頭にきてました。だって「人間だもの」。

頭にきたことを、そのままガーッと書いて、対象となる人の名前は伏せることで、ギリギリ自分のストレスを発散していただけのことで、悪意はありませんでした。
いや、人間なんて腹の底は悪意だらけだ。
そういう意味で言えば、悪意はありました。
でも本音でつきあえる人だと、当時は思ったから敢て書きなぐった部分もある。

今は別の、プライベートな場所にストレス発散場所を作ったので、今後はそこで発散していこうと思っている。

というわけで、「自分のこと?(怒)」と思われた方、全ての方に陳謝いたします。

自分の本音も知った上で、「また一緒にやってみるかな」なんて思われた奇特な方はご一報ください。

基本的にリアルな人間づきあいは好きなんです。

映画芸術と戦略

2006年06月13日 23時52分54秒 | コラム
言うまでもなく、映画は総合芸術である。
脚本、美術、撮影、音楽、衣装、絵コンテ、演技、その全てが芸術であり、そのどれが欠けても映画は成立しない。
逆を言えば、どれかひとつが卓越していても、他がダメでは駄作の烙印を押されてしまう。
とくに演出を担う監督は、文字通りカントクだから作品のクオリティには責任がある。
すべての芸術を一本のフィルムに纏め上げるのが監督の仕事であり、それには当然のことながら「戦略」が必要になってくる。

売れる売れないの戦略はプロデューサーに任せるとしても、作品のクオリティの良し悪しは監督のフィールド。
プリプロからポストプロダクションまで、戦略的に作品を作り上げていかないと、いい作品にはならない。
もちろん現場でスタッフ・キャストをうまくまとめ、うまく動かしていくのも監督に必要な能力で、これにも各監督独特の戦略がある。

W杯で初戦を逃した日本。
これは明らかに監督の戦略ミス。
選手との信頼関係もちゃんと築けていたのだろうか?
スポーツや戦争で勝つためには「戦略」がちゃんとしてなければ、まず負ける。
魂だの総力戦だのがまったく通用しないのは、60年前に証明済みだ。

戦略が必要なのは、何も勝ち負けがあるものだけじゃないと思う。
芸術にも戦略が必要だと思うんだよね。
というか、芸術にも勝ち負けがあるんだと思うね。
映画の場合、最終的に物を言うのは監督のセンスであって、ホンの理屈じゃない。
作家協会の研修科にいた頃、講師のじいさんが監督のことをボロクソに言っていて「俺ならもっといい映画に仕上げられる」と息巻いていたけど、脚本書くのと画を撮るのは全然違うこと。
センスでホンは書けないが、理屈で画を撮ることも出来ない。
だから、映画の場合は監督のセンスをいかにスタッフ&キャスト、そして観客に伝えられるか、この戦略を練らなければうまくいかない。
いくら「センス命」ってったって感情の赴くままに撮るなんてことは不可能だから。

そういった意味での戦略家って今の日本映画界にどのくらいいるだろう?

自分もこれからインディとはいえ監督復帰する予定だから、「戦略」には十分時間をかけたいところだね。

映画制作を知る

2006年06月13日 23時31分35秒 | オススメ商品
Creative Filmmaking: From the Inside Out : Five Keys to the Art of Making Inspired Movies and Television

Fireside

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映画関連職を目指す人はもちろん、脚本家を目指す人も「映画制作」についての基礎的な知識がなければ、どうにもこうにもなりませんがな。
ということで、英語版ですがこれ。
日本の本は、「日本語で書かれている」というだけで結構わかりづらかったり、著者の思想が入っていたりするので、英語が読める人はこの本をゲット!

ちょっと、宜しいですかぁ?

2006年06月09日 21時45分50秒 | シナリオライティング
今、「富豪刑事」を見ているもので

この度、オンラインシナリオ講座を大々的に改訂した。
コース改編で大鉈をふるったわけだ。
どう変更したか、というと…

一般的なシナリオ講座は、今まで「基礎科」としていた「シナリオ専修コース」のみ。基礎も研修もありません。
シナリオ専修科には、実習付の「シナリオ専修&実習コース」を併設し、生徒さんが書いた短編脚本を実際に映像化し、今後設立予定の専用Webサイトで配信するというコース。
趣旨は、つまり「シナリオ」そのものは作品じゃない、ってことを身をもって知ってもらうこと。
自分の脚本が、どう映像化されるかを現場でスタッフもしくはキャストの一人として参加することで学んでもらうという、シナリオ講座では体験できないもの。

それと、長編脚本などを持っている人向けには「批評サービス」を新設。
その脚本を、アナリストとしてじっくりと分析し、批評をして送り返すもので、こういった形式の通信シナリオ講座はアメリカでは一般的だけど、日本の通信講座ではあまりない。
詳しくは「オンラインシナリオ講座」をご覧ください。

シンドラーのリフト

2006年06月07日 22時56分50秒 | コラム
別に映画のタイトルを間違えたわけじゃない。
イギリスではエレベーターのことをリフトと言う。

言うまでもないけど、例の殺人エレベーターのことね。

エレベーターというのは、ただでさえ落下する可能性が0ではない。
だから、事故が起きる可能性はかなり高いわけで、十分な点検と、何よりも設計&製造が要求される。

今回の事故は、この2点がまったく機能しなかったわけ。
シンドラーのエレベーターは各地で事故を起こしている。
これに対して、シンドラーが何も手をうたなかった、というのは安全を第一に考えなければならない企業がその努力を怠ったということにほかならない。

「命よりも金」
耐震偽装にしても、シンドラーの事故にしても根底に流れる思想はこれにつきるのではないかな?
村上ファンドの村上容疑者も「金を儲けて何が悪いんですか?」と言っていたが、その言葉を純粋に受け取れば、「いや、誰も悪いなんていってないよ」となるが、彼の言葉の真意は「どんな手段使ったって金儲けた人間の勝ちでしょ」ということのような気がするね。
それに対してはNOだ。
「金のために魂を売る」
「金のために命を売る」
「金のために体を売る」
モラルが低下して当然のシステムだ。
民主主義国家には、法律以外に厳然としたルールが必要だ。
それが宗教であったり、コミュニティにおける独自ルールであったりするわけだが、日本には何もない。
かつて学校では軍隊並の「校則」というのが幅をきかせた時代があったが、今は「治外法権だ!」と騒がれてなりをひそめている。
宗教が機能しない日本では、「校則」みたいな治外法権がいたるところに必要だと思うね。

そうしないと、殺人企業、無法企業、無法者が国を支配することになるよ。

シンドラーは、いまだ謝罪もしてないし、信じられない感覚だが、それが当然の世の中になりつつあるのだろうか…

秋田小1男児殺害事件

2006年06月05日 19時47分00秒 | コラム
藤里町の町営団地っていいねぇ。
ウチの数倍の広さがあって、基本一軒家で、しかも家賃安いんでしょ?
引越ししようかな~

と冗談はさておき、今回はシリアスに語る、との公約の通り、シリアスに語ろうと思う。

が、この事件、まだ謎が多すぎて客観的に語るのが難しいんだよね。
邪推はいくらでもできるけど、それは書きたくない。

ただ、今回の事件は大人と子供の問題、おりしも入ってきた村上容疑者逮捕の件はインサイダー取引という経済モラルの問題。
いずれの事件に共通点があるとするならば、やはり「大人がおかしくなってる」ということ。

日本って「人間性善説」の国だった。
少なくとも皆つい最近までそう信じてたんだけどね。

欧米は「人間性悪説」。
だからキリスト教をはじめとする宗教が台頭してんの。
信仰心=モラルだから。
元々悪の人間が、神につくすことによって善に変わっていくという発想。
だから、罪を犯した人間に対しては厳しい。
アメリカの場合は州によって法律が違うが、一般的には犯人が犯した罪のひとつひとつについて審理され、刑罰もそれらの罪についての刑罰が重ねられるシステムがとられているため、懲役100年を超える判決も有り得る。

どんな理由であれ、人を殺しても平均懲役7年っていうのは「7年刑務所にいれば善の心を取り戻す」という原理から来ているものだけど、今の日本の現状はそうではないよね。
「コンクリ詰殺人」の容疑者(当時少年)は出所後はチンピラまがいのことをしていて、この前恐喝で逮捕されたのは有名な話。
つまり、全然更正してないんですね。
でも、じゃあ懲役40年だったらよかったのか、というと今の社会環境では多いに疑問。
確かに40年も刑務所にいれば反省はするかもしれない。
でも、刑務所を出てからが問題。
18歳で刑務所に入って、58歳で出てきても、仕事につけないでしょ?
普通の人でさえ、その年齢じゃ難しいんだから。

ちょっと話がそれちゃったけど、今回の事件に関して言えば「犯人許せん」だけではすまない問題だと思う。
昨今世間を騒がず他の事件も含めて強引にひとまとめで言うと、「治安の悪化」なのではないかな。

子供を守るにはどうしたらいいか?
自分で抵抗できるくらいの年齢になるまではずっと両親のどちらかが付き添わなければならないのか。
それはベストな予防策ではあるけれど、物理的にはほぼ不可能でしょう。
自分が考えるに、何故日本は自治体がもっと学校の通学に有効な防犯手段をとれないのだろう?
アメリカじゃ、スクールバスシステムが発展していて、登下校での誘拐事件はめっきり減った。
「子供を一人にしない」って公共広告機構のCMがあるけど、その通りなんだよね。
でも実際には放置プレイ状態なのが現状。
スクールバスでなくとも、自治体による警備活動は可能なはず。
もう警察に全て任せる状況ではないよ。
確かに警察の対応もまずいけど、どんなに警察官の数増やしても、いつ起きるかわからない連れ去り事件に対応するため、24時間常時巡回というのは警察だけでは無理だと思う。
金はかかるが、それこそ防犯は自警団にゆだねて、税金でまかなってでもやるべきでしょう。
街中や路地裏、野中の一本道をガーディアンエンジェルズみたいな自警団の隊員が常時巡回していれば、子供の連れ去りはもちろん、ひったくりや放火、女性へのセクシャルアサルトも予防できる。
これも、アメリカの大学構内ではすでに実施済みで、それこそ防犯ブザーが3M間隔で設置されて、押せばすぐさま自警団が飛んでくるシステムになっているし、車両と自転車で警備員が24時間体制で巡回している。もちろん拳銃を持っていないという以外は普通の警察官と同じ逮捕技術を持っている。
こういうシステムを導入している大学での学内犯罪は激減している。

これを、自治体レベルで出来ないだろうか?
ほとんど出動の機会のない警察庁特殊部隊SATや、道交法違反の民間取締りに予算をつけるんだったら、その分自警団にまわせないのか?
現行犯の取り締まりは、道交法違反も含めて自警団にやらせればいいことだと思うが。。。

マスコミでは取り上げられていないが、今回の事件で苦しんでいるのは被害者のご両親だけではなくて、途中まで被害者の子供と一緒に下校していた子供の母親も後悔の念にかられているだろう。
もし、子供を誘導していたのが他の子供の母親でなく、あの町の自警団隊員だったら、あの子は今でも元気でいただろう。

昔は、各町村に「青年団」というのがあった。
機能は村のイベントから防犯まで幅広く対応していた。
しかもボランティア。
今も青年団はあるけど、名前だけのところがほとんど。
だって、地方には「青年団」の各となる「青年」がいない、もしくは参加してないんだから。
「おらが村を守ろう」という意識がないわけだから、時代が違うとしか言いようがない。
ある種、これもモラルの欠如と言えるかもしれない。

村上Fやホリエモン達が犯した経済犯罪には、すぐに政府が反応し再発防止策に乗り出すが、肝心の「命に関わる犯罪」に関しては、まるで他人事のよう。
もっと政府が内政に真剣に取り組まないと、アジア外交がどうこう、という話以前に国家自体が崩壊してしまうかもしれない。

民主の小沢代表は、こういった日本の、犯罪も含むモラルの低下について「回復には最低30年はかかる」といっているが、30年後に「日本」という国が機能しているかどうかすら不安だ。
子供の命ひとつ守れない、借金まみれの国の未来は、決して明るいものではない。

内政、とくに治安に対しては早急に何か手を打たないと、「犯罪者」だけが生き残る国になってしまうよ

まあ、国民の大多数が「それでいいじゃん」と思ってるならしょうがないけど

とうさく~

2006年06月04日 15時50分53秒 | コラム
いけませんなぁ、盗作は。

和田氏は「盗作」であることを否定し、「絵描きでなければわからない」と言ってるけど、常識人なら誰でもわかるでしょ、あれが単なる模造品であることはさ

アルベルト・スギ氏へのオマージュということで、ある程度擁護する意見も聞くけど、そもそもオマージュとは何なのか?ということを考えて欲しい。
「捧げる」ということですよ。
つまり「尊敬しています」という意味での最大の表現が「オマージュ」なわけで、オマージュされた本人が怒るような捧げ方では意味がない。

オマージュの例は映像でもよくあることで、最近の例で言えば日テレDRAMA COMPLEXで放映された小津監督の「晩春」のリメイクだけど、あれだって脚本は基本的なストーリー以外は良くも悪くも脚色といって問題ないし、演出に関しては「小津演出」ではなく、あくまでも「市川演出」で、あれこそオマージュといって差し支えない作品。
あれが、もし脚本が野田さんのものにちょこっと手を加えただけのもので、演出は小津さんの丸写し、さらには役者さんもオリジナルに似た人をキャスティングしたりしたら(あるいはCGもありか!?)これはもうリメイクとかオマージュとか以前に、単なるコピーでしょ?
いくら故人でも、そんな作品捧げられたら怒るでしょうよ。

和田氏の絵にしても同じことが言えるんじゃないかな。
本当にスギ氏を尊敬していて、彼へのオマージュで絵を描くんだったら、コンセプトなりタッチなりを研究し、自分なりに租借して、「自分ならこう描きます」という差別化を図らなければ、自作とは言えないでしょ。

絵にしたって何にしたって、芸術というものはもう長い歴史があるわけだから、似かよった作品が出来てしまうのは避けようがない。
それはよくわかりますよ。
自分だって100%オリジナルなんてものは作れません。
でも「これは○○みたいなものを狙ったんだけど、自分としては敢えてこういう風に差別化してみました。どうでしょう?」というスタンスでやってるし、実際様々な芸術作品はそういった形で世に出ていると思う。
音楽なんて特にそうだよね。
「あ、この曲ってあのバンドの曲に似てるなぁ。でもこっちの方がかっこいいな」とか、またはその逆の感想を持つことって多いと思うけど、「似てる」っていうことは避けられないよ。
でも「似てる」と「完コピ」は全く別物。

何で和田氏は、もう少し自分らしい表現を盛り込まなかったのかなぁ。
素人目に見ても一見してコピーとわかるようでは、どんな弁解しようがコピーですよ。

最低限、素人にはわからないようにコピーしないとね

次回のコラムは現在急展開中の秋田小1殺害事件について、シリアスに語ろうと思っとります。

ほな、また