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日野市・仁王塚遺跡 真慈悲寺の関連建物か 柱穴105基出土 

2008年11月06日 | Weblog
 日野市郷土資料館は5日、同市百草(京王百草園から南東へ約260m)にある東京電力総合研修センター敷地内の仁王塚遺跡から約105基の柱の穴と、周辺から12世紀後半~13世紀のものとみられる常滑焼の破片11点、北宋銭1枚などが見つかったと発表した。
 「吾妻鏡」に記述がありながら、所在が不明だった「真慈悲寺(しんじひじ)」関連施設の遺構とみられる。多くの柱の穴があることから、お堂や僧坊などが複数回建て直されたとみられる。
 江戸時代まであった松連寺に伝わった阿弥陀如来像の背銘や付近で出土した大量の中世の瓦などから、真慈悲寺は同地区に平安時代末期から鎌倉時代にあったと推定されていたが、建物跡は発見されていなかった。
 市が昨年9月に調査したところ、直径30~40cmの穴が約40個みつかった。そこで、今年10月から、周囲の土や年代特定につながる遺物の有無を調べようと、学芸員や市民有志が発掘した。調査は今月下旬まで続けられ、終了後は埋め戻される。
 現地説明会は、9日午後2時から行われる予定。雨天中止。問合せは同資料館へ。
[参考:読売新聞、産経新聞]

[吾妻鏡より]
 文治二年(1186)二月大三日辛亥。武藏國眞慈悲寺者。御祈祷靈塲也。然而未依無寄附庄園。佛無供具之備。僧失衣鉢之貯。爰僧有尋今日參上。安置一切經於當寺。可修理破壞之由。申請之間。則所被補院主職也。
 建久三年(1192)五月小八日己夘。法皇四十九日御佛事。於南御堂被修之。有百僧供。早旦各群集。布施。口別白布三段。袋米一也。主計允行政。前右京進仲業奉行之云々。
 僧衆。 鶴岡廿口 勝長壽院十三口 伊豆山十八口 筥根山十八口 大山寺三口 觀音寺三口 高麗寺三口
 六所宮三口 岩殿寺二口 大倉觀音堂一口 窟堂一口 慈光寺十口 淺草寺三口 眞慈悲寺三口
 弓削寺二口 國分寺三口也

[阿弥陀如来像の背銘]
奉為皇帝日本主君。當國府君。地頭名主。御願圓満。安穏泰平。信心法主。子孫平安。悉地成就。師長父母。二親亡魂。
助成合力。同共往生。乃至法界。平等利益。慶長二年大歳庚戊孟夏之天七日。王力南閻浮堤。日本武州多西吉富真慈悲寺。
施主源氏。 願主佛子。 慶祐敬白。

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