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福井県越前町・真言宗法楽寺 織田信長の祖先にあたる津田親真?を示す「親眞」の銘が入った石造が見つかる

2011年06月08日 | Weblog
 福井県丹生郡越前町織田(おた)の真言宗醍醐派・法楽寺の境内から、織田(おだ)信長の十数代前の祖先にあたるという伝承が残る「親眞(ちかざね)」の銘が入った石造が見つかり、5月から町教委により調査が進められている。 石造には、「親眞阿聖霊 正應三(1290)年二月十九日」と彫られており、宝篋印塔の一部だったと考えられるという。
 同寺には、鎌倉から室町時代に墓とされていた五輪塔や宝篋印塔の石造が多数保管されている。 昨年10月、同寺澤嵜住職から『親眞』の銘が入った石造があるので調査してほしいとの依頼があった。

 「織田系図」(『続群書類従』)などによると、近江国出身の津田親眞(平親真)は13世紀前半ごろ、同町織田の劔神社神官を務めていた忌部(いんべ)家に養子に入った。その2代後?の常昌は、越前国守護の斯波義重の頃、家臣として登用され、尾張(現・愛知県)に出向き守護代を務めた。その際、織田常昌を名乗り、織田家初代といわれる。
 劔神社からいただいた「劔神社由緒略記」をみると、幕末に函館奉行として活躍した津田近江守正路は、織田信長の祖父・信定の兄弟・津田玄蕃頭秀敏を祖としている。
[参考:福井新聞、「劔神社由緒略記」]

追記:2011.8.6
 越前町織田の織田文化歴史館で8月6日から、「織田一族のルーツをさぐる」をテーマにした特別展が開かれる。9月4日まで。

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