Wilma's Diary

2005年いきなり始まった認知症介護生活。その時々の思いを忘れないために,自分のために書き留めています。

◇◆◇ お知らせ ◇◆◇

2012年11月11日午前10時
義母は,息子である私の夫に見守られて
天国に旅立ちました。


老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける
まことのふるさとへ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを
少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事

食力(ショクリョク)にかげりが

2010-04-27 14:25:06 | 義母

義母は,とても丈夫で,ほとんど医者にかかったことがない。
今も,血圧とコレステロールの薬は飲んでいるけれど,
2~3か月に一度の血液検査でも,ほとんど異常なく,
先生もビックリされているほど

そんな義母ではあるが,歯が数本しかなく,
3年ほど前までは入れ歯をつけ,
たまには歯医者に行って入れ歯の調整をしてもらっていた
(医者嫌いだけれど,歯医者だけは行ってた)

ところが,2年ほど前から,入れ歯が合わなくなり,
歯医者に連れて行くのも困難な状態が続き・・・
ついに,入れ歯も壊れて,そのままに。
それでも,食欲はあるし,
固い物でも結構バリバリ食べていた。
歯茎が歯化してるのか?と思うほど。


そんな義母だけれど,やはり寄る歳の波には勝てず・・・
最近,食べる力が弱ってきたと感じられる。
ちょっとかみにくいものが口に入ると,いつまでもいつまでも
もぐもぐやっている。
時には,それで疲れてくるのか,
食事の途中でも横たわる
しかし,口はもぐもぐもぐもぐ動いている。
オットが「おかあちゃん,まだご飯残ってるよ」
と促すと,また起きてきて食べる・・・の繰り返し。

よく噛むと満腹中枢が刺激され,食べ過ぎを防ぐ
などと言われるけれど,
きっと義母もそういう状態で,
もぐもぐしているうちに,
おなかがいっぱいになってくるのかもしれない。

また,もぐもぐしているうちに,「食事中」だということを忘れてしまう
というのもあるだろう。

そんなわけで,半年ほど前までは,
驚くほどのスピードで何でもよく食べた義母
であるが,
ここへ来て,ちょっとその食力(ショクリョク?)にかげりが・・・

嚥下能力は少しは低下しているのかもしれないけれど,
液体は結構ごくごく飲めるし,むせることもない。

多分,唾液が減っているのと,
無意識に私たちがやっている,

食べ物を<咀嚼して><丸めて><喉の奥へ送り込んで><ゴックン>
という作業が出来にくくなっているのだと思う。

薬(錠剤)もなかなかうまく飲めない。
以前は,服薬そのものを拒否したものだけれど,
今では「喜んで」「おいしい」と言って飲んでくれる。
(つまり,薬を薬とは認識していない)
それはいいのだけれど,
ラムネ菓子か何かと思うのか,
ポリポリ噛んだりなめたりで,
水やお茶を飲ませても,薬といっしょに「ゴックン」としてくれない。

先日,薬の後に,ういろうをデザートに出した。
そして,就寝前のくちすすぎをさせたら,
白い物が,ポトリ。
薬がそのまま口の中に残っていたようだ。
後から口に入れたういろうは喉に吸い込まれていったのに~~

この,就寝前の口腔ケアなんてものとはほど遠い口すすぎすら,
なかなか満足にさせられない。コップに水を入れて渡すと,
ごくごく飲んで,「ああおいしかった」と言ったり,
この前は,機嫌が悪くて,渡したコップの水を,調理台の上にぶちまけたり
2回でも3回でも,ぶくぶくやってくれたらそれだけで「やった~!」と
喜ぶ私。その程度のことしかできない。

だけど,昨今,高齢者の口腔ケアの大切さがちまたで取りざたされている。

先日嘔吐があって受診したとき,そのことも少し話したのだけれど,医師は
これから処方しようとする薬のことを心配しているとだけ捉えたのか,
「大丈夫ですよ。この薬は口の中に入れると途端に溶けますから~」って。
う~ん,ちょっとちゃうねんけど・・・
まぁ,口の中のそのものは内科の医師の領域ではないからなぁ

で,私はさらに,
「今はまだ飲み込みそのものが悪いとか,むせたりすることはないのですけど
喘息のこともあるので,
そろそろ肺炎球菌ワクチン受けておいた方がいいかなぁと」
と付け加えた。
で,次回受診の時に,打ってもらうことに相成りました。
自費で7000円也。

しかし,
オットも,介護スタッフも
肺炎球菌のこと,知らなかった~

歯医者にもまた連れて行ってみた方がいいのかな~?
'敗者'復活じゃぁ~


それって必要ですか?

2010-04-27 14:17:44 | Wilmaの思い~介護

世は検定ばやり。先日,新聞第一面の一番下の書籍の広告に,
「認知症ライフパートナー検定」の問題集とかテキストの宣伝が。
一瞬,はぁ?っと思いました。

で,その後,HP見たり,たまたま本屋さんに行ったので,
件の本をちらっと見てきた。
主催しているのが,認知書コミュニケーション協議会というところなので,認
知症のケアの中でもコミュニケーションを重視し,
そのツールとして各種アクティビティを用いるというものらしい。
検定の問題そのものは,
認知症について幅広く,結構専門的だったようではありますが。

大手本屋の介護福祉のコーナーには,色々な資格試験のためのテキストとか
問題集が売られていて,他にも何とか検定みたいなのがあった。
確かに,はやりのご当地検定みたいなお遊びものではない,のだけど,
だからって,「検定試験」が必要なんだろうか?

ヘルパーさんとか介護業界で働く人たちには,
色々な方面で学んで欲しいと思うし,
そのための1つの方法としては意義あるのかもしれないけれど,
なんだかなぁ~
と思ってしまった私

これ書いてて思いだしたのが
「認知症サポーター」。
時々町内の掲示板に養成講座のチラシが貼ってあるのをみるけど,
サポーターってどこにいるんじゃい?って感じ~。
170万人に達したとか
HPには書いてあったけど。

そういえば,実家にこれのテキストがあったような・・・
母も町内の老人会か何かの集まりで話しを聞いたのかもしれない。
そんな人までカウントしてたら170万人になるよな~。

今,ネットで認知症サポーターのこと見てたら,
ある市の取り組みで,
認知症サポーターの方がやっているお店にステッカーを配布ってのがあったけど,
こういうのは必要かもとは思った。
認知症の方がいつも同じ物を買いに来るから,
とご家族から連絡を受けたりしたら,
それなりの対応をしてくれるとか
銀行とか郵便局にもその辺の理解のある人を配置するというとか,ね。
だけど,個人個人に(啓発・啓蒙は必要だけど)オレンジリングを配って
はい,170万人突破って言われてもなぁ・・・  

実際,認知症介護している人たちのブログなど見ても,
その言葉すらほとんど
見たことないよ~


行ったり来たり~~フ~ッ な日でした

2010-04-23 11:22:56 | 義母

義母の喘息(?)の記事の続きです。
薬を変えてもらって,すぐに元気を取り戻したので,
やはり薬のせいだったのだと安心していた。

そして,先日火曜日,私は実家に泊まって水曜日に戻るつもりでいたけれど,
水曜日は特に予定もないし,オットもどうせ帰ってくるのは9時過ぎだろうから
と午後3時頃までゆっくり実家の庭の草取りなどをしていた。
例によって,「もう3時やから,早よ帰りなさい,遠いんやから」と母。
帰る支度をしながら,ふと携帯を見ると,昼前に2度義母のホームから電話が。
また,オットからはメールが入っていて,今夜は新歓で夕食は要らないと。
慌てて,ホームに電話してみると,またまた嘔吐したという。
朝は機嫌良く行ったらしいのだけれど,10時過ぎお風呂に入って出てきたときに
もどしたとのこと。血圧もちょっと高かった。
お昼のメニューは天ぷらだったのだけれど,それを抜いて,おかゆを出したら,
完食し,午後は少しベッドで横になるも,すぐに自ら起き上がってきて,
みんなとゲームをしたりして,普通に過ごしているらしい。
でも,<今夜はお泊まりなので,一応受診しておかれた方がよろしいかと>・・・ということであった。

その時のスタッフのいい方では,家族が連れて行ってくれ,
という風に取れたのだけれど,
私は今まだ実家にいて,義母宅(及びホーム)最寄り駅まで1時間半かかる。
診察券や保険証は自宅。
それに何よりも連れて行くにも,車がないと・・・
かといって,自宅まで戻って,保険証など持って引き返すと
7時頃になってしまうかもしれない・・・
う~ん,どうしましょう??
どうしたらいいですかねぇ~??
すると,ではこちらで対応しましょうか?
と一応言ってくれるけれど,
その時間帯は夕食時,また送迎の時間で,
きっと人手も車もいっぱいいっぱいだろう・・・

で,結局,とりあえずは落ち着いているみたいだし,
今夜は様子を見ていただいて,明日朝連れて行く
ということでどうでしょう?
と言ってみたら
そうですね,救急車呼んだり,救急窓口にかけつけなければいけないほど
のことでもなかったので,そうしましょうか
と言ってくれた。
それで,とにかく自宅に戻って,その時点でまた電話をいれるので,
その時までにまたおかしくなったり,やっぱり今夜連れて行った方が
良さそうだったら,駆けつけます
と言って,電話を切った。

そして,大急ぎで実家を出て,自宅へと向かった。
夕方前の中途半端な時間だったけれど,電車の連絡が良くて,
意外と早く5時半頃家に戻れた。

途中あれこれ考えていて,私は,
ホームの側の意図をちょっと誤解していることに気づいた。

「今夜からお泊まりなので・・・今夜中に受診を」
というのを,
<体調悪い人は預かりたくない,出来れば今夜は連れて帰って欲しい>
というのがホームの本音かな,なんて思っていた。
(それでも,午後からは元気そうなので問題ないですとも言っては
くれたので,結局それに甘えた形になったのだけれど)
でも,ハタ!と気づいたのだ。
ホームとしても預かるのに,受診して大丈夫という医者のお墨付きを
頂いていたら安心だから,お泊まりの前に受診して下さい
ということだったのだ!
ということに。

それで,早速電話を入れて,その旨伝え,
しかも早く帰れたので,6時半にはそちらに行けそうだからと言うと,
では,その時間に車出せるようにします
とまで言ってくれた。

あれ?受診付き添いあるいは家族で連れて行けってことじゃなかったっけ?
これも私の勘違い?

だけど,どっちにしろ夜なので帰りのことを考えると車で行った方が楽なので
「ややこしい時間なので,私が連れて行きます」とこちらから言って,
電話を切って大急ぎでホームに向かった。

着くと,ちょうど夕食が終わった時間で,フロアにはまだたくさんの利用者が居た。
義母は,ちょっと機嫌悪かった。
私のことがわからず,誰にどこへ連れて行かれようとしているのか
不安げだった。

私も,「連れて行きます」と言ったものの,
やっぱり誰か付いてきてくれた方がいいなぁと思っていたら,
ホームの車で送って下さると言う。
私の車は,ホームと同じ建物の1Fのデイサービスセンターの駐車場に
停めさせてもらっておいた。
義母を車椅子に乗せて,そのままリフトカーで行ってくださることになった。
義母を下ろすと,また別の方の送迎があるので車は帰って行った。

医院の方は,空いていて,すぐに診てもらえた。
診察の結果,おなかにくるちょっとした風邪かも,ということで,
前回出た胃薬,むかつきを押さえる薬(ガスター他)を処方された。
前回は,1日1回だけだったが,
3回は(飲ませるが)難しいか,聞かれた。
1週間の期間限定なら,なんとかなりそうだったので,
大丈夫ですと言うと,
少しくらい抜けてもいいから
と1日3回1週間分処方された。

診察室を出てすぐにホームに迎えに来てもらうよう電話をすると,
今車がないので,誰かスタッフが車椅子押して帰りますので,待っててください
えぇっ?それなら,最初からやっぱり私の車で来ればよかったのに~
調子よく,送ってくれるっていうからそうしたのに・・・

なんだかかみ合ってないなぁ~~

会計及びお迎えを待っていると,
義妹が!(時々,お泊まりの間に面会に来てくれているようだ。)
ホームまで行ったら,こちらに来ているといわれて戻ってきたと。

義妹に今回の経過など話していると,会計がおわった。
と同時に,
さっき送ってくれたスタッフ登場。
あれ?歩いて帰ることになってたのに??と言うと,
今の時間,車はあるけど,運転できるのボクしかいないもので・・・
彼はフル回転で走り回っていた様子。
でも,ちょうどタイミング良く,迎えに来ることができたようだった。

しかし・・・
軽のバンで,後ろは車椅子専用。つまり,運転手入れて3人しか乗れない
それで,結局義母だけ乗せてもらって,私と義妹は歩いて戻ることにした

とても久しぶりだったので,いろいろ話すことができ,
悪くはなかったのだけれど,
なんだか効率悪く,慌ただしいひとときだった。

ホームに戻ると,すでに義母達お泊まりの人は,宿泊室のあるフロアへ移動していた。
個室の他にちょっとしたリビングがあり,そこにもベッドが2つ。
義母は最初の利用時から,個室ではなくこのリビングのベッドで寝ているらしい。
この日は疲れているというのもあったのか,まだ着替えてはいなかったけれど
すでにベッドで横になっていた。
半分起きているような,半分寝ているような・・・
今夜は,私のことも義妹のこともほとんどわかっていなかったみたい。
他のみなさんは,テーブルを囲んで座って,お茶を飲んでいた。
私は夜,この場面に来たことがなかったのだけれど,
義妹が来るのは大概この時間帯なので,
顔なじみの利用者さんとしゃべっていた。
何度か義母にも声をかけたけど,ベッドから出てくる気配もなく,
あんまりはかばかしい反応もなかったので,早々に退散。

義妹を駅まで送って,私は義母宅へ。
昨夜の荷物(おかずを入れた容器やオットの着替え)を
(本当は母宅からの帰宅途中に寄って持って帰るつもりだったのを)
取りに寄って帰ろうと思ったのだけれど,
時間が時間だったし,見たいテレビもあったし,オットは夕食不要だし,
ということで,近所のスーパーで弁当を買って義母宅で食べてから
ゆっくり家に帰った。
義母の体調自体はそんなに心配なさそうで一安心。
最近ちょっとご無沙汰で,気になっていた義妹とも話が出来て良かった。

だけど,なんだか慌ただしく,
ちぐはぐで効率悪く
疲れた1日だった。


子の心親知らず

2010-04-22 18:19:05 | 実母

退院して20日近く経ってやっとリハビリについての相談。
せっかく2か月半以上毎日40分x2回のリハビリをしていたのが
とぎれてしまった。
脳卒中などで,マヒしたものを元に戻すためのものではないので,
まぁ問題はないと思うけれど,ちょっと残念な気はする。

4月6日(火)
ケアマネさんと共に現れたのは,
かかりつけ医のところのデイケアで理学療法士をされている
40半ばの男性。
デイケアでの勤務が終わった後,クリニックの夜診の時間帯を使って
訪問されるという。
介護保険の料金上では,20分が1単位であるけれど,基本は2単位。
つまり40分。
その中には,バイタルチェックや,記録の時間も含まれるので
実質30分くらいらしい。
しかも週1回。
う~みゅ・・・
効果のほどはどうなんだろう?
もうちょっと理解力があって,意欲的な人なら
自分でできるリハビリ体操を教えてもらうなどして,
自分で毎日するなんてことも考えられなくはないけれど,
母みたいな一人暮らしの高齢者が,自発的に・・・
とは考えられない。
でも,まぁ何もしないよりはいいだろうし,
ヘルパーさんと同じで,週に1回でも,そういう外からの刺激
があるのはいいことだ。

本人はあまり乗り気ではなさそうだけれど,
既に準備されてきた契約書に沿って手際よく説明を受け,
サイン(私が代筆)をし,印鑑を押すという手続きが有無を言う間もなく
進んでいき,まさに填められていった感じ。
ヘルパーさん見守りの中の入浴ほど耐えられないものでもなさそうだし
週に1回だったら「受けてあげてもいい」とでも言いたげな雰囲気だった。
そのちょっと不遜な態度に,私はムッとした。

が,やはりそれは,母の中にもちょっとくすぶり続けていたものがあったようだ。

というのも・・・

その週の土曜日(4月10日)の朝,母からえらい勢いで電話がかかってきた。
「昨日,リハビリの先生からあんたとこにも電話があったか?」と。

そう,前日金曜日夕方,
「初回の訪問ですが,来週水曜日という約束でしたが,
都合で月曜日に行かせていただきます。先ほど,お母さんのところに行って
ご了解いただき,娘さんにもご連絡しておきますと伝えてきました。」と
私の携帯にかかってきていたのだった。

2週続けた私の毎週火曜日の泊まり込みについて,母はあまり歓迎していない感
があり,もう来週からは泊まるのはよそうと思い始めてはいたけれど,
最初のリハビリだけ立ち会おうかな~と軽く言ってみたのだった。
母はなにも言わなかったけれど,それすら「別にかまへん」という目をしていた。
そして,月曜日に変更の連絡。私は都合が悪いので,それじゃぁパス!と決めていたのだった。

話しは戻って,母の電話の続き。
「先生が日にちの変更言いに来はったけど,その時に『娘さんにも連絡しときます』
て言わはったけど,
なんでいちいち遠いところに住んでる娘にまで言わなあかんの?
今回の(入院)ことで,どんだけBooさんにも迷惑かけたかしれん。
そやのに,
まだリハビリのことくらいで,何が悲しいて,
いちいち娘に来てもらわなあかんの?
それくらい,ひとりで受けたらええんやろ!
子供やあるまいし~
あのとき,娘にまで連絡せんといてください,て先生に言うたらよかった」

などなどまくし立てる母。

母の中には2つの気持ちがある。
1つは,子供に迷惑をかけたくない。
また,そこまでするほど自分はもうろくしていないし,
これまで一人でやってきたという自負。


もう1つは,娘(私)は嫁に出して嫁ぎ先の人間であり,
もはや自分は娘を頼ったり,呼び寄せたりなど出来る立場にはない,
という古い考え。


結婚して東京に行ったときも,その後マンションを買って新居に移った時も
母は「Booさんのご両親より先に,うちが行くのは・・・」と気にしていた。
オットの両親は,息子がどんなところに住んでようが,全く興味なく,
オットが交通事故で入院したときも,見舞いにも来なかったという
対照的な家族。
今回も,退院したらしばらくうちに来てもらったらどうかと
オットは言ってくれていた。
でも,
「Booさんのお母さんでさえ一緒に住んでないのに,
なんで私が?そんなことできるはずがない」と言うに決まっている。
と思った私は,母には言わずじまい。
理由はそれだけではなくて,直接家に帰らないと,介護保険のサービス
も受けられないし,
母を受け入れるために,私の家を整えなくてはいけないのは
大変だと思ったと言うのも大きな理由である。

またまた,話しがちょっと外れてしまいました。
とにかく,母には,
「月曜日は都合悪いから,最初から行くつもりはなかったから」と
私もオットもいちいち母のことで,そんなにエネルギー使ってませんよ~
という風情で軽く受け流して,電話を切った。

しかし,私の本心は,ムカッときていた。

こんなに,あれこれよかれと思って動いてエネルギー使ってるのに~
それに,自分はまともと思ってるかもしれないけれど,客観的に見たら,
立派な要介護者なんだよ
痛いことだけは訴え,嘆く。
その割には,人に頼ったり,より快適な生活を送るためにお金を使ったり,
サービスを受けたりすることを拒否する,かわいくない!

月曜日は行かないつもりではあったけれど,少なくとも来週いっぱいは
母と距離をおこう
しばらく放っておこう
と思った。
もう勝手にして!


サービス担当者会議

2010-04-22 16:51:45 | 実母

母が退院してすぐにでも,介護保険のサービスが受けられるように・・・
と思っていましたが,ベッド以外は,なかなかそうは行きませんでした。
もちろん,ケアマネさんの動きは迅速で,きっちり仕事して下さるのですけどね。

まず,30日にサービス担当者会議が開かれました。
私が来るという火曜日に設定して下さり,
ケアマネさん,
ヘルパー派遣事業所から2人,
そしてベッドレンタルしている業者の方,
そして私たち親子
6人が顔合わせ。

ヘルパーさんは,所長でケアマネでもある方と,サービス提供責任者の方2人が見え,
それぞれ自己紹介。○橋さんに,橋△さん。
福祉用具の業者のかたも橋△さん
そして,うちの母は◇橋
6人中4人が「橋」がつく姓

ヘルパーさんは,ケアマネさんからの情報をうけ,掃除をしつつ入浴の見守りという
「身体1生活1」の訪問介護をさせていただきますという話しをされた。
事業所のスタッフのやりくりの都合もあって,
金曜日の3時から1時間ということになった。
契約書も含めて,サービス提供票など,すべてそれに沿って作成してきて下さっていた。

ところが,「午後3時から」と聞いた途端,母が突然
「私,昼間からお風呂入るのいやですねん」
一同唖然。
先日ケアマネさんと相談していたときも,そのようなことは言っていた。
なるべく遅い時間でという希望も言っていたけれど,
夜はヘルパーさんの利用は料金も割り増しになるし
現実的には難しいと言われ
母も「そらそうやねぇ~。ヘルパーさんもだいたい家庭をもってられるんやから」
と,渋々ではあるけれど納得していたのだけれど・・・
この後に及んで,こうはっきり言うか~!!
そして,
「この前,初めて入りましたけど,この子(私のこと)にも何も
手伝うてもらわんでも大丈夫でした。
手すりもついてるし,慣れたお風呂やし,
気いつけてゆっくりやったら別にどうってこと
ありません」
ヘルパー不要宣言
(でも掃除はして欲しいらしいが)
そんなわけで,突然の変更に困ったケアマネさんとヘルパーさんであったが,
とりあえず,お風呂の声掛だけはしていただくということで様子を見ながら
やってみましょうということになり,その後,掃除する場所,やり方や道具
の確認をして,ヘルパーさん達は退散。

その後残ったケアマネさんと,リハビリの相談。
先週の受診の際の話しで,やはり,医療のリハではなく,訪問リハがよい旨話し
早速担当の方と連絡を取って下さることになった。
うちの隣がたまたま整骨院で,電気かけたり,マッサージしてもらったり
できるので,
訪問リハで,脚の筋力をつけるのと,
医学上の効果はともかく(医師は構わないと言っている)
電気やマッサージで痛みを取ったり気持ちよくなったりする,

という2本立てで行きましょう
ということになった。
しかし,本人は,あれだけ病院でリハビリを受けていたのに,
どうも「リハビリ」というのが,整骨院などでマッサージしてもらうこと
痛いところを何とかしてもらうこと,という思いが抜けないようだ。

ヘルパーさんは,今週から来てくださることになり,
訪問リハについても,また来週の火曜日に担当の方が見えてお話し下さることになった。


退院後の1週間

2010-04-22 15:12:47 | 実母

母が退院してからの10日間,
ちゃんとした記録をしていないのだけれど,
何やかんやありました。

こちらは,「(介護保険的)要介護者」として母を扱っていくつもりが,
本人にはどうもその感覚はなさそう。いろいろ考えさせられることもあった。

とりあえず,ざっと28日までの10日間をふり返ってみると・・・
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3月20日(土)
夜中も起きることなく,ちゃんと寝られた様子。
私も,2階で気になりながらも,いつの間にか熟睡していた。
ゆっくり目の朝食を食べて,いよいよ通常の生活に突入。
退院したことを聞きつけたご近所の方が入れ替わり立ち替わり訪ねて
来てくださる。ありがたいけど,う~ん。
午後もそういう方が見えられていたとき,ケアマネさんが来られた。
というか,ケアマネさんとは以前からのアポ。
申し訳なかったけれど,お客様には退散いただいた。

ケアマネさんは,改めて,家の様子,家での本人の様子など知りたかったのと,
母に再度介護保険のサービスについて説明するために来られたのだった。
このケアマネさんの所属する事業所は,中規模の精神科の病院が母胎で,
うちのすぐ隣のブロックにあるこの事業所のビルには,こころのクリニックと,
認知症対応のデイサービスセンターがある。たまたま,そのデイに,
お隣の母と同じ歳の方(最近認知症と診断されたらしい)が通ってらして,
その方が母に「楽しいから奥さんも一緒にいきましょう」と誘ったらしい。
また,母は,ときどき,そのデイの方々が近所を散歩しているのを見かける
ことがあるようで,「ぞろぞろ歩かされたはる」とあまりいい印象を受けていない。
そこへ,そこのケアマネさんが,デイケアとかデイサービス(一般的な)の案内を
したものだから,その認知症対応のデイの客引きに来られたと誤解した様子。
どちらにしろ,母は,その施設に限らず,デイにはあまり行きたくなさそうでは
あったけど。
後で,その誤解は解きましたけど,
母だけでなく,近所の方々(利用している人も層でない人も)も,
介護保険全般について,あまり理解しているとは思えない。
制度そのものがやっぱりわかりにくく,年寄りにはムズカシイのだと実感。

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3月21日(日)
今日は兄が来て1泊してくれる。そのスキに私は自宅へ戻り,
明日からのオットの出張の準備,洗濯や家の片付け等々をして備える。
オットは,昨夜から義母宅に泊まり,今朝義母をデイに送り出し,
すぐに自宅に戻っているハズ。
なんだかんだしていると,家に着いたのがお昼過ぎ。途中餃子の王将で
丼モノを買って帰った。
実に8年ぶりの外国出張。4泊6日と短いし,元々荷物の少ない人ではあるけれど,
一応着ていくモノの用意は手伝わなくては・・・
下着類は,今使っているものはこれから洗濯するわけだし,帰ってきたときのことも
考えて,1週間前に新しいのを数セット買ってきてスーツケースに入れておいた。
それでも,どのジャケット,シャツ,ネクタイにするかとか,向こう(イギリス)は寒いのか,ならコートは?
とか,ほとんど着るモノに頓着しない彼ではあるけれど,
それなりにあれこれ考え,出し入れしていると時間がかかる。
おまけに,たまっている洗濯モノを洗いながら,冷蔵庫の残り物の整理
(何せ,明日からまる1週間居なくなるわけだから),
そして,今夜の晩ご飯のこと・・・
貴重な貴重な1日。
今夜が義母と3人で食べる1週間のお別れ前最後の食事。
なので,ちょっとはり込んで・・・
3日を開けずして,またまたくら寿司
(くら寿司じゃはり込んだことにはならんか(^^;))
おかずは,乾物(ひじき,高野豆腐)と,
キャベツを使い切ろうと,冷凍してあった鮭あらの西京漬けとのちゃんちゃん焼き
ならぬ,ちゃんちゃん蒸し煮。
そしてインスタントの吸い物。

まっ,義母には何も言わないし,言ってもわからないだろうけど。
というわけで,いつも通り,7時すぎ義母宅へ行き,食事をし,
明日からのお泊まりの用意(といっても,どうせ明日の朝また来るんけど)し,義母を寝かせて,9時頃帰った。

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3月22日(月)
いよいよ,それぞれの場所へ1週間出かける日。
オットをリムジンバス乗り場のある駅まで送り,そのまま私は義母宅へ。
いつも通りの月曜日の送り出し。ただ,今回は,ちょっと長いよ~。

義母が出かけた後,新聞屋に1週間休んでくれるように連絡を入れ,
近所のスーパーでちょこっと買い物をして,
戸締まりをして,いざ実家へ。
天気はそこそこ良くて,暖かかったけれど,黄砂がすごくて,
実家に着いたら,兄が車を洗っていた。
私と入れ替わりに兄が帰り,私も午後洗車した。
最近は,スタンドで機械のセルフ洗車しかしたことなく,自分の手で
洗うの何年ぶりだろう。
その後,シルバーカーの試運転を兼ねて散歩。
我が家の前の道,どういうワケか,真ん中が高く盛り上がり,太鼓状になっている。
以前父が少しのあいだ車椅子を使っていたのだけれど,
通りにくいことこの上ない。
母のシルバーカーもしかり。
しかもおまけに,道路の交差するところに,下水の網目状の蓋があり,
下手するとそこに,車輪や杖がはまったり,

健康な人でもヒールのかかとがはまったり
と,全然バリアフリーとはほど遠い街だ。
だけど,シルバーカーのおかげか,母は,入院前よりちゃんと歩けてるような気がする。
夜,退院後初めて,家でお風呂に入った。
私は背中流したり,浴槽に入るとき,出るときの見守り手助けと思って,
洗面所で待っていたのだけれど・・・
何もさせてくれなかった。
全然大丈夫だと。

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3月23日(火)
再びケアマネさんの訪問。
以前義母が世話になっていたケアマネとえらい違いだ。

今日は,先日の話し,母の要望等から,ケアプランをもう少し詰めたものにし,
具体的なサービスを決めていこうというもの。

どうもデイケアとかデイサービスに出かけることは母は気が進まない
と見たケアマネさん。
まずは,ヘルパーさんに入ってもらうことを提案。
母もそれは望んでいた。掃除をして欲しいというのがその理由。
実は,私は事前にケアマネさんに,お風呂が心配だということを話していた。
そこで彼女の提案は,
  ヘルパーさんにお掃除をしていただいている間に,
  母はお風呂に入る

というもの。
人に手伝ってもらうのは嫌だというのがケアマネさんにも伝わっていたようで,
「入れてもらう」のではなく,
家に誰もいないときに入るのは心配(娘さんも心配されている)だから,
ヘルパーさんがいるときに入るのだ
ということを強調。
それなら,と母も受け入れた様子。
また,私は,この28日までの滞在が終わった後も当分は週に1度泊まりに来る
つもりであったので,ヘルパーさんの来られる日と,
私が泊まる日の2回,母は人が居るときにお風呂に入る
というパターンで当面いきましょうということになり,
ケアプランを立てていただくことになった。
あと,配食サービスについては,出前のような感覚で,
欲しいときに電話で注文すればよいという業者を紹介してもらって
必要に応じて利用する
ということに。

ヘルパーさんの事業所はどこがいいか聞かれたので,
ケアマネさんの事業所のとなりにある,お隣のおじさんも利用している
T病院系列の事業所にお願いしてもらうことにした。

また,リハビリについても相談した。
デイケアと訪問リハビリ。
どちらも,母のかかりつけのクリニックで行われている。
同じ通りの100メートルほど先で,すぐ近所。
ところが,デイケアの方は満員。
この市は,極端に施設が少ないと思う。

また,幸か不幸か,上述のとおり,デイケアとかデイサービスというのは
認知症の人ばかりが行くところと思いこんでいるようで,気が進まない様子。
それで,訪問リハの話しを進めることにした。

ちょうど,そのデイケア施設で,今年から訪問を始められたらしく,
デイケアでの業務が終わった後理学療法士さんが行うということなので,
夕方から夜にかけての訪問になるらしい。
そのクリニックでは,リハビリ科という看板も上げていて,介護ではなく
「医療」でのリハビリという選択もあるとケアマネさんが教えてくれた。
だけど,「医療」のリハビリを受けると
「介護」のリハ(つまりデイケアとか訪問リハ)は受けられないとのこと。
それで,今週中にクリニックを受診することになっているので,
先生に相談してみるということになった。

帰られて数時間後,電話があり,ヘルパー事業所OKということになったので,
来週早速サービス担当者会議を開いてくださることになった。

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3月25日(木)
この日,私はボランティア(弱視の子供たちのための拡大教科書作成)の
用事で,出かけることになっていた。ついでに自宅へはちょっと無理だけど,
義母宅までならちょっと寄って来れそうなので,留守宅の様子を見に行って,
デパートでちょこっと珍しいごちそうでもないかと物色をして夕方帰った。
母は,機嫌良く過ごしていた様子。散歩にも行ったらしい。

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3月26日(金)
かかりつけ医受診。
入院先の主治医からの情報提供書も頂いていたし,
リハビリのことも相談したかったので
まだ薬はしばらくあったけれど,
私が付き添って受診することにした。

受付を先に済ませて,その時に情報提供書を渡しておいたのだけれど
先生はそれをちらっと見ただけで,骨折の治り具合を確かめる風もなく,
特段診察とおぼしき風情もない・・・
そして,
いきなり話し始める母・・・
痛くて大変だったこと,入院中便秘で困ったことを訴え続ける。

なんだかなぁ~
どっちもどっち


薬については,以前からこのクリニックで処方されているものを
入院先でも処方していただき,今回は,その病院で出された薬の説明書を
持参したのだが,
母は,頭がリセットされているようで,「病院で出ていた薬」と強調。
製品名は違うが,同じモノなのに,「これをのんでたので,同じ薬をお願いします。
それと,便秘の薬が欲しいんです。」
先生も先生で,以前から自分が処方していたものと同じなのに,
病院からのメモを見て,まるで初めて見るかのような反応。
なんだかいい加減~

中に,隔日朝だけ飲むという薬があったのだけれど,
入院前母はその管理をきちんとやっていた。
ところが,退院してから,そんなことすっかり忘れている。
それについては,以前からややこしいなぁと思っていたので,
私から医師に「この薬,種類を変えるとか,量を減らしたモノを毎日とか,
なんとかなりませんか」と聞いてみた。
すると,「いいですよ。じゃぁ毎日にしましょう」と。
ええぇっ?そんな単純なモノ?というかそんなどうでもいい薬なの?
強い薬だから隔日だったのでは?
ヤブじゃないのか!?
そして,便秘の薬については,
母は,マグミットを以前からもらっていた(330mgx2)のだけれど,
病院では,刺激性のモノを出されていたらしく,どうも合わなかったようだ。
それで,やはりマグミットをお願いしたかったのだけれど,
私は「2個(660m)ではちょっと少ないような感じだったので,もう少し
増やしていただけますか?
ちなみにマグミットは1日どれまでの量大丈夫なんですか?」
と聞いてみた(私自身500mgx3をもらっている)。
7個くらいまで大丈夫とのことなので,とりあえず3個/dayにしてもらった。
そして,それでダメなときの場合に備えて,ラキソベロンをお願いした。
すると「いくつ出しときましょう?」と
ええぇっ?そういうことは医者が決めることであって,こっちが決めることじゃないのでは?
そもそも,「ラキソベロン下さい」とこちらから言ったこと自体
ちょっとはばかられるのでは?と思っていたのに。
私は1本で十分と思っていたのに,「じゃぁ2個出しときましょう」って。

患者側の言いなり,とまではいかないけれど,ちょっと怖い気がした。

そのあと,母は,血液検査のために処置室へ。

その間に,私は,リハビリのことを相談。
デイケアとか訪問リハは医師の指示が必要。
そういうサービスと直結しているクリニックなんだから,
医師の方からアプローチしてくれるものと思っていたのだけれど・・・

う~みゅ

「こちらの2階で受けられる医療のリハビリ科での治療はどうでしょう?」と聞くと・・・
「あぁ,それは・・・病院で受けられていたリハビリとは違います・・・」と歯切れ悪し。
推察するに・・・
電気当てたり,ちょっとマッサージのまねごとをしたり,という程度で,鍼灸院
などの治療と変わらない程度のモノらしい。
「本格的(?)」なリハビリなら,やはりデイケアとか訪問リハのようだ。
「うちも最近訪問リハ始めましたよ。
そちらをご希望なら,ケアマネさんと相談してみてください。」
なんだかなぁ~

薬も私がもらいに行き,一包化をお願いした。
朝昼夜朝昼夜・・・と繋がっているようにしてもらったので,
朝の分に日付を入れておけば,飲み忘れとか飲み間違いはないはず。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
3月27日(土)
オットの飛行機は朝到着。多分昼前には家に帰っているはず。
私もあまり遅くならないように帰りたかったのだけれど,
ベッドのマットレスをもう少し柔らかい物に変えてもらいたい,
もう少し低くして欲しい,というので,
業者が朝来てくれることになっていたので,
それが終わってからやっと昼前に実家を後にした。
来週もまた火曜日1泊の予定。

家に着くと,オットがすでに帰っていて,洗濯物の山が築かれていた。
お土産は丘くらい・・・でも,私の物(マグカップ,化粧品,シンブル)
ばかりで自分の物は何も買ってこなかった彼・・・

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3月28日(日)
出張帰りの翌日,早速オットは仕事。
午後1時からマンションの理事会。
それが終わると職場へ。
まだ時差ぼけが治ってないみたいなのに,ご苦労さま
そして,夕方戻ってきて,今度は一緒に義母宅へ。
1週間ぶりの対面。
私のことは義母は最近あんまり誰だかわかっていないみたいだけど,
オットのことは忘れてなかった。
さぁ,明日から,通常通りの生活が始まる。


喘息?

2010-04-19 20:47:32 | 義母

しばらく実家の母のことばかりでしたが,義母もちゃんとおりまして(笑)
その間にめでたく誕生日を迎え,84歳(寅年)となりました。
また,小規模多機能ホームを利用するようになり1年経ち,
すっかりその生活パターンに慣れ,また,回りの私たちも
介護の負担が軽減され,オットはこの地へ転職して丸5年経って初めて
外国出張にも行くことができました。
そして,余裕が出てきた矢先,私の母のコトがあったわけですが,
義母を預けるところがあって,なんとか乗り切れました。

義母は,それなりに認知症は進んでいますが,
穏やかに呆けているという感じで,
5年前どうやって医者に連れて行くか,本当に苦労したのが
ウソのように,
定期的にほぼ毎月内科の主治医のところに通っています。

1年ほど前から,食事中,どこかでネコの鳴くような声が聞こえることが
しばしば。何だろう?と耳を澄ますと,それは,義母の喉の奥からの音。
本人は全く気づかず,ご飯を食べています。
私たちは子供もいないし,回りに喘息持ちの人もいないので,
よくわからないのだけれど,どうも喘息のよう。
受診したときに,一度相談したことがあるのだけれど,
その時は全然症状が出ていなくて
「気をつけてあげてください」と言われただけ。
いつもいつもというわけでもないので,すっかり忘れていた時期も
あったけど,最近また,ひゅーひゅーが気になることが増えてきました。
その矢先,ホームから送ってきていただいたときに,スタッフが
「今日,息が苦しいとの訴えがありました。今週の受診の時に相談してみましょう」と。
で,2日後の定期受診。ここ3か月ほど,私の母のこともあり,受診はホームに
お任せしていたので,久々に付き添うことに。
その時も,はっきりした症状が出ていなかったのだけれど,
おそらく喘息でしょうということで,気管の炎症を抑える飲み薬が処方されました。
吸入薬は無理だろうということで,飲み薬のみ。

金曜日の夜から飲み始め,効果のほどは??と思っていた矢先の月曜日の夜,
帰ってきたオットが,
「今夜は,おかあちゃん,なんか元気がなかった。
珍しく自分から食べたくないと言って
半分くらいしか食べへんかった。」
「寒い」と言ってたから風邪かもしれないなと思ってました。

翌日火曜日,オットが泊まった日。私は実家に泊まっていたのだけれど,
やはり夕食は余り食べず,夜中トイレで嘔吐した,とオットからメール。
水曜日の朝は,普通にパンを食べて機嫌もよく,
お泊まりに出かけていったらしいのだけれど,
夕方私が自宅に戻った途端に,ホームから電話。
夕方再び嘔吐があり,血圧が高く,微熱もあるとのこと。
それで,翌日木曜日,早速受診することに。

朝の時間は,ホームでは送迎のためになかなか車・人のやりくりが難しいからか
家族が連れて行ってほしい,みたいな言いぐさ。
それで,車で出かけ,先に受け付けをしてから,ホームへ本人を迎えに行った。
朝も自分からは食べようとせず,口に運んであげると食べてくれたとのこと。
それでも機嫌は良く,お気に入りのぬいぐるみを抱いて医院へ。
たまたまとても空いていて,すぐに呼ばれて,診察室へ
受付のときに症状を話しておいたからか,開口一番
「薬を変えましょう。」
やはり,薬のせいだったのだ。
あんな小さな一粒が・・・
と思うと恐ろしい。
今度は,身体に貼る薬を出して下さった。
また,もし,発作が起こった場合に備えて,
一応吸入薬も処方していただいた。
また,むかつきを押さえる胃薬も出た。

その後は突然食欲も戻り,また元気を取り戻した感じで,
安心していたのだけれど・・・
(4月23日の日記に続く)


いよいよ退院へ

2010-04-17 02:55:27 | 日常

この1か月の間,いろいろありましたが,まずは,
母の退院前後のことから,まとめておこうと思います。

3月8日(月) +*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
やっと介護認定通知が届いたようなので,午後2:00~5:00の間の再配達を頼み,
朝,義母の送り出してから,病院へ行き,そして実家へのフルコース。
3:00ごろやっと配達があったけれど,なんだか合格通知を受け取った
ような気分で,なかなか開ける勇気がわかず,しばらく携帯のゲームをしていた。
気分を落ち着けて,開封してみると,「要介護2」。だいたい予想通り。
やれやれ,とりあえず,ベッドを借りることが出来そうだ。
だけど,まずケアマネを決めねば。さて,どうするか??
とりあえず,地域包括センターのケアマネさんに連絡してみる。
すると,今ケアマネの空きのある事業所を教えてくれた。
退院まであと10日。私も毎日こちらに来るわけじゃないので,
もう今日中に決めてしまおう,と思い,実家の隣のブロックの事業所に飛び込んだ。
ざっと経緯等話し,その場でケアマネ決定。元看護師の40台半ばとおぼしき方。
早速,病院へ来てくれることになった。

3月9日(火) +*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*

朝,確定申告書を出しに行った。母の分は,管轄が違うので,
郵送ということになった。
そして,昼は,Mさんと久々にランチ。Mさんの誕生日がもうすぐ
なのだけれど,これからしばらく会えないと思い,
誕生祝いランチということに。
夕方家に帰り,夕食を作っていると,病院の主治医から電話。
昨日私が帰ったあと,リハビリ中からめまいを起こし,嘔吐等あったと連絡。
母は,私が心配するから連絡するなと先生に言ったらしい。
良性突発性頭位眩暈。母はこれまでに何度か経験しており,
耳鼻科で検査もしている。確かCTかMRIも撮っているはず。
しかし,ちょっとひどかったらしく,「初めて」
みたいなことを言ったらしい。
とりあえず,CTを撮って脳の異常がないことを確認し,
薬を処方してくださったみたいだけれど,この病院には
耳鼻科がないので,一度調べてもらってくださいと言われた。
木曜日にケアマネさんが来てくれるときに,再度カンファレンスを開いて
いただけるので,その時に相談しましょうということになった。

3月11日(木) +*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
午後ケアマネさんを交えてのカンファレンスが開かれることになって
病院へ。ちょっと早い目に行くと,母は理学療法士の先生と,押し車
(シルバーカー)をカタログから選んでいた。まだ調子は良くなさそうだった
けれど,一応退院に心も体も向いているので一安心。
ケアマネさんが到着し,母と対面。母は,イマイチ「ケアマネ」さんが
どういう役割の方かわかっていないようだ。退院後どんなサービスを
受けられるかみたいなことをざっと説明してくれていたけれど,
あまり理解していないって感じ。
時間になって,部屋を移動しカンファレンス。主治医が不在で,先日からの
めまいを診て下さった内科の先生が,経過報告してくれた。紹介状を書いて
下さるので,近くの病院の耳鼻科を受診するようにということだった。
ソーシャルワーカーさんがさっそく診療時間を調べてくれ,次の日受診
することになった。本題の,退院後の生活については,
入院時から比べると格段に良くなっており,
家屋調査で,入浴動作等の確認もしてもらってはいるけれど,
やはり,一人暮らしということで,不安は残るので,介護保険でのサービス
サポートは欠かせない。継続してリハビリもした方がよいという話しも出た。
ソーシャルワーカーさんは,何分高齢なので,老健なり特養は申し込んで
おくに超したことはないと,近所の施設のリストを作っておきましょう,と。
うーん,本人の意識と回り(専門家)の目,かなりのギャップ・・・
ケアマネさんには,ベッドの手配をお願いし,
退院前日の18日に搬入してもらえることになった。

3月12日(金) +*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
耳鼻科受診。早い方がいいということで,夜診のある今日連れて行くことになった。
母の病院へ行く前に受付を済ませ,夕食を食べ終わるのを待って,連れて行った。
入院している病院から国道をはさんで反対側にある中規模の総合病院。
普段なら車で5分とかからないところなのだが,近くを走る高速道路
が夜間工事をしており,そのあおりで渋滞渋滞。30分以上かかってしまった。
病院に着いてからも,随分待たされた。
なんだか感じの悪い医者。患者の顔を少しも見ようとしない。
ちょっと耳を覗いて,すぐに検査に連れて行かれた。
聴力の検査と,めまいの検査があったらしいが,
耳から来ているものだと思われるけれど,大したことはない。
という診断。薬は入院している病院で出してもらってくれ,ということで
あっけなく終了。しかし,母は,こんなにひどいのに・・・という
思いがあったのだろう。
しつこくしつこく「何か悪い病気じゃないのでしょうか」
と聞くので,怒った医師は,「なんとかしてくれ~(このばあさん)」と叫んだ!
看護師さんが,なだめるように連れ出してくれたが,端で見ていても
ハラハラした。母も母だけど,まぁ年寄りなので仕方がない。
医師の苛立ちもワカルけど,でも,前の患者さんに対する話し方からも
患者をの方を見ない診察のやり方からも,ちょっとなぁと思う医者であった。
まぁ,もう2度と来ないところではあるけれど。
会計もすべて終わって病棟に戻ったのは,9時近くであった。
ちょっと無謀かと思ったけれど,実家まで車を走らせ,車に積んだままだった
ガスファンヒーターを運び入れ
それから自宅へ帰ることに。オットは,実家に泊まってきたら?と言ってくれた
けれど,これから退院に向けて,1日たりとも無駄にしたくなかったので,
無理してでも帰ることにした。
でも,時間が時間で,実家への道も,実家から自宅への道も,ガラガラで,
どちらも通常の半分くらいの時間で行けた。

 3月18日(木) +*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
ベッド搬入の日。退院前日なので,もしかしたら何か用事があるかもしれないと
一応病院に寄ってから,実家へ。
寝室の和室は基本的に何も置いてないので,片付ける必要はない。これまで
布団を敷いていたのと同じ位置に置いてもらう。巾は普通だけれど,長さが
若干短いタイプのを入れてもらった。病院のベッドの高さを測っておいて,
それと同じ高さに調整してもらった。とりあえず,これで半年はしのげる。

3月19日(金)+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
いよいよ退院の日。私は今夜と明日の夜実家に泊まる。
義母には,昨夜と今夜お泊まりしてもらうことになっている。
オットは今夜は適当にしてもらって,明日(土曜日)の夜はオットは
義母宅に泊まり,日曜日は義母はデイ。オットは送り出して家に帰る。
私も出来るだけ早く家に戻り(入れ違いに兄が来てくれることになった),
22日(月)からの外国出張に備える,という算段。

退院は,午後のリハビリがおわってからゆっくり帰ることにした。
なので,私も朝は家の片付けなどをして,余裕を持って迎えにいくことが
できた。天気もよく暖かな日でよかった。
行くと,ちょうど最後のリハビリの時間だった。先週注文したシルバーカー
が昨日届いたらしく,それを押しての歩行練習。
薬や,色々な書類を頂き,会計を済ませ,部屋に戻り荷物の搬出。
大きなダンボールを用意して下さっていた。台車も貸して下さり,
介護スタッフに手伝ってもらい,車に積み込む。シルバーカーが結構
かさばった。まぁ車椅子よりはましか。
見送ってくれたスタッフは,最初の頃,タオルを貸して欲しいと
申し出たときにすごく愛想の悪い人だなぁと思ったスタッフだった
のだけれど,今日はとても親切で,車が見えなくなるまで手を振ってくれていた。
多分もうここに来ることは2度とないだろうな~。
途中にくら寿司があるので,今夜はこれ!と決めていた。
病院を出前に電話で注文しておいて,途中で受け取って持ち帰った。
家に着くと,お隣さんなど,ご近所の方がワラワラと出てきた。
まるで英雄の凱旋。
あらかた荷物を片付けて,夕食は買ってきた寿司などで簡単に済ませて,
さっさと休もう。すべては明日から!


元の生活パターンに・・・

2010-04-01 18:37:28 | 日常

いよいよ4月。そして私も通常通りの生活パターンに
戻るはず


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月曜日は,義母デイ。朝は私が行って送り出し,
夕食を作って駅でオットに渡して,オットが義母宅で晩ご飯。
寝かせて帰ってくる。

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火曜日も,義母デイ。朝はホームスタッフにお任せ。
これまでは,夜私も義母宅へ行き3人で晩ご飯を食べ,オットだけ泊まってくる
というパターンだったのを,
今週から,私は,朝から夕食を作って,
お昼過ぎに義母宅へ届け(オットの着替えや翌朝のパンなども),
その足で実家へ。
そして,私は実家泊まり。
そう,火曜日は,オットと私,それぞれが親の面倒を見る日

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
水曜日から義母は3泊お泊まり。
オットは,義母宅から出勤。私は,適当な時間に実家を後にし,
(ボランティアの事務所や義母宅へ寄って)自宅へ戻る。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
木,金は,自分ちの溜まった家事を片付けたり,
ちょこっと休息,遊びやショッピングに行ったりの日。

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土曜日は夕方まではオットと過ごし,義母宅へ晩ご飯に行く。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
日曜日。義母も休み。
たいていオットが朝から義母宅へ行き,私が昼ご飯を作って後から行く。
オットは,義母の面倒を見るというより,ただ義母のソバにいて,
自分の仕事をしているって感じ。
洗濯だけはしてくれるけど。
昼ご飯がすんだら,ちょこっと片付けをしたり,買い物に行ったりして
私は自宅に戻り,夕食の準備。そして,7時頃再び義母宅へ。


以上↑がWilma家の生活パターン。もちろん,週末はいろいろな行事とか,
時には仕事が入ったりするので,バリエーションはありますが,
私の母のコトが始まるこの4月,第1週2週はこれで行けそうかな?
と思いきや・・・そうは行きませんでした。
楽しいこともあったのだけど。