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福岡市・女原笠掛遺跡/女原瓦窯跡 鴻臚館の瓦を製造した窯跡を発見

2011年11月11日 | Weblog
 福岡市教育委員会は10日、「鴻臚館(こうろかん)」(7~11世紀、福岡市中央区)の瓦を製造していた9世紀後半~10世紀前半の窯跡を同市西区女原の女原笠掛遺跡(みょうばるかさがけいせき)で発見したと発表した。 鴻臚館の瓦を製造した窯跡が特定されたのは初めて。
 鴻臚館は、7世紀後半の飛鳥時代から11世紀前半の平安時代にかけて中国や朝鮮の外交使節や商人をもてなす国の迎賓館にあたる施設として使われ、福岡市中央区の跡地では昭和63年から発掘調査が行われてきている。 この跡地から西に11km離れた女原笠掛遺跡で、いずれも9世紀後半から10世紀前半の平安時代に使われていたとみられる3基の窯の跡と多数の瓦が見つかり、「女原瓦窯跡」と名付けられた。
 窯跡3基は緩斜面の地中にトンネルを掘った登窯(窖窯)で全長4.3~6m、幅1.5~1.6m、高さ1mで、1基は一度に瓦約500枚を製造できたとみられる。 約10年間、操業した模様。周辺には整地した跡や廃棄した大量の灰もあり、粘土の採取から成型、焼成までを手掛ける工房があったとみられる。 窯は当時、海岸線にあったとされ、約11km東の鴻臚館に船で瓦を運んだとみられる。
 窯跡からは軒平瓦、軒丸瓦、丸瓦、平瓦、鬼瓦や熨斗瓦など計約1万点出土。 このうち軒丸瓦や軒平瓦の計9点は木製の型「范型(はんがた)」で粘土に文様を付けて作られており、このうち軒平瓦2点、軒丸瓦3点の計5点は文様だけでなく、范型の劣化やひび割れなどによってできる傷の位置や大きさも鴻臚館跡の出土品と一致し、同じ型で作られたことが裏付けられたという。
 屋根瓦は、ハスの花などの文様が彫られた型枠に原料の粘土を押し込んで作られるが、ひびのある木製の型枠などが使われたため、同じ位置に傷ができたと推定されるという。 大宰府政庁関連の遺跡から出土した瓦との共通性はない。
 現地説明会は12日(土)午前10時~午後1時に開かれる。 雨天中止。
[参考:西日本新聞、読売新聞、産経新聞、毎日新聞、日経新聞、NHK福岡、TVQ九州放送、福岡市HP]

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