Wilma's Diary

2005年いきなり始まった認知症介護生活。その時々の思いを忘れないために,自分のために書き留めています。

◇◆◇ お知らせ ◇◆◇

2012年11月11日午前10時
義母は,息子である私の夫に見守られて
天国に旅立ちました。


老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける
まことのふるさとへ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを
少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事

退院の日決定

2010-02-26 10:17:39 | 実母

当初入院期間は,
圧迫骨折の場合2か月と言われていたので,
12日のカンファレンスの時に,「そろそろ2月いっぱいで」・・・
と退院を促されるのかと覚悟して行った。

ところが・・・

「2か月プラスαと最初にお話ししてありましたが・・・」という風に切り出され,
いよいよ来たか~と思ったら,
「3月末の退院ということでどうですか?」って。
プラスαが意外なほど長くてビックリ

ありがたいことではあるけれど,実際の所,母は,痛みが取れてきて,
かなり自由に動けるようになってきたということもあり,
これからまだ1か月半近くも帰れないというのは
ちょっと耐え難いのではないかと思った。
ちょっと長すぎる~~。

そこで,ひらめいた私。
オットが3月25日頃外国出張するので,
義母にもお泊まりに行ってもらうつもりだった。
なので,その間に退院してくれば,私は,実家に泊まり込むことが出来る。
その旨を話して,主治医の都合ともすりあわせた結果
25日の退院が決まった。

ところが・・・
家に帰って,オットに出張の日程を確かめると,22日から27日。
25日に退院してきたのでは・・・あんまり効果ナイことが判明

それで,病院にお願いしたら,1週間早めてもらうことができた。
19日に退院してくれば,20日からは3連休。
兄も来てくれると期待出来る。そして,なんとかこの連休をしのげば,
22日にオットと義母を送り出したら,27日まで実家に専念できる。

これを書いている2月26日現在,未だに介護保険の認定結果が来ていないが,
でも,あと20日ほどの間に,
ケアマネ決めて(要介護になれば),ケアプランを作ってもらえるだろう。
私が実家に帰っている間に,デイとかの見学とか体験にも行けるかもしれないし,
遅くとも4月初めからサービスが受けられるのではと読んでいる。

でも・・・
目論み通りにコトは運ばないかもしれないし
(ここんとこ,本当にサクサクいかないことだらけ),
このこと以外にも色々しなければいけないこと(確定申告とか)も山積みだし・・・
やっぱり落ち着かないわたくしデス


次々販売みたいだけど・・・

2010-02-19 02:00:10 | Wilmaの思い~介護

義母が,小規模多機能ホームを利用するようになって,ちょうど1年。
同時に,このブログを始めた。

春頃までは,送り出しに苦労し,

夏には,外で転倒して,救急車騒ぎがあったり・・・

秋頃までは,不穏になることが多く,
スタッフも対応に苦慮されていたようだけれど,

週の半分は通い(デイ)。
半分はお泊まり(ショート)
というホーム利用の生活パターンがすっかり定着

私たちも随分楽になったし,
何よりも
義母が
元気で
機嫌良く
過ごしていることが
うれしい

先日,デイから帰ってきたときの会話
義母「あぁ,やっと9日間の大旅行から帰ってきた!」と。
オット「楽しかったか?」
義母「楽しかったよ」
私「ごちそうは出た?」
義母「うん,全部おいしかったよ」

1日が9日間と感じられても,
楽しかったのなら,
それでよし。

義母の認知症の度合いは
進んでいる
とは思う。

けれど,

それと,
彼女の日々の様子
(QOLと言い換えていいかもしれない)
とは別もの。

とりあえず,最近は落ち着いている。


そして・・・
1年経った今,
義母のことを
お任せできるところがある
ということが
どれだけ
ありがたいことか
身にしみて感じている。

もし,母のことが,
1年早く,昨年の今頃起きていたら
どうなっていただろう

思えば・・・
2年前は,
義母に手がかかる上
義伯母のことがあった。

そして,
昨年は,義母の状態が
最悪
もうどうしようもなかった

そして,
この冬・・・

1つクリアしたら
また次
また次
エンドレスに続く上がりのないゲームのよう

だけど,
その時,その時で,
軸足を移動できるだけでも
まだ恵まれているのだと
身にしみて思う今日この頃

にほんブログ村 介護ブログへ  


捨てた!捨てた!

2010-02-19 00:58:32 | 日常

先日,実家へ行ったとき,
ちょうどゴミの日だったので,
冷蔵庫を整理した。

その時の快感が忘れられなくて・・・
というわけではないけれど,
なんとなく始めたら止まらなくて・・・

そしたら,
出てくるわ
出てくるわ
保冷剤

厳選して(?)残しているつもりだったけど,
いつの間にか
こんなにたまってた。

お金もこういう風に
貯まるといいのにな。


認定調査に思う

2010-02-16 16:59:25 | Wilmaの思い~介護

2月に入ってやっと母の介護保険認定調査。
1月5日に,区分変更の申請をしたのに,市外の病院に入院中ということで,遅れていたのだ。
最初は,市から調査に来るつもりだったみたいだけれど,
あまりに遠方なので,病院のある市に委託されたりして,手間取ったのようだ。

義母以外の調査に初めて立ち会った。
認知症がなく,また病院での調査ということで,義母の調査とえらく違う。

病院入院中で,しかも整形外科的に問題アリなので,
そちらの方面で「出来ない」「全介助」に印がどんどん付いていく。
入浴も,まだ機械浴なので,「全介助」。
着替えもその時にしてもらっているので「全介助」という具合。

それはそれでいいらしい。実際の判定時には,そういうことも勘案して,総合的に審査されるから,今の状態マンマが即,介護度に反映されるというわけでもないらしいから。

調査員の見立てでは,まぁ要介護1か2でしょうねぇ・・・と。
私もそう思う。

ただ,介護ベッドが無条件で借りられる要介護2がとりあえず出て欲しいとは思うのだけど・・・

ただ,初回は半年で更新なので,仮に要介護2がでても,
このまま治れば,また下がることは必至だとは思うけど。

******************************

調査項目の中に「服薬」に関する項目がある。

義母の前回の調査のときのこと。

そのころ,義母は,服薬拒否があり,無理矢理口に押し込んだり,お菓子に埋め込んだりして飲ませていた。それを私は,「全介助」だと思っていたのだが,調査員は「ゴックンが出来たら,一部介助になる」と言って譲らなかった。

今でもそのことが腑に落ちず,今回の調査時,その項目が出てきたときに訊ねてみた。

すると,服薬で全介助というのは,胃瘻とか点滴とかで直接薬を身体に入れるのはもちろんだけれど,

「嚥下に問題はなくても,
認知症等で,
薬を飲む意味をしなかったり,
薬であることを自覚して飲めないとか拒否があるとかで,
何かに混ぜて飲ませるような場合も全介助になる」と言われた。
その辺は,調査員の方によってとらえ方が違うこともあるかもしれないけれど,
少なくとも,特記事項に記しておくと。

義母の調査に来た人は,有無を言わせず「一部介助」に○をつけていたし,特記もしていなかったように思う。

あのときと,少し,調査項目も変わっていたようだけれど,今年の9月義母の2年ぶりの更新。どう出るだろうか。

*************************************

また,いつも思うこと・・・
調査には,同居家族の有無は関係なく,
また,性別,年齢も関係ないのは,おかしいと思う。
今回も思った。
例えば,着替えひとつとっても,
一人暮らしの人なら,無理をしてでも,時間がかかってでもせざるを得ないから,
結果「出来る」になってしまう。

また,例えば,
80代後半の独居男性と70代前半の独居の女性とでは,
食べることを中心とした「生活」能力は,
たとえ身体に問題がなくても,認知症がなくても,
一般的な場合,違いは明らかだ。

認定調査の時点でも,せめて,
年齢によるハンディみたいなものが
介護度に加味されてもいいんじゃないかなぁ・・・なんて思う。

認定調査では,
環境とか家族の状態は関係なく,あくまで本人の状態といいながら,
実際のサービス利用(特にヘルパー)の時点で,
環境や同居家族の有無が重視される,
そこが,最大の矛盾点!



もうヘトヘト~

2010-02-16 16:41:40 | 日常

26,27日と代車を借りてなんとか仕事を終えた夫は,27日夕方,借りた車を返しに行った。それとは別に, 私は,スタンドから電話をもらって,明日(28日)板金工場から車が帰ってくると聞いていた。なので,28日は,
朝から実家へ行って,
最初の病院にコルセット代金を支払い,
預かってもらっている郵便などを受け取って,
それから母の病院へ行って,
帰りにスタンドに寄って,
車を受け取って,家に帰るという予定を立てた。

また,実家には,暮れに母が買った米がそのまま余っているので,それもいくらか持って帰ってこようかと。

ところが,朝出かけようとしたら,すごい嵐のような天気。猛烈な雨風。
雨風がおさまるのを待って出かけると結局実家に着いたのがお昼そこそこ。
預かってもらっていた郵便をお隣さんから受け取って,
さっさと病院へ・・・
と思ったのだけど,
やっぱり話しが長くて・・・

大あわてで,コルセット代金を払いに行ったところが,
装具屋さんがこの日は来ないらしく,結局払えなかった。

そして,駅のケンタッキーで昼食を食べながら,
母の病院の送迎バスの時間から逆算して電車の時間調べると,
すぐに行かないと間に合わないことが判明。
慌ててミネストローネだけすすって,
食べ残したバーガーは電車の中で食べることに。
幸いお昼間で電車は空いていた。

こちらの病院でも,
新しいコルセットの請求書が来ていたので,
その支払いのことを確認し,
洗濯物を回収して,
今度は家路に。

だんだん荷物が重たくなってきた。
病院までの往復はまぁ電車だし,最後は,今日は車で帰れるから!
と目論んで米やらサトイモを袋につめてきたのだった。
駅からガソリンスタンドまでの10分強の道がとても長かった。
でも,
あと少し,
あと少し・・・
やっとの思い出スタンドについて,事務所で名乗ると・・・
まだです。明日の朝には戻ってきますけど・・・
ガ~ン。
えぇっ?
昨日電話で「明日には」って・・・
でも,ひょっとしたら私の聞き間違い?
この頃いろんなコトあって,バタバタごちゃごちゃしてるから・・・と思って,
それ以上は何も言わず
(というか,ここで抗議したところで,ナイモノはないんだから仕方ない),
引き返した。

ショックというかなんというか・・・
今度は同じ道が途轍もなく遠く感じられ,
荷物の重みはますます増すばかり・・・
何分くらいかけて歩いたのだろう。
さっき降りた地下鉄の駅からさらに5分くらい先がウチへ帰る電車の駅。
電車とバスを乗り継いで・・・と思うと,
我が家は地の果てにあるような気分になった。

家に着いても,
とうていご飯の用意などする気力はなく・・・
オットにも電話して,レトルトカレーがいやなら,何か食べて来て,と。
しかし,彼は彼で,疲れ果てていた。

通勤途中駅から歩いているときに,
朝の大雨に遭ったようで,パソコンがおかしくなったというのだ。
そして,仕事も色々大変だったようで,
外で食べる気力もなかったみたいだ。
帯状疱疹もまだ痛々しいし・・・
  

彼にもう一度確かめてみた。
昨日,代車を返しに行ったとき,
「明日(つまり今日)出来てくる」と言われたよね,と。

やっぱり私の聞き間違いではなかった。彼も同じように聞いていたというのだ。
明日,家まで持ってこい!と言おうか,と言ってくれたけど,
もう文句言っていやな気分になるのもいやだったので,
土曜日まで放っておくことにした。


サクサクいかない

2010-02-16 16:16:52 | 日常

なんとか風邪・熱・帯状疱疹のピークを乗り切ったオット。
だけど,今週は,仕事が多忙らしい。火曜日・水曜日と,出張ではないけれど,だいじな仕事があるらしく,夜も遅くなる可能性があるようだ。
それに何と言っても,身体もまだ本調子ではない。
そして,私は私で月曜日と木曜日は母の病院&実家通い。

ということで,
今週は義母には月曜日から金曜日まで5泊お泊まりしてもらうことにした。
こういう急な予定変更にも応じてくれる小規模多機能施設は,
本当にありがたい。

1月25日月曜日
朝義母宅へ寄って送り出し。
これまで月曜日の送り出し後は,洗濯はして帰ったのだけれど,母が入院してからは,洗濯も全面的にお願いしている。
ささっと義母を送り出して,ゴミ出しをして,母の病院へ。
ここまでは,サクサク

病院と駅間の送迎バスはありがたいのだけれど,本数が少なく,それに合わせて行って帰ってというのがムズカシイ。15分くらい歩くと国道に出て,路線バスがあるのだけれど,こちらも1時間に2本程度。
母は母で,バスの本数が少ないコトだけは知っているけど,具体的な時間は知らないのに,「早よ帰り!私のことはいいから。間に合わんかったらあかんから」とすぐに私を帰らせようとする。
この日も半ば追い出されたように病院を後にし,仕方なく国道に出てみようと寒い中を歩き始めたら,雪交じりの雨が~~。でも,結局待っていたバスは,病院の送迎バスとほぼ同じ時刻で,駅に着いたのは,病院のバスのほうが先だった。

駅近くのサイゼリアで遅めの昼食をとり,電車を乗り継ぎ乗り継ぎ・・・夕方近くやっと車の修理をお願いしているガソリンスタンドへ。26,27日にオットが仕事で車を使うのに,結局修理が間に合わなかったので,代車を借りに行くことになっていたのだった。

最寄り駅からスタンドまで10分近くかかるので,その間に雨に降られたらヤだなぁと思って,せっかく途中で傘を買ったのだけど,雨は降ってなかった。

スタンドで,貸してもらえる車を見てびっくり。ダイハツのATRAIなのだけど,軽とはいえ,こんなに大きいとは!大きいというか背が高いのだ。これじゃぁ,マンションの機械式駐車場の中段には入らない!そう言うと,じゃあミラもありますけど・・・と。小さいけど,オットが運びたい荷物くらいは入りそう。こっちにするか・・・と決めかけたけど,オットに電話して聞いてみる。と,4人乗って,しかも荷物が運べないとダメだそうで,やっぱ,ATRAIにするしかない。
今夜どこに停める??
オットは,マンションの入口付近に停めさせてもらおうというけど,
やっぱりそれは・・・
それよりも,ここのガソリンスタンドから歩いていける距離の
自分の職場はどうなのよ!!
明日の行き先がウチの家からの方が近いからウチに乗って帰って来て欲しいということだと思っていたのだけど,明日の朝は職場に行ってから荷物を積んで出かけるのだという。
なら,なおさらじゃないの!
ということで,その車をお借りして,オットの職場へ。

彼の職場から,駅までまた15分くらい歩いて,そして,またまた電車バスを乗り継いで帰らなくちゃならない。ふ~っ

あぁ1日あっちへ行ったりこっちへ行ったり・・・
病院からのバス,
代車騒動。
おまけに天気も不安定で寒くて,
傘を買って荷物増やして,
余計な労力を使った割には,
予定していた通りにコトガ運ばず・・・

身体もつかれたけど,週の初めからスゴ~いストレスがたまったのだった。


1月19日~24日

2010-02-11 02:13:41 | 日常

前の日記で,
「いよいよ通常通りの日々が始まる」
と書いたのだけど・・・

始まりませんでした!

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

1月19日~20日
年末の義母の風邪引き以来,オットも私も,どうものどの調子が良くなくて,ずっと二人でエヘン!エヘン!ゲホゲホやっている。
私の方は,風邪というより喉の調子が悪いという感じなのだけれど,
彼の方は風邪症状が続いている。
19日(火曜日)の夜オットは義母宅に泊まりだったので,
もし,調子が悪ければ,
翌朝出勤前に義母のかかりつけの内科に行くようにと言ってみた。
すると,
「水曜日の朝は忙しいから行ってる間はない。
これくらい大丈夫や」と拒否された。(医者嫌いは義母譲り)

ところが,水曜日の夜,帰って来るなり
「熱が出てきたので,(職場の近所の)医者に行ってきた。
そしたら,別の病気が見つかった」と。

「別の病気って??」

「大したことちゃうねんけど・・・帯状疱疹」

見ると,背中からおなかにかけて,あららら~

でも,帯状疱疹の話しはよく聞くけど,実際近くでかかったことのある人もなく,
見たこともなかったので,
もし,これを昨日くらいまでの段階で見せられても,
湿疹かあるいはかきむしった後かくらいにしか思わなかったかもしれない。
風邪のおかげで見つかって良かった。

熱も,もしかしたら,風邪ではなくてこっちからのものなのか?
だけど,どちらにしろ,免疫力が落ちて,ストレスが溜まって,の結果なんだろう。

本人は医者に行ったことで,なんだか病気が本格的になってきたという気分らしく,だんだん痛みが出てきて,しんどく,熱も上がってきた。

これは明日は休みかな~?という予感。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

1月21日~22日。
案の定,オットは休むことに。
21日は私も特に予定はなかったので,1日家にいておでんを煮たりした。
というのは,22日はどうしても母の病院に行かねばならなかったので,
今夜21日のためというより,明日のためにおでんを作っておこうと思ったのだった。
どちらにしろ,オットはあまり食欲もなかったので,2日分十分あった。

22日(金)は,義母宅のプラスチックゴミの回収日。
金曜日はお泊まりに行ってる最中でなかなかゴミのためだけには行けず,1か月分くらい溜まっている。車で行ったときに持って帰ってウチで捨ててもいいのだけど,今はその車も修理中。

ということで,この日,ゴミ出しに寄ってから,実家へ行って,お隣で預かってもらっている郵便など取って,家のチェックをし,それから3時頃主治医との約束に間に合うように病院へ。オットはおとなしく留守番。主治医の話とは,コルセットを作り直す件であった。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

23日土曜日
内科で一応帯状疱疹との診断を受け,塗り薬も処方されたけれど,
やはり皮膚科で診てもらった方がいいということで,オットは朝から皮膚科へ行った。
駅前のビルの中の若い女性医師がやっている皮膚科。ちょっとウキウキして出かけていった。とても高い飲み薬をもらってきた。帯状疱疹は,皮膚の症状が治った後に出る神経痛が怖い。そうならないためにも,この薬が効いてくれればいいのだけど。
今週は,義母のお泊まり4泊で,今夜までゆっくり出来る。オットは少し食欲が出てきたので,久々にアンコウ鍋をつつく。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

24日日曜日
義母の帰宅予定は11時頃。それには,10時頃出かけなくてはいけない。
どちらにしろ,お昼ご飯からのお世話になるので,
1時間でも遅く帰ってきてくれれば,我々も朝ゆっくりできるので,
ホームに電話して,お昼前まで預かってもらうことにお願いする。

昼食以後この日は夜まで,2人して,まったりと義母宅で過ごすことに。

夕食は,冷凍下ごしらえしてあったチキンのトマト煮と,あとはスーパーの総菜のおかず。

1日家にいると,夕方ガタガタし出す義母であるが,この日はことのほかおとなしく,穏やかに過ごしてくれたので助かった。


なんとか,今週も乗り切れた。


1月10日~16日

2010-02-11 01:54:22 | 日常

1月10日日曜日。
地区のマラソン大会。オットはマンションの管理組合役員をしていて,監視員にかり出されることになっていたので,元々義母にはデイにいってもらうことにしていた。それで,朝は,わたしが送り出しに。

久々の送り出しだったけれど,義母は機嫌良く難なくすませられて,ホッ。
実母の「痛い痛い」,「つらい」,「もう死んだほうがマシ」
を繰り返し聞かされていると,
今となっては義母とのおとぼけ会話が癒しだわ~。

義母が出かけたらすぐに家に帰り,洗濯やら,冷蔵庫の片付け。そして,昼前にはオットが帰ってきて,昼食後また片付け。本当は夕食時も義母宅へ行くつもりだったけれど,あまりに疲れてたので,作るだけ作ってオットに行ってもらい,私はパスさせてもらった。


+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

1月11日月曜日(祝日)
連休でよかった~。義母は今日は休んで家でゆっくりしてもらうことになっていたけれど,私は,夜だけ行くことにして,昼間はオットに頼んだ。彼が出かけるや,片付け開始。捨てた!捨てた!野菜はともかく,お正月用にと,買ってあった,かまぼこやら,しめさば,スモークサーモンetc.,etc.,,,


+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

1月12日火曜日
朝は義母はホームのお迎えにお任せ。夜はオットが泊まってくれて,水曜日から土曜日まで義母はお泊まり。その用意も兼ねて,夜だけ義母宅へ。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

1月13日~14日
実家に泊まって,最後の片付け。家→病院→実家(泊)→病院→家

14日の午前中には,母のかかりつけのクリニックへ行き,先生にご報告。

近所の人は,母の入院している病院のこと誰も知らなかったけれど,さすがに地元の医師だけあって,先生はご存じだった。

そして,介護保険の区分変更についての意見書も,今回は,病院の主治医にお願いする旨を話し,また退院してきたらよろしくとご挨拶。その他,モロモロの用事を済ませて,病院経由で家に帰る。

母は,それなりに落ち着いている様子。ベッドサイドにおいてあった昨秋の淡路島旅行の写真集がリハビリ担当の若い女性PTさんの目にとまり,そこから,彼女が淡路島出身で・・・と話しが弾んだようで,ちょっと元気が出てきた感じで安心した。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

1月15日金曜日
荷物をいろいろ持って帰るために車で行ったのであるけれど,これで一段落したというわけで,やっとやっと修理に出すことに。

ところが,26日にオットが仕事でどうしても車を使いたいというので,それまでにお願いしたいと言ったけれど,ムズカシイかもしれないという返事。
でも,もし間に合わなかったら,代車を用意してくれるというので,もうこれ以上引き延ばせない!と思い切ってお願いした。
しばらく病院通いも,電車バスでということになる。

車をお願いして,その足で(今度は地下鉄),繊維問屋街まで母のパジャマを探しに行った。

母は(も,というべきか),義母と同じく寝るときはネグリジェ。しかもお手製の。入院するときもそれを持っていくと聞かなかったのだけれど,やはりそれでは都合が悪い。寝るときだけ着替えるならまぁいいけど,日中はリハビリもあり,やはりパジャマでないと!とりあえず,1着はパジャマも持ってきていたけれど,薄いので,厚手の冬用を調達することにしたのだ。

母はとても小さく,Sサイズのものを買いたい。かといってワコールなどブランド品を買うほどでもナイし・・・漸くグンゼのダブルガーゼのが見つかって,レジに持っていくと,付いていた値札からさらに25%引いてくれた。やっぱりここまで来た甲斐があった。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

1月16日土曜日
オットと二人で病院へ。兄も来て,しばし賑やかに。
帰りは,兄が駅まで送ってくれそうだったけれど,病院から駅に出る送迎バスの方が早そうだったので,それに飛び乗り,大阪まで戻って,念願のスペイン料理を堪能。

暮れの義母の風邪引き騒動以来の2人だけのお楽しみ。忘年会と新年会みたいなものかな。ちょっとおしゃれな店に,病院からの洗濯物の入った袋をぶら下げて入ったのは冴えなかったけど・・・

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

1月17日日曜日
朝オットがマンションの理事会に出席する以外は,夜までフリー。義母がお泊まりから帰ってくるのに合わせて,夕食を持って出かけた。さぁいよいよ通常通りの日々が始まります!


やっと帰れる~♪

2010-02-11 01:29:29 | 実母

母が入院した8日は一旦実家に戻って泊まり,翌9日朝「家じまい」をして病院に寄って,1週間ぶりで我が家へ帰ることにした。

しかし,その家じまいが思いの外大変で・・・
何せ,これから2か月くらい留守にするわけだから,普通の片付けではすまない。さらに家に帰れば,2日からほったらかしの台所が待っている。

この日の予定は,
午前中実家の片付
午後病院へ行って
自分の家に帰って夕食を作る
夕食を持って義母宅へ
というフルコース。

実家の片付けのメインは,台所(主に冷蔵庫)の始末。
家に持って(もらって)帰るもの,捨てるモノ・・・などの整理。
一番大変なのが,母が漬けていた白菜の漬け物の始末。
2樽漬けてあって,1つは大体食べ終わり,もう1つの方がそろそろ食べ頃だという。
なので,それをご近所に分けたり,持ちかえるなりして空にして,
樽を綺麗にしておくようにと母の命令。

台所の片付けと並行して,そうじ,洗濯・・・
とかなりの勢いで始めたはいいのだけれど・・・
1つ終わって次のことをやろうとすると,

電話が鳴ったり,
玄関に誰かが来たり・・・
いちいち中断されて,ちっとも進まない。

その電話や訪問者は,すべてご近所の母の知り合い。

みなさん,心配して訊ねてくださるのはいいのだけれど,年寄りは往々にしてハナシがクドクて長~~~~い。

入院先は,M村さんとM本さんくらいにしか伝えないことにしていたので,
ごまかすのもまた大変。
入院となると,このあたりでは,みなさん「お見舞い」が盛んで,
(母は来て欲しいと思っているかもしれないけれど),
いちいち煩わしいので,とりあえず,入院とは言わず,
娘の私の家の近くでちょっと預かってもらえるところがあったので
そこで静養することになったと説明。

結局乾ききらなかった洗濯物は,一部病院の乾燥機で,一部は私の家に持ち帰って乾かすことに。漬け物やら野菜,自分の荷物,洗濯物などたくさんの荷物を車に積んで,やっと出発となったときには,12時を過ぎていた。

最後の最後で慌てたのか・・・
しばらく走って,ふと,
「玄関の鍵かけったっけ・・・?」と気になり,
舞い戻ると,案の定,
かけていなかった!。

あれだけ完ぺきに戸締まりしたのに,
最後の最後で玄関の鍵を忘れるとは
でも,気づいて良かった!

さぁ急がなくちゃ~と2度目の出発。
ところが・・・・
またしばらく走って,
今度は,台所のポットの電源を抜いてくるのを忘れたことに気づき
またまた舞い戻り。

*******************************************************

そんなこんなでだんだん遅くなって,途中でお昼を食べていくつもりだったけど,それもパスして,病院へ。
駐車場に兄の車が止まっていた。

ところが,病棟に着いてエレベータが開くと,そこに広がっていた光景は・・・
野戦病院よろしく,ベッドが廊下にいっぱい。空のベッドではなく,患者さんが寝てるベッド。どこかの病院で災害でも起こって緊急によそから運ばれてきたのだろうか?などよからぬことを想像しながら,母の部屋を覗くと,誰もいない・・・
というかベッドが1つもない。

よく見ると,お掃除の人がウロウロしている。年に1回か2回しかないであろうワックスがけの日だったのだ。母も廊下に出されていた。朝食が終わるとすぐに始まったらしく,お昼ご飯も廊下のベッドで食べたらしい。

そしてしばらくすると,リハビリの先生登場。その廊下でリハビリが始まった。まだ初めてなので,ベッド上で足を動かすだけのものであったけれど,それでも,今までやったこともないような動きをさせられていた。なんだか効果がありそう。入院前より足腰が鍛えられたりして。

その間に,私は母の朝洗濯した病院で着る母の衣類を乾燥機にかけ,売店でパンを買ってぱくついた。そして,乾燥が終わってワックスがけも終わって,部屋に戻ったら,今度は,歯医者さん登場。

怪我をして,ずっと同じ方向で寝てばかりいたということもあってか,歯茎が腫れて入れ歯が合わなくなって,痛い痛いと訴えていたら,この施設群の中にある歯医者が訪問診療してくれるとのことで,早速手配して下さったようだった。この日はとりあえず,歯茎を傷つけていた金属部分を調整して下さったようだった。

*******************************************************

歯医者がすんで,もう夕方近くなり,大急ぎで家へ戻ろうと走り出したのだけれど,高速を通らずにいたら,細い道でどんどん混み出して,この調子では家に帰っても夕食を作る時間もないし,その気力ももうない。

それで,直接義母宅に行くことに予定変更。その旨義母宅にいるオットに電話連絡し,夕食も,適当に何か買ってきてくれるように頼んだ。距離的には,私の家も義母宅も変わらないとおもうのだけれど,何せ初めての道なので,ナビの案内通りに行くと,かなり遠回りさせれらたような・・・

義母宅でオットが買っておいてくれたお寿司などを食べて,9時頃義母を布団に入れ,やっとやっとや~っと,1週間ぶりに我が家に帰ってきた。
だけど,もうクタクタ。翌日が休みでよかった~。


入院当日

2010-02-03 01:09:47 | 実母

1月8日。いよいよ入院当日。

朝食後,荷物を車に運び込んでから,母を車に乗せる。先日病院受診したときと同じく,お隣のM村さん,そして,今日は斜め向かいのM本さんが出てきて,母を車に乗せるのを手伝って下さった。今日は,ちょっと長いドライブ。大丈夫だろうか・・・せめて渋滞に巻き込まれたりせず,スムーズに行けますように!昨日一度行っておいてよかったとつくづく思った。
本当によい天気で,車の中はポカポカ。景色も美しい。だけど,母にはそれを楽しむ余裕はなさそう。時間的には昨日よりちょっとかかったけれど,正味1時間はかかっていない。しかし,母にはとてつも長く感じられたようだ。

病院に着くと,外来の方がいっぱいで,車椅子も出払っていた。母を車で待たせ,受付で車椅子を持ってきてもらうように頼んで,その間に私は荷物を下ろした。やっと車椅子が来て,母を乗せてもらい,受付をする。母は,すぐに,レントゲンなどの検査へ。私は,持ってきた書類を提出したりの事務手続き。しばらく待たされた後,やっと昼前に検査が終わり,一緒に病棟へ案内される。

部屋は4人部屋だけれど,とても広く,西側の明るい場所。荷物を片付けたりしていると,すぐに昼食が運ばれてきた。普通の病棟とは違い,食堂があって,そちらへ移動して食事をするのだけれど,母は今はまだ動けないので,今日のところはベッドで食べるようだ。食事をはさんで,看護師,ケアワーカー(介護スタッフ)いろんな人が入れ替わり立ち替わりやってくる。昨日書いてきたお願い事項をさっそく見て下さり,とりあえず,トイレはポータブルを置いてもらうことになった。その他,入れ歯やめがね等持ち物のチェック。歯ブラシやうがいコップは預けておいて,食事の度に歯磨きをさせて下さるとのこと。お風呂は当面機械浴になる模様だけれど,週2回曜日が決まっていて,この日の午前中にあったばかりだそうだ。なので,次の機会まで待たなければならないみたいだけれど,仕方がない。

主治医となる医師は,この日は午前中外来に出ていて,病棟に来れるのが2時頃になるということで,それまでが私の自由時間。病院には売店はあるけれど,食堂がなく,車で数分走ったところのファミレスに食べに行った。

戻ってしばらくすると,先生が来られた。若くてなかなかイケメンの先生。
前の病院で作ったコルセットを見て,「う~ん・・・まぁこれでもいいけど・・・今はもうちょっと楽なのがあるんだけど・・・でもせっかく買ったのだし,とりあえずこれで行きましょう」その後,私だけナースステーションで,レントゲンを見せてもらって,説明を受けた。

まず,経過についてのおさらい。そして,レントゲンを見ての説明。今回の第一腰椎を含めて3カ所の圧迫骨折がある。しかし,7,8年前転倒したときに折れた胸椎の他に,一番下の胸椎も折れた跡が・・・これは知らない間に折れて固まってしまったらしい。

私が,義伯母の経験から,圧迫骨折で入院させてくれることはないと思っていたと言うと,「そんなことはないですよ」とやさしく言って下さった。回復期リハビリテーション科というのは,骨折等の他,脳血管疾患等の後のリハビリのための病棟で,それぞれの疾患に応じて,入院出来る最長期間が決まっており,その期間内に集中的にリハビリをして,在宅復帰を目指すところであるらしい。骨折の場合は最長2か月。圧迫骨折の場合,それ自体は治療のしようがないけれど,だからといって安静を保って寝てばかりいると,廃用症候群になる恐れがある。それを防ぐために,足を鍛えておく必要があり,そのためのリハビリをしていただけるということだ。しかし,認知症等でリハビリが出来ない,あるいはその効果が上がらない場合は退院させられることもあるとか。言ってみれば,重要事項説明書みたいなものに沿って,そんなことをいろいろ説明され,医師(病院)と患者側のサインをし,コピーをいただいた。

母には1日2回,各40分のリハビリが行われるらしい。医師の話のあと,部屋に戻ると,さっそく担当の理学療法士の先生があいさつに来られた。早速明日から始めますということだった。

やっと解放されたのが夕方近く。長い長い1日だった。1週間ぶりで,ゆっくり寝られそうだ。母は安心して眠れるだろうか・・・


やっと入院へ

2010-02-02 15:42:29 | 実母

1月7日朝。
NH病院の相談員の方から電話があった。

昨日情報提供書が届いた時点で,8日から入院できるということであったのだけれど,一応今日面接(?)に来て欲しいとのこと。

またまた,母をお隣に頼んで,午後から出かけた。
昨日と違って,ちょっと遠いし,全く初めての所なので,私自身も少し不安はあった。でも,車があってナビがあって,本当に助かった。

車は,実は,暮れに当て逃げされ,後ろのドアを修理しないといけない状態なのだ。だけど,年末年始を控え車を使いたいので,年明けにお願いすることになっていた。それが,ここまでひっぱるとは!

平日の午後ということで,道も空いていて,思っていたよりスムーズに病院にたどり着けた。

山の斜面に介護施設がいくつも点在する中で病院が一番古いみたい。だけど,当初抱いた「姥捨て山」のイメージはない。

昨日のK病院とは違い,相談員との面談は入院を前提としての話。費用のことや,病院のシステムの説明。一応それらに納得・同意していただかないと,後で話が違うと言われても困るので,ということであった。

病棟の見学後,いろいろ書類を渡されて,明日10時半頃本人を連れてくる約束をして,また同じ道を帰った。

母は,おとなしく待っていた。そして,遠いということに難色を示しながらも,やっと入れるところができ,私を解放することが出来るということに安堵していた。

夜は,大急ぎで荷物の準備。

母は,なんでもかんでも事前に準備をしておくタイプで,いつ何時入院してもいいようにと荷物も準備してあった。しかし・・・

イマドキ病院が要求しているものがほとんど無く,不必要にデカイポットとか,いわゆる寝間着(浴衣式)が入っていたり・・・

それに,名前を全部書かなくちゃいけないのに,名前の書ける油性のペンがかすれてかすれて~~。

とりあえず,明日一泊して様子を見て,足らないモノは,土曜日に持っていくと言うことで支度を調えたが,記入しなければならない書類もたくさんあった。

その中には,病院が本人を介護するにあたって必要な情報を求めるものがあり,趣味とか人生観・死生観,家族の希望,既往歴や,服薬状況,排せつについて等々数ページに及んでいる。

私は,この用紙には書ききれない点を2,3別紙に書いた。

◎排せつに関しては,全く自立していて,おむつはもとより,リハパンや尿パッドなど,使ったこともないどころか,そういうのは自分にはカンケイナイモノと思っているフシがある。病院の側の管理上のことで,もしかしておむつを当てられしたら,きっと本人は落ち込んで,骨折以上のショックを受けるだろうと思うので,排せつはかならずトイレでさせて欲しいと。
◎怪我をしてから一度もお風呂に入っていないので,なるべく早い機会に入浴させて欲しいということ。
◎便秘が続いているので,適切に処置をお願いしたい。

やれやれ,これで,私もちょっと解放される。やっと家に帰れる。そして,何より,母をこの寒い不自由な家から解放できる。

いくら,私が母のためにここで頑張っても,それが母の身体のためとは思えない。
ベッドもないし,寒い。
お風呂だって入れてあげられない。

例えばあと1週間今の調子で寝ていれば治る!というものであれば,
私も頑張ろうと思うけれど,
こんな環境でシロウトの介護では,
逆に良くなるモノもならないと思うのだ。

そう言う意味では,そろそろ限界でもあった。


最後の選択肢

2010-02-02 15:38:11 | 実母

1月6日の続きです。

さて,HN病院だが,地域包括センターの方で,もう一度最初のT病院から同じモノをファックスで取り寄せてHN病院に送って下さった。隣県の病院で,聞いたこともないし,電話だけで,受け入れてくれる病院とは?ちょっと不安がよぎった。でも,ほとんど手詰まり状態で,どんどん時間が経つばかり。もうここでお願いするしかないと,話を進めて下さるように,地域包括にお願いした。

実家に帰っている間,私はパソコンをもっていない。結婚前は,モデムでピーヒョロヒョロと通信していたけれど,今はパソコンはもちろん,ここでインターネットできる手段はない。唯一残された手段は携帯。HN病院を調べてみた。

病院を核に,老健,特養,ケアハウス,訪問看護・介護,グループホーム,有料老人ホーム,小規模多機能ホーム・・・を展開している法人だということがわかった。

そして,実家のある市には小規模多機能ホームは2つしかないが,最初にケアマネさんが打診して下さった小規模多機能とは別のもう一つのホームをこの病院のグループが運営しているのである。多分そのラインでこの病院に繋がっていったのだと思った。

ちょっと不便なところではあるのだけれど,母が毎日通院するわけでないし,私が通うにしても,自分の家から実家へ来るより,ここへ来る方が近そうだ。

そうは言うモノの,実際見てみないうちは,ひょっとして姥捨て山みたいなところだったらどうしよう・・・という一抹の不安もあるし,母にしても,よその県というだけで,地の果てへでも行くような気分になるのだろうと想像に難くない。だけど,もう他に選択肢はない・・・


個人情報保護の名の下に・・・

2010-02-02 15:26:17 | 実母

1月6日。朝一番でケアマネさんから電話が入った。

情報提供書を出してもらえることになったので,T病院に取りに行って,K病院の方にそれを持って行って下さい。K病院担当の方は○○グチさんです。」

それを受け,さっそく行動開始。

まず午前中に,もらい損ねている薬(痛み止めと湿布)を近所のかかりつけ薬局に取りに寄ってからT病院へ。

病院と言っても,私は,介護支援センターの方の名前を聞いていたので,その方を訪ねて支援センターへ。ところがその方が席を外しているという。他の方では話がわからず,待っている間に別の用事をしに外へ出たとたん,その担当の方から電話。「なかなか取りに来られないので・・・」と。よく聞くと,その方は,支援センターではなく,病院の受付窓口で待っていたらしいのである。席を外しているというのはそう言うことだったのか!で,すぐに戻って受け取り(情報提供書と診断書の違いがイマイチよくわからないのだけど,250円だった)家に戻った。

そして,午後,K病院へ向かうことに。

ここで初めて昨日の施設の話は×で,今度は病院を探していることを母に話した。そして,何かあったら,お隣のMさんに連絡できるように,リダイヤルボタンでMさんの携帯につながるように設定し(もちろんMさんに事前にお願いして),車で出かけた。その病院の場所は知ってはいたけれど,最近新しい道が出来て道が付け変わったりしていてどこからどう行けばいいのかよくわからなかったので,ナビで行くことに。

ナビ(ポータブルナビ)は,昨年秋の淡路島旅行に行くときに買ったもの。こんなところで役に立つとは!ところが・・・病院の手前まで来たときに,ナビ様は,横の道に入れとおっしゃる。ナビ様の言うとおりにすると,病院の裏手に。こっちに駐車場の入口があるのかと思って従ったのだけれど,そんなところはなく・・・結局,また元の国道に戻ってぐるっとUターンして,病院の前の入口からはいることに。幸い駐車場は空いていてすぐに止められた。

そして,○○グチさんをたずねて相談室へ。
「あのぉ~,T市の地域包括センターから紹介されてきた者ですが,○○グチさんはおられますでしょうか」
「はぁ?○○グチ?」
「はい,そうお聞きしてきたのですが・・・」
そのとき,廊下を歩く音が聞こえ,もう一人の人が「今歩いてる」とかナンとか・・・
でも最初の人は,どうも「○○グチ」なんていう者はおりませんとでも言いたげな雰囲気。そして,その足音の主が現れた。
名札を見ると「○○ブチ」
そういうことだったのか!

相談室に入って,情報提供書を渡すと,ちょっとビックリした様子。わざわざ家族が持ってくるとは思っていなかったという感じ。「ファックスでよかったのに・・・」と言いながら,早速開封して目を通し,フムフム~とうなずきながらも「うちも満床で,特に女性はねぇ・・・」とクール。

病院で,家族からの窮状(一人暮らしで,唯一当面の面倒を見られる私が認知症の義母を抱えていること)を訴えることはどうなのか?介護施設なら介護する家族の事情のポイントはカウントされるけれど,病院ではやはり,本人の病状が9割方モノを言うのでは?そして,それは,医師の診断書とか情報提供書とかに書いてあること。

この○○ブチさん,昨日のケアマネさんからの電話に対する反応とかなり違うような・・・

ここで,私が一押し,二押ししなければいけないのかなぁと思っていたが,
逆に「お一人住まいで,娘さんはちょっと遠くにお住まいだそうですが,洗濯物とかは大丈夫ですか?」と家族のサポートについて探りを入れられた。
「毎日は無理ですけれど,週2回くらいなら来れると思います」と答えたが。

そして,「では,これをお預かりして,お受けできるか会議にかけてみます。」と言って,あっという間に面談は終わった。

多分×だろうなという感触。
それと,この病院の第一印象(○○ブチさん初め相談室の職員の対応)や雰囲気からもなんとなくいい結果は期待できないなと思った。

家に帰って,しばらくすると,病院から電話があり,やはり×の返事。

さっそく,結果を地域包括の方に伝えようと電話すると,担当のケアマネさんは休暇とのこと。本当は今日は休みだったのに,ウチのことがあるから,朝だけ出てきて下さったようだった。

別のかたに引き継いでいてくださったので,すぐ話は通じて,別の病院に当たってみるようにと,電話番号を教えて下さった。そして,地域包括の方でも,いろいろ当たってみると。早速教えて下さったところに電話をしてみると,どこも同じで,情報提供書が欲しい。ファックスでいいから送ってくれ。

それで,地域包括センターに電話すると,「ちょっと遠いんですけど,隣県のNH病院が,受けてくれそうなんです」との返事。ただ,そちらも情報提供書が必要とのことで,包括センターからK病院に,私が持っていた情報提供書をファックスでいいから送り返してくれるように頼んで下さったそうなのだが・・・

「個人情報が含まれる書類なので,もうシュレッダーにかけました」

なんか腹立たしく悲しかった,このK病院の対応。
「わざわざ持ってこなくてもファックスでよかったのに・・・」
「もうシュレッダーにかけました」

「個人情報の保護」なんてもっともらしい言葉を使ってるけど,
結局,個人の人格なんてこれっぽっちも重んじられていないんだ。

ひょっとしたら,「会議にかけます」なんて言いながら
ブチさんが一人で握りつぶしたとは言わないが,)
事務的に処理されたのだろうなと想像してしまう。

今となっては,この病院受け入れてくれなくてかえってよかったと思った。