豊岡市教委は22日、同市日高町岩中の祢布ヶ森(にょうがもり)遺跡で、平安時代の但馬国府に関連した国衙とみられる複数の建物跡が見つかったと発表した。
同遺跡の南端とされた位置よりさらに南200mの場所に、建物跡6棟(最大で縦4・8m、横約5・4m)になる掘立柱の柱穴跡が計39個見つかった。 穴の間隔も等間隔で、一定方向に正確に並べられていたため、役所の可能性が高い。
役人が儀式などに使ったらしい同時代の土器など約200点も出土した。 墨書土器も含まれていた。
但馬国府は「日本後記」や、これまでの調査で出土した木簡から、延暦23年(804)に移転したとされる。
今回の発見で、規模の大きい国府だったことがわかった。
[参考: 神戸新聞、産経新聞、毎日新聞]
過去の関連ニュース・情報
但馬国府
祢布ヶ森遺跡
同遺跡の南端とされた位置よりさらに南200mの場所に、建物跡6棟(最大で縦4・8m、横約5・4m)になる掘立柱の柱穴跡が計39個見つかった。 穴の間隔も等間隔で、一定方向に正確に並べられていたため、役所の可能性が高い。
役人が儀式などに使ったらしい同時代の土器など約200点も出土した。 墨書土器も含まれていた。
但馬国府は「日本後記」や、これまでの調査で出土した木簡から、延暦23年(804)に移転したとされる。
今回の発見で、規模の大きい国府だったことがわかった。
[参考: 神戸新聞、産経新聞、毎日新聞]
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