市教委は30日、同市安曇川町の西万木(にしゆるぎ)遺跡から室町時代(15世紀)の屋敷の遺構の一部を確認、外周から花瓶に使ったと見られる中国銅製双耳長頸瓶(そうじちょうけいへい)が出土したと発表した。
双耳長頸瓶は高さ約19cm、底部約8cm、口径約4cm、渦巻文「雷文」などがある。文様などから元代と推定される。長頸瓶など中国の古銅器をモデルにした銅器は「仿古(ほうこ)銅器」と呼ばれ、室町時代以降に流行し日本に多数輸入されたという。同器は全国で十数個の出土例があるが、長頸瓶の出土は全国4例目。
当時、地域を治めていた万木氏の居館の可能性があるという。
屋敷跡は縦横約40mで壕を二重に巡らしていた。茶臼や硯、信楽焼や常滑焼などの陶器、籾殻、中国製の青磁、白磁なども出土した。
現地説明会は2日午後1時半から。JR安曇川駅から徒歩15分。
[参考:10/30京都新聞、11/4産経新聞、(財)滋賀県文化財保護協会]
近江源氏佐々木氏支流万木氏
治承四年(1180)八月、頼朝が伊豆で挙兵し源平合戦が始まると、佐々木秀義の子・四兄弟は頼朝のもとに馳せ参じ目覚しい活躍をする。頼朝の最初の合戦で伊豆の目代山木兼隆の首をあげたのは佐々木三郎盛綱である。佐々木氏は恩賞を得て近江の旧領地に帰還する。盛綱の兄・定綱以下の系図で、惟綱が万木氏を名乗ったとみられる。
秀義(1112-1184)→定綱(1142-1205)→広綱(?-1221)→惟綱(万木氏)→範定(万木ニ郎)
双耳長頸瓶は高さ約19cm、底部約8cm、口径約4cm、渦巻文「雷文」などがある。文様などから元代と推定される。長頸瓶など中国の古銅器をモデルにした銅器は「仿古(ほうこ)銅器」と呼ばれ、室町時代以降に流行し日本に多数輸入されたという。同器は全国で十数個の出土例があるが、長頸瓶の出土は全国4例目。
当時、地域を治めていた万木氏の居館の可能性があるという。
屋敷跡は縦横約40mで壕を二重に巡らしていた。茶臼や硯、信楽焼や常滑焼などの陶器、籾殻、中国製の青磁、白磁なども出土した。
現地説明会は2日午後1時半から。JR安曇川駅から徒歩15分。
[参考:10/30京都新聞、11/4産経新聞、(財)滋賀県文化財保護協会]
近江源氏佐々木氏支流万木氏
治承四年(1180)八月、頼朝が伊豆で挙兵し源平合戦が始まると、佐々木秀義の子・四兄弟は頼朝のもとに馳せ参じ目覚しい活躍をする。頼朝の最初の合戦で伊豆の目代山木兼隆の首をあげたのは佐々木三郎盛綱である。佐々木氏は恩賞を得て近江の旧領地に帰還する。盛綱の兄・定綱以下の系図で、惟綱が万木氏を名乗ったとみられる。
秀義(1112-1184)→定綱(1142-1205)→広綱(?-1221)→惟綱(万木氏)→範定(万木ニ郎)
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