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名古屋市守山区・中社古墳 円筒埴輪が並んだ状態で出土

2009年09月03日 | Weblog
 市教育委員会は2日、守山区上志段味の中社古墳の円部分の頂点部分から5本の円筒埴輪が並んだ状態で出土したと発表した。
 円筒埴輪は直径30~40cm、高さ約70cmで、側面にある三角の穴などから4世紀後半頃のものと推定され、県内で最古級と考えられるという。
 筒に付けられた突帯が等間隔であることや縦横の長さの比率など近畿地方の埴輪との共通点が多いので、畿内にあったとされるヤマト政権との関係が強かったと推測されると。
 現場は保全のため、今週末に埋め戻し、出土した円筒埴輪の一般公開はしないという。
[参考:読売新聞]

過去の情報・ニュース
2008.7.11 東大久手古墳 円筒埴輪が列を成して見つかる

2008.6.21 東谷山山頂 尾張戸神社古墳ほか 古墳の形・築造時期を確認
 市教委文化財保護室が今月中旬に初調査して、志段味古墳群のうち東谷山山頂にある 尾張戸神社古墳など古墳三基が古代の豪族「尾張氏」の墓である可能性が高まったとする。さらに、曖昧であった古墳の形と築造時期を確認した。
 尾張戸神社古墳は、直径30mの円墳。築造は四世紀半ば。
 中社と南社の両古墳は、長さ55-60mの前方後円墳。築造は四世紀後半。
 中社からは祭礼に使う円筒埴輪の破片も多数、見つかった。築造時期は埴輪の有無や、格式を高めるために積まれる葺石の形などから決めた。
 尾張戸と中社からは、ヤマト王権があった近畿地方で、主として四世紀だけに古墳の装飾に使われた硅石(けいせき)を発掘した。硅石は東谷山のすそ野にある白鳥塚 古墳からも見つかっているが、この地方の古墳では他に使われていない。
 尾張戸神社古墳上に今も立つ尾張戸神社は、尾張氏の祖先を祭神とし、日本書紀や古事記には尾張氏がヤマト王権に王妃を嫁がせたと記されている。
[参考:中日新聞]

<備考>
■志段味古墳群
 名古屋市の北東端・守山区上志段味に集中する前期~後期の大古墳群。
■白鳥塚古墳
 全長109mの前方後円墳。埴輪が見つかっていないことなどから4世紀後半の築造と考えられる。かつて墳丘斜面は葺石で覆われており、特に後円部の頂上部の葺石には白色珪石が使用されていたことから白鳥塚と名づけられるようになったと伝えられる。
■尾張戸神社
 東谷山山頂にあり、成務天皇5年、宮簀媛命による勧請と伝わる古社。尾張国造尾張氏の祖先を祀る。
ご祭神 天火明命(あめのほあかりのみこと)天香語山命(あめのかぐやまのみこと)建稲種命(たけいなだねのみこと) 
延喜式に「山田郡 尾張戸神社」とあり、また国内神名帳に「従二位尾張戸天神」の名が見られ、かつては熱田神宮に次ぐ大社であったという。

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