TOTO

お気楽主婦のお気楽な日記

珍作?

2009-09-15 14:36:51 | ドラマ・映画
今ごろですが…
『ICWR』映画評を見つけて…笑っちゃいました。
Cinematodayサイトから、斉藤博昭さんという方のです。

「珍作との評判を聞いて観た映画『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』。
 血まみれ&××まみれのキムタクに、
 フランシス・ベーコンの絵のような死体アートに、
 ありえない色の服も着こなす爬虫類の目をしたイ・ビョンホンと、
 超奇怪ワールドに予想外にハマった!」

珍作と評判だったのか?
超奇怪ワールドなのか?

ハマッていただけて、何よりでございます

力みすぎている?

2009-07-08 11:06:25 | ドラマ・映画
香川さんにつられて買った『キネ旬』
「tele-jun」というテレビ時評も『ミスブレ』についてだった。

「“ドラマのTBS”は力みすぎている(下)」というタイトル。

(上)は立ち読みしかしてなかったが、
首を捻るところはあれど、おおむね頷けた。(偉そうだ)
で、今回の(下)
う~ん、少々の反論はしたいが、同意はするかしら?

この時評を書いた石飛氏曰く、
『ミスブレ』は
「作り手が力みまくってしまい、
 その結果、視聴者が戸惑うようなドラマになった」
う~ん、確かに力みは感じる。
特に初回はね…。

脚本が多くを詰め込みすぎで消化不良。
演出は凝りすぎて本筋を邪魔している。
出演者が多すぎる。
ゲストが過剰に豪華。

石飛氏曰く「視聴率の取れるスターは現在、木村拓哉ただ一人」
だから、豪華ゲストはいらないし、シンプルな物語の中に彼を置けば良し。
そして、「彼の演技をじっくり見せるべき」

この木村っちの演技をっていうのには全面的に同意する。
まぁ脚本も演出もね…ゲストもまぁ初回はねぇ…
ただ、今回の土曜8時という枠で、シンプルな物語というのは似合わない。
制作の注文はそれではないだろう。

木村っちを堪能できるドラマというのは、私も熱望する。
登場人物もごく少数で、ごちゃごちゃした演出もセットもない、
ごくありふれた空間での木村っちの演技は見たい。
そういう物語でも彼は十二分に輝くのだ。
が、今回のドラマはそういう趣向ではない。

石飛氏の気持ちもわかるのだが…今回のメニューは違うのだ。
強いて言えば、お子様ランチかしらん?
いや、時間的にはそうだろうけど、というよりはバラエティセット?
ファミレスにありそうな様々な嗜好に合うように作られたセットメニュー。
ちこ~っとその店独自の工夫が入っていて、
それが成功がどうかは個人的な嗜好におまかせ。
ファミレスで懐石料理を求めても…
「いやいや、お客様。それは他のお店へ…」ってことではないでしょか?

いつでもずっとファミレスばかりではツマラナイ。
たまには渋く懐石もいいし、
うんとスパイスの効いたエスニックもいいと思う。
Shitaoはう~んとスパイスや香菜の効いたアジアンフードかしら?
木村っちの苦手なパクチーも入ってそうな…。
(でも、食べるでしょうけどね)
アメリカンでもいいんだけど、ファストフードにならなきゃいい。
どうせならうんと重量のあるステーキでもいいかもね。
素材が良ければ、どんな料理法でも美味しくなる。
よりもっとっていうのは、シェフの腕次第ってのはあるけどね。


たぶん…ラスト

2009-07-03 15:39:09 | ドラマ・映画
何とか都合がついて、『ICWR』4回目に行ってまいりました。
おそらくこれがスクリーンでShitaoに会えるのは最後になると思われる。
彼の壮絶な運命と美しさを堪能しようと意気込んで行った。
再生の雨にうたれるシーンは、やっぱり息を呑む美しさ。
Liliを癒すシーンはどこか色っぽい。
少年のような雰囲気をまとうShitaoなのだけど、
どこか艶があるのだよね~。
Liliの麻薬中毒を癒している時の「ok」って囁く声がたまらなく色っぽい。

しかし、だ。
ついつい思ってしまう。

「もっと」

もっとShitaoを映して、見せてって。
そこはいいからShitaoがどうしているか見たい。
そのシーンはカットでいいでしょうに、Shitaoを出して。
その人はクローズアップしなくていいから、
Shitaoはどうなった…?

ついつい“欲”が出てきて困った。
「もっともっと」っていう欲求にジリジリと焼かれる。
まるでM。
陶酔と飢えで頭がこんがらがる。
これは監督の作戦なのかしらん?




勝手にケチをつけまくって、
個人的な嗜好に走っております。
すみません
傲慢かましていいですか?

『ICWR』はKlineとShitaoの二人の物語に絞った方が良かったんじゃって思う。
Hashfordに憑かれたKlineと“神”の力を与えられてしまったShitao。
この二人の物語であって、
他の登場人物はエピソードであり、
きっかけであるだけでいいんじゃないかと?

DongpoとLiliはもっとあっさりした方が流れを寸断しないと思う。
彼らが物語り全体を損ねている。
Dongpoは存在だけでマフィアのボスだと思わせるオーラが欲しい。
その暴力的な狂気を感じさせて欲しい。
ボスとしての凄みを感じさせないと、
言葉だけで地獄を見てきたって言われても…。
まるで自分のやんちゃ自慢するチンピラ。
凄みの中の虚無。
それがShitaoとの接触の後に変化するのを見せて欲しかった。

Liliはもうちっと可愛らしさと妖艶さを併せ持つような女優さんがいいかと…?
聖女と悪女の両方を兼ね備えるファムファタル。
あの甲高い声はどうにも場をそぐ。
あの外見はいかにも麻薬中毒患者っぽくはあるのだけど…。
Shitaoを癒した言葉が、後からすべて嘘っぽくなるのだ。
彼女もまるで変化が見えない。
彼女とDongpoは同じ施設育ちだという裏エピソードがあるそうだが、
それが感じられない。
彼らに妄想が浮かばない。
プラスティックなんだよね。
その渇きが作品全体を損なってるんじゃないかしらん?

Meng Ziは逆走行がお好きなのが可愛いのだけど、
やっぱり9ミリ弾で遊ぶシーンはいらないかと?
アパート探しもカットでいいかも。
それならもっとShitaoの“奇跡”を映して欲しい。


Shitaoの能力をKlineは知っていたのか?
これは大きなポイントだと思うのだけど…?
私の妄想では、知っているはずだと思っている。
知らなきゃ物語にならないとさえ思うのだ。

Shitaoに癒されようと小屋に集まる浮浪者達。
彼らに聞き込みしているKlineだから、
奇跡の力を持つ男の噂は耳に入るだろうに。
あの警察で撮影された傷だらけの写真。
あれをまず不審に思って欲しかった。(思ってた?)
なぜあれほどの傷を負ったのか?
それに続いて“奇跡の男”の噂。
これにShitaoを重ねていくKline。
ミンダナオ島での出来事と関連づけて、
Shitaoには不思議な力があるのではと考えていく。
夜毎にHashfordの悪夢に苦しむKlineだから、
自分のためにShitaoの姿を追い求めることになっていく。
悪夢から逃れ、生きるためにShitaoに縋りつくように探し回る。
だから、焦って写真に当り散らしたりする。

Klineはなぜか都会の中で、ビルの上からShitaoを双眼鏡で探し回る。
ミフーが発見されたのが原っぱ(?)の中なんだからして、
私が探偵なら同じような環境を探すんだけどな?
Shitaoと同化するなんて無理なんだけど、
まずは同じ環境にいようとする。
アパートの中に原っぱの小屋を作るんじゃなくて、
自身が同じような小屋を立てて生活するんだと思うのだけど…。
で、もっと早くにDongpoに接触する。
彼もShitaoを追っているって早い段階でわかってるんだもん。
何処に行けば会えるかもMeng Ziに聞けばわかるはずだし。
ラストにってのは遅すぎる感があるのだが?
せめて、何回か面会して断られて…ってのが欲しかったかも。


LiliのShitaoへの愛は母性からであって、性愛ではない、と思う。
Dongpoへの愛とは性質が違う。
無垢なものを守ろうとする母性本能。
Shitaoは一度死んで、洞という産道から生まれたての赤ん坊と同じだからね。
Dongpoは母親の愛なんて理解できない。
そんなのは経験していないから、知らないから。
独占欲だけでShitaoを殺す。
そして、彼に触れて恐怖を覚える。
Liliはもっと必死にShitaoを守ろうとして欲しかった。
我が子を守ろうと格闘して欲しかった。
我が子の亡骸に縋りついて、泣き叫んで欲しかった。
Dongpoを殺そうとするくらいに怒って欲しかった。
その後は…何かが彼女の中で変わったはずなのだ。
が、作品の中のLiliは何も変わっていない。
Shitaoとの出会いと別れは何も変えなかったはずはないのだけど…。

Dongpoに触れてShitaoは彼の虚無を感じ取る。
だから「怖い」のか?
Dongpoが心の奥底に隠していた恐怖を吸収したのが原因なのかしら?
Liliと一緒にいた日々がShitaoの心を癒し、
癒されたことで恐怖が生まれたのかなって思っていたのだけど…。
Dongpoが原因ということもあるのかもしれない。
愚かさを赦すと言われたことで、Dongpoは癒されたのか?
その後の彼もまた変化が見えない。
見せて欲しい。
Klineとの言葉遊びだけでは彼の変化ははっきりしない。
あそこは興ざめ。
Klineはちゃんと自力でShitaoにたどり着いて欲しかったのだが…。

「Let me go.」ってShitaoは狂信者に言う。
釘付けにされた十字架から降ろしてくれというより、
“救世主”という宿命から開放してくれって意味にとってしまう。
Shitaoは自分の能力も、それからの宿命もただ受け入れているだけで、
悟りを開いてもいないし、自分を救世主だとも思っていないだろう。
ただ能力があるから救う。
それだけだと思う。

そのShitaoがKlineと接触する時、どのような反応が起こるのか?
映画ではただKlineは傷ついたShitaoを抱き上げる。
十字架に架けられたことでShitaoの能力が消えたわけはないと思う。
Klineの悪夢=Hashfordに触れた時、Shitaoはどうなるのだろう?



まだまだ妄想したくなる映画なんだよね。
文句ばっかりつけてるけど…。
妄想できるっていうのは豊かさにも通じると思うのです。
この作品に出てくれてありがとう、です。
木村っちにある程度のフリーを与えてくれた監督にも感謝。


木村っちの演技開眼とか、
これで一皮剥けた、とかの感想を見かけるが…
これは『武士の一分』の時も書いていたけど…
もともと木村っちの引き出しにあったものを出しただけであって、
作品や監督によって教えられて出された演技じゃないと思う。
もともとあったものを出さなかったのは演出家。
木村っちにはいっぱい引き出しがあって、
いろんな顔があるのに、
同じようなのばかりを求めているのは演出家でありプロデューサー。
そして、大衆の欲求。
蛮勇をもって未知の引き出しをひっぱる映画人を求めます。




『ICWR』…妄想あれこれ

2009-06-22 10:19:02 | ドラマ・映画
浅学な記事でお恥ずかしいかぎりですが…
まだまだ書いてしまいます、『ICWR』からの妄想じみたあれこれこじつけ。
(公開から2週間経つってんで、ネタばれしまくってます)







初期(?)の『ICWR』ポスターは、
ジョシュ君のお顔とShitaoを連想させる例の黄色いフードの背中。
(これは木村っちの背中じゃないと思うけど。現在はジョシュ君の全身)
背中には大きく白い丸に黒で×のマーク。
これはa yellow city worker's jacketだという設定。
(フランス映画配給会社の資料から)
日雇い労働なんかの作業着なのかしら?
Shitaoはお金…あんまり持ってなかったろうし、
そういう労働でもしてたのかな?
警察で指紋とられてたのも、不法就労か?
万引きしたからって設定だってのをどこかで読んだけど…
あまり納得できない…Shitaoは物欲がなさそうなんだもん。


監督の「キリスト教の図像学や美術への関心からスタートした」という発言から
このマークにもキリスト教関連だとする。
宗教画のようにアトリビュート(持物、シンボルみたいなもの)を探してみる。

あの×マークは聖アンデレ十字なのではないかしら?

聖アンデレは、十二使徒のひとり。 
聖ペトロと兄弟で、彼をキリストに導いたとも言われている。
初めは洗者聖ヨハネの弟子だったけど、
使徒ヨハネとともに最初にイエスに従うようになった。
イエスの教えを説いて周ったのだけど、
彼も同じく磔にされる。
そのときにX形十字架にかけられたと云われている。
この形の十字架を「アンドレアス(アンデレ)十字架」と呼ぶそうです。

このことから…Shitaoは物語の初登場(回想シーンは除く)で
すでに“殉教者”“十字架に磔にされる者” とされていた…のかな?




Dongpoが部下を苛む際の得物は…金槌?
無理やりな気もすれど…
12使徒の中から探すとなると
福音書記の一人、マテオのアトリビュートに斧がある。
近いのはこれかな~?
マテオはイエスに従う前は政府の徴税人。
そのころ金を直接取り扱うの職業はこの時代最も嫌われる職業の一つでした。
Dongpoはマフィアとして麻薬を扱ってる。
これもまた嫌われる職種ではあるもんね。

Dongpoさんといえば、あの黒地に黄色のお魚(?)柄のシャツ。
監督が選んだそうなのですが…なんともな柄…
でもあれが魚柄だと断定すると、
魚というのはキリスト者の象徴なのだそうですわ。
これを意図した?



Klineの象徴的なもの…何だろ?銃?ナイフ?
ストーリーのラストからすれば、
十字架から降ろす者ということでアリマタヤのヨシフ?

ヨシフは執政官ピラトにイエスの遺体の引取りを申し出た。
イエスの弟子の中にも逃げ出してしまう人がいたっていう状況なのにね。
イエスは彼によって亜麻布で巻かれ、香料と共に葬られたと、
どの福音書にも書かれている。
ヨシフはその後、殉教の旅に出たとされている。

Klineはミンダナオ島では川べりで水に浸かったりしてる。
水や川は聖なるもの。
洗礼は水にひたって身体を洗い清める。
清い水によって再生するともいう。
Shitaoに降り注いだ慈雨が流れて川になって…
Klineも癒した…のかな?

ラストのラスト、KlineがShitaoをお姫様抱っこして連れて帰る。
これはサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの彫刻『ピエタ』を連想しました。
こちらは聖母マリアが息子キリストの遺体を膝に抱きかかえているのだけど。
「ピエタ」はイタリア語で“悲哀”なんだそうです。




そして、Lili。
この女性はね~私は好きじゃないの。
ラストは泣き叫んで、必死にShitaoに縋りついて欲しかった。
Dongpoが無理やり引き剥がして連れ帰るけど、
もう以前のようには生きられない。
それぐらいにShitaoに影響を受けて欲しかったの。
Shitaoは一時的な行きずり?

イメージするところでは、Liliはマグダラのマリアでしょうね。
「罪の女」だとか諸説がありますが…。
イエスの死と復活を見届けた証人。
(LiliはShitaoを見届けずに、とっとと帰ってしまいましたがぁ)
『ダビンチ・コード』ではイエスと結婚していて、子どもを生んだとしてます。
いろんな伝説のある聖人なのですが、
それぞれの福音書が共通して語っているのは、
悪霊に憑かれた病をイエスによって癒された、ということ。
ShitaoがLiliの麻薬中毒を治したのと重なりますね。
後は共通してないのですけどね…。

ここまでキリスト教との関連性を書いてますが、
監督はキリストを描きたかったのではなく、
それをモチーフとして散りばめただけなのかな、とは思います。


Klineの友人、Meng Zi。
ショーン君はとても格好良く、印象的だった。
んだけど、彼女(?)とのラブシーンでの9ミリ弾。
あれはどういう意味を含むのか???
何かの隠喩なのかしらん?
ついつい考えてしまいますの。

そういえば、Klineもストレス解消のためか?
お商売のお店に行ってましたね。
女の子の部屋に入って、彼女のブラ(?)を外すぐらいでシーンは転換してますが…。
私の妄想(?)では、彼は「できなかった」んじゃないかと?
ハスフォードの事件以来、精神的にもイ○ポなのではと思いますの。
そして、どんどん苛立ちは高まっていく。
Shitaoのお写真にストレスをぶつけるのは止めてくだされ。

冷蔵庫に貼ったShitaoの傷のコラージュ。
Klineは何故にShitaoが傷だらけなのかを推理はしなかったのかしら?
彼の力を知っていたか、知らなかったのかで大きく物語が変わるんだけどな~。

撮影したけど、編集でかな~りカットされていると聞く。
ディレクターズカットでDVD発売を求む。

『2046』もそうして欲しいんだけどなぁ。
未来電車の中の赤の照明、青白く光るハイヒールの底。
あそこの世界観は大好きだった。
全体は中年男の湿った恋愛だったけどね。
(トニーさんは色っぽいんだけどねぇ)
Takはワイヤーアクションもしているはずなのにぃ。

Shitao…『ICWR』あれこれ妄想

2009-06-19 14:18:50 | ドラマ・映画
「シタオって変な名前(笑)下男?もっとマシな名前にしたらいいのに」

ってな会話を映画館で聞いた。
日本人って設定だと思ってらっしゃる?
清朝きっての傑出した画家である石濤(せきとう、Shitao)からのネーミングだと思うのだけど…。
Shitaoで検索すると、この画家が出てきます。
彼の作品はかな~り高価だそうですわ。

Shitaoは中国系アメリカ人。(だと思う…華僑かな?)
Shitao Chenがフルネーム。
父親は一代で財を築いた製薬会社のトップ。
現在はLAにて隠遁生活を送る。
厭世的で病的な潔癖症のために、息子と触れ合わない。
Shitaoは東部の名門イエール大学を卒業。(ランキング世界第三位)
だからして、頭脳明晰な秀才。
その彼が突然、フィリピン・ミンダナオ島で孤児院を始めた。
何がきっかけになったのだろう?
Shitaoが叫ぶ「Father」
キリスト教の“父”と父親のダブルミーニングなのだろう。
Shitaoというキャラクターにおいて、父との関係性は大きいと思われる。

カメラを通してしか息子と会わない父親。
その父をShitaoは憎んでいたのか?
愛憎が入り混じってはいるが、切り捨ててはいないと思う。
まるで父と息子が相互依存の状態であるのかな?
それぞれが不器用で意思の疎通が上手く言っていない親子。
お互いが気になるのだけど、ストレートじゃない。

父親に送金してもらったお金で孤児院をまかなうShitao。
父親は探偵を使って調べてから送金する。
(1回目はすぐに、2回目から探偵を派遣だっけ?)
そして、3回目はなく、連絡は途切れた。
Shitaoは地元の有力者に寄付を募りに行って、
そのしつこさゆえにか、殺されたからね。
どうして突然に寄付を募りに行ったんだろ?
パパは大富豪だから、1回1万ドルなんて、
しかも慈善活動になら、もっと高額でもだしてくれたろうし、
孤児院の経営なんて負担にもならなかったろうに。
その前に3日間部屋に閉じこもりきりだったShitao。
その時に神の啓示でもあった?…んじゃないように思う。
父親に依存して救済活動をする自分が嫌になったのかしら?

勝手な妄想だけど…
Shitaoの母親は彼の幼いときに死んでいて、父親の手で育てられた。
父親が冨を得てからは使用人たちに育てられたのかもしれない。
Shitaoが15歳からカメラ越しにしか父親と対面していないのだっけ?
欧米のお金持ちは全寮制の学校に子弟を入れる。
彼もそうだったのかもしれない。
Shitaoは自分が捨てられた息子…のような感覚を持っていたのではないか?
子どもにとっては親は拠り所であり、それは聖域のようなもの。
それから切り離された子であるShitao。
自分が捨てられた子であるからこそ、
自分と同じ境遇である子ども達の世話をしたかったのか?
しかし、自分が捨てられたと感じている子はおしなべて自己評価が低い。
アイデンティティが確立できないことが多い。
自分が何かの役に立っている=存在意義があることを必死で立証しようとする。
奇跡の力を得たShitaoが激痛に耐え、
自分で枝を噛み締めて叫びを殺してでも
癒しを続けようとしたのは、
ここに理由があるのかもしれない。
父親に捨てられた自分が、多くの人々に求められている。
そこに救いを求めたのかも?

だから、暴力的に生と死をくりかえさせられることにも受身なのか?
これまでは父親の愛を請いながらも、声にだして叫ぶことはできなかった。
父親は不器用ながらも息子を心配し、愛してはいるようなのに。
そんなShitaoが十字架にかけられて叫ぶ「Father」は、
やっと声に出せた父親への思いなのかもしれない。






毎日新聞のユン監督インタビューより。

 クラインは猟奇的芸術家を殺した記憶に心を乱される。
「精神的に病んでいることが彼自身の肉体の痛みとなり、もがき苦しむ」

 ス・ドンポはシタオを痛めつけながら涙を流す。
「矛盾しているようだが、相手の痛みを感じることで、自分が解放されていく」

 シタオは現代のキリストとして描かれる。
「他人の痛みをすべて吸収してしまう。痛みの象徴だ」

監督によれば、作品で描きたかったのは「苦痛で壊されていく肉体」なのだとか。


う~ん。壊されている肉体って…?
それから連想するのはベーコン風のオブジェなんですけど。

「キリスト教の図像学や美術への関心からスタートした」んだとか…。

12年前から脚本を書き始めて、40回以上の書き直しをして仕上げたらしい。
が、ジョシュ君達によると、その脚本も現場で変わっていったらしいっすね。

痛みの象徴のShitao。
痛みはいつかは癒される…のを信じたい。


つくづく…妄想しがいのある映画ですわ♪



ハスフォード…『ICWR』あれこれ…

2009-06-19 11:44:56 | ドラマ・映画
「でも私が描くものは今の世界の恐怖にはかなわないよ。
 新聞やテレビをごらん。世界で何が起こっているか。
 それに肩を並べるものは描けない。
 僕はただそのイメージを描いた、恐怖を再現しようとしたんだ。」

上記はフランシス・ベーコンの言葉。

ハスフォードの人体オブジェはフランシスコ・ベーコン作品と重なる。
ジョシュ君も監督から画家ベーコンの絵を見せられて、
「こんな風にやってくれ」
と、言われたそうだし。

映画の冒頭から登場するハスフォード。
ただクラインのトラウマの原因だというだけでなく、
彼が『ICWR』のメインテーマに重要な関連を持っているのかもしれない。
『ICWR』を考察する上で(エラそうだ)、
ベーコンというのは鍵になるのかもしれない。
なんて書いてますが、
妄想過多の勝手な作品感想ですので



ベーコンの生涯については映画化されている。
『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像 』(1998年 / イギリス )
私は知らなかったのだけど、
なんとかの007のダニエル・クレイグがベーコンの愛人役で、
かな~り強烈なベッドシーンや全裸ショットもあるらしい。
内容も難解で、かなりの単館系映画ファンでないと受け付けられないとか…。

ベーコンの作品は激しくデフォルメされて、ゆがめられている。
大きな口を開けて叫ぶ奇怪な人間像(これが映画で一番目立っていた?)が有名で
それは人間存在の根本にある不安を描き出したものと言われている。
物語性を否定し、そこからの解釈を拒否していた。
作品から物語を受け取るのではなく、
ある意味のショック=感情を持たせたかった。

その恐怖とは?
殺戮や戦争といった暴力的なものだけではない。
血や内臓によって表されるようなものは表面的な恐怖。
その恐怖を再現することによって喚起されるはずの感情。
それの欠如こそがベーコンの本当の恐怖だったのではないかとする批評家もいる。
「人間が心を喪失してしまったかのように見えること」こそが本当の恐怖。

私達はテレビなどのを通してさまざまな悲劇を目撃するが、
経験するわけではない。
あくまで傍観者である。
その事件映像を固唾を呑んで見るが、それにある種の物語性を求める。
物語=ドラマや映画と同一視する。
悲劇や恐怖さえも消費してしまい、やがてはそれに慣れさえ感じてしまう。
ベーコンにとっては、それこそが恐怖であったのかもしれない。
それへの警鐘として、神経を刺激するような暴力的な作品を生み出したのか?

暴力とは?
肉体的なもの、精神的なもの…
生そのものが暴力性を孕むという説もある。
自分の意思なくして“暴力的に”母という他者によって産み出される生。
芥川龍之介の『河童』という小説を思い出した。
河童の世界ではお産のさいに、胎児に尋ねる。
「生まれてきたいか~?」と。
「嫌だ」といった胎児は生まれることを強要されることはない。
自分の意思で生まれないことを選べるし、また生まれることもできる。
人間は宿命的にあらゆる種の暴力と対峙することを強要させられる。
(Shitaoはいわば強制的に生き返えされた。
 何らかの意思によって(?)暴力的に再生させられたのだね。
 これもある種の暴力か…)
それに対して、慣れからか刺激を受けることなく静かに受け入れ、
心を閉ざしていく。
それこそが“恐怖”なのかもしれない。

ベーコン作品のオブジェを作ったハスフォードは“恐怖”を表現したかったのか?
「人の世の苦しみは驚くほどだ」
「苦しみこそが美しく、人の痛みこそがイエスの苦悩を完成させる」
あの猟奇的な人肉オブジェは彼の啓発を目的とした芸術作品?
あの叫び声が聞こえそうな歪められた口のオブジェ。
人々に痛みを叫んでいるのか?
この暴力を見ろ、と。
見て、感じろ、と。


ハスフォードはただの悪ではなく、狂信者。
恐怖を表現し続けることに疲れて、
クラインの手で死にたかったのかもしれない。
そして、同化していたクラインもその暗闇に引きずりこまれた。
ハスフォードを継ぐものとして…。
だからして、刻印として噛み付いたのかしら?
(あのシーンはエロティック)

『ICWR』での恐怖=悪は、暴力に不感症になっているDogpoだと思える。
Dogpoにはハスフォードのオブジェは何も伝わらないだろう。
チラッと横目で見ただけでスルーするのではないか。
彼は自分は地獄を見てきたって思っているのだから。
心を喪失してしまったかのように見える彼。
本当の恐怖にとりつかれた存在なのかもしれない。
それもShitaoとの邂逅によって、
彼から赦されたことによって、
何も感じない恐怖から開放された…と、思いたいが。
(感じ始めたことで新たな苦しみは生まれるだろうが、
 それと戦うのは自分自身。無知、無感覚よりは未来はあるはず)



恐怖といえば…一番怖いのは“大衆”なのかも…。
人間のエゴが集団になった時が一番怖いのかもしれない。
Shitaoの癒しを受けようと彼を取り囲む人々。
息子の傷を治すためにShitaoの元へ行き、
彼が血まみれで苦しもうと、声はかけるが、
我が子を抱いて逃げるように去っていく。
奇跡への恐怖も若干あるだろうが、やっぱり我が子大事。
自分が癒されるためなら、Shitaoが痛みに絶叫しようとかまわない。
彼は救世主として力を授けられている=我々を癒すのは彼の義務だ、とでも思うのか?
エゴは恐怖。
それが集団になった時…まるでゾンビが肉を求めて彷徨うようなシーンだった。
(もしかして、監督の意図?)
キリストの再来云々と金色のペンキを振りまいていた兄ちゃん。
彼が集団をアジって、Shitaoを教祖に祭り上げようとすれば?
Shitaoは生き地獄だろうな…。
痛みを引き受け続けなくてはならないからではなく、
精神的に地獄をみると思う。
要求され、搾取され、自分は癒されることはない。
一人を癒そうと、次の苦痛と向き合わなければならない。
Dogpoが主張する地獄なんて生ぬるい無間地獄。
シュシュポスの神話みたいだ。

Shitaoは悟りを開いているわけではなく、
癒しの能力があるから、癒しているだけなんだから。
自分の力にとまどっているし、生きていくことに受動的でしかいられない。
だって、自分でもわけがわからないまま生きかえってしまったんだもん。
神の啓示を受けたわけじゃないだろうし。
暴力的に救済者として生きることを強制されているShitao。

神…Father…

Shitaoはクリスチャン?


おばかちゃんの私は只今図書館で『おとなと子どものための聖書物語』(フレーベル館)を借りております。
わははっ…イラストがいっぱいでわかりやすいの。
何にでも感化されて、その関連本を読み漁る私。単純ですな。
フランシス・ベーコンの伝記とかは探してもなかった。
だからネットでの情報収集だけっす。
さすがに買うのは…お高くて手が出ない。
画家のフランシス・ベーコンは同名の哲学者の子孫にあたるそうですね。
「1へ~」です。








with Rain

2009-06-08 08:53:02 | ドラマ・映画
『I Come with the Rain』観ました。

*私の独断的でイキ気味の散文的感想なので、
ネタばれってことはないかと思いますが…。









そう、感じる映画ですね。
好き嫌いはあると思います。
私は好き。
というか、クセになりそうな映画。
まだ1度しか観れていない。
明日にでも行けるかな?


木村っちは出演を決める際に『青いパパイヤの香り』を観て、
“匂い”が感じられたのが凄いと思ったからオファーを受けたって言っていた。
今回の『ICWR』
私は“湿度”を感じた。
雨の、汗の、身体や髪を洗う水の…
そして、血の湿度。
映画を観ている間、ずっとその湿気に身体が被われている感じがしてた。
決して不快な湿度でもなく、
息苦しくもなく…
かといって、爽やかで気持ちがいいってのでもない。
呼吸しやすい、原始の森の湿度。
ミンダナオ島の緑から連想したのかしら?
小倉さんが言っていた、「後味の悪さがない」
そう、それはなかった。
でも、なんだろう…身体が乾かないような後味。
湿度が尾を引くような感じがした。
エンドロールが終わっても、まだ後を引くような…。
まさに「感じる映画」

詩のような映画だって語ったのはジョシュ君だっけ?
韻を踏むかのように畳み掛ける映像。
行と行との間の含みを自分で想像する。
映画なんだから映像はある。
だけど、説明があまりされないストーリーだから、
自分で考える=想像するしかない。
想像する糊しろはいっぱいある。
想像が妄想に変わるのは私の悪癖だが、
それもまたこの映画の醍醐味なのかもしれない。

私が木村っちのファンだから…というのが原因じゃないと思う。
この作品の“I”はShitaoだと思うし、
全体を通して彼の存在がずっとそこにある。
そう思わせる存在感があった。
ミンダナオ島での「再生」
蛆やムカデ(?)にたかられての生き返り。
Shitaoの出てきた洞は“産道”であり、
彼はその時、確かに生まれた。
彼の身体に降り注ぐ雨は恵み。
長く水に浸かっていたせいか白くふやけた足の裏は、
羊水につかっていた生まれたての赤ん坊と同じ。
Shitaoは何として生を受けたんだろう?
殉教者としてなのか?
救済者としてなのか?
それは彼が決めるんじゃなくて、
彼に相対する人間が決めるんだろうけど…。
ここのシーンは息を呑む美しさだった。
虫や泥さえも清浄に思える。
雨と緑が馥郁たる香りさえはなっていそう。

Shitaoは生々しさはなく、血まみれになろうと清潔感がただよう。
何者にも穢されない聖性さえ感じる。
でも、高みにはいない。
地上で彼ができることは、他者の痛みを引き受けることだけ?
彼はそれが自分にできるただ一つのことだって思い込んでいるの?
彼の内面が空虚だとは思わなかった。
他者(父親?)の愛を渇望する幼子のような無垢さ。
与え続ければ、いつかは自分も救われると信じる盲信者?
ハワード・ヒューズみたいな精神疾患的潔癖症の父親の影響なのかしら?
肉親に抱きしめられた経験がない青年が
他者を抱きしめて癒すことで、自分も救われようとする?
でも一方で、いくら他者の傷を癒そうと、
自分は救われないってわかってると思うのよね。
だから自分を守ろうとするリリを見つめて、涙が溢れるんだと思ったの。
母親的な無私の愛を与えられたから?

説明的な映画じゃないし、
観た側がそれぞれの答えを出せばいいとは思う。
思うのだけど…もうちこ~っとストーリーを誘導してもいいかな…と思う。
説明というか、答えを導くためのポイントというか…
その答えはそれぞれあってしかるべきだし、
それでいいだって思うのだけどね。

クラインはShitaoの能力は知っていたのかしら?
彼が一度死んで生き返ったってわかってる?
(殺されたのはガセネタだって思ってるだけ?)
彼の能力を知っていたからこそ、
Shitaoを探すことに妄執し、彼と同化しようとした…
彼の能力に救いを求めてしまっていた…
っていうのが、私の趣味に合うんだが…?
ジョシュ君はどこか少年じみたとこがあって、
レクター博士を連想させるハスフォードに精神的にも捕らわれるのが似合う。
彼も湿度を感じた。
どこか…青い汗の匂い。白人種独特の汗の香りね。
不快な汗の臭いじゃないの。

それとは逆にDongpoには湿度は感じられなかった。
どこかプラスティックな感じさえしたのよね。
これは監督の演出だったのかしら?
彼が登場すると湿度がなくなって乾いた感じがした。
リリへの妄執も母親がいなくなって慌てる幼児のように思えたし。
(まぁ、部下を白い袋にいれないと折檻できないボスだからか…)
彼の目にオブセッションが感じられなかったのよね。
まるでプロモを見るかのような乾いた感じがした。
クラインやShitaoの湿度とは異質。
これは狙いなのかしら?

リリは…色っぽいんだけど、つかみどころがない。
Shitaoが生き返るってわかってた?
彼と出会って、麻薬中毒を治してもらって…
Shitaoを男性として愛したわけじゃないと思うのだけど。
二人で寝ていたって、そういうセクシャルさはなかった。
無垢なものを庇おうとする母性本能でShitaoを救おうとしたのかしら?
クラインにShitaoの居所はDongpoに聞くようにって
リリが教えた…って、思いたいんだけどな…違うか…。
リリとDongpoはShitaoに救われたのか?
もともと救って欲しくなんかなかったのか?
彼の“恐れ”って何なんだろ?

Shitaoは「Don't be afraid of me.」ってDongpoに言う。
何を恐れるんだろ?
彼の不死身?(なのか?)
彼の聖性?
(キリスト的な存在と暴力的な悪魔性との対立なんてのじゃないと思うんだけどな)
ShitaoはDongpoの愚かさを赦すって言ったけど、
彼を殺そうとすること=独占欲を、ってことなのかしら?
DongpoがShitaoを十字架にはりつけたのは、
Shitaoがキリストを気取るなら、こうしてやるっていう意趣返しだろうけど…。

そして、Shitao自身は何が怖いんだろ?
自分の不死身?
それとも、生きること?

Shitaoが叫ぶ「Father」と
クラインが彼に呼びかける「your father」とは違う。
でもどこか同じ…なのかもしれない。
十字架に貼り付けられたShitaoの傍に現われた狂信者(?)
彼は金色の十字架をシャワールームに描き、
貼り付けられたShitaoにも金色をまきちらす。
頭につけられていたのはキリストの茨の冠。
あの狂信者がShitaoをキリスト=教主に祭り上げようとする…
それから守ろうとするクライン…
そんなラストの続きを妄想したりもする。
肉体的な傷を身代わりにできるShitao。
でも、クラインの傷は心で…。
ついつい妄想が広がる。
本当に感じる映画。


だもんだから、宣伝の内容とのギャップが激しすぎる。
興行も大切だ。タダで映画は作れない。
しかしなぁ…“イケメン”ってのに乗せられてる観客が多いのよ。
そういう方々は鑑賞後、文句をタレまくるのよ。
感想なんてひとそれぞれだから、いくらでも言ってください。
でもね~、エンドロールが終わってすぐは止めて
あなた方の感想を聞きたくない観客もいるのだ。
逃げられない状態でそれを聞かされる身にもなってよぉ
そして、韓流ファンのおばさま方だと思います。
会話からするとそうとしか思えない。
お願いですから、上映中におしゃべりは止めてください。
「あ、出てきた」とか「もう出ないの」とかって言うのは止めてください
これは『HERO』の時もそうだった…。
映画に浸りたい観客もいるのだぁ

やっぱり明日にもう1度…


*こそこそと英語を訂正。
嗚呼、私、英文科卒なんですけど…嗚呼…。




訃報

2008-10-07 10:35:36 | ドラマ・映画
緒形拳さんが亡くなられた。
朝のニュースを見てショックだった。

木村っちとは『Gift』と『武士の一分』とで共演。
『一分』では木村っちのことを
「念が入っていて、なかなか行き届いたいい役者だ」って褒めてくださった。

メイキングでの撮影風景が思い出される。
緒形さんとの剣の練習シーンの最初のお稽古なのかな?
木村っちは白い道着に紺の袴。
その時も緒形さんは穏やかな笑みで褒めてくださっていたっけ。
木村っちに対する接し方がふんわりしていた。
この人は木村っちを俳優として認めてくれてるんだなって思えた瞬間だった。

素敵な俳優さんだった。
もっともっと木村っちと共演していただきたかった。
本当に残念。
木村っちもショックだろうな…。

ご冥福をお祈り申し上げます。

さじ加減

2008-05-19 17:01:34 | ドラマ・映画
今日は息子の小学校がファミリー参観の代休。
だってんで、映画に連れて行った。
彼は『少林サッカー』や『カンフーハッスル』が大好き。
すっかりチャウ・シンチーのファン。
だもんで、『少林少女』を観た。

つまらなかったって。
『少林サッカー』は何回でも飽きずに見る彼が、
退屈そうに座席でもぞもぞしてた。
私も見てるのが苦痛だった。
ありえないのさじ加減を間違えたとしか言えない。

(映画レビューはできないので、詳細については映画サイトでお願いします

『少林サッカー』も『カンフーハッスル』も馬鹿馬鹿しくて
本当にありえない話。
だけど、そんなの関係なく楽しめる。
その現実味のなさも映画の醍醐味として面白い。
『少林少女』では違った。
もう初めから最後まで“ありえなさ”が喉に刺さった魚の骨のように気になる。
楽しめない。
私はコウちゃんも好きだし、中村トオルさんも素敵だと思った。
岡村君も似合う役だった。
だけどな~、すとんと心に落ちない。
ずっと楽しめなかった。
なぜだろう?
私も息子も『少林サッカー』は何回見ても楽しめるのに。

どちらもファンタジー。
どちらもありえない話。
違いはそのさじ加減なのかしら?
同じぐらいのありえなさなんだけど…。
『少林サッカー』はサッカー試合が主な舞台だけど、
『少林少女』はラクロスの試合は少ない。
どちらも少林拳をサッカーやラクロスに取り入れているんだけど。
ボールが火を噴き、龍になり、ゴールポストを吹っ飛ばす。
だけど、違うんだよね。

『少林少女』はディティールや小道具が凄く雑だな~とは思った。
日本の大学が舞台だってのが違和感ありすぎなのかしら?
その設定も雑だった。
ファンタジーを楽しむためにはリアリティも必要なのでは?
綿密に構成されたリアリティ溢れるファンタジー。
リアルを追求する労力を惜しんでは幻想も生まれないようなんだけどな。

ドラマづくりの現場

2008-05-16 11:55:02 | ドラマ・映画
5月1日付け毎日新聞夕刊の連載「週刊テレビ評」がある。
テレビ業界周辺の方々がそれぞれテレビ番組を語る。
批評という程には固くないコラムだ。
5月から脚本家の中園ミホ氏になった。
第1回のがタイトルの「ドラマづくりの現場」だった。
これを読んで呆れかえったのでブログに書こうと思っていたのだ。

中園氏は「Age,35 恋しくて」、「やまとなでしこ」などの人気脚本家。
その彼女がテレビ局のドラマ制作部を訪れたときのショックな出来事を嘆いている。

制作部室に彼女が入っても、顔見知りのスタッフでさえも誰も挨拶してくれない。
声かけても反応が鈍い。
挨拶を返してもすぐに下を向く。
何をやっているのかと思いきや、制作部全員が漫画を読みふけっているのだ。

今やドラマは漫画原作がオンパレード。
他局よりも先に視聴率の取れそうな漫画を見つけ、
原作権を抑えなくてはならない。
だから全員で漫画を読みまくる。
多分、ドラマにしやすいライトノベルなんかも読んでいるんだろうな~。
韓国等の海外ドラマもチェックしまくりだろうな。
リメイク権を獲得するために奮闘するんだろ。
簡単に映像化しやすくて、
すでに読者がついていて視聴率が見込めるのばかりを探す。
中園氏は「これは笑い話ではなくて、ドラマ発信者達の現状だ。」と憂いている。

視聴率戦争=テレビ局の販売戦争。
一本でもコケたら自分が制作部から飛ばされる。
だから保険がかけられる漫画小説を使いたい。
それはあまりにも異様な雰囲気で、
「私を含め、みんな何のためにドラマの仕事を志したのだろう。」
中園氏は嘆いているが、視聴者である私も嘆きたくなる。
視聴者を馬鹿にしとんのか?

「作りものから作りものを作るために」ドラマの仕事をしたいのか?
描きたいものを描きたいからじゃないのか?
「そういうドラマの格を見つける触覚は、毎日磨いていないと、
 きっと退化してしまう。」
中園氏の言葉に大きく頷くぞ。
そんな彼女だが、
今期のドラマはオリジナルが半分以上を占めるから嬉しいと語る。
今どきオリジナルは企画の立ち上げから大変だっただろう。
健闘を祈る、と。

私は普段ドラマはほとんど見ない。
初回くらいは娘に付き合って見るが、たいていが挫折する。
木村っちのドラマは木村拓哉が出ているから見る。

オリジナル脚本でドラマ制作するのは大変だろうとは思う。
木村っちのドラマがオリジナル脚本が多いのは、
木村拓哉という俳優で企画が通るからだろう。
(『華麗』も鉄平が主人公に代わっているから、ある意味オリジナルだし。)
かといって、俳優ありきのドラマは普通は成立しない。
(ファンの欲目ではなく、木村っちぐらいだろう。)
現在漫画原作ドラマで大活躍中の某女優さんも、
他のドラマでは視聴率は惨憺たるものだった。
俳優だけでは呼べない、オリジナルではリスクがある。
だから漫画ドラマ化。
あまりにも想像力がなさすぎる。

漫画の映像化がすべて悪いとは思わない。
漫画の世界観を映像化してみたいという意欲は起きるだろう。
そんな気持ちにされる漫画も多い。
映画化されて成功した例もあると思う。
(その漫画のファンの思い入れは置いておいてだが。)
しかし、ドラマでの成功したのって…?
思い浮かばないのだけど?
原作漫画がただの絵コンテのように思える。
それでは原作も浮かばれないだろうに。

漫画でも素晴らしい作品はある。
個人的に映像化して欲しいのもある。
でも、映画化して欲しい。
ドラマは嫌だ。
昨今の漫画原作のドラマの質を見ていると、
原作ファンなら怒りを覚えると思うのだが?

脚本家を始め、ドラマ制作スタッフが作りたいものを作る。
それはとんでもない贅沢なことになっているんだろう。
テレビ局は営利追求が目的なのは当たり前。
いろんな利害がこんがらがってる。
ならばせめて視聴者ぐらいは営利に関係ないところでドラマを見たいもんだ。





ここ数年のテレビ番組の編成って変。
なぜに7時台に子ども向きのアニメがないのだ?
あるのは日テレぐらい?
全部がバラエティで、
ファミリー向けというよりも視聴者層が上をターゲットのような?
私が子どもの頃は7時台はアニメだった。
カルピス劇場を親も一緒に見ていたっけ。
そして、8時台はバラエティ。
小学生が見れるのはここまで。
それ以降は就寝時間で見せてはもらえなかった。
中学生くらいでやっと…かな?
それでも10時からのドラマなんてご法度!
その頃って10時からのは大人のドラマだったから、
小中学生が見てはいけないものとされていたもんね。
今は…ウチの子もそうだけど、平気で10時からのドラマも見てる。
10時から漫画原作の学園モノなんかするんだもん。
そりゃ子どもは見たがる。
(なるべく録画するから寝ろとは指導するが。)
なぜにこれを10時から、11時からするのだ?ってのが多すぎる。
こんなお子ちゃま向けドラマは8時からにしてくれって言いたいのが多すぎだ。
10時からは大人の時間にしようよ。
R指定シーン云々じゃなくて、大人が楽しめるドラマを放送して欲しい。
って、視聴者が食いつかなきゃ制作できないんだね…
辛いっすね。

『CHANGE』は10時からが良かったと思いまする。
小中学生でも楽しめるし、考えさせられる作品だけどね。
お子ちゃまドラマじゃないからね。
なぜに月9なんて看板を背負わせるのか?
もうそんなのに御威光はないのに。
んでもって、無理やりに恋愛に持っていこうとする宣伝アナウンサー。
木村っちも深っちゃんも付き合ってあげてたけど
月9=恋愛ドラマ?
ドラマ宣伝するテレビ局の人間がズレまくっているんだもん。
呆れ返ってしまいましたわ。
俳優さんも辛いっすね。