全英連参加者のブログ

全英連参加者の、言葉やその他諸々についての雑感... 不定期更新です。

免許なしで教員採用

2006-04-30 05:16:12 | 気になる 教育行政

【府・京都市教委 社会人らに門戸 理数系など限定】

 京都府教委と京都市教委は24日、来春の教員採用で、理数系などの教科で優れた知識や技術を持つ人材を獲得するため、特別免許状を活用し、教員免許を持たない社会人らに門戸を開く方針を発表した。高校の工業や看護などの専門教科を除く主要教科の採用試験で、免許を持たない人を対象にするのは香川県に次いで2例目という。2007年度からの「団塊世代」の大量退職を控え、補充する教員の量と質が全国的に課題となっている中、両教委とも人材の新規開拓に乗り出す。
 府教委の特別選考は、理科と英語、03年度から高校に導入された「情報」の3教科で実施する。民間企業や大学、研究機関で5年以上の勤務経験があり、高い専門性を持った技術者や英語のネーティブスピーカーを対象とする。対象年齢は50歳未満で、従来より5歳延長している。採用者数は免許を持つ社会人らを含め10人以内という。
 市教委も人材確保が難しくなっている中学校、高校の数学と理科で、免許を持たない社会人や大学院生が受験できるよう資格条件を緩和する。
 合格者のうち、府から特別免許状を交付されれば教諭として正式採用する。交付が認められなくても講師として採用し、5年間で教員免許を取得すれば正式採用する。
 特別免許状制度は1988年度に創設。2004年度までの16年間、全国の新規採用者約32万人に対し、149人(府内は3人)しか交付されていない。
 (京都新聞)-4月25日

*****

 このエントリーは上記京都新聞の記事を読んでの感想です。

 どうもよくわからないのだが、なぜ民間企業出身者を採用する必要があるのだろう。大学の時に教職課程がない大学を出たのならばともかく、取れる免許を取らずに教師にならなかった人だとしたら、僕はやはり違和感がある。
 後になって教育に目覚めた。結構である。でも、民から官への転職は尊ばれるのに、一生懸命仕事をしている公務員を世の中バカにしていないか。
 また、なぜ教諭にこだわるのだろう。特別講師でも、助手でも、技官でもいいではないか。40歳、50歳近くの新しい仲間教諭・講師っていってもちょっとバックグランドもカルチャーも違う人だとは大変だと思う。異なる「人種」を混ぜて組織の活性化をということでもなさそうなので、ますますどうなのかなあと思う。
 民間人として、サラリーマンとして、技術者として優秀だったらその人生を進んで全うすればいいような気がする。技能を買うというのであれば、教諭ではダメである。教諭は教諭であることが技能なのだと思う。

 かなり変ないい方かもしれないが、教諭はPCのアプリケーションではない。学校というのがPCで、個別の教員がアプリだと考えているようだが、どうも違うような気がする。アプリだと思っているから何か特定の教科の専門家を教諭にしようということなのだろう。でも、それは違うような気がする。
 僕も昔は、学校というのがPC(ハードウエア)で、先生という身分がOS、各教科の教育活動をする科目担当教師としての仕事がアプリだと思っていた。だから、教科研修の必要があるんだと思っていた。でも、それだけでは割り切れないものがある。良くも悪くも区別できないもの・ことがあると思う。教諭は学校教育という、OS組込型ハードウエアの一部分でしかないのではないか。アプリといえるほど、独立して専門的であるとまでは思えない。アクセサリとも言えないが、何かユーティリティーかアプレットのような気がする。僕らは先生としか呼ばれない。みんな同じである。アプリじゃなくて、先生というOSの一部なのだと思う。
 学校教育というOS組込型ハードウエア。そこに、独立して専門的なアプリを入れたら、OSの一部である、「普通」の教師と同じにはならないよ。仕事が違うのである。そんな感じがする。

 5年以上の勤務経験って言っても、大学・研究機関でこの程度であれば、残念ながらそんなに優秀なのかな。民間企業で5年程度なら、大学を出てから教員採用試験にチャレンジしている人間の方がずっといい。目的意識もやる気もあるし、給料も安くできるだろう。
 もちろん公務員組織にいなかった人間の斬新なアイディアは尊重もするし傾聴に値するとは思うけど、ず~っと教員をめざして努力してきた人間の方が僕はもっともっと尊ばれていいと思う。特に英語のネーティブスピーカーをというのは結構だが、そこまでネーティブうんぬんを言うのならば、本当に授業だけの語学技官にするべきだ。職分が違う方がいいだろう。普段授業以外のことも…山のようにいっぱい…している僕らをあまりバカにしない方がいいと思う。


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不定期更新のつもりだったんだ

2006-04-30 00:08:21 | 全英連参加者 2006

 どうも今日でブログの記事連続投稿丸1年のようだ。
 
体調を崩したこともあったし、修学旅行の時は、前日泊のホテル、沖縄各所からケイタイで投稿もしていた。全英連の岐阜大会でも、同じようなことをした。

 特別何か訴えたいことがあったわけでもなく、その時との時に感じたことを書いていっただけなのに、ちょっとびっくりである。不思議な感じ。。。でも、いろいろストレス解消にはつながっているような気がする。


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Kumajo

2006-04-29 11:46:18 | 全英連参加者 2006

 埼玉県の県北に、埼玉県立熊谷女子高等学校という前身(高等女学校時代)からほぼ100年の歴史を誇る名門校がある。朝そこの生徒が電車に乗っていた。
 部活動の試合なのか、ジャージのままで。一生懸命本を読んでいた。
 ジャージの背中に英語でロゴがついていた。

 Kumagaya Girls' Upper Secondary School

 ああ、熊女(通称である、「くまじょ」であって「くまおんな」ではない)は、High Schoolを名のっていないんだなって思った。

 Upperは上級の、Secodaryは第2段階のという単語。両方併せて、通常「後期中等教育」を表す語として使われている。
 Lower Secondaryならば、「前期中等教育」を表す語だが、中学校の名称でこれを名乗っている学校は、少なくとも公立では見たことがない。

*****

 県立学校の名称は、埼玉県の「埼玉県学校設置条例」に定められている。

 名称:埼玉県立〇〇〇高等学校
 位置:埼玉県〇〇〇市〇〇

 基本的にはこれだけ。開設学科、定員等はまた別の規則(埼玉県立高等学校通則)による。

 条例では住所のことを位置という。これなんかも業界用語かもしれない。いずれにしても学校の英語名称は条例には規定されていない。
 でも、通常県立高校はそれぞれ、Saitama Prefectural ++++++ High School / Senior High Schoolと名のっている。これは、慣例、学校が職員会議などで議決している場合、学校の学則(学校の基本規則)で、「英語により本校の名称を記載する際は〇〇〇〇とする。」等と決めている場合がある。慣例の場合は、時々書類でHigh Schoolと混在している場合もある。職員会議の議決は校長が最終決裁責任者なので、校長が認めたことになり、学則の場合は教育委員会に届出て承認を受けなければならないので、認められれば教育委員会の認めたものとなり、かなり公的な性格を帯びることになる。

 県内の県立高校で旧制女学校の流れをくむ学校のウェブサイトを見ても、Upper Secondaryを名のっているとことは見あたらなかった。
 オリジナルでなかなかかっこいいぞ、さすが県北の伝統校、熊女。

 なお、伝統校というほどの歴史ではないが、県南(戸田市)に南稜という高校がある。ここはSELHi(Super English Language High School)になるような学校だけど、この学校が開校以来Nanryo Upper Secondary Schoolと名のっている。


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区 in English

2006-04-28 05:14:42 | 気になる 地方自治・行政

 品川区の小中一貫教育のことを書いたとき、品川区のウェブサイトを参考にした。
 しばらくして、?と思ったことがある。それは、「区ってCityなのかな?」ということ。
 区=City=市?

*****

 地方自治法にもあるとおり、東京都の区(正式には特別区)は市ではない。でも、市町村の市とおなじように、地方公共団体である。

 第一条の三
 地方公共団体は、普通地方公共団体及び特別地方公共団体とする。
 ○2 普通地方公共団体は、都道府県及び市町村とする。
 ○3 特別地方公共団体は、特別区、地方公共団体の組合、財産区及び地方開発事業団とする。

 通常英語では市はCityである。インターネットのアドレスなどでも、こんなふうになっている。

 さいたま市
 http://www.city.saitama.jp/index.html
 所沢市
 http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/index.html

 品川区のウェブサイトはcityを名乗っている。
 品川区
 http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/index.html

 23区全部そうなんだろうか。ちょっと調べてみた。

*****

 足立区、荒川区、板橋区、江戸川区、葛飾区、江東区、品川区、新宿区、杉並区、墨田区、台東区、中央区、千代田区、豊島区、中野区、練馬区、文京区、港区、目黒区の19区はトップページに---- Cityと表示している。
 北区、渋谷区はCity of ----の形式。ただし北区、渋谷区は英語ページはそれぞれ、Kita City、Shibuya Cityだった。
 世田谷区はこの逆で、トップページはSetagaya City。英語ページがCity of Setagaya。
 これで22区になる。最後の最後のひとつは大田区。
 大田区はトップページを見る限り英語表記はなかった。外国人登録のところも日本語だけ。これはこれでちょっとスゴイと思った。

*****

 ちなみに政令指定都市の区はWardという単語を用いて表記されていることが多いようだが、本当のところはどうなのか微妙である。地方行政制度は国ごとに違う。だから、City=市と言い切ることは、いろいろ資料を見てもできない(=しないほうが正しい)らしい。
 あくまでも慣例として使っていると思う方がいいようだ。

 何がきっかけで勉強になるかわからないね。


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教育基本法

2006-04-27 05:39:08 | 気になる 教育行政

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

第1条 (教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第2条 (教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

第3条 (教育の機会均等)
 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。
 ○2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

第4条 (義務教育)
 国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。
 ○2 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

第5条 (男女共学)
 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。

第6条 (学校教育)
 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
 ○2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

第7条 (社会教育)
 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。
 ○2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。

第8条 (政治教育)
 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
 ○2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

第9条 (宗教教育)
 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
 ○2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第10条 (教育行政)
 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
 ○2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

第11条 (補則)
 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。

附則
 この法律は、公布の日から、これを施行する。

*****

 原文は縦書き。数字は漢数字
 昭和22年3月31日法律第25号

*****

 改正論議がある教育基本法。日本人でどの程度読んだことがある人がいるんだろう。
 大学3年生の時はじめてこの法律を読んだ。特に前文、第1条を読み、感動した記憶がある。

 『われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。』
  ↓
 民主的で文化的な国家。その理想の実現は教育の力に待つべきものである。
 社会の教育への期待。思い。それに携わる責任は絶対忘れてはいけないことだろう。

 『教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。』
  ↓
 本当にこの条文に書かれていることを実践しているのか。大きすぎてめまいがするくらいの目的ではあるが、これも忘れてはならないだろう。

 教育基本法の改正。どのようになるのか。愛国心ばかりが注目を浴びているが、この法律がどんな法律なのか、一人でも多くの人に読んでもらいたいと思う。

*****

 なお、この法律の英訳が、今から20年以上前のどっかの県の英語教員採用試験の問題に出たことがあった。
    Education shall aim at the full development of personality, striving for the rearing of the people, sound in mind and body, who shall love truth and justice, esteem individual value, respect labor and have a deep sense of responsibility, and be imbued with the independent spirit, as builders of peaceful state and society.

 キーワード…人格の『完成』等を英語で書かせるものだった。
 懐かしいな。


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小中一貫校 教育以外の側面

2006-04-26 05:46:28 | 気になる 教育行政

 日野学園で開校記念式典
 毎日新聞によれば、4月に開校した東京都品川区立の小中一貫校「日野学園」(同区東五反田)で22日、開校記念式典があった。
 4月当初、文部科学大臣が出席して式典が行われていたので、あれが開校記念式典だと思っていたら、あれは開校式(始業式)だったようだ。この学校は品川区全体で始まった9年間の一貫教育のシンボル的な学校。施設が同じ敷地にあるのはこの学校だけである。(旧第二日野小と日野中が一緒になり、同小の敷地に新たに小中学校の校舎が建設された。)

 品川区は公立学校の学校選択制を導入しており、同学園では入学希望が定員を上回り、抽選で入学者を決めるほどの人気となったそうだ。

*****

 教育的な側面以外で、小中一貫校を作ることはどんな行政面でメリットがあるんだろう。ちょっと考えてみた。
 まず、品川区のウェブサイトで人口、学校数を調べてみた。それによると、小中一貫校は1校。小学校単独校は39校、中学校単独校17校。小学校2校強に中学校一校である。品川区のウェブサイトの記載事項によれば、『平成18年度から全小・中学校で展開する小中一貫教育の確実な定着を目指すため、区内各地区での「施設一体型小中一貫校6校」の設置を構想しています。』とある。このうち一校は日野学園なので、中学校17校を5校分、小学校も5校分にすることになるのかな。考えようによっては、ものすごい「圧縮率」である。
 品川区の人口は今年の1月1日統計で335,769人である。これで公立小学校39校、中学校17校である。
 埼玉県内市町村のウェブサイトで調べてみたら、所沢市(337,883人/今年3月末)、川越市(332,751人/今年4月1日)がほぼ同じ人口規模である。川越市は中核市になっている。所沢市の公立小中学校数はそれぞれ32校・15校、川越市は33校・22校。区と市の面積の違い、財政状況の違い、交通網の整備状況、子どもの割合が違うので、一概には言えないが、品川区の方が小学校区が狭い(おそらく学校規模が小さい)ことになる。この数字は区内・市内の義務教育を受け持っている私立学校は除いているが、品川区の方がどう考えても財政支出は多そうである。逆に言えばこれを6校にまとめられれば、支出も減らすことができるのかな。校舎整備の初期投資も何とかなるのか。
 こう考えると、行政改革(学校リストラ)の一環なのかな。


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最初は…

2006-04-25 04:04:05 | 気になる 政治・政治家

 千葉補選、J党幹事長の言葉。

 あまりまじめに批評をする気にはならないが、前埼玉県副知事、斎藤健氏(46)のキャッチコピー、あれはいけないだろう。
 
 「最初はグー、斎藤健(サイトウケン)」

 選挙戦中盤でTVで流れていたとき、こりゃダメだ、無党派層が×を出すだろうと思った。言われている当人も当惑していた。
 ある意味バカになれないと、東大卒だろうが何だろうが選挙には勝てない。地道に選挙をしなければ当選できない。

 戸別訪問10万軒。。。これをやって始めて当選の目が出る。

 小沢一郎の選挙の師匠、田中角栄の言葉だそうだ。


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センター試験リスニング-その後

2006-04-24 06:15:12 | 気になる 大学進学

 今春の大学入試センター試験で起きた英語・リスニング(聞き取り)テストのトラブルがあった。当時僕もブログで随分取り上げた。
 事故原因を調査していた大学入試センターの調査(発表)によると、事故の一部は受験生がICプレーヤーの操作を誤った疑いが強いとのことらしい。

*****

 1月に実施された大学入試センター試験。英語試験で実施されたリスニングテストで使われたプレーヤーは、再生ボタンを1秒以上押す必要があるものだった。
 …長押しだね。
 一部受験生がそれを知らずに故障と勘違いしたとみられるとのこと。
 …ホントかな。

 読売新聞によれば、『センターは月内にもトラブル原因の調査結果をまとめる。来春の試験では、ICプレーヤーの操作方法の周知徹底も課題になりそうだ。』と、ある。

*****

 同センターは、1月21日のリスニングテスト後、受験生が不具合を訴えた計471台を回収。製造会社とともに1台ずつ原因の究明をしてきた。
 …SONYだと思う。結果は、一部は故障の痕跡ないことがわかった。
  ↓
 受験生が再生ボタンを長押しることを知らなかった。
 (短く押しても作動しない)
  ↓
 故障と思い込んだ可能性が高い。

 ICプレーヤーの使い方(再生の仕方)の説明は、センターが各受験生に送付した受験上の注意を示す小冊子にも記載され、試験会場でも監督者らが説明していた。
 …「一部」の受験生はこれを読んでいなかった、聞いていなかったことになる。これは受験生のミスだね。

 でも、一昨年実施の試行テストの時に使われたICプレーヤーってそうなっていたかな?と思って記事を読むと、僕の記憶が間違えではなかったことがわかった。
 試行テスト用は長押しの必要のない形。学生がうっかりボタンを触り、音声が流れ出してしまったケースがあったため、本番用は長く押すタイプに改良したが、読売によれば、センターは「これが誤解を生んだ可能性もある」としている。
 この変更による(?)誤解について、これはセンターも一応責任の一端はあると考えているようだけど、やっぱり再生方法ミスは受験生の責任だろうなあ。だって、各学校に送られてきたICプレーヤーを使って、受験生が全員再生の手順を確かめることができたわけではない。勤務校には進路指導部経由あてに3台送付されてきただけ。これで受験生が全員さわれたとは思えない。一昨年の試行テストの3万数千人の受験者が本番の試験を受けたとしても、みんなが間違えたわけではない。
 やっぱり緊張か、疲労か、注意力散漫で説明書を読まなかった受験生の責任はあるだろうな。
 いずれにしても、「音が聞こえない」「雑音がする」などのトラブルのうち、何割かは操作ミスと言うことだったのだろう。器機の不具合はどれくらいか、来年1月の試験に向けてどのような問題解決が計られるか注目である。
 このエントリーは、4月20日の読売新聞の記事を参考にした。


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Orientation @ Makuhari

2006-04-23 08:13:02 | 教師の研修 2006

 オリエンテーションに出かけてきた。

*****

 片道1時間半。北は北海道~南は佐賀県からの参加者がいた。泊まりでなく参加できるのだから、近い方なんだろう。
 家から最寄り駅(JR大宮)にでて、京浜東北線で南浦和~西船橋~海浜幕張~徒歩で大学に到着。
JR海浜幕張駅  海浜幕張駅に着いたのが9時ころ。ロッテリアでモーニングセットを食べ、駅前から学校まで約15分を歩く。
道路 道路を歩きながら、おのぼりさんではないが、きょろきょろしてしまう。とにかく、バカがつくほど、どど~んと大きな街。やたら広い道路。各ブロックごととにかく広い敷地、必要以上に(?)でかい建物。土曜日だからだと思うけど、人気が少ない。Carrefour
 左の写真は、日本進出を図り数年で頓挫したフランスのスーパーのカルフール。看板の下の文字を見るとわかるけど、今はAEONグループ傘下のようだ。

*****

放送大学本部  放送大学の本部に出かけたのは、去年の11月の2次試験面接以来5ヶ月ぶり。季節がめぐり、木々は緑を増した…なんて書くと格好いいけど、街路樹がほとんど常緑樹だから印象が変わらない。この大学は、普通の大学+全国放送ネットの放送局なのでやはりでかい。

資料 午前は、オリエンテーション。普段は教授会にでも使っている部屋らしく、各席に「賛成・反対・棄権」の投票ボタンが付いたマイクがあった。
 勉強の仕方、ネットワークの使い方等々を説明された。

グランド

 昼-土曜日は食堂がお休みで、敷地隣にあるショッピングモールで食事をとってくださいとのこと。僕は食事を買ってきていたので、大学のグランドで食事をしました。
 放送による通信制大学だけど、体育の選択者用にグランドはあるようだ。

セミナーハウス  午後は、セミナーハウスでゼミごとに分かれての説明会と、M2の中間報告レポート発表会にオブザーバーで参加した。 
 研究指導は〇〇〇の〇〇〇先生になる。新入生で僕一人だった。(学外の先生である。)

 早めにコンタクトをとっていろいろ疑問質問をぶつけたいと思う。

*****

看板 メディア教育開発センター  帰りがけ敷地の中でおもしろいものを見つけた。
 放送大学は現在は、「特別な学校法人」だが、もともとは放送大学を運営する特殊法人(国営組織)だった。小泉内閣の行政改革の一環として、特殊法人の組織改編統合があり、大学の運営をする組織が変わっても、敷地は変わらない。当たり前だ。このキャンパスは、もともとは国有地。だから、同じ敷地が登記上分割され、別組織の独立行政法人があってもおかしくない。
 独立行政法人メディア教育開発センター。放送大学の授業などでもよく名前が出てくるので、放送大学の附属組織と思ったら、独立行政法人だった。放送大学の本部(南棟ビル)の半分を使っている。

 そのビルの中に、独立行政法人国立大学・財務経営センターと、独立行政法人国立高等専門学校機構本部も同居していた。後者は国立高専を一体のものとして統括する法人なので、名前は知っていたけど。こんなところにあったなんて。。。
 やっぱり放送大学は変わった法人なんだなあと感じた。


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石原知事持論

2006-04-22 06:22:50 | 気になる 政治・政治家

【英語より国語教育ちゃんとやれ!】

 石原慎太郎東京都知事は7日の定例会見で、中教審の部会が提言した小学校での英語教育必修化について「国語の教育をちゃんとやった方がいい。国語を完全にマスターしない人間が日本語を通じて外国の知識を吸収できますか」と述べた。

 石原知事は6日の首都大学東京の入学式の祝辞で英語必修は「ナンセンス」と発言。これを受け小坂憲次文部科学相は7日の閣議後の記者会見で「一歩進めるのは否定すべきことではない」と述べたが、知事は「(文科相は)役人のメンツをカバーしたんでしょう。私も小学校の時に英語を習いにいっていたが、なんの効果もなかった。国語を通じなかったら人間の情操、情念、感性は培われない」と持論を述べた。

 ここまでは、ZAKZAK(夕刊フジのブサイト)に4月6日に掲載されたものだ。

 東京都は知事定例会見を以下のアドレスで公開している。(平成18年分)
 http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/kako18.htm
 速報性を考えてWMPで視聴できるほか、若干時間はかかるが、テキスト版も掲出されている。今回の記者会見は一週間後、東京都のウェブサイトで公開された。
 当該部分を再録してみよう。

::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: ::: :::

石原知事定例記者会見録
平成18(2006)年4月7日(金)
15:00~15:15

知事冒頭発言(環状8号線の全線開通について)

質疑応答
民主党の党首選挙についての質疑応答

【記者】知事、昨日の首都大学東京の入学式で祝辞を述べられたと思うんですが、その中で、小学校段階から英語を必修にすることに関して批判されていたと思うんですが、それに対して、今日、小坂大臣が、柔軟な頭脳を持つ児童のうちから英語教育に取り組むのは重要だというような、いわば反論をされたと聞いておりますが、この大臣の反論についてはどう受け止めていらっしゃいますか。

【知事】まあ、それはやっぱり役人のメンツを彼もカバーしたんでしょうけどね、一体どれだけ時間かけて、どれだけの効果があるか。私もね、小学生のとき、おやじに言われてね、自分の卒業した幼稚園のドイツ人の宣教師に英語を習いに行ってましたけどね、何の効果もなかったね。

 それよりも国語の教育、ちゃんとやった方がいいよ、国語の教育。このごろの若い人の国語力の乱れってのはね、やっぱりね、日本語を完全にマスターしてね、それほど英語、フランス語、外国語の達人がいるわけじゃないでしょう、日本に。その人でもなお、やっぱり自分の専門としている領域の学問で非常に進んだ外国の知見というものを吸収しようと思ったら、一番いいのは、ちゃんとした翻訳で読むことでしょう。それが原文で吸収できる人間なんてめったにいるもんじゃないですよ。一般的に言えばね、私はそれが当たり前だと思う。まず語学(国語)力だよ。自分の国語というものを完全にマスターしない人間がね、日本語を通じて外国の知識にしても、一体どんなものを吸収できますか。今日の国語の乱れは、君らが書いてるメディアの文章見たってわかるよ。だから、私はね、ナンセンスだと思う、ああいうのは。

【記者】関連してですけれども、そういう日本語力の低下を克服するための何か妙案というか…。

【知事】あります、いっぱいあります。いっぱいあります。請われれば、いつでも私は話します。同感して、同調してる人はたくさんいるしね。やっぱりね、国語を通じなかったら、人間の情操、情念、感性というのは要するに培われていかないんですよ。この間もたまたまね、藤原正彦さん(数学者、エッセイスト)と対談したけど、私と大体同じこと言ってきた人だから、本当に意気投合したけども、私は、参議院の頃ね、ある雑誌の企画で面会して対談しましたがね、あの世界有数の岡潔さん(数学者)、あの人は正に大天才でね、西洋人ができない難問、レビの問題(※多変数関数論における問題の一つ)とか、その他この他、幾つか、あっという間に解いた。先生、何でそんなことができたんですかと言ったら、「僕は、その問題に取り組むためにね、(松尾)芭蕉の研究をした」と。芭蕉が好きで芭蕉の研究をしたというんだね。やっぱり芭蕉の俳句というのはすばらしいものだけどね、それを彼なりに勉強して、そこでいろんなインスパイアをされて、刺激を受けてね、それがもとになってね、私はあの難問を全部解決したと。これは大脳生理学者がやればもっとわかりやすく説明がつくことでしょうけど、そのとおりだと思いますね。

 やっぱり人間の感性、情念というのがなかったらね、科学者といえども、新しい発想なんかできないですよ。それを培うのはやっぱり国語力なんだよ、国語力。今の国語力じゃね、日本人として正当な情念、情操というのは全然培われてこないね、それは。私はだからね、本当にナンセンスだと思うね。英語なんていいかげんに使ったっていいんだ。通じるんだよ。英語というのはかなりいいかげんな言葉だから、文法にそれほど詳しくないし。

 例えばね、「ロングタイム・ノー・シー・ユー」っていうのは「久しぶりですね」。あんなの、言葉並べただけの慣用句にもなってないでしょう。それが通じるんだからね。一番いいのは、あれだよ、イギリス人もまねしてやったら、いいんだけども、南太平洋ではやってるピジンイングリッシュ、ピジョンイングリッシュ。鳩の英語、ピジンイングリッシュというの。あれが一番簡単だよ(※)。

※Pidgin English。貿易商など、外部から来た人間と現地人との意思疎通のため、自然に作られた混成言語のひとつ。パプアニューギニアやソロモン諸島などで用いられている。

 「アイ・ゴー・トウキョウ・スリーデイ」、「私は東京に行く」。「スリーデイ・パースト」と言ったら、「3日前に行った」。「アイ・ゴー・トウキョウ・スリーデイ・フューチャー」と言ったら、「3日後に行く」。エスペラントみたいに実に簡単でね、英語なんてその程度でいいんだよ。それはもちろんちゃんと話すに越したことないよ。しかし、やっぱりその前にだね、優秀な英語学者や翻訳家が訳した文献読むにしたって、日本語がちゃんとしてなかったら吸収できないでしょう、ということ。

 以下省略

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 テキスト版には、「テキスト版文責 知事本局政策担当 細井」と名前が入っている。まずこの人に感謝。ごくろうさまを言わなければ。

 石原東京都知事の政治姿勢は嫌いな部分もあるが、言葉に関する感性、考え方は自分の考え方を映す鏡として便利である。同感できる、できないを考えると自分がどんな考え方をしている人間なのか、何となくわかるような気がするからだ。
 政治家と新聞のコラムニストの違い、好き勝手(笑)に話せる知事と、限られた紙面で主張をするコラムニストでは比較することは無理かもしれないが、石原知事のコメントには否定しきれないものがある。

 作家としての経歴を考えれば日本語に関する考えももっともかな。
 「国語力の乱れ」と言っているが、「乱れか」「揺れ」は常に問題になること。でも、日本語をちゃんと修得せよとの考えはよくわかる。思想・思考の基本は母語であるとの考え方だと思う。僕もそうあるべきだと思う。ただ、修得となるとハードルは随分高いけども。。。
 英語が、「かなりいいかげんな言葉」(苦笑)かどうかのくだりはどうかと思う。どんな言葉でも、きっちりしているところも、アバウトなところもあると思う。日本語も例外ではないだろう。そして、そのことをもって日本語がダメな、いい加減な言語ということにはならないはずだ。
 わざと刺激的なことを言って注目を浴びる、波風を立てるのは知事の得意技・常套手段のような気がする。それに引っかかっちゃいけないな。

 まあ、いずれにしても既成事実を積み重ねる形で始まってしまいそうな英語活動。でも、これでいいのか、他にも大事なものがないのか考えることは続けるべきだと思うし、僕はそうしたいと考えている。


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小学校英語。。。

2006-04-21 05:06:47 | 気になる 教育行政

 毎日新聞が15日、<中教審方針>英語必修化に教師が尻込み 混乱や動揺も?という記事を載せていた。
   
 中央教育審議会の外国語専門部会が先月「小学校高学年で英語を必修にする」との方針がでている。このことについて現場の教師は「発音に自信がない」と尻込みし、自治体教委は「親のプレッシャーが強まる」と不安を募らせる、という書き出しだった。【高山純二、井上英介】
 若干納得いかない記事なので、いくつか意見を書いてみる。

◆アレルギー
 東京都内の「英語教育先進地」北区。04年度から区立小全38校の全員が、週1時間英語を学ぶ。カードゲームやインタビューなど年間40時間。泣きどころは「先生たちに英語アレルギーがある」(区教委指導主事)ことだ。
 「私は『さんきゅうべりまっち』の世界。こんな発音で教えちゃまずいわよね」。昨年度、総合学習で英語を教えた都内の区立小女性教諭(41)は、50代の同僚から不安を打ち明けられた。
 小学教員免許の取得に英語は必要ない。女性教諭が学んだ英語は大学1年が最後。「会話ゲームが中心で英語力は必要ない」と本人は総合学習を苦にしないが「プロ意識の高い先生ほど『発音が間違ってないか』という不安が相当ある」と同僚の気持ちを代弁する。
  ↓
 そもそも、アレルギーという書き方が気に入らない。なぜ不安になるかその理由分析がろくに書かれていない。それから本当に北区の教育委員会指導主事が、「アレルギー」などという言葉を使ったとしたら許し難い。なぜそのような評価をするのか。彼ら、彼女らに不安なく新しい仕事をしてもらうための十分な時間、機会の準備ができているのか。できていないから、まじめにやろうとする先生ほど不安になるのではないか。不安に充分応えることができない研修体制なのではないか。個々の小学校教師の努力だけで英語学習に向けての心配事、準備のは解決がつく問題かどうかは、わかるではないか。個別教師では解決なんかつかないのである。
 北区は毎日によれば、「英語教育先進地」だそうだが、本当だろうか。

◆自治体側の懸念
 文科省によると、全国に約2万3000校ある公立小学校のうち、昨年度93.6%が英語に取り組んだ。しかし、大半は特定の学年にほんの少し触れさせた程度だ。北区と接する足立区で、英語に取り組んだ学校は昨年、区立小72校中49校(68.1%)にとどまった。
 足立区教委は昨春、小学教員を集め、英語導入に向けた検討会を発足させた。しかし、ある指導主事は「先生により力に差があるのも事実。『隣のクラス担任に比べ、わが子の担任は』と親のプレッシャーがのしかかるのでは」と懸念する。
  ↓
 すでに93%と言う数字は一人歩きを始めている。90%超…やっててあたりまえ。そうじゃないのは異常…そんな数字としてとられるようだ。
 隣接区でも大きな違いがあることを報道した毎日の姿勢は評価するが、ではなぜ足立区が低いのか、その分析を書くべきだろう。おそらくそこには英語以上の優先項目が小学校教育現場にあるか、英語活動を行いたくてもできないことがあるはずだ。その分析がほしかったと思う。

◆教育産業は歓迎
 英語必修化について、進学塾は私立中の受験に影響がないため事態を静観するが、英会話教室は熱い視線を送る。最大手NOVA(大阪市中央区)は99年に小学生の教室を全国展開し、00年には外国人指導助手の派遣も始めた。広報担当者は「英語の必修化でマーケットは確実に広がる」と期待する。
  ↓
 そもそも民間企業と学校では世の中の要望として引き受けるものが違う。

***** ***** *****

 問題のありか(教員研修)がこれほどはっきりしているのに、どうしてもっとそこにフォーカスがあたらないのか。
 僕は以前ブリティッシュカウンシルの小学校英語のセミナーに出たことがあるが、参加している小学校の先生方の危機感、使命感は大変なものだった。全部の小学校教師に同じ危機感があるとは思わないが、勉強したい、自信を持って生徒の前に立ちたいと考えている先生たちが満足できる研修機会が本当にあるのだろうか。僕はどう考えてもないような気がする。
 必修化、なし崩し必修化。始める以上教師にとって自信の源になる確かな知識、訓練の機会をきちんと与えるべきなのである。
 毎日の記事にも、『中教審が小学校の英語必修化を検討する背景には、英語への取り組みの質と量が学校や自治体間で異なる現実を是正しようという狙いがある』と書かれていた。同記事に、『小学校の英語への取り組みは、02年度導入の総合学習でなし崩し的に始まった。一方、学習指導要領に縛られない教育特区でバイリンガル養成を掲げる自治体も現れた。実際、東京都内の北区と足立区の取り組みには差があり「英語の出来不出来が社会的格差につながりかねない」と懸念する親もいる』ともある。最後の「英語の出来不出来が…」は、若干大げさ(「英語だけができる人間」はあまり存在しないだろう)だが、英語学習が最近問題になっている格差拡大につながるのではないかという世の中の不安感までも巻き込んで(巻き込まれて)しまうのは困りものである。

 そうならないためにも、先生たちの研修が必要なのである。


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Ope?

2006-04-20 05:44:32 | 教師の仕事 2006

 採点の話し。
 …これは僕の話しではありません。以前勤めていた学校の同僚(先輩)の話しです。

*****

 僕たち教師は大体各定期考査で200枚~250枚の採点をします。採点基準の平準化と効率を考えて、同じ問題を連続して採点する場合が多いと思います。
  ↓
 問1.の小問だけをまとめてつけるとか、日本語による解答の部分とかを一気に採点します。

 当然、利き腕でない方の指で解答用紙をめくりながらの作業になります。
 指をなめて、解答用紙をめくることはまずありません。普通指サックをして作業します。

 さて、このこの同僚は、指も舐めず、指サックもしませんでした。もちろん素手ではありません。

*****

 QUIZ
 何を使ったでしょう…

 ANSWER
 「外科手術用」の手袋使った。
 この先生は解答用紙をめくる方の手に、それをぴっちりはめて採点をしていました。
 周りのものには異様な風景ですが、その先生にとっては当たり前。一枚採点するごとに、「バサッ、バサッ」と解答用紙をめくって、颯爽と(ちょっと変ないい方だけど)採点を進めていく人でした。

 人間の常識なんてもろいものだと思いました。


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教育実習がいや

2006-04-19 05:24:01 | 気になる 大学進学

【74歳焼死の火災、孫娘逮捕】
 最初このニュースを見たとき、あまりのことにしばらくニュースの内容が理解ができなかった。
 逮捕されたのは、亡くなった方の孫娘。神奈川県内の女子大で保育を専攻している。調べに対して「大学の勉強がうまくいかず、火をつければ教育実習(*)に行かなくて済むと思った」と、供述していると報じられている。
 *正確には保育実習だろう。

----------  ----------  ----------  ---------- 

 教育実習に行かなくて済むと思ったって。。。
 ここまで人間短絡的になるものなのか。保育専攻の学生だと、実習に行かなければ卒業がまずできないから、追い込まれたのかな。
 そもそも、進路選択が間違えていたのだろう。でも大学生活も半分終わり(3年生と報道されていた)になってしまった。大学をやめるわけにも行かず、専攻変更もできず。。。

 しかし、どうなっているのだろう。。。
 僕に何ができるかなんてわからないけど、今年は3年生の担任である。担任として生徒に影響力を。。。なんてえらそうなことは絶対思わない。けど、可能な限り相談に乗って、生徒が将来を考えるサポートになれるように心がけたいとと思う。
 対岸の火事ではない。人ごとではない!!!


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英語力で論議を尽くせ

2006-04-18 05:19:55 | 気になる 教育行政

 毎日新聞3月30日余録に、「英語力で論議を尽くせ」という文章がでていた。
 内容的にも知らないこと、まっとうな考えだと思うところ、踏み込みが足りないと思うところがあるので、このコラムについて書くことにする。
 まず、以下に全文を引用する。

*****

 英語力で議論を尽くせ

 明治初年、日本で初めて京都に創設された小学校の課業表を見ると5段階の上から3番目の等級に「英独語学百言」とある。上に進級すると「三百言」、最上等は「五百言」とあるが、いったいどんな授業を行ったのだろう
▲その後全国に布達された学制でも小学上等で外国語を教えられることになっており、初代文相森有礼(ありのり)が英語を奨励した明治18(1885)年から同20年代までは小学校で英語が教えられた。当時、浜松の高等小学校では米人教師を迎えた記録もある
▲その森有礼は「日本が独立を守るには、英語を国語にすべきだ」と唱えたのでも有名だ。民権論者の馬場辰猪(たつい)は、それでは英語を使う上層階級と、使えずに政治参加のできない下層階級に国民が分裂すると反論した。英語の公用語化によって共通の国民意識が失われるのを恐れたのだ
▲どうやら小学校での英語教育も、英語をめぐる論争も、別に今に始まったことではないようだ。グローバル化の進む中、さきごろ中央教育審議会の専門部会が小学校での英語の必修化を提言したが、一方ではその是非をめぐる論議も続いている
▲すでに中国や韓国などは小学校での英語必修化に踏み切った。インターネットなど英語の情報環境の日常生活への浸透もめざましい。いきおい早期英語教育を望む声が強いが、反対にまず母国語をしっかり身につけるべきだとの主張や、中途半端な語学教育は逆効果との意見も根強い
▲国際社会に適応しながら自主性を守らねばならなかった近代の日本人は、英語国語化論から英語=敵性語論までの両極端の間を揺れた。だが今は21世紀だ。これからの時代に必要な英語力を誰もが身につけるにはどうしたらいいかという原点に戻って論議を尽くせばいい。

*****

 各紙の社説などでも積極推進、消極推進(現状追認)、否定的とばらつきが見て取れるが、どうも誰が担当するのかを見ようとしていない点が気になる。非常に気に入らない。僕の目から見れば、毎日も同じである。
 三つ目の▲に「是非をめぐる論議も...」とあるが、毎日くんはどう考えているか言うべきだろう。実質始まっちゃっているんだからなんて考えているとしたら、ものの本質を見ていないことになる。既成事実をもとに、何かを実質的に始めるやり方は、どうなのか。なによりも、担当者を育てることが大事なのに、その時間も、金も割くことができずでいいはずがないではないか。十分にできているかどうかをなぜ検証、問題視しない。
 今のやり方では、結果がずぐずぐになる。そんな確信がある。
 四つ目の▲にもあるが、英語教育よりも母国語教育であるとの論議は、おそらく結果のでない論議である。言葉尻をとらえることになるが、母国語という単語もあまりいいとは言えない。母語だろう... 話がそれた。ではどうするべきなのか。
 英語が1コマでも時間(or単位)をとれば、現状では、何かが減るのである。他の教科・活動の時間を減らさず英語をやるには、授業時間を増やすしかないのである。それは教師の労働時間を増やすことになり、組合から嫌われる。僕だって仕事時間のうち授業が増えることは、準備のこともあり好ましいことではないと思う。でも、増やすならば、何とかしなければならない。平日ではなく、土曜日に授業をすることを考えなければならない。公務員組織の警察・消防・自衛隊でできるのだから、必要な教員を確保して、授業時間を増やし、その分で英語を入れる方がいいのではないか。勤務の振り替えを考えたり、非常勤講師の確保を考える(それなりの予算措置を考える)べきだろうと思う。
 お金がない。ウソである。道路を造るよりも人件費の方が安いだろう。まるで、ネコの首に鈴を付ける作業のようだ。誰もそんなことを言えないからわからないふりをしている。

 もう一度言う。
 現状での解決策は減らした授業を少し増やすしかどうにもならないのではないか。
 それに少しはお金をかけるべきではないのか。
 そして、小学校の先生が安心して児童の前に立てるような、システムを考えるべきではないのか。
 ぐだぐだ言っている暇があったら、英語力で論議を尽くすのではなく、教育にお金をかけることを論議を尽くすべきなのではないか。

 根性や気合い、使命感だけでは授業時間は増やせないのだ。


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How to Study

2006-04-17 05:05:54 | 教師の研修 2006

 放送大学大学院の学生(科目履修生+修士全科生)になって今年が5年目になる。この間最初の1年は、桜美林大学大学院のM2学生+放送大学大学院は科目履修生だった。2年目以降は放送大学大学院の学生だけである。大学院生としては今年でトータル6年目になる。

*****

 他の院生の人たちはどんな勉強の方法をとっているのかな。そんなことを考えた。僕は大体こんなふうにしている。
  ↓
 授業放送の日(今年の科目は日曜夜)前週は、1週間かけて放送授業の章を読み、1日何ページかをノートにまとめる作業をする。
 放送授業の日は、それまでにまとめたノートを見ながら授業を見る。その後で、教科書を再読する。
 放送後、録画したビデオを再視聴することもある。年度前期ならばGWに、第1回から第4回分放送を見ることが多かった気がする。

*****

 大学の授業はよく、授業時間+授業時間×2の時間をかけて学習するのが必須・当然であると言われる。放送大学の大学院授業も最低限これくらいの時間を割かなければいけないと思う。
 教育開発プログラムは今度の土曜日22日が研究指導オリエンテーション。仲間となる人たちにいろいろ聞いてみたいと思う。


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