歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

大崎町 神領10号墳鉄製馬具や武具出土 

2008年09月14日 | Weblog
 前出の通り、神領10号墳で、8月19日から9月12日の間、発掘調査を行うことを発表していたが、その結果として現地説明会が今日開催されている。

 唐仁大塚古墳に続き、県内で2例目の刳抜式舟形石棺が確認された、古墳時代中期(5世紀前半)の神領10号墳で14日午後1時半から、本年度の発掘成果を紹介する説明会が開かれる。石棺の全容が判明したほか、鉄製の馬具や甲冑の破片約200点などが出土した。
 10号墳は全長約65mの前方後円墳で、13の古墳がある神領古墳群の1つ。鹿児島大学総合研究博物館の橋本達也准教授(考古学)が2006年から調査。盾持人埴輪(注1)や愛媛県産(注2)の初期須恵器が出ている。
 今回は、後円部にある石棺の詳細やその周辺を調査。石棺は長さ2.75m、幅0.94m。高さ約70cm。底石とふた石に分かれ、遺体を納める部分は丸みを帯びた筒状の空間になっている。ふた石は破壊されていたが、底石はほぼ原形をとどめていた。「縄かけ突起」と呼ばれる突起があり、内部は長さ約2mの楕円形。材質や加工から宮崎県延岡地方の産出(溶結凝灰岩製)と考えられる。溶結凝灰岩製の石棺は、熊本産のものは近畿や四国などへの運搬が確認されているが延岡など東九州産も遠隔地に運ばれたことが初めて裏付けられたとする。
 石棺は盗掘済みだが、全国でも貴重な、朝鮮系の特徴がある馬具の破片が周辺から出土。鉄地に金メッキの銅板を張り付けるなどの加工がある。近畿地方の製作とみられる、前面が尖った「衝角付冑」の一部も見つかった。
 橋本准教授は「東九州で石棺を遠方に運んだ事例は初確認で、加工も精巧。副葬品からも権力の強さや地域間交流の広さが分かる」と話す。

(注1) 盾持人埴輪:当初は武人埴輪と見られていたが、その後の調査で埴輪の破片を接合したところ、土管状の胴体に盾を表現した菱形文様を描いただけの「盾持人」と呼ばれる埴輪と判明した。
(注2)愛媛県伊予市の市場南組窯(いちばみなみぐみよう)産
[参考:西日本新聞、毎日新聞、鹿児島大学総合博物館 news letter No.19 2008]

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« たつの市・龍子三ツ塚古墳群... | トップ | 志布志市大崎町・天神段遺跡... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事